還樹、あるいは幽霊の聖誕祭

 翌朝起きると、人々が木々に話しかけていた。それが彼らの日課らしい。


 それから十日間、ギレニア宅と研究所を往復する日々が続いた。あっちへ行ったりこっちへ来たり。ギレニア宅の庭で桜の切断面に注射器で抗菌薬を振りかけ抗真菌薬水虫薬を塗る。研究所でセラススの胸に放射線を照射する。


 「はいはぁい、直線加速器ミル・パット=クルックス、発射ぁ〜と。」


 治療の後半からオレアは目に見えて飽き始めていたが、最後までやってくれただけマシと思おう。


♧ ♧ ♧


 半年が経ち、セラススの乳房は完璧にとは行かずとも、本来の美しい形に近づいていた。もっとも、元がどうだったのかは知らないが。放射線治療後、始めに異臭のする体液の浸出が止まり、次いで赤黒い腫瘍がゆっくりと、徐々に消えていった。ここまでの成果は期待していなかったが、治療が絶妙にマッチしたようだ。嬉しい誤算だった。


 夏の終わりの日差しの中で、セラススが子供達とくるくると、楽しそうに舞っていた。この光景がいつまでも見られたら、と思った。しかしそれは叶わないだろう。今回はあくまで緩和目的の局所治療。おそらく全身に転移しているであろう癌細胞は、遠くない将来に彼女に牙を剥く。

 

 桜の経過も順調だった。コブの再発はなく、完全に制御されている。抗微生物薬が奏効したようだ。人間と樹木では細胞の構造が違うため副作用が心配だったが、どうにかうまくいってくれたようだ。そうして感慨深く樹を眺めていると、通りすがりのご近所から声をかけられた。


 「ロバータ!今日はウチの木を看てくれないか?茸にやられちまっててなぁ!」


 「いいですよー!昼過ぎに伺いますね!」


 茸だと抗真菌薬ルリコナゾールだな。抗微生物薬の在庫も限られている。自然と無駄遣いは控えるようになっていった。


 マルス(陰が薄いが、ギレニアの息子だ)の勧めで村の仮想ネットワークに登録して以来、俺の職業は樹木の医者として定着してきていた。新品のブレイン・マシン・インターフェースまで用立ててもらい、快適な生活を送っている。


♧ ♧ ♧


 秋が夏を追い出し、冬が秋を押しのけ、再び春が主役の椅子に座った。桜はコブ病を克服し、青空を背景に誇らしげに花を咲かせた。セラススもまた、そんな満開の桜の木を、誇らし気に眺めていた。


 だが巡る季節を人が止めることはできない。桜の花が散り始めた頃、セラススは父であるギレニアに、自分の死期が近いことを伝えた。


 「お父さん、私、もうそろそろみたい。」


 「そうか。……いつにする?」


 「……明日。明日が良いわ。花を見ながらが良い。」


 セラススはそう言って微笑んだ。


 翌日、ギレニアは村役場へ赴き、一包の粉末を持ち帰った。なんでも魂が樹木へ還るという旅立ちの儀式、『還樹の儀』に飲む特別な茶であり、仮初めの体の役目を穏やかに終える働きを持つそうだ。これもやはり天然素材オーガニックだろうか?


 天然由来の毒物を軽んじてはいけない。青酸カリなど比べることすらおこがましい。ボツリヌス毒は言うに及ばず、街路樹で植えられているキョウチクトウアレクサンダー殺しはバーベキューの串にした際の煙で一個小隊を全滅させるし、トリカブトとフグ毒で殺人タイマーを作ることだってできる。調合しだいでは、安らかに永遠の眠りを齎すこともできるだろう。


 桜の樹の前に屋外用の椅子とテーブルが並べられ、親族がぐるりと輪になって座った。主役セラススは桜の樹の前で寝椅子にもたれかかっている。病状も悪化しているし、その方が良いだろう。各人の前に酒やら茶やら菓子やらが置かれ、儀式が始まった。それは儀式と呼ぶにはあまりに和やかで、穏やかで。まるであの日、そう、俺が桜を治療した宙に舞った日の昼食みたいだった。


 「えっと……今日はみなさん、私のために集まっていただきありがとうございます。私は今日、この樹に還ります。ここから見守っていますので、気が向いた時には遊びに来てくださいね。では…… Salud乾杯!」


 「「「Salud乾杯!」」」


 そう言って皆、杯を呷った。セラススは例の粉末を溶いた茶だ。これから旅立とうというのに健康Saludとはこれいかに。


 「ロバータが来てくれて私は幸運でした!私の樹も、胸も綺麗にしていただいて。」


 「いえいえ、出来ることをしたまでです。正直ここまでうまくいくとは思ってませんでした。セラススさんの人徳のみたいなもんですよ。」


 「ふふ、相変わらずご謙遜なさって。じゃあ、そういうことにしておきます。」


 そう言って、青白い顔でセラススは微笑んだ。そんな風に和やかに時が流れた。そして昼食会、もとい儀式が始まってちょうど一時間が経った頃、セラススが大きくをした。


 「ごめんなさい、そろそろ、みたいです……。」


 子供達に顔を向け、「立派に育ってね。これからも、私はこの樹にいるから。困ったことがあったら言ってちょうだいね。」そう言って、微笑んだ。


 夫のピッコリアに顔を向け、「ありがとう、あなた。愛してるわ。」そう言って、微笑んだ。


 「みんな、ありが、とう。今日は、本当に、楽し……かっ……た……」


 そう言って彼女は自分の運命樹を誇らしげに見上げ、実に満足そうな顔で、眠るように目を閉じた。


 それはとても安らかな死だった。人間はこんなにも美しく死ねるのかと、俺は感動すら覚えた。


 緩和治療の果てに、穏やかに旅立つ患者がいた。

 寛解し、社会復帰する患者がいた。

 目を背けたくなるような抗がん剤の副作用に耐え続ける患者がいた。

 少量の抗がん剤を飲みながら、元気に働き続ける患者がいた。

 天寿を全うするのだと、命の危険を顧みず治療に臨む患者がいた。


 だが、どんなに医学が発展しようとも、最後には人間には死が訪れる。それこそ不老不死でも実現しないかぎりは。セラススの魂は、確かに桜の木に寄り添っていた。圧倒的に永い木の命に寄り添うことで、彼女の魂は平穏なままに人生を終えたのだ。


 本当にセラススはただ眠っているだけのように見えた。横たわる人形のように見えた。仮初めの体が僅かに発光し、魂が抜け、背後の桜の樹に宿るのが見えた。呼びかければ、今にも桜の樹から出て来るのではないかというほどに。




 光った?魂が抜けて、樹に宿った?




 「どう、ロバータ?私の姿が見えるかしら?」


 桜の樹を背景に、白いワンピースを着た半透明のセラススが浮かんでいた。

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