疎通、あるいは切腹する壁掛け時計

 『セラススの桜』とは、おそらく家の前で見た、瘤付きの木を指しているのだろう。俺の記憶だと、あれは多分、サクラこぶ病だ。親父が以前、病院のヤマザクラがやられたと嘆いていた。いい気味だと調べてみたりしたのだが、その時の知識が役に立つとは思わなかった。


 「私なら、その桜の木を治せるかもしれません。」


 俺の言葉に、信号機三人組は眉を顰めた。額縁に入れて『懐疑性』という題名をつければ、ビジネスホテルの待合室くらいには飾ってもらえるかもしれない。


 追加のひと押し。少しハッタリを効かせてやろう。背筋を伸ばし、ゆったりと余裕ある笑みを添えて言葉を押し出す。俺という人間の価値を一つのキーワードにまとめ、それをくさびとして疑惑の壁を穿つのだ。名付けて土用の丑の日作戦。


 「私は『樹木の医者』ですから。」


 「医者とはなんだ?修理屋のようなものか?」


 ダメだった。糠どころか、のれんに釘を刺した気分だった。


 どうやら医者という概念がないらしい。おそらく医療という概念もないのだろう。少し疑ってはいたのだが、ここは俺の知っている日本とは少しばかり違う場所なのかもしれない。


 「まぁいい。どうやって直すんだ?」


 赤が俺に訊く。釘は捨て置け。体勢を立て直せ。病院の桜をに対し、植木屋が行っていた処置を思い出せ。


 「まず、病気になった箇所、瘤の部分を切ります。必要があれば枝ごとです。」


 「そんなことはもうやった。だが瘤を切っても、後から後から同じような瘤ができてくる。」


 「ええ、そうでしょう。そんなことを繰り返していたら枝がなくなってしまう。私の治療はその先です。薬を使います。」


 「クスリ?」


 やはり薬という概念もない。だが想定内だ。コミュニケーションとは互いの思想の共通部分を拡大することだ。そのためには相手が知っている言葉を選び、俺の意思を紡ぐのだ。


 「はい、私たちはそれを薬と呼んでいます。体の異常を修復する、魔法の水のようなものです。」


 「マホウ?お前の言っていることは何が何だかわからん。」


 俺は天を仰いだ。医学だけでなくファンタジーもない。この街の人間は何を娯楽として生きているのだろう。そもそもファンタジー的素養なしに生贄なんて儀式が成立するのか?オカルト、か。だが今そんなことを論じても何の足しにすらなりはしない。異文化コミュニケーションだ、奴らに分かる説明を紡ぎ出せ。


 天を仰いでも神の声は聞こえない。天井は何も語らない。何事も自分の頭で考えるしかないのだ。そう思っていると、そうでもなかった。ダイニングの壁にかかった振り子時計が目に入った。筐体の一部を透明にして内部構造を敢えて見せつけるデザインは、かつて日本の武士が行ったハラキリの文化を連想させた。カチリカチリと動く歯車が俺に啓示を与える。神は細部に宿るのだ。


 「では、機械に塗る……錆止め油。そう、錆止め油のようなものではどうでしょう?」


 「オイルか!なるほど、随分と原始的な方法ではあるが、その発想はなかった……。粘度はどの程度だ?むしろ乾燥して硬質膜を形成する方が良いのか?いや、セラミックコーティングの方が……。」


 思いのほか食いついた。見れば青も黄色も、三人揃ってブツブツと機械油について考察を始めている。なんだお前ら、めちゃめちゃ喋るじゃないか。誰だ、15文字制限とか言った奴は。


 「落ち着いてください、あくまで喩えです。塗るのはオイルじゃなく、全く別のものですよ。」


 「……だったら、何を塗るっていうんだ?」


 「私が乗ってきた車。あそこに積んであったものが薬です。桜の木を変異させる要因、それは目に見えないほど小さな生物、細菌によるものです。瘤を切っても、その周囲に残った細菌が再び瘤を作り出します。そこで細菌を殺す薬、抗生物質を塗ることで、瘤の原因を断ち切るのです。」


 3人の男達は中空に視線を漂わせた。そこに浮かぶ世界の真理を見定めようとするように。だがそこにあるのは窒素と酸素、そして二酸化炭素の混合気体だ。


 「どうでしょうか?生贄よりは、勝算があるかと思いますが?」


 「……いいだろう、お前に任せてみよう。あの森から現れたタマナシはこれまでも何人かいたが、お前のような話を持ち出したのは初めてだ。」


 他にも俺のような人間がいる?だがまずは、気になるワードを解決しておこう。


 「えっと、タマナシっていうのはどう意味なんでしょう?」


 「なんだ、そんなことも知らんのか。」


 「どうやら私が暮らしていたところとは随分と文化が違うようでして。」


 「魂無し。運命樹を持たない、つまり魂を持たない人間のことだ。仮初めの肉体しか持たぬ、不完全な存在。それがタマナシだ。」


 どうやらこの街には、樹木に魂が宿るとする、自然宗教のようなものがあるらしい。日本の鬼神信仰に近いかもしれない。それゆえにセラスス本人よりも、本体たる桜の治療が優先されているのだ。


 「なるほど、そうだったんですね。てっきり、私の体のことをからかっているのかと思っていました。」


 「ん?どういうことだ?」


 「昔、病気で片方の睾丸を切り取ったんです。だから玉がひとつでして。」


 俺がそう言うと、3人の男たちは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、互いの顔を見合い、笑い出した。


 「ぷっ……ははははは!こりゃあいい、玉無しの魂無しと来たか!」


 ひいひいと息を荒げつつ、天井にのどちんこを見せつけながら笑う男たち。よほど娯楽が無いのだろうか。硫酸の雨でも降ればいいのに、と思った。


 「ひどいなぁ、そんなに笑うなんて失礼だ。桜の木、治しませんよ?」


 「ああ、すまん、すまん。失礼した。ふぅ。お前もなかなか大変な人生を歩んでいるようだな。いや、いつまでもお前、というのも失礼か。名前はなんというんだ?」


 「炉端です。」


 「ロバータか。良い名だな。」


 「……。ありがとうございます。」


 なんだかニュアンスが違うような気がしたが、訂正するのも面倒なのでそのままにした。


 「俺の名はギレニアという。これが息子のマルス、さっきお前の飯の支度をしたのが娘のセラスス。そっちの青い服を着たのがピッコニア、セラススの婿だ。」


 「よろしくお願いします。」


 俺としては誠に遺憾であるが、タマナシの一件で信号機どもと打ち解けることができたようだ。笑いは古くは和来と書き、和が来る、すなわち人々に和を齎すものなのだ。今考えたデタラメだが。


 「そういえば先程、『森から現れたタマナシが何人かいた』とおっしゃっていましたが、過去にも私のような者がいたんですか?」


 「ああ、俺が覚えているだけで、ここ30年で15人といったところだな。記録だと120年前に初めての来訪者があり、以来4年に1人、100年前から2年に1人のペースで現れているそうだ。」


 「オリンピックかよ。」


 つい口を吐いたツッコミに、ギレニアが眉をひそめた。


 「ごほん……。いえ、なんでもありません。その人たちはどうなったんですか?」


 「……。聞きたいか?」


 「あ、いえ。やっぱりやめておきます。」


 自分が生贄になりそうだったことを考えれば、あまり愉快なことにはなっていないだろう。話題話題。ああ、そうだ。


 「そういえば、セラススさんの病気も治療したいのですが。この街に放射線を出せる装置はありませんか?」


 「放射線?そうだな、研究所でそんなことをやっていた。」


 「ありますか!是非そちらに伺いたいのですが。」


 「桜を直すのが先だ。研究所には連絡を入れておく。それでいいだろう?」


 そう言うと、ギレニアは天井に向かって声をかけた。


 「アレクサ。」


 『はい、お爺様。良いお天気ですね。』


 電子音声が答える。アレクサという名がデフォルトなのか、そうでないのか。いずれにせよ、微妙な親近感を覚えた。


 「研究所のオレアにメールを。時間がある時に連絡をくれ、と。」


 『かしこまりました。オレア様に、お手すきの折にご連絡いただけるよう、お願いしておきます。』


 「……音声入力、ですか。」


 中年のくせになかなかやりおる。


 「なんだロバータ、お前まで古臭いなどと言うのか?」


 「へ?」


 「若い奴らの間ではブレイン・マシン・インターフェースでの思考入力とやらが流行りらしいが……。脳に直接通知が届くのはどうにも肌に合わん。」


 「使ってればすぐ慣れるのにな。親父も案外頭が固いんだ。」


 黄色の服、マルスが耳につけた補聴器のような装置を指でトントンと叩きながら笑う。絶妙な会話のズレ具合。異文化コミュニケーションだ。

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