奔流、あるいはひとつの村の終わり

 「ロバータ、ちょっといいか?」


 セラススの還樹の儀があった日の夕食後。なんとなしに外でセラススの桜を眺めていると、ギレニアがやってきた。酒とつまみを携えて。俺の耳に何も付いていないことを確認し、話を続けた。


 「今日の儀式、お前はどう思った?」


 「いや、びっくりしましたよ。魂が樹に宿るって、本当だったんで……あ!いえ、別にそれを疑ってたわけじゃなくて、えっと――」


 「あれはだ。」


 「……へ?」


 ギレニアはため息をついて首を横に振った。初めて会ったあの日のように。そしてギレニアは語った。


 この村では樹木に対する信仰が失われつつあった。樹木に人間の魂が宿るわけがない、と。そこで村がしたことは、子供が生まれた時からブレイン・マシン・インターフェイスをその子供に与えることだった。


 補聴器のような小さなデバイス。それを通じて、サーバにデバイス所有者の人間関係を記録していく。村人が死んだ後は、所有者が思い描くその人物の姿を脳に直接、運命樹の前に映し出すのだ。あたかもその魂が運命樹に宿っているかのように。それがギレニアが語った、この村における樹木信仰の最新の形だった。


 「――お前にもセラススが見えただろう?あのデバイスには、そのためのアプリがプリインストールされているんだ。そして俺たちは子供にそのことを話すことを禁じられている。それが村の掟として新たに付け加えられたんだ。運命樹の話を、信じさせるために。」


 くだらん、実にくだらんっ……と、ギレニアは苦虫を噛み潰したような顔でそう呟いていた。


 どうしたものかと、俺は思った。俺はその話を知っていた。マルスとピッコリアから聞いていたのだ。ギレニアが騙していると思っている若い連中は、自分たちが騙されていることに気づいていた。そりゃそうだ。あんな演出、いくらなんでもわざとらしすぎる。


 「ところでだ、ロバータ。お前は以前、病気で睾丸を失ったと言っていたが……そういったことはお前の村では普通だったのか?人を死から遠ざけるための技術が、当たり前のように施されるのか?」


 「普通……というのはまた難しい言葉ですが。私の患った癌という病気は高齢で発症することが多いので。ですがこの病気になった場合、切除は極めて一般的な方法です。そういう意味では普通、なのかもしれないですね。」


 そして俺は語った。自分の生まれ育った場所のことを。医療が発達したものの老化は克服できず、寿祖国のことを。


 長生きすることを人生最大の目的とした人々は、俺の目には『生存依存症』としか映らなかった。ナメクジが体に良いと言われればナメクジを食し、睡眠が毒だと言われれば三連続の徹夜を敢行する。かと思えば翌月には十五時間以上の睡眠がもて囃された。統計データ曖昧な科学的根拠に振り回される人々。いかに確率を上げようが、結局最後は乱数まかせだ。それでも確率にしか拠るべをもたぬところに、人という存在の儚さを感じさせる。


 俺のそんな話を聞いて、ギレニアはため息をついて首を横に振った。


♧ ♧ ♧


 それからしばらく、ギレニアは何やら考えこんでいるようだった。自室に篭もることが多くなり、酒の量が増えた。もともと寡黙な人物ではあったが、輪をかけて口数が減った。「おはよう」と「おやすみ」しか言わない日もあった。


 ある日の夕食後、ギレニアは酒に酔った赤ら顔で部屋から出てきたと思うと、唐突にこう叫んだ。


 「俺たちは生きた人間だ!俺たちは生きている!運命樹なんざ関係ない、運命樹がなんだ!人間より樹が大事だと?そんなものはクソ食らえ、そう、クソ食らえだ!」


 そして卒倒し仰向けに倒れた。天を仰いだ彼に、天は何を告げただろう。男三人で寝室に彼を運び込む。ギレニアはスヤスヤと眠りについた。


 テレビは梅雨明けを告げていた。明日は暑くなりそうだ。


♧ ♧ ♧


 翌日の昼、俺は西の丘から村を見下ろしていた。ほとんどの抗微生物薬の在庫を使い切った俺は夜逃げを敢行したのだ。樹木の医者たり得ない他所者など、村の掟に従って殺される運命が見えている。ギレニアの家から、車に積めるだけのハイテク機器を奪い取ってここへ来た。


 この場所を見つけたのは半年ほど前のことだった。研究所にあった望遠鏡を覗いていると、この西の丘にトンネルのようなものが見えたのだ。ツタで覆い隠されていたが、向こう側から吹いてくる風がその葉を揺らしていた。実際に来てみればこの通り、ビンゴである。ぽっかりと開いたトンネルが俺を待ち構えているようだった。


 そのトンネルがどこへ続いているかは分からない。後の事は後で考えれば良いじゃないか。この村も居心地のいい場所だったが、いい加減、健康的な食事にももう飽きた。コーラ片手にハンバーガーでも齧りたい。そんなことを考えていた。


 その時だった。


 ふたつの太陽が頭上に昇り、足下から影が消えた瞬間。


 村の中で、緑が爆ぜた。


 トリガーは何だ?単純に気温?信仰心の消失?いや、もはやどうでもいい。俺がこの村に迷い込んだ車に付いてきたのであろうその種子は、発芽し、一年のあいだ大地から養分を蓄え、もはや手のつけようがないほどに猛り狂っていた。


 それは葛、学名をプエラリア・ロバータ。世界一迷惑な侵略的外来種。それは俺、武江良ブエラRリア炉端ロバタの運命樹と呼ぶにふさわしいものだったのかもしれない。うねりをあげて螺旋を描くように伸びるツタは住民を搦め取り、締め上げ、引き千切った。


 まるで植物の成長の高速再生映像のようだった。どれほどの細胞分裂が繰り返されているのだろうか。あるいはあらかじめ分裂させていた細胞を膨張させているのかもしれない。ツタは意志を持たず、ただ触れたものに絡み付くというアクションを機械的に行っているだけだった。地を這っては根付き、そこからさらに放射状に分枝を広げる。木々に触れてはそれを捻じ曲げ、人に触れては真っ赤な彼岸花を咲かせた。かと思えば、その赤の痕跡もあっという間に緑に覆い尽くされた。


 時間にして10分程度だろうか。少し経って、盆地は一面、鮮やかな緑一色に染まっていた。村の神木たるハイペイロンがあった場所には、緑の尖塔が聳え立っていた。それはまるで村の墓標のようだった。


 そうとも、俺は貧乏くじ男だ。うまくやれているようで、最後には全部ダメにしちまう。


 二万の瞳が俺を見つめていた。どの顔も中立的にこちらを見てるのだが、怒り、感謝、妬み……わずかながら、そんな感情も感じられた。おかしいな、例の補聴器もどきは外しているのだが。


 数多の視線と毒々しいまでの緑に溺れた盆地に背を向け、俺は車へ戻った。さぁて、このトンネルはどこへ続いているのだろうか。運良く元の世界に帰れたら……そうだな、久しぶりに墓参りにでも行くとしようか。



おわり

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