書き初め三題噺・2019

緒賀けゐす

書き初め三題噺

 ~1月3日・昼~


「はぁ……はぁ……!」


 正月早々、俺は商店街のアーケードの中を駆けていた。

 目の前の光景は惨状そのものだ。建物は壊れ、天井やコンクリートの破片が道に散乱している。そしてそれに混じる、茶色い一筋の線。冬の乾いた空気には、鼻を刺す不快臭が漂っていた。人気ひとけもない。ほとんどの人間が、しっかりと屋内に避難しているようだった。

 そんな中を、俺は走り続ける。アイツを止められるのは、俺しかいないから――。


 ……いや、違う。今俺を動かしているのは、身内で処理せねばという罪悪感ただ一つだけだった。


 カッ――雲の無い昼の寒空に、一筋の閃光が瞬く。光線が、遠くの山の上で屹立していた大きな配電塔に直撃した。大気で青く霞む配電塔が、中央部からゆっくりと折れて倒壊する。


『クソがあああああああああああああ!!!』


 そして前方から、やたらデカい声が耳をつんざいた。鳥が舞い、ガラスが軋み、大地が震える。マズい、早くしないとさらに被害が……!!

 ブォオオオンブォオオオン!ドンドンパフパフ!

 それに呼応するように、周囲からはエンジンとヤンキーホーンがけたたましく鳴り響く。黄奈子きなこの友人は、どうやらうまくやってくれているらしい。


 平成最後の正月、我が町は史上最悪の最大のカオスにあった。


「くそっ、どうしてこんなことに……!!」


 すでに限界に近い身体に鞭を打ち、速度を上げる。どうして、今俺が走っているのか。一体何が起こっているのか。


 事の発端は2日前、元日にまで遡る必要がある――。



 ~1月1日~


「シルエットがさぁ、うんこなんだよ」


 元日の安子やすこ家、親友の持田もちだは唐突にそう切り出した。

 持田とはいわば腐れ縁で、小学校から高校まで同じ学校に通っていた。大学はさすがに別のところに進学したが、帰省ということで今日はほぼ一年ぶりの再会だ。正月早々家まで押しかけてきたと思ったら、この発言である。


「正月からネタが汚い」

「いやいやいや、だって考えてもみろ安子。この餅とミカンの三段構造……あのうんこマークの元ネタがこれ以外に思い付くか?」


 そう言って持田が指差すのは、我が家の玄関に飾られた鏡餅である。二段に重ねられた丸餅の上にミカンを乗せたそれは、確かにシルエットだけなら類似していると言えよう。だが、鏡餅これとてそれなりに縁起物やら供え物としてちゃんとした意味合いの上で置かれているものだ。それに下品なネタを――ましてや人の家のもので――重ねるのは、人としてどうなのだろうか。


「あるだろ他に。少なくとも、食べ物を元ネタにするんじゃない」

「じゃあ聞くけどさ、安子は思い浮かぶか? あんな蛇みたいにとぐろ巻いたもん」

「自分で蛇言ってるじゃねぇか」

「かーっうるさいなぁ……うんこだって食い物でできてんだからな?」


 頭を掻き、不満な様子の持田。しかし一転、閃いたとばかりに手を打ってみせた。

 ……持田がこうしたとき、ろくな事が起きない事を俺は知っている。


「なぁ、失礼だと思わないか?」

「……お前の態度がか?」

「違う違う、鏡餅が、だよ。これは神様に捧げるものだろ?それなのになんだ餅とミカンだけって。神様はミカンをおかずに餅を食ってろというつもりか?」

「大分極論臭いが……まぁ言いたいことは」


 酒があるとはいえ、もう少しおかずの類いを供えても良いという意見なら理解できる。


「そこでだ。色々な食べ物を含んでいて、かつコンパクトに供えられる、似たようなシルエットのもの……ほら、思い浮かんできただろ?」


 最低の発想だった。


「……お前はうんこを捧げられて嬉しいか?俺なら祟るぞ」

「合理的だと言ったんだ。俺だってうんこ食うのは御免だ」

「そうか……」


 良かった、そこは最低限人並みの感覚だ……。


「だが、それは俺の話だ。神様が同じとは限らない」


 人並みなのはそこだけだった。持田の面持ちは真剣そのもので、放っておくとそのまま行動に移してしまいかねない。冗談でなく、こいつは行動力のあるバカなのだ。


「うんこで喜ぶ神様がいてたまるか」

「スカラベ」

「あっ、一瞬で論破された」


 変に頭の回るバカでもある。因みにスカラベとは、古代エジプトで神と同一視されていたフンコロガシのことである。


「ふっ、どうやら俺の勝ちのようだな」


 勝利を確信した持田。俺の肩を叩き、不敵に笑いながら家の中へと入っていく。持田の歩く方向、あるのはキッチン――そしてトイレ。

 すぐさま俺は、持田の肩を掴み返した。


「おい貴様、何を企んでいる」

「愚問だな、俺の座右の銘を忘れたとは言わせんぞ?」

「『有言実行、則実行』だから止めてるんだろうが、このクソ野郎」


 ウチでスカラベは崇めたことなんか一度とて無いぞ。


「クソ野郎、か……下品な揶揄は止めてくれ」

「今からクソしようと考えてる人間に言わずしてどこで言えと?」


 もうそろそろ暴力に訴えてもいいんじゃないかと思ってるよ俺は。

 十秒ほどの膠着の後、諦めたとばかりに持田は肩を竦め、俺の方へと身体を戻した。


「そうだな、俺が間違っていた」

「気付いたか」

「あぁ、わざわざトイレまで行く必要はなかったな」


 満足そうな笑みで、持田は自分のベルトに手を掛けた。

 俺は股間に蹴りを入れ、持田の首根っこを掴んで玄関からつまみ出した。



 ~1月3日・朝~


 あれから、持田とは連絡すら取っていない。単純に、もう正月中は関わりたくないと思ったからである。もうお腹いっぱい。来年の正月までいらない。

 ……そう思っていたはずなのだが。


「よりによって、餅のお裾分けとはな……」


 持田家とは、その付き合いの長さから家族ぐるみの仲である。叔父が和菓子屋をやっている安子家では、正月になると作ってきたからと餅が持ってこられる。それは核家族であるウチだけでは消費するのも大変な量で、知り合いに配るのが恒例だった。そして今年は持田家への配達を、俺がやることになったのだ。会いたくないは会いたくないが、こちらも餅を渡すという用事で行くのだ。長居する必要も無いわけだから、俺はその役目を請け負った。


 持田の家とは小学校の学区で端と端にあたり、持田の家までは自転車で30分掛かった。昔何度か遊びに行ったこともあるので、道には困らなかった。

 持田家の前に着き、俺はポケットからかじかむ手でスマホを取り出す。持田とのトーク画面を出すが、来る前に送ったメッセージにはまだ既読がついていなかった。


「母さんも親御さんが電話に出ない言ってたし、どこか出掛けてるのか?」


 家族全員で、何かの初売りに出陣したのかもしれない。とりあえず玄関のインターホンを鳴らして、すぐに出なかったら帰るか――そう思った時だった。


「あ、既読ついた」


 持田に送ったメッセージの横に、既読マークがついた。そして間髪を入れずにすぐ、持田から返信が送られてきた。



『少し早いが、鏡開きの時だ』



「……? 何を言っとるんだこいつは」


 意味の分からないメッセージに、俺は首を傾げる。とりあえず出掛けていると言わないということは、中にいるのだろう。

 俺は玄関の前に立ち、インターホンを鳴らした。


「――っ」


 悪臭。思わず、一歩退いた。何だこれ、すごく臭いぞ。

 持田の顔が浮かぶ。そのせいもあってか、その悪臭は完全に排泄物のそれにしか思えないものだった。


 ――ガチャリ。


「おわっ!?」


 何の前触れもなく、玄関のドアノブが回る。そして少しだけ開くと、扉はそれ以上の動きを止めた。あれ、中から誰かが開けたんじゃないのか?


「ごくっ……お邪魔しま~す……」


 生唾を飲みつつ、俺は玄関を開ける。


 その先に隠されていた光景に、俺は息を飲んだ。


「くっっっっっっっっっっっっさ!!??」


 そして飲んだ息が肺を焼くようで、俺は思わず咳き込んだ。咳が収まるのを待ち、俺は鼻をつまんでしっかりと中を見た。


 目の前にあったのは、俺の身長よりもデカい三段のうんこだった。玄関を完全に塞ぎ、それより奥には進めない。何よりもその悪臭と、自分よりデカいうんこという人生で一度も見たことがない存在に、俺の思考回路は完全に凍結していた。


 すると、スマホの通知音が鳴る。何かを考える前に画面を見ると、持田から一件のメッセージが送られてきていた。


『なぁ、ダンスは得意か?』


 ――ヤバい。俺の中に眠っていた野生の本能がそう告げた。


「うわあああああああああ!!」


 そして次の瞬間には、俺は180度身体を反転させて玄関から逃げ出していた。


「クソがあああああああああああああ!!!」


 そして刹那、背後から聞き覚えのある人間の叫び声と共に、茶色い破片が散弾銃のように背後から襲いかかってきた。数発を背中に受け、俺はコンクリートの地面に倒れる。威力としては、一つ一つが軟球のデットボールぐらいには痛かった。


「クソがあああああああああああああ!!!」


 背後を振り向く。全身を茶色に染めた持田が、完全にイった目で踊っていた。

 踊りは変則的で、ブレイクダンスのような激しい動きをしたかと思えば、すぐさま盆踊りに切り替わったりする。激しく動くたび、身体に付着したうんこが辺りに飛び散った。

 ああ、地獄ってこんな感じなのかな――。現実感を失った俺の頭脳は、踊る持田を見てそんなことを考えていた。


 何分間、倒れたまま踊る持田を見ていただろう。とうに俺はクソまみれで、早く夢から覚めないものかと行動することを諦めていた。


「グルルルル……」


 突如、持田が踊るのを止める。そして、その顔が俺の向こう側へと向けられた。持田の意識の先に何があるのかと首を回すと、そこには一人の男性が立っていた。知らないおじさんだ。手には大きな袋を持っていて、どこか初売りにでも行ってきた帰りという感じだった。

 そのおじさんは、持田を見て固まってしまっていた。まぁ当然だろう、目の前にいきなりこんなヤツが現れたら。

 逃げろおじさん――今の持田こいつは理性を失い踊り狂うスカトロの化身、ダークサイドに堕ちたスカラベでしかないんだ。常人が敵う相手ではない……!!

 意識のどこかではそう思えても、身体が、口が動いてくれない。早くこの状況からログアウトしろ、意識をシャットダウンしろと過半数の細胞が意思表示をしていた。


「ひっ、ひいいいい!?」


 俺が警告するまでもなく、おじさんは来たらしい道を引き返して逃げ出す。そうだ、それが正しい選択だ。


「クソがあああああああああああああ!!!」


 しかし、持田は容赦が無かった。焦点の合わない目が突如発光しだしたかと思うと、次の瞬間、俺の頭上を超高速の光の束が飛んでいた。近くを通っただけで火傷するのではないかという熱量を持ったそれは、その進路上におじさんを捉えていた。


「ぎゃああ――」


 おじさんの悲鳴は、長く続かなかった。光線が収まった後、その軌道上に残っていたのはおじさんのすねから下と大きな買い物袋だけだった。

 血すら残さない、魔の殺人光線。目の前にいる全身クソまみれのそれは、もう持田という一介の大学生ではない。現世に顕現せし破壊神――それ以外の何者でもなかった。


「クソが……クソが……」


 ぼそぼそと下品な言葉を吐きながら、持田だったそれは歩き出す。俺を横を通り抜け、そのままふらりふらりと歩いて行ってしまった。


「何だよ……これ……」


 そして俺も、これ以上は無理だと意識を失った――。


  *  *  *


「ヤス兄! ヤス兄ってば!」


 何やら聞こえてくる声に引っ張られるように、俺は意識を取り戻した。


「あっ、やっと起きた」

「その声……黄奈子きなこか?」


 身体を起こすと、隣に腐れ縁その2、一個下の幼馴染み、柏葉黄奈子かしわばきなこが至極嫌そうな顔でしゃがみ込んでいた。見ると、白と紅の巫女装束に身を包んでいる。そういえば、毎年神社でアルバイトをしていた。染めた金髪にシンプルな装束はミスマッチだが、今年もやってるのか。……いや、今考えるべきはそうじゃない。


「持田は?アイツはどこに行った?」


 周囲を見回す。気を失った場所から少し移動したらしく、持田の家から数百メートル退避した歩道に俺達はいた。いつの間にか衣服も着替えさせられ、うんこの臭いも微かなものとなっていた。


「さぁ。町内を練り歩いてるのは確かだけど、正確にどこにいるのかまでは分かんない……けれどあの状況証拠から考えて、生まれてしまったみたい」


 一人、深刻そうな表情で考え込む黄奈子。何やら、俺以上に知っていることがあるらしい。


「生まれたって、どういう意味だよ?」

「あれは、恐らく糞神様くそがみさま


 何というダイレクトネーミング。


「糞神様は、供え物に屎尿しにょうを混ぜると稀に生まれる祟られた存在……というより、怪異の一種って言われてる。その家庭だけでなく、その地域内全ての供え物を屎尿に変えるまで消えなかったと、古くの文献には書かれてるの」

「……」


 絶句であった。そんな俺を見て、黄奈子は憂うような顔をする。


「そりゃ、普通驚くよね……そんな、汚いことをする神様がいるなんて」

「いや、内容どうこうより前例の記録がある方が驚きなんだが」


 いいのか? あんな混沌を煮詰めたような存在に二度目の出現があっていいのか? 世の中にはもっと優先すべき不思議現象があるのでは? あと何でそんな情報知ってるの?


「でもまぁ――今は細かいことを気にしている場合じゃないな。つまりアイツを放っておけば、この町の供え物が全てうんこになるということだろ?」

「女子相手に口が汚い……けど、それで合ってる。それにしても、どうしてもっちゃんはそんなことを……」


 もっちゃんとは持田のことだ。小さい頃から三人で遊んでいた仲ということもあり、今感じている心配は大きなものだろう。俺は疑問符しか浮かばんが。

 しかし、どうしてという黄奈子の疑問には思い当たるところがあった。


「あぁ、それは多分――」


 黄奈子に、俺は元日のやり取りを説明した。


「なるほど……納得できるかはともかく、そういう経緯いきさつがあったんだ」

「あぁ。俺の家でできなかった持田は、恐らく自分の家で実践したんだろう。で、その結果」

「怪異が発生した、ということね」


 どうしてだろう、事件発生の流れが分かったのにどうにも釈然としないのは。それは多分、釈然としたら人としておかしい次元に入ってしまうからだ。

 瞬間、空を閃光が駆けた。間違いない、持田の殺人光線だ。もしかすると今この瞬間、誰か罪も無い人間が不条理に殺されたかもしれない。そう思うと、冷たい汗が背を流れた。


「あのクソ野郎と止めねぇと……何か有効策は無いのか?」

「文献にはそこまでは書いてなくて……事が終わらない限り、止めることはできないのかもしれない」


 それはダメだ。これ以上、犠牲者を増やしてはいけない。このまま一被害者として終わってしまうのは、関わった人間としてあまりにも無責任だ。生き残ったとしても、罪悪感に殺される。


「何でもいい、ヒントになるようなことは書いてなかったのか?」

「ええと……確か、『急ぐだけは作戦じゃなくて、緩急つけるのが大事』、的な事が書いてあった」


 ただ急ぐな、緩急をつけろ、か――。


「……何にだよ?」

「さぁ、そこまでは分かんない」


 下手に近付いても危険なだけだ。少なくとも、犠牲者をできるだけ減らすような策を考えないと。


「くそっ、人気ひとけのない方向に誘導でもできればいいんだが」

「あ、それなら心当たりがある」


 迷いなく、黄奈子はスマホを操作する。そして、黄奈子はスマホを耳にあてた。


「……あ、もしもしクルミっち?今どこ走ってる? ……あー、じゃあすぐ戻って来れないかな? 町が前代未聞の危機なの! ……事情は後! とりあえずカムバックASAP!!」


 怒鳴るように相手に伝えると、黄奈子は通話を終了した。


「誰だ、クルミって」

「クラスメイトの友達。レディースのてっぺん張ってるの」

「……」


 黄奈子よ、お前はいつの間にレディースの総長に指示できるようなポジションになっていたんだ……。


「正月暴走やるって行ってたから、今日もまだ何かやってるかなーって思ったの。それで、聞いてみたら今近くで集会やってたんだって。応援として呼んだから、30分あれば来るはず」

「呼ぶのはいいが、一体どうするつもりだ?」

「倒せこそしないけど、糞神様はただやかましい音を嫌うって書いてあったの。だから、バイクとかの騒音で進路を誘導できるかもって」


 なるほど、それで住宅地とかに近付けさせないようにしようという算段か。確かに、アイツが狙っているのは民家のお供え物だ。被害を最小にするという点では、黄奈子の判断は賢明だろう。


「けど、そいつらを危険に晒すことにならないか?死ぬかも知れないんだぞ?」

「いいのいいの、暴走族なんかやってる人間なんだから慣れてるって」


 なぁ黄奈子。そのクルミとやらをどう思っているのか、ヤス兄心配になってきたよ。


 しかし、他に選択肢があるのかとなると良い案が浮かばない。とりあえず、黄奈子の作戦で進めるのがその時に考えられた一番の行動だった。


  *  *  *


 そうして今、俺は商店街を走っている。

 レディース達の後方を追う形にはなっているが、この道は瓦礫が散乱していて、バイクで進むのは割と厳しい状態だ。

 そして道路に伸びる、持田が通ったであろう茶色の跡。確実にここを通ったという汚い道しるべに導かれながら、俺は持田を追っていた。

 さっきの光線の出所からするに、持田はここからさらに500メートルくらい進んだ公園の辺りにいるようだ。近くに住宅が集まっているわけでもないし、誘導する場所としては最適だろう。

 問題は、誘導したところでどうするかだ。黄奈子が言っていた緩急がどうとかいうヒントもなんのこっちゃ分からないし、現状アイツを正気に戻す方法は何一つ思い浮かんでいない。


 でも、俺がアイツを止めなければならない。腐っても――否、臭くても親友だ。

 あの姿がアイツの最期の姿になろうものなら、俺はどんな顔をすればいいのだ。嫌だぞ、うんこ振りまいて死んだヤツの墓参りに行くなんてのは。


「ぜってぇ正気に戻してやる……!!」


 歯を食いしばり、俺はさらに地面を蹴る足に力を加えた。

 やがて、アーケードから抜け出る。臭気はさらに強くなり、鼻をつままねばそこにいれないようなレベルだった。

 アーケードから出ると、くぐもっていたエンジンの音がクリアに大きく聞こえるようになった。横を見れば、そこにはバイクに跨がり、エンジンをふかすバリバリのスケバン達が並んでいた。日常で出会えば怖いことこの上ない存在だが、今はその圧が頼もしい。


「おう、アンタがヤス兄か?」


 正面からの声。視線を向けてみれば、背の高い黒髪のスケバンが立っていた。カワイイというよりは美人さんで、鋭い切れ目が俺をぎらりと刺した。その威圧感に、一瞬足が退けそうになった。


「アタシが闇殺牢あんころの頭張ってる総長の胡桃くるみだ」

「あ、そうですか……」


 名前とのギャップがデカいな……というか、これに指図できるのか黄奈子は。恐ろしい幼馴染みを持っちまったで俺は。

 すると総長の背後から、黄奈子がひょっこりはん(動詞)した。


「事情は話したよ」

「ったく、何だ糞神様って。バカくさい……というか、臭い」

「もっちゃんは公園にいるから。後は頼んだよ、ヤス兄」

「ちょっと待て、俺一人で行かせるつもりか?黄奈子も一緒に――」

「あぁん?」


 胡桃総長に思いっきりメンチ切られた。え、何、なにそこの友情。アタシの黄奈子は行かせねぇってか? 何だよ、仲良しかよ。

 見れば、周囲のメンバーも似たような視線をバシバシ刺してきていた。頼もしくないわこれ、怖いわ普通に。全然糞神様より怖い。あれ、なんか糞神様アレが怖くなってきたぞ……そうか、これが相対性理論か……。


 視線から逃れるように、俺は公園に足を運ぶ。立ちこめる臭気が、さらに強まる。

 そしてその悪臭の先に、アイツは立っていた。


「クソが……クソが……」


 全身茶色に染まった糞神様は、ぼそぼそ同じことを呟きながらボックスステップを踏んでいた。その姿はまさしく人間Twitterだ。


「持田……」

「クソ、が……」


 ゆったりと首をもたげ、糞神様が顔を向ける。俺の方を向いてはいるが、その焦点は合わず、虚空を見ているようだった。


「クソ、が……!!」


 ゆったりとしたテンポから一転、糞神様が激しくステップを踏み始める。肩を怒らせ、速いリズムで踊り始めた。


 ――刹那、俺の頭の中に閃光が走った。

 そういうことかよ、緩急って……!!


「ダンスは……苦手だな……!!」


 止める方法は分かった。だが、できるかどうかは別の話だ。俺のレパートリーなど、小・中と運動会で踊ったソーラン節と、しかない。


 ――だが、やるしかない。エンジンの轟音の中、俺は一歩踏み出す。


 そして、俺は糞神様の目の前で踊り出した。俺が唯一踊れる、汎用性において最強クラスのダンスを。

 見るがいい、糞神様。これがジョン・ジェイコブソン――緑シャツおじさんの舞だ!!


 ステップ、ステップ。スライド、ツイスト。糞神様がゆったりとしたテンポになると、それに合わせて直立姿勢、右膝、右肩、左肩、左膝と反時計回りに上げる。糞神様のテンポに合わせ、適当なダンスを繰り出す。


「何あれ、スゴいダサい……!!」

「何だ、あのダンスの教材みたいな踊り」


 背後から賞賛とは言い難いコメントが聞こえてくる。ええいうるさい、俺にはこれしかないのだ。


 踊る。ひたすらに踊る。段々と俺も熱が入り、自身のソウルから溢れ出る情動が動きに変わった。それは時に盆踊りとなり、井森美幸ともなった。俺が新たなダンスをする度、外野からは辛辣なコメントが飛んでくる。途中から俺は糞神様に勝るダンスというより、彼女らに評価されるダンスを求めて踊っていた。


 そして、勝負は互角の様相を示していた。俺も疲労が蓄積していたが、糞神様も顔を歪め、苦しそうな表情になっていた。

 呼吸が速まる。入ってくる空気はとんでもない臭いで、息を止めて死んだ方がマシなのではと思わせる。

 ――けど、諦めるわけにはいかない。何より、


「持田に負けるのだけは許せねぇ……!!」


 腐れ縁の間にある対抗心が、俺の意識をつなぎ止めていた。どちらが先に倒れるかの、気合いの領域。ダンスバトルは、次のステージに移行しようとしていた。


「クソ、が……!」


 しかし、ここで糞神様のまとうオーラが変質した。焦点の合わない目が、眩しい光を放つ。


「っ、やべぇ!」


 このまま撃たせたら黄奈子や、周囲のレディースに当たるかも知れない!

 俺は咄嗟に、糞神様にタックルをかました。


「うがぁ!?」


 糞神様が呻く。密着することで、その臭いはえげつないものになった。ベクトルは違うが、鼻の穴に直接アンモニア水溶液を突っ込まれたような刺激だ。吐き気を催すレベルを通り越していて、ただただ鼻が痛かった。

 そして、光線が放たれる。上を向いていた糞神様の目から、二本の光の束が真っ直ぐ空へと飛んで行った。俺にのしかかられ、糞神様は苦しそうな表情だった。


 ……あれ。


「……黄奈子、何か殴るの」

「え? あ、はい」


 すぐにカランコロンと、手頃な長さの鉄パイプが転がってくる。


 まさか――有効打が無いというのは、単純にうんこまみれの人間に直接触れたくないという話なのではないだろうか? 遠距離だと殺人光線で不利になるし、近付くと意識を手放したくなるような悪臭だ。昔の家電のように、叩けば直せるのではないだろうか? となると、踊った意味は――そんな疑問が浮かんだ。


 しかしそれより、早くこの臭いから解放されたい――その気持ちの方が数段上にあった。


「さぁ、持田。少し早いが、鏡開きといこうじゃないか……!!」


 俺達は、臭くても親友だ。どこに躊躇う必要があるものか。


 そして俺は、鉄パイプを手に取った――。



 ~1月4日~



「やはり、餅はクルミに限るな」


 病院のベッドの上、クルミ餅を頬張る持田はご機嫌だった。


 結論から言うと、腕の骨にヒビを入れたところで持田は元に戻った。

 周囲に撒き散らされた屎尿や瓦礫、その他諸々で警察ももちろん出動し、俺や黄奈子も含め、持田は色々と質問をされまくった。


 死者3名、怪我人多数。物損たくさん。それが今回糞神様によってもたらされた被害だ。後で分かったことだが、持田の両親も糞神様によって殺されていた。

 しかし説明したところで警察がそれらを信じてくれるわけもなく、それらの罪はそのまま持田のものとなった。今は病院だが、落ち着いたところで持田の身柄は警察に拘束されることが決まっている。特別に許可をもらって、俺は持田に面会をしに来ていた。


 餅を飲み込んだ持田は、暖かい緑茶を啜る。その渋味をしっかりと味わい、持田は至福の様子だった。


「はぁ……やはり、緑茶が一番美味い」

「なぁ、持田」

「どうした?」


 俺が話し掛けても、持田の態度は変わらない。それがあまりにもいつもの持田で、ほっと安堵するような、逆に不安になるような、複雑な感情が渦巻いた。


「いいのかよ、お前は、これで」

「? 何がだ?」

「何がって……確かにお前は神様にうんこ供えるようなバカ野郎だけど、人を殺したり、迷惑を掛けるような大バカ野郎じゃないだろ。それなのに、糞神様だがスカラベ・ダークサイドだか知らないやつに取り憑かれてあんなことになって……その全ての責任がお前にあるっていうのは、ちょっと……納得いかん」

「そうか」


 持田は窓の外に視線を向ける。病院からでも町の被害はちらほらと目に付き、折れた配電塔もしっかりとサッシの額縁の中に収まっていた。


「ありがとな、安子」


 俺から顔を逸らしたまま、持田はそう言った。


「でも、あれは俺の罪だ。食べた餅が消えることなくうんことなるように、糞神様の罪も、全て消すことはできない。ならば、残ったものは俺の罪だ」


 とても食事しながらの例えとは思えないものだったが、語る持田の口調は真剣なものだった。いつもそうだ。こういう時だけ、持田には眩しい程の誠意さがある。


「一つ、願いを聞いてくれないか」

「……ああ」

「俺が罪を償って刑務所から出てきたら……その時は、一緒に餅を食べてくれないか?」


 どんなものかと思えば、持田の頼みは簡単なものだった。


「……別に、それは今でもいいんじゃないか?」


 だから俺は、持田が食べているクルミ餅を一つ取り、一口で頬張った。


 甘いクルミの味を、涙の塩気が引き立てた。

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