第6話 ぴりつくミンスパイ

 その瞬間、ドラキュラのすぐ横のアイスが飛び散った。アイスの紫やピンクに塗れたクリームソーダのさくらんぼが地面に転がる。隣人がそれを銃弾のように発射したのだ。

 彼は悪態をつきながら、持っていた長い槍を構え直してアイスの塔の影から飛び出す。しかしそれを待っていたかのように飛んできたソフトクリームの塊に、彼の体は瞬時に塗りつぶされてしまった。ぐうぅ、と水っぽい息が喉から漏れる音が響く。白いクリームの山からはみ出た手がぴくぴくと痙攣したが、じきに動かなくなってしまった。


 先ほどの脳内で出た問いの答えがわからないまま、私は震える手でトンカチを握り締めて辺りの様子を確認した。三人のハンターが絶命したことにより、場にいる残った狩人たちはどことなく士気が下がり始めたように見えた。皆が皆、怯えを顔に貼りつけている。そんな雰囲気を感じ取ったのか、視線の先のクリームソーダはカナコを殺したときと同じように、愉快そうに揺れて氷の鳴る涼しげな音を発生させていた。かと思うと、目にも止まらぬ速さでさくらんぼをこちらに飛ばしてきた。目の前にあったはずのアイスの塊が一瞬で蒸発し、私の姿が丸見えになる。視線の先のクリームソーダが、勝利を確信した微笑みを浮かべた気がした。殺される。とっさに顔を両腕でかばう。それとほぼ同時に、なにか固いもの同士が激突する音が、眼前で響いた。


「また会ったわね、今日こそ殺してやる」


 おそるおそる腕の隙間から様子をうかがうとそこには魔女帽がいて、クリームソーダにあの大きなハンマーを叩きつけていた。攻撃態勢に入っていたクリームソーダは、彼女が突然割り込んできて出鼻をくじかれたのか、左右に揺れることを止めた。だが、彼の体にはヒビ一つ入っていない。

 攻撃が効いていないことがわかるやいなや魔女帽はすばやく隣人から距離をとり、大声で他のハンターに指示を出し始めた。それを聞いた彼らの顔に、少しずつ生気が戻っていく。どうやら魔女帽もハンター界隈の中ではそれなりのカリスマ性を持った存在らしい。


 徐々に統率を取り戻し始めたハンターたちに対して分が悪いと感じたのか、クリームソーダはグラスの底からソーダをロケットエンジンの様に噴射させ、公園から離脱した。見る間にアイスが溶け、隠されていた遊具と死体が露わになっていく。魔女帽はその光景を眺めると、倒れている三人のハンターに目を向けた。そして悲しげな顔をする。

「皆、お疲れ様。生きている者はあの子たちを運んであげて。彼らはよく頑張ってくれたわ。ごめんなさい、あたしがもう少し早ければ」

 彼女は他のハンターにそう指示すると振り返り、立ちすくんでいる私の方を見つめた。

「少し、お話しましょうか」




 魔女帽(変身を解いた彼女は魔女の帽子をすでに脱いでいた)に連れてこられたのは、カナコと最後に行ったカフェだった。私はあのときと同じショートケーキを、彼女はカツサンドを注文する。気まずさに押し潰されそうになりながら、最初にここを訪れたときにカナコが言っていたことを私は思い出す。

『いいところでしょ。カフェなのにほとんどの席がファミレスみたいなボックス席になってるから、守られてるーって感じもするし。あ、そうだモコ、いいこと教えてあげる。わたしがここに連れてきた人は、わたしにとって、その、た、大切な友達ってことだから。そこんとこ、ヨロシク』


 過ぎた日の思い出に、魔女帽の声が重なる。

「ここにはカナコとよくきていたのよ。手強かった隣人を倒したときは、ここでささやかな祝賀会を開いたときもあった」

 カナコと彼女がソファー席に座り、料理を食べながら笑いあっているさまを私は想像する。それはすんなり頭の中に像を結び、目の前にいる魔女帽の笑顔と相まって、ああ本当は仲が良かったんだろうなという感想を私に抱かせた。この前助けてくれたときは仕事の仲間、というふうに言っていたが、後半になるにつれ呼び方が「あいつ」から「カナコ」に変わっていくのを聞いて、なんとなく予想はついていたが。


 料理を待つ間、魔女帽は私のシュシュがまだ機能していることに気づいた。彼女はいったんそれを取り外して手に取ると、なにか呪文のようなものをてのひらの上でささやいてから返却してきた。どことなく、赤色の部分が薄くなったように感じる。

「あたしのミスね。もう通信機能と人祓い中和機能は完全に封じたから。もうこれで、あなたはハンターの通信を傍受することはできない」

 その言葉の後、魔女帽は机の上の紙ナプキンを一枚引き抜き、楽しそうにいじり始めた。

『私ナプキンで鶴が折れるの。友達に教えてもらったんだ』

 カナコが不恰好な鶴を机の上に自慢げに置いていたのを思い出す。程なくして、魔女帽の手によって、鶴が紙の羽を広げて机上に降り立った。その姿は勇壮で、カナコが作ったものとは似ても似つかなかった。彼女はその羽を指で何回かつつく。

「ねえ、もうこんなことやめにしましょう。カナコを殺したあいつはどんどん力をつけている。あたしにも追い払うことしかできない。もう無理よ。このままじゃあなたが殺される」

「諦めろっていうの? カナコなにも悪いことしてない仕事をしてただけじゃない、それって普通の人と同じじゃんどうして死ななくちゃならなかったの。あいつらは死ぬべきものなんだよきっと、こっちが死ぬ必要はなかったはず」

「言いたいことはわかる。けどこれが仕組みなのよ。隣人たちは嵐のようなもの。急に現れて全てをめちゃくちゃにして帰っていく。割り切るしかないの。あたしは割り切ったわ」

「そんなの嘘。だってあなた、カナコが死んだとき泣きそうになってたじゃない。それにさっきだって」


 殺してやるって、憎々しげに叫んでた。


 その瞬間、鶴がてのひらによって圧殺された。魔女帽が机を叩き勢いよく立ちあがる。ケーキとサンドを持ってきたウェイトレスが驚いて盆を取り落とし、レジの方から別の店員が慌てた様子で駆け寄ってくる。隣のボックス席の客も、何事かとこちらを覗き込んできた。狂騒の中、顔をあげた魔女帽はこの前と同じように瞳に涙をまとわせていた。だが今回は、それが盛大に零れ落ちていた。

「当たり前よ、割り切れるわけないじゃない! 急に友達が死にましたもう会えませんって言われて納得できる人がどこにいるっていうのよ。皆真面目に生きている殺されるいわれなんてない、でも誰しもへ平等に、突然に、訪れるのが死なの。頭ではわかってる。でも、でもこのやりきれなさをどうしたらいいのかわからないのあたしは。あいつを殺したらすっきりするのかな。殺したところでカナコは戻ってこないけど。一度向こうにいった魂と現世の魂を入れ替えることはできない。それはこの世の法則。だから殺しても無駄。でもさ、戻らないってわかっててもそこに見えているものを無視するのってやっぱり辛いわよ」

 じっとしているのが、いちばんいいのにね。魔女帽はそう絞り出すと、へなへなとボックスシートに倒れ込んだ。私の目から、自然に涙が零れる。ついこの間まで私とカナコの間にあった、当たり前の光景。造り出される幸せ。私たちは普段から、人はあっけなく死ぬと言われ続けてそれを理解した気でいるけど、まさか自分に降りかかるなんて思わない。いつも覚悟しておけよなんて、とうてい無理だ。触れ合う人すべてが死ぬことを常に怖がることなんて、普通の人なら絶対にしない。それは床下の景色だと思っているから。

 だからこそ、引き裂かれたときの悲しみは大きくて苦しいものになってしまうのだ。

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