第5話 壊してブランマンジェ

 そもそも隣人がいなければ、カナコは死ななかったのではないのか。カナコの代わりにあの糞が死んでいれば、今頃私と彼女は笑い合えていたのではないのか。ガラスの床に穴が開いていたのはたまたまだったのではないか。いや、私たちが歩いていたのは、実はどんなに叩いても壊れない、鉄の床だったのだ。そうだったのに、あの糞が、私たちを横に広がっていた薄氷の上に突き飛ばした。事故を誘発させたのだ。本来なら起きえなかったはずの事故を。そうに、違いない。

 怒りのために顔が引きつるのを感じながら、私はシュシュを受け取り、力強く握った。

「ねえ、硬いものでぼこぼこにすれば、大体の生き物は死ぬんだよね」

「は、あなたなに急に。それは、そうでしょうね。待ってあなたまさか」

 ハンマーにちらりと視線を向けた魔女帽の顔が引き攣る。無理、『あれ』にはあなたじゃ勝てない。焦ったような声がする。


 しかしちょうどそこで、結界の制限時間がやってきた。部屋が溶けるように崩壊していき、コーヒーに落としたミルクが混ざっていくように輪郭が曖昧になっていく。魔女帽の叫びも遠くなる。私は微笑みながら、これは償いなんだ、と拳を握った。鈍器で何度も殴れば人は死ぬ。

 クリームソーダを満載したグラスだって何度も叩けば、じきにひびが増えていって粉々に割れるだろう。




「あれ、いつも一緒にいた子いなかったっけ」

 あのできごとから一週間が経過した日。私が教室で自分の席に一人座ってぼうっとしていると、クラスの子にそう声をかけられた。喉の奥が絞られるような感覚を必死に押し殺しながら「いないよ」と答えたその瞬間、腕に着けていた紅白のシュシュが淡く発光し始めた。手でそれを隠しながら、小走りで教室を出ててトイレの個室に入る。鍵をかけ、手首を耳に近づけると、シュシュは私がいる学校から近いところにある公園に一週間前のものと同じ隣人が出現した討伐されたし、という連絡を垂れ流して発光を止めた。

 頭の中に、あいつの氷が揺れる澄んだ音が響く。それを振り払うように勢いよくトイレを出ると教室に戻り、自分の席の横にかかっている鞄を掴んだ。中に入れられている隣人を倒す力を帯びたトンカチやダンベルなどの鈍器で、それはずしりと重たい。製作者のカナコが死んでから、ようやく日の目を見ることになった武器たちだ。

「ねえ、もしかしてモコちゃんまた早退するの。一昨日もその前の日もだったよね。一体どうしちゃったの」

 先ほど声をかけてきた子が心配そうな目で私を見る。彼女の言うとおり、ここ最近私はシュシュが示した隣人出現場所に出向くため、たびたび学校を早抜けしていた。

 カナコをこの世から消したあいつの体をかち割ってやる。あの日、私はそう決めた。そのためなら別に授業をおろそかにしようが構わない気がしていた。あいつを破壊できたら、きっとどこかにいるカナコは笑ってくれる。


 私は下を向いたままごめん、とだけ呟くと、何人かの視線を背中に頂戴しながら教室を出た。鞄のたしかな重みと胸の中の泥のような怒りだけが、私の足を動かしていた。

 なんとか教師に見つかることなく駐輪場にたどり着くと、私は自転車にまたがった。隣にあったはずのカナコの自転車は跡形も無くなっていて、代わりに知らない子の自転車が我が物顔で置かれている。それを蹴り飛ばすと、裏門から学校を抜け出した。




 件の公園に着くとそこにはもう人気は無くなっていて、遊具の代わりにどぎつい配色のアイスの塔がいくつも出現していた。そしてその中心に、あのクリームソーダはいた。アイスを上手く盾にしながら銃弾やブーメランを飛ばしてくるハンターを、体を揺らして嘲笑うかのようにいなしている。その周りにはすでに二人、ソフトクリームに塗れて倒れている人がいる。先ほどからぴくりともしていない。


 私はそれを苦い顔をして見つめ、鞄からトンカチを取り出して公園の中に入っていった。とりあえず、手近なアイスの塔に隠れる。そこにいたドラキュラの恰好をした男と目が合う。一昨日も隣人と交戦していたハンターだった。

 歳は二十代くらいだろうか。わりとベテランのハンターらしく、この前のクリームソーダ戦では、負傷したハンター二人を背にかばいながら、見事に守り抜いていた。彼は私を見ると、呆れを瞬時に顔に浮かべた。

「またお前か遊びじゃないんだぞ一般人は失せろ、ていうか人祓いはしているはずなのに、毎回毎回どうやって割り込んできているんだ」

「私は一般人じゃない。あのクリームソーダに一番最初に殺されたハンターのこと、知ってるでしょ。あの子のシュシュがなぜかまだ使えるの。それで人祓いをかいくぐっているのよ。あいつを殺してカナコの仇を取るの」

「なんで連絡用装置が生きてるんだ……。誰だ回収したやつは、機能停止がおこなわれてないじゃないか」

 ドラキュラはそうぼやいて頭を掻いた。

「仇をとることなんて、お前にできるわけがない。お前みたいなのはよくいるんだ、殺されたハンターと親しかったやつ、恋人だったやつ。だから隣人に復讐してやるって言うやつがな。でも大体があっけなく殺されて終わりだ。彼らに傷をつけることさえできない。お前には力がない。力のないものは戦ってはいけない」

「指をくわえて、ただ見てろっていうの」

「いや、力がないのはこちらも同じかもしれないな。俺たちは隣人から人を守る力はある。でも、彼らに魂を吸われた人は、もう帰ってこない。殺されたハンターも同様だ。こちらとあちらを渡る力は誰にもない。この場合は、俺たちハンターも指をくわえて見ていることしかできない。まあ、一つはっきりさせておくと、力があろうがなかろうが、あの隣人を倒そうが倒せまいが、お前の友達は戻ってこない」


 カナコの笑顔、声、思い出がフラッシュバックする。思わず納得しかけるが、あの緑色のグラスを思い出し、寸前で思いとどまった。これは仇討ちであると同時に、償いでもあるのだ。だからやめるわけにはいかない。でもそこまで考えて、私はあれっと思う。カナコの優しい笑顔が、こちらに問いかけてくる。わたしが、本当に、それを――。

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