第7話 あまいクリームソーダ

 本格的に泣き出してしまった魔女帽から目を逸らし、私は窓の外に目をやる。ここは駐車場に面している場所らしく、道路に引かれている白い線が見えた。それをなんとなく見つめていると、赤い自動車が駐車場に入ってきて、こちらの方へ近づいてきた。どうやらそのまま前向きに駐車するつもりらしく、この窓のところにある駐車レーンに入っていく。

 しかし車は減速せずにどんどんスピードを増していた。運転席の老婆と目が合う。恐怖と焦りで顔が歪んでいる。「ブレーキとアクセルを踏み間違える事故が……」昔、どこかで聞き流したアナウンサーの声。車が立てる轟音。このままでは。私は立ちあがる。ガラスが砕ける音と衝撃。その瞬間、運転席の老婆とあの憎き隣人が重なった気がした。



 目を開けると、そこは白い壁に囲まれた正立方体の部屋だった。また魔女帽の結界かと思い辺りを見回してみると、窓が一つの面に一つずつ設けられていた。一番近かった左手側の窓に近づいて外を覗いてみると、どこまでも続く花畑と、それに不釣合いな血の色をした夕焼けが広がっていた。その光景の一角に、テレビのセットのようなはりぼての病室がある。私はいつの間にか窓の隣に出現していたドアから外に出て、花を踏みながらそれに近づいた。


 病室の中にはよくわからない機械が大量に置かれていて、そこから繋がる管の先に、私が横たわっていた。

 特に驚きは感じない。白い枕に頭を預けているベッド上の私は、目を閉じて寝ているようではあったが、そこにあるべきものが抜け落ちているように見えた。

 綿が抜けたテディベア。そんな想像をしながら機械に目をやると、なんとなく予想はついていたが、すでに私の心臓は動いていなかった。平坦な電子音が、空気の芯のように響いている。カナコが死んだときのように寂しい気持ちは生まれず、どこか他人事のようだ。

 ということは、ここはきっと天国とかそういう名前のついているところなのだろう。アクセルとブレーキを踏み間違えたあの老婆によって、私は死んだのだ。魔女帽の気配は近くにないが、意識が途切れる瞬間の彼女は私服姿のままだった。ハンターに変身していれば助かったかもしれないが、あの感じでは望み薄かもしれない。


 考えを打ち切って花畑を見回す。天国というのならば、この中のどこかにカナコがいるのだろうか。自分の遺体に背を向け彼女を探しに行こうとした瞬間、からん、という冷たい音が鳴る。不思議と軽くなっていた心が、現実の重みを取り戻したかのようにはっきりと質量のあるものになっていく。


「やっと私の前に来てくれたね」

 私の言葉に、目の前に現れたクリームソーダは答えない。炭酸が抜けていく音だけが響く。

「死っていつ来るのかわからないんだね。カナコの件で理解させられたつもりでいたけど、わかってなかったみたい。まさか自分のところにやってくるなんて」

 クリームソーダは依然として動かない。

「なんとか言いなさいよ」

 沈黙。私と魔女帽、そしてカナコの安寧をずたずたにした存在は、現世で頻繁にゆらゆら揺れていたのが嘘のように静止していた。


 隣人。カナコに一撃で葬られる存在。少なくとも私とカナコの日常の中では、そういう設定だった存在。笑い話や、どうでもいい話のこやしになる、日常の一部だった存在。ただ一つ、こいつを除いて。

 お前なんていなければよかったのに。そうすれば、私とカナコはこれからもずっと、幸せに歩いていけたのに。もしかしたら割れることがあったかもしれない、床の上を。

 あれだけ焦がれていた復讐の対象が目の前にいる。それなのに、私の心は誰も泳いでいないプールのように凪いでいた。ようやくゆっくりと見つめることのできたカナコを殺した犯人は、笑えるぐらいにクリームソーダだった。それ以上でもそれ以下でもなかった。まるでただの飲み物のように、人間に食べられるだけの存在のように、ただそこにぽつんと立っていた。


「あのね、私ずっとあなたを殺す方法を考えてた、ハンマーで叩いても駄目、銃で撃っても駄目。でも、ようやくわかった」

 銃で撃つ。鈍器で粉砕する。槍で刺し貫く。今までハンターたちがしていた方法は、全てが隣人自体を痛めつけ、否定する方法だった。それでは、小さな死は退治できても、こいつのような大きく膨れあがった死は退治できない。

 なら、どうするか。こいつは、私の魂を吸いあげにきている。隣人から私を助けてくれる存在はここにはいない。このままでは、私は隣人によっていとも簡単に殺されてしまうだろう。戦う力がないから。


 でも、こうすることならできる。いつも、やっていたから。


 私はグラスを持ち上げ、甘ったるい匂いを放つアイスをかじり、グラスの中の緑色の液体を胃に流し込み、さくらんぼを種とヘタが付いたまま飲み込んだ。もったりとした濃厚な甘み。暑い日に死滅した体の細胞を蘇生してくれるような、さわやかな甘み。そして、胸を締めつけるような酸っぱさが混じった甘み。様々な味がじゅうたんみたいに広がり、私の口を埋めつくしていく。そうやって私は『死』を受け入れることを開始した。


 頭の中に、カナコと過ごした日々の映像が次々と展開されていく。ミルクレープを頬張りごきげんそうなカナコ。魔女の恰好に衣装替えして少しだけ恥ずかしそうにしているカナコ。自分の身を犠牲にしてかっこいいところを私に見せようとし、殺されてしまったカナコ。


 グラスの中身が減っていくごとに、私の頭は思い出で満たされていく。

 やった。私やったんだよカナコ。ねえ見てる。どこにいるのカナコ。私を褒めて。そしたらまた喫茶店に行こうよ。そしていつものようになにか話そう。あ、でも途中でシュシュが光って、隣人討伐に行かなくちゃいけなくなるのかな。まあきっとワンパンで終わらせられるでしょカナコは。そしたら死体は私にちょうだい。私がそれを食べているのを眺めて、ドン引きだわーとか言いつつも楽しそうにしているカナコが、私は好きだったの。ねえ、カナコ。嬉しい、仇を取れて。

 一心不乱にクリームソーダを胃に流し込む私の胸の中はからっぽで、残り少なくなったグラスの底から落ちてきた氷が、冷たい糸を引きながら喉の奥を滑っていった。

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あまい 大滝のぐれ @Itigootoufu427

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