貧乏くじ男、東奔西走

ヱビス琥珀

東へ、あるいは落第医大生の逃亡劇

「ふふ……。ふはは……。はははは……!」


 やった、やってやったぞ……!


 カーナビの表示すら疑わしい林道を、ハイエースで駆け抜ける。追われることのないよう、足取り消すためだ。街灯も、すれ違う車もない。立ち並ぶ木々をヘッドライトが照らし出す。


 なんでこんなことになっちまったんだろう?医者の家に生まれ、金に困ることもなく、頭も悪くなかった。いや、結果を見れば悪かったのかもしれない。たいした努力もなく地方国立大学の医学部に入学し、あとは卒業して研修医を経験したら、親の病院を継ぐ……はずだった。


 どういうわけか国家試験で不合格を繰り返した。思えば毎年、正月に引いたおみくじは大凶続きだった。しかも今年のやつは、『生死:あやうし』と来たもんだ。生きてるだけ、まだ良い方か。


 だがそんな体たらくを見た実家は激怒し、俺を勘当した。大学入試で五浪した姉と比べれば可愛いものだと思うのだが。これまでの出来が良すぎた分、ハードルが上がっていたのかも知れない。とんだ貧乏くじだ。勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に勘当するなんて、実に身勝手な話じゃあないか。


 そんな親の勝手さを引き継いで、子の俺も勝手をやることにした。大学病院の薬品保管室に忍び込み、ありったけの医薬品を盗み出してやったのだ。医学水泳部で所有していたハイエースに積めるだけ詰め込み、ひたすら夜道を逃亡。今に至る。


 お先真っ暗ではあったが、とりあえずコレを売り捌けば、しばらくは食いつなげるだろう。後のことは……後のことは後で考えればいいじゃないか。


 そんな時、車のヘッドライトが点滅したかと思うと、ふっと消えた。


 「ん……?は?おい……おい、なんだよ……!」


 ブレーキを踏むが、車は完全な暗闇の中を滑って行く。だが明かりが消えたのはほんの数瞬だった。すぐに光は戻り、俺を飲み込んだ森の体内を照らし出す。ガードレールが目前に迫っていたが、ハンドル操作で正常な車線に復帰した。


 「……ぷはっ。……クソっ。クソがっ。」


 なんだよ、脅かしやがって……。心臓が、壊れたメトロノームのようにやたらと速く鳴っている。僅かな時間だが首筋に当てられた死神の鎌。もはやろくでもない人生を歩き始めたばかりだが、こんなところで事故って死ぬなんざ、まっぴらごめんだ。『生死:あやうし』?はっ、笑わせるぜ。


 だがここまで休憩もとらず、夜通し運転し続けていることも確かだった。この林道を抜けたら仮眠を取ろう。そう考えながら、俺は鬱蒼とした森の中を走り続けた。



♧ ♧ ♧



 こつん、こつん、と、車のドアを叩く音で目が覚めた。外が明るい。横を見ると、運転席のドアガラス越しに、険しい顔つきをした男の顔があった。くすんだ赤のマウンテンパーカー。年齢は五十歳前後といったところに見えた。


 森の出口で車を停めて仮眠を取っていたが、私有地だったのだろうか。クソ、ツいてない。だが無断駐車程度ならば、とりあえず謝罪しておけば大丈夫だろう。


 「いやー、どうもすみません。運転中、どうにも休憩場所がなくてですねー。」


 そう言いながらドアを開け、車を降りる。


 そこではじめて自分に銃が突きつけられていることに気が付いた。びくりと痙攣をするように、ほとんど反射的に両手を上げる。赤の男の両脇にも二人の男が立っていた。黄色と青のマウンテンパーカー。信号機みたいだ。いずれも銃を構えており、都合三丁分の黒光りする鉄の筒が俺に向けられていた。


 「どこから来た?」


 銃を構えたまま、赤の男は短くそう言った。


 銃?この日本で?だが確かに、地獄へ続く黒い穴が、どこまでも冷たく俺の眉間を見つめている。


 「どこから来たかと聞いている。」


 「えっ、あ……隣の街からです。後ろの森の、林道を抜けて……。」


 「林道?」


 「ええ、ですから、そこの……。」


 そう言って来た道の方に目をやると、そこにあったはずの道は夜露の如く消え失せていた。森はこんもりと分厚く緑の葉を纏い、その上からツタ植物が覆い被さっている。それは掛け布団の上に毛布を掛けたような、長い年月をかけて形成された、完全に森林だった。


 「あれ……?えっ?あれ、なんで?」


 向けられた銃口の重圧、それに続いた退路の喪失に、紡ぐべき言葉は指の間をするすると滑り落ちて行った。殺される、と、そう思った。


 だが赤は長い溜め息をひとつ吐きながら首を小さく横に振っただけだった。そして彼らが乗って来たであろうオリーブグリーンの車とハイエースに交互に目をやり、両脇の二人に何やら目配せをした。青が運転席の中を覗き込み、赤の方を振り向いて頷いた。赤が頷き返すと、青はそのまま運転席に乗り込んだ。赤が後部座席の方を顎で示し、


 「乗れ。」


 と告げた。俺はその言葉と下顎骨に従い、スライドドアから車に乗り込んだ。その後から赤も銃を構えたまま乗り込んできたので、尻をずらして席を詰めた。


 「ちっ、古い車だ。」


 青が舌打ちし、毒づきながらエンジンをかける。


 「どうもすいません。」


 つい謝ってしまった。くそ、余計なお世話だ。



♧ ♧ ♧



 窓の外には田畑と小さな森が、入り乱れるように配置されていた。田植え前の水が抜かれた田圃にはちらほらと雑草が生え、道路脇にはタンポポと菜の花が風に揺れている。小さな森の内部には石造りの建物。塀はなく、小規模な森林公園の管理施設のようにも見えた。


 そこは盆地だった。ぐるりと取り囲む外輪山には、外界との接触を拒むように木々が鬱蒼と生い茂っていた。遠く、盆地の中心付近にはひときわ高い木が聳えている。100 mを超えているのではないだろうか。できれば近くに行って見てみたいと思った。


 前を走るオリーブグリーンの車は、見たこともない車種だった。排気筒すら付いていない。確かにこれと比べたら、俺の車はよほど古く感じるだろう。ナンバープレートには見知った文字ではあるのだが、それらが何の規則性もなく並べられている。道路案内の看板は『螟ア髦え』、『遖丞い。』などと意味不明な文字列が並んでいたが、やはり使われている文字は母国語に準じていた。


 「あの車は何の動力で動いているんですか?」


 「電気だ。」


 好奇心で聞いてみれば、やはり赤は短く答えた。15文字以上の文章を喋れないのかもしれない。


 隣に座る赤は相変わらず俺に銃口を向けたままだ。しかし俺の方もこの状況にてきたのか、初めのような恐怖は感じなかった。赤の肩には3 cmくらいのハチのような虫が止まっていたが、特に気にするような素振りも見せなかった。それもの為せる業かもしれないし、あるいは彼がもともと鈍感なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、ぐぅぅぅ、と腹が鳴った。昨日の夕方にハンバーガーを食べたきりとはいえ、我ながら緊張感のないものだと呆れ果てる。


 「ははは、お恥ずかしい……。」


 赤は長い溜め息をひとつ吐き、首を小さく横に振った。前の車が一軒の家の敷地に入って行き、ハイエースもそれに続いた。



♧ ♧ ♧



 そこには5本の大樹と、3本の成木、3本の若木が植えられていた。成木の一本は異様な形をしていた。葉を落とし、枝ばかりになったその木には、3つほど球体のようなものが付いているのだ。それは化学の分子模型のようにも見えた。


 「早く行け。」


 後ろから青に言われ、慌てて歩く。赤がドアを開けて待っているようだった。俺がドアのところまで追いつくと、赤は「やれやれ」という顔つきでドアの内側に声をかけた。


 「ただいま。」


 「おかえり、お爺ちゃん。」


 やはりと言うべきか、ここは赤の自宅であるらしかった。声がした方にはリビングがあった。柔らかそうなソファが置かれ、子供が3人、テレビを見ていた。50インチ程度の画面はとんでもない高精細で、立体感すら感じさせる。


 俺はリビングとは逆方向へと連れられ、6人掛けのダイニングテーブルの脇を通り、キッチンのカウンターに座らされた。キッチンには一人の女性が立っていた。


 美しい女性だった。30歳頃で、長い髪を三つ編みにし、冠のように頭に巻いていた。だが胸元、左の鎖骨付近に赤黒い腫瘍が露出していた。皮膚癌か、乳癌の皮膚浸潤か、あるいはほかのがんの皮膚転移か。いずれにせよ、かなり進行しているように見えた。


 「セラスス、そいつに飯を出してやってくれ。今朝の残りもので良い。」


 「はい、お父さん。お口に合うといいんですけどね。」


 「タマナシごときに気遣いはいらん。」


 食事をいただけるのはありがたい。だがタマナシとはどういう意味だろう。もし俺の睾丸が1つないことを知っているのだとしたら、いつの間にか身体情報をスキャンされていたことになる。彼らの評価を改める必要がありそうだ。


 少しするとセラススと呼ばれた女性が食事を運んできてくれた。白米と味噌汁、漬物だ。


 「どうぞ。本当は卵焼きもあったんですが。」


 「ありがとうございます。いただきます。」


 セラススはニコリと微笑み、子供達の様子を見にリビングに向かった。


 食事は信じられないほどに美味かった。米は適度な粘りを持ちながらも弾けるように歯切れよく、滋味に富み、口腔から鼻腔へと上品な香りが通り抜けた。味噌汁も丁寧に出汁が引かれ、ネギと油揚げと絶妙にマッチした。白菜の漬物は適度な塩味に唐辛子の辛味と柚子の香りを纏い、その根底をやはり出汁の旨みが支えていた。空腹という調味料の存在を差し引いても、これまで食べた食事の中で最上級だった。


 悦楽に緩んだ顔で余韻に浸っていると、ダイニングの声が漏れ聞こえてきた。空腹が満たされたことで聴覚に割く余裕が戻ってきたようだ。信号機三人組も随分と警戒を緩め始めていた。青がこちらに銃口を向け、横目でちらちらと監視している程度だ。


 「やはり生贄として使うのが妥当な線か……。」


 「桜も瘤ができて、あの状態だ。セラススも永くは保つまい。」


 「けど、記録だと生贄にそこまでの効果はなかったとされているよ。」


 「構うものか。タマナシの命など知れたもの。それで桜の木が元に戻る可能性が、少しでもあるならば……。」


 ……どうやら俺は、桜の木を元通りにするための生贄にされようとしているらしい。そんな会話を隣でするなど、デリカシーに欠けるというか、俺に逃げられる可能性は考えないのだろうか。と思っていると、青がこちらをギロリと睨んだ。心でも読めるのだろうか。


 だが、これはチャンスかもしれない。


 セラススの癌を治す、ということだったら難しかった。抗がん剤は厳重に管理されているため盗み出せなかった。もっとも抗がん剤が手元にあったとしても、あそこまで進行していてはもはや根治は望めないだろう。いや、担癌長期生存がんとの共存ならあり得たか。


 しかし、桜を治せというのであれば何とかなるかもしれない。俺は思い切って話を切り出すことにした。


 「あの、すみません。」


 「なんだ?」


 賭けに出る価値はある。効果があるかは定かでないが、少なくとも生贄を捧げるよりは可能性があるはずだ。それに俺は生贄になどなりたくない。


 「お話、少し聞こえていたのですが……。私なら、その桜の木を治せるかもしれません。」


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