第4話 はみ出たアングレーズ


 私は顔に手を当てました。なんかついているのに気づいたがなにかはわかりませんでした、いやほんとはわかっていました血です骨の欠片です脳みそです。では、これは誰のものなのか。私は床にすがって目を引っくり返して状況を確認せずに下を向いていた。でもなにかをすくいあげましたあげてしまった、なにかを、そして、いつの間にか扉がカナコの頭のあった部分だけ穴があいていて、そこにあったはずの彼女の頭がなくなっていることに気づきました。拾いあげたのは、彼女の下あごらしきものの一部でした。


 そこで全ての現実が、私の頭の中に吸い込まれるように戻ってきた。声にならないただの音が、私ののどから放たれる。そのさなか、カナコの頭以外が重く鈍い音を立てて床に倒れこんだ。カナコが死んだ。隣人に殺されて。事実が思考に染み込んでいく。

「あれ?」

 思ったよりも呆けた声が自分の口から出た。逆にハンターの方が命をとられることもあるんだよ。いつぞやのカナコの言葉が脳をかきまわす。命とられてるじゃんカナコ。おかしいよこんなの。カナコは強いハンターだったじゃないか。いつも一撃であいつらを仕留めていた。一般人の私を連れこんでいても問題なく仕事をこなしていた。それなのに、こんなにあっさりと、負けるなんて。おかしい。納得できない。


 いや、兆候はあった。幼稚園についたときの間抜けな声。物騒な単語の並ぶ通信。私の顔を見たときの反応。中腹までの無言。どこまでも滑るような会話、笑い声。私は強い、という、自己暗示。

 そして、私自身。いつも一発で隣人を殺す姿を見せ続けていた存在。カナコに信頼を寄せていた、寄せすぎていた人物。それらの事実は統合すると、とあることを示していた。

今回の隣人は強敵で、本来なら増援が必要だった。しかし上に断られ、様子だけ見るように、と指示された。暗い気持ちでいたカナコの瞳に、私の不安に満ちた顔が映った。今まで圧倒的な強さを見せてきた相手に、ださいところは見せたくない。勝ち目は薄いがやるしかない。隣人を、殺す。そしてその結果、逆にカナコのほうが殺されてしまった。私という鎖が、カナコを縛って底なし沼に突き落としてしまった。


 カナコは、私が殺したようなものだ。


 扉に空いた穴の隙間から正面に目を向ける。広い空間にぽつんと置かれたダイニングテーブルの上に、グラスに満たされたクリームソーダが見えた。こちらを嘲笑うかのように左右に揺れている。中の氷がひんやりとした音を立てていた。あの隣人はどうやってカナコの頭をトマトみたいにぐちゃぐちゃにしたのだろう。方法については見当もつかなかったが、明確な殺意が私に向けられていることだけはひしひしと伝わってきた。全身に悪寒が走る。カナコの狙撃銃を震える手で拾い、恐怖を吹き飛ばすために口を開く。

「やだ、殺さないで」

 自分が考えていた台詞と全く違う言葉がのどから滑り出たことに愕然とする。カナコを殺しやがってこのやろう、と叫ぶつもりだったのに。私は自分自身に深く失望した。自分のわがままで友達を殺したくせに、この期に及んでまだそんなことしか言えないのか。

氷がグラスにぶつかる音が激しくなる。嘲るような笑い声にも聞こえるそれは、私に対する死刑宣告であることは明白だった。怖い、と目を固く閉じたそのとき、ビー玉同士を接触させたときのような硬質で澄んでいて、同時に激しい音が辺りに響きわたった。おそるおそる目を開けると、扉の向こう側に魔女のコスプレをした女の子の背中が出現していた。古めかしい三角形の魔女の帽子が、その頭にすっぽりはまっている。そこでふっ、と視界が白くフェードアウトしてしまった。



 気がつくと、私はパイプ椅子に腰掛けていた。周りは白い壁に囲まれていて、目の前にいた誰かが意識を取り戻した私に気づくと大きな声でなにやらまくし立ててきた。しかし、なに一つとして意味を掴むことができなかった。徐々に意識がはっきりしてくると、彼女が先ほど目にした魔女のとんがり帽子を身につけていることがわかり、それにつれて顔の細部も見えるようになっていった。


「あいつがあんな馬鹿だなんて思わなかった。まさか一般人を狩場に連れ込んでいたなんて。それにしてもほんと愚かよね、あなたも。あいつは増援を要請して断られていた。でも本部は彼女に一人で闘うよう指示したわけじゃなくて、一時撤退を、と指示していたの。でもなぜか彼女は結界に侵入し、殺された。どうしてだかわかる」

 私は奥歯を噛み砕かん勢いで、歯を食いしばった。そんなこと、言われなくてもわかっている。こちらに憐憫の目を向ける彼女は知らない子だったが、カナコと同じように緊張感のないコスプレをしていること、手に武器らしきハンマーが握られていることからハンターであることが想像できた。意識を失う寸前に見た、私を助けてくれた人は、きっとこの子だろう。


「考えが足りなかったのよあなたは。あたしたちは命のやりとりをしているの。おおかた人がこんなに簡単に死ぬなんて想像もしていなかったのでしょう? まあ、あいつも自覚が足りなかったのだろうけど」

「さっきから、あいつあいつって。あなたカナコのなに。何様のつもりなの」

 怒れる立場ではないのに、彼女の言動が気になって思わず口を挟んでしまう。魔女帽の瞳がかすかに動いて私を映す。一瞬だけそこに涙の膜のようなものが見えた気がしたが、眉が鋭く吊りあがるとすぐに見えなくなってしまった。

「カナコはあたしの仕事の仲間よ。たまにいっしょに任務に出たり、どちらかがピンチのときは助けにいったりしていた。何様のつもり、ってそれはあたしの台詞だわ。あいつが本当に死ぬような仕事をしていたということを、本当の意味であなたは理解していたのかしら。隣人狩りがあなたとあいつの関係に平然と居座っていることが、異常だと気づいていたのかしら。どうなの。きっとそれについては考えてこなかったのでしょ。それこそ何様よ。それは普通ではない、おかしいことなのよ。普通の高校生なら、お菓子の形をした死の権化なんかと戦うことはない」

 魔女帽に胸倉を掴まれ、無理やり椅子から引きずり倒される。彼女の言葉に打ちのめされなにも言えない私を、帽子と前髪の影になった瞳が突き刺した。

「あいつはあなたから受ける期待に潰された。カナコも、戦う力がなく事情も知らない素人を連れ込んだことに関しては責任があるし、自業自得だとは思うけど、よほどの馬鹿じゃなければあなただって心の底では気づいていたはずよ。この状況はおかしい、ということにね。でもあなたはその気持ちにふたをしたの。カナコの強さ、優しさによりかかり、自分の欲望を満たすために。もういいよ私を連れていかなくて。そう言うことだってあなたにはできたはず。だから、だから……」

 ごめん、乱暴にして悪かったわね。そうぽつりと口にして魔女帽は会話を打ち切った。胸倉から手が離され、私は再び力なく椅子に座り込む。


 カナコは強いハンターだと、私はそう信じて疑わなかった。カナコも自信のない素振りを見せたことはなく、いつも一撃でなにもかも終わらせ、そのあとに隣人を頬張っている私を見て楽しそうにしていた。本当はその光景の裏側から、骨の砕ける音と乾いた血の匂いがかすかに流れてきていたことに、私とカナコは気づいていたのに。踏んでいる床が薄いガラスだと本心ではわかっていながら、私たちはお互いのためを想い、相手の目に目隠しをしてそこを歩き続けていたのだ。鉄でできてる床だから安心。白々しくそう口にしながら。

「ごめんなさい」

 私に責任があるのはもちろんだが、カナコにもこの事態を生んでしまった原因の一端はある。だから誰に向けた謝罪の言葉なのか、自分のことのはずなのに私はよく理解していなかった。目の前にいる魔女帽に向けるのも違う気がする。彼女は特になにも言ってこなかった。


 しばらく沈黙が部屋に流れたあと、気になったことを私は質問した。

「ねえ、これからどうなるの私。ていうかここは」

「ここはあたしが作った結界。あの隣人はあたしの乱入で逃走したの、だからもう安全よ。数分したらあなたは、自分の家に自動転移することになっている。それで、これからだけど」

 そこで言葉を切り、魔女帽はハンマーを床に置いた。どすん、という重苦しい音が白い部屋に響く。

「カナコの遺品のシュシュはあなたに渡されるわ。ハンターが素人を狩りに巻き込み、ハンターだけが死亡するという事態になったときのきまりなの。戒を破ったハンターの持ち物をなにか一つ、居合わせた一般人は保管しなければならない。理由は二つ。一つは掟に従わなかったハンターをその者が忘れないため。死んだハンターは世界から存在が消えて徐々にハンター以外の人々の記憶から『抹消』されていくから、せめて当時者が記憶を保持し続けられるようにするためね。それと、もう一つは」

 その一般人を、罰する為。魔女帽は怒りと悔しさがないまぜになった顔をした。

「隣人は一般人が触れてはいけないものなの。ハンターはそれを内々で処理する存在。世界の裏側、秘密なの。それに一般人が触れることは罪とされる。だからそのシュシュはあなたが背負うべき十字架。ごめん、あたしもちょっと変だとは思うけどきまりなのよ。あいつは慢心した。あなたはその気持ちに寄りかかった。どちらも悪いといえる。カナコは死という罰を受け、あなたは十字架を背負い続けるという罰を受ける。ということで納得して。申し訳ないけど」


 カナコが死んだのは隣人に対して無力な私がいたから。私があの場にいたのはカナコの注意や仕事意識が足りなかったから。だからどっちも悪い。魔女帽が語ったことは、私が漠然と考えていたことにぴったりとはまった。あのシュシュを見るたび、私は自分とカナコの罪について考えながら、残りの人生を過ごしていくこととなるのだろう。

 魔女帽が差し出してきた見慣れたシュシュを受け取ろうと手を伸ばす。そのとき、あのクリームソーダ型の隣人が、こちらの方を向いて楽しそうに左右に揺れている様子が、鮮明によみがえった。伸ばしかけていた手を、私は止める。


 本当に、そうなのだろうか。悪いのは、私たちなのだろうか。

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