治療、あるいは天然由来の毒素注入

 桜の治療を急かされ外に出た俺は、ハイエースの積み荷を漁っていた。ギレニアが後ろで様子を伺っているが、もう銃は向けられていない。そういえば銃には鉄も火薬も使われておらず、バイオプラスチック製の小型電磁砲レールガンなのだそうだ。形状が酷似していたのはイデアの為せる業だろうか。


 サクラこぶ病の病原菌の性質から、見込みがありそうな薬剤を選択する。


 病原菌はPseudomonasシュドーモナス syringaeシリンゲ 、グラム陰性桿菌に属するその細菌は広葉樹に瘤を形成し、サクラにおいてはヤマザクラに強い病原性を示す。


 余談だが、それは霜害の原因菌でもあり、原因となる氷核活性タンパク質寒い時に隣の人を余計寒くする遺伝子をノックアウトした種は世界初の微生物農薬となった。バイオテクノロジーの草分け的存在だ。また、霧や雲の核だとも言われている。1988年のカルガリーオリンピックでは放射線で殺菌された死骸が上空に散布され、競技用のゲレンデに雪を降らせたそうだ。


 「よし、こんなところでしょう。」


 俺は三種類の薬剤と注射器を手に取り、ギレニアに薬剤の選択が完了したことを告げた。注射器を持ったのは、樹木に薬剤を注射することがある、と天の声が聞こえたためだ。


 「それがクスリか?」


 「そうです。桜の瘤を切って、切り口に塗ります。」


 俺が選んだ薬剤はどれも抗微生物薬だ。原因菌の破壊を主目的とする。グラム陰性桿菌に薬効を示す抗菌薬のピペラシリン、オールラウンダー抗菌薬のペニシリン・ストレプトマイシン混合溶液、抗真菌薬たる水虫薬のルリコナゾール。


 ペニシリンの発見に始まった抗生物質は、細菌同士の縄張り争いで使われる化学兵器、という説がある。毒を撒き散らすことで自分の領土を確保するのだ。もちろん自身には無害な毒を生成する。ひとくちに細菌と言っても、古細菌・真正細菌・真核生物、嫌気性・好気性……その性質は実に様々だ。様々な個性があるがゆえにこそ、己を害さず、他者にのみ害をなす化学物質が存在する。自分の屁は臭くないのだ。いや、少し違うか。


 そのため医療の観点においては、対象とする細菌の種類によって使用すべき薬剤が変わってくる。


 グラム染色はその細菌にどの抗生物質が効果的かを見極めるための代表例だ。それは昔々、グラム博士が見つけたやり方で、紫の色素とイ○ジンで細菌を染めて、アルコールで洗い流すという方法。これで紫色が残るか落ちるかで細菌の細胞膜、いわばソイツが身に纏った鎧の材質を判定する手段だ。


 今回の病原性細菌は、緑膿菌に代表されるグラム陰性桿色落ちして球くない菌に属する。ペニシリンの刃は、彼奴等の鎧を破壊し得ない。そこで俺は、主戦力としてピペラシリンを選択した。他の二つは予防的な投薬だ。サクラは切断面の抵抗力が著しく低下するため、新たな感染症も警戒する必要がある。薬剤耐性菌が出てくる?後のことは後で考えれば良いじゃないか。


 桜の場所へ歩いて行くと、木の下にはマルスとピッコニアが、牛刀とノミ、梯子を持って待っていた。牛刀?


 「ロバータ、瘤の部分の切り方で、特に難しい注文はないよな?であれば、俺たちで切り取っておくが。」


 「ええ、瘤より少し大きめに切り取っていただければ結構です。ありがとうございます、助かります。」


 二人が親指を立ててサムズアップで俺に返答する。インドア派の俺にとって、鋸を使うような木工は中学校の実技授業以来だったので、ありがたくお任せした。樹木医を名乗った以上、今後こっそり練習する必要がありそうだ。


 ……そして俺の呼称はロバータで決定されたようである。


 彼らはサクサクと、牛刀のような刃物で豆腐でも切るかのように瘤つきの枝を切断していく。


 「なかなか良い出来栄えだろう、あの超音波カッター。あのサイズで作るにゃ、素材選びで苦労したもんだ……。」


 試作段階では手の皮の方ががべろんべろんにめくれてなぁ、と遠い目をしたゼラニアが解説を加える。今後使うことになるかもしれないとお値段を聞いてみれば、まさかの無料プライスレス。金では買えない、というより、そもそも貨幣が存在しないそうだ。


 「おーいロバータ、切り終えたぞ!」


 マルスとピッコニアが木の上で手を振っている。


 「ありがとうございまう!後はお任せください!」


 セリフを噛んだことは見逃して欲しい。二人と入れ違いに梯子に上る。


 直後、彼らが梯子を登るところをきちんと見ておけば良かった、と思った。体重をかけた途端、踏み板が自動で跳ね上がり、強制的に伸身ムーンサルト後方二回宙返り一回ひねりをする羽目になった。虚空に打ち出される身体、複雑に移りゆく視界。奇跡的に両足で着地し、へたり込み、仰向けに寝そべった。


 枝ばかりの桜の向こうに見える空はどこまでも蒼く、ふたつの太陽が輝いていた。



♧ ♧ ♧



 本来ならば梯子には五段、六段とあるべき踏み板が二段しかない時点で、その異質さに気付くべきだったのかもしれない。レクチャーを受け終えると、その自動昇降梯子は思いの外使い勝手が良かった。二段目の踏み板と思っていたものはハンドルで、裏側にはきちんとブレーキが付いていた。


 枝の切断面まで登り、腰に付けた鞄から注射器と薬剤のアンプルを取り出す。ピペラシリンとペニシリン・ストレプトマイシン混合溶液を一対一の配合で混ぜ合わせ、木の肌に針を刺す。だが、刺さらなかった。


 俺は天を仰いだ。風が吹き抜け、『そうではない、インパクトドライバーで穴を開けるのだ……』と囁いた。神は万物に宿るのだ。


 樹木医だ、と大見得を切った以上、新たな道具を取りに行くことも叶わない。車には医薬品しか積まれていない、日曜大工の道具など持ち合わせていないのだ。訪問先で道具を借りる医者が信用できるだろうか?たとえそれが医者という概念が存在しない場所だったとしても、だ。それがプロフェッショナルというものだろう。


 振り上げた拳の持って行き場、もとい薬剤を充填した注射器の刺し場が見つからず、俺は注射器で木の切断面に薬剤をふりかけた。


 「ほう、あれくらい緻密な器具が必要なのか。」


 「精密部分にオイルを塗布するのと似たやり方ですね。」


 そんな会話が梯子の下から聞こえてくる。この時から俺は、液剤の抗生物質を塗布する際には注射器を用いるようなった。




 なお、ルリコナゾールはクリーム剤だったので指で塗りました。



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