第8話

「まあ、泣くな。幽霊だろ」


「……うるさい」


「そうはいってもな。流石に涙を止めようとして、また号泣されるなんて、普通に気分が悪いだろう」


「……うるさいよ」


「というか幽霊って泣けるのな。普通に驚いたわ」


「本当にうるさいですよ!」


 なんで、この人は最後までこうなのか。


 無遠慮というか、常識知らずというか。


 

 でもまあ、と言葉を出して彼は立ち上がる。


「そんなに後悔してるってんなら、もう大丈夫だろ」


「…………大丈夫?」 


 何が大丈夫なんだ。結局何も解決してない。それどころか、気づかなくていいものまで気づかさせて、何を勝手に締めようとしているのか。


 まさか、このまま私を除霊でもする気なの、か。


 まあこちらとしては絶対に消えてやるつもりなどさらさらにないわけだが、しかし、相手がそうくるのであればやぶさかではない。


 こいつが霊媒師だがなんだか知らないけれど、この世に一秒でも残るためにその勝負受けて立ってやる。


 そしてこの場でたとえ負けたとしても、敗北を決して、屈して、膝をついて、そしてこの世から消えたとしても、次の、次の人生では必ず、生き抜いてやる。


 間違えないで生き抜いてやる。

 行く場所が地獄だろうがなんだろうが、そんなこと知ったことか。


 こんな生きたがりの私なんだ。

 次だ。次。次こそは、絶対に生き抜く。


 で、「まあまあ楽しかったぜって」そんなふうに笑って胸張ってこいつに言ってやる。


 そんな風に決意を新たに私は彼を見た。

 


 しかし、当の彼は別段戦う素振りなど全くなく、むしろ今までで一番暖かな表情をこちらに向けていた。


「なんだ、できるんじゃねえか」


「え?」


「だからさ」


 彼は笑った。


「――そんな希望を持ったような顔、できるんだなって思ってな」


「……何いってんですか」


「――ほら」


 そういって彼は手鏡のようなものを投げてよこす。


 なぜかは知らないが幽霊のくせに意外と物理的接触が可能な私は、それを受け取って、そして、驚いた。


「お疲れさま。次の希望を持ったお前の地獄行きは取り消しだ。おとなしく、もう一回人生やってこい」


 おめでとさん。


 その彼の言葉が私が聞いた、この世の最後の言葉だった。




「閻魔さん、本日のお勤めご苦労様です」


 小鬼にそういわれて、俺は自分とその周りにかけていた術を解いた。


 部屋の様相だった周りはいきなり赤い世界のそれになり、天井だったそれはみるみるうちに見えないところまで登っていった。


 そして俺自身、先程のような人間の姿ではない。


「もうかれこれ、ここにあなたが来てからも長いですね。そろそろ10年ぐらいですか」


「いや、別に俺の本体はあっちにあるわけだし、ここに丸々十年いるみたいにいうのはやめようぜ」


 まるで俺が地獄に堕ちたみたいじゃないか。


 俺はまだ人間なんだよ。仕事が閻魔ってだけで。


 と言って俺は歩き出した。


「でも、いいんですか? 本当に彼女を戻してしまって」


「仕方ねえだろ、あいつが生きたいっていうんだから」


「……はあ」


 小鬼は納得できないと行ったような声をあげる。


「いやでも、ですよ? 彼女自殺者ですよ? そんな大罪人をタダで返してしまっていいんですか?」


 天界に怒られても知りませんよ。そう小鬼がまた俺を小突いた。


 そんな小鬼の態度に、俺は「はぁ」と大きくため息をつくようにして落胆を示す。


 そんな俺の態度に立場上、不満を漏らせない小鬼は、しかし長い付き合いでわかっているが顔に出やすいタイプなのである。彼は苦虫を潰したような表情でこちらを向いた。


「何か、私が間違ったことを言いましたか?」


「……あのなぁ、別に俺だって何も考えなしにあいつを現世に返したわけないだろ」


「と言いますと?」


「地獄ってのは基本的に誰でも来れる場所じゃないだろ? 大勢の人間を殺したとか、親を殺したとか、自ら命を絶ったとかじゃない限りは、基本的にみんな輪廻転成。もちろん善を多く積んだ人間は天界に行って一生そこで暮らせるけどよ。基本的には前の記憶全部消してすぐにまた現世に戻るもんだろ」


「まあ……常識ですね」


 だからこそ、彼女はここで罪を清算してからじゃないと輪廻転成してはいけないと思うのですが。


 と、小鬼は口をさらに尖らせた。


「いや? 違う違う。そうじゃないぞお前。大きな勘違いしてる」


「ん? 何がですか?」


「いやね。地獄ってさ。――別に罪を清算するところじゃないのよ」


 俺が何となく見慣れた地獄の風景を見渡しながら、言った。


 ここは何もない。何一つない。殺風景な大地が広がるだけである。


「え? そうだったんですか?」


「意外とみんな勘違いしてるけどね。まぁ、普通に違うんだわ。別に罪を償ってもらうためにここがあるわけじゃないんだ。ほら。ここ、特別辛いこともないしな」


 周りを見渡し終えた俺は止めていた足を自室へと向け直す。


「確かに、特に何もないだけで、別に拷問器具とかあるわけじゃないですけど……」


 俺はようやくこの広い大地の中でポツンと一軒だけある自宅兼仕事場に到着をした。


 小鬼は続ける。


「えと……じゃあ、誰のために地獄ってあるんですか?」


 俺は彼の疑問に、ドアノブをねじりながら特に考えもなく、その質問に答える。


「『生きたい』までの、暇つぶし」


 そして、それを最後に、俺は自室にこもった。

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『死にたい人』に向けた1万字あまりの小説 西井ゆん @shun13146

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