夜、十字路で。

一花カナウ・ただふみ@2/28新作配信

新月の亡霊

 ――また、誰かが死んだのかしら。

 新しい花束が古い花束の隣に置かれている。これで何人目だったかな、この十字路で亡くなった人は。私は指を折って数えてみたが、途中で足りなくなって止めた。



 その十字路では事故が絶えない。何度もお祓いがされているというのに、それでもなお減ることはなかった。十字路は辻と呼ばれ、死後の世界の人がそこを通るのだと昔からいわれている。どういう因果か、その問題の十字路は道が鬼門のほうに伸びていた。だから人々は呼ばれやすいのかも知れない。恋しいから、羨ましいから……。戻ることのできない道に、引き込まれてしまうの。



 私はふとここで起きた事故のことを思い出して、小さく笑った。

 憎しみのこもった顔で。


   * * * * *


 この日も、新月だった。

 この十字路は新月に事故が起こりやすい。一般的には満月のほうが交通事故は起きやすいそうだが、この場所に関していえば当てはまらなかった。だからそういう日はここを通るときに特に注意しなければならなかった。とはいっても大した事ではない。必要なのは生きる意志だけなのだ。

 私はここで運命の出会いをした。恋をしたのだ。こんなに好きになるとは、そのときには全く思わなかった。



 会社の帰り道、突然雨が降り出した。天気予報でさえしらせていなかった不意打ちの雨。仕方がないので私は店の屋根を借りて雨宿りをしていた。そこにその人が声を掛けてくれたのである。彼もたまたま傘を持っていなくて、すぐに止むだろうと隣で待っていたのだが、雨は強さを増すばかり。なかなか止まないことをきっかけとして私たちは一時間ぐらい会話をしていた。そうしているうちに、ずっとこのまま待っているのは無駄なような気がしてきた。

「なかなか止みそうにないですね」

 ふと彼が空を見上げて言った。辺りはすっかり暗くなっている。

「そればかりか、強くなってきたみたいだ」

 彼は続けて言った後、自分の時計に目をやった。

 私も時計を見る。随分とここにいたものだ。普段なら十分もしないうちにあきらめて、濡れながらも帰るところなのに。こうしてここにいられたのは隣に彼がいたからかしら。

 ちらりと私が彼を見ると、同じタイミングでこちらを見た彼の目と合ってしまう。お互いすぐに視線を空に向けた。

「こんなことなら、タクシーでもつかまえてさっさと帰るんだったわ」

 溜息混じりの声で私は呟く。

「そのほうが良かったかも知れませんね」

 聞こえてないと思ったのに、彼の耳にはしっかり入ったようだ。いや、もしかすると同じことを考えていたのかもしれない。

「でももう過ぎたこと。これからタクシーをつかまえて帰りましょうか。このままでは埒が明きません」

 にっこりと笑って彼は私を見た。

「どこです? 途中まで送りますよ」



 それから私たちは交際を始めた。結婚を前提としたお付き合い。考え方も似ていて、とても気が合い、私はとても幸せだった。ところが……。



 付き合うようになって数ヶ月後のある新月の夜、私は彼と待ち合わせをしていた。冬のはじめだというのに、とても寒い日だった。

 約束した時間の五分ほど前にここに着き、私が待ち始めてからすでに三十分が経っていた。いつもなら彼のほうが早く来ていて、私を待たせるようなことはなかった。

 しかし、今日は違った。

 彼が時間と場所を決めたのにまだ来ない。私は心配になって電話を掛けてみたが家は留守だった。



 私は待っていた。

 場所を間違えてもいなかった。

 ずっと待っていた。

 来る事を信じていた。

 事故やトラブルに巻き込まれたのではないかと不安になって、何度も電話をした。

 ……結果は同じだった。



 その後も私たちは会う約束をしたが、彼は来なかった。次第に私は彼に不審を抱くようになり、ついに原因を知った。


 私のほかに、女がいたのだ。


 私は悔しくて会社を休みがちになって、そのまま辞めてしまった。



 家にこもって外に出ない生活が続いたある日、珍しく誰かが訪ねてきた。この原因を作った彼だった。

「何の用よ。私はもうあなたにすることなんてないわ」

「そんなことはないはずだ」

 ドアをしっかりと閉めた向こう側で彼は叫んでいる。私は声すら聞きたくなかった。

「いままですまなかった」

 何を言っても無駄よ、と心で呟く。

「あいつとは別れたよ」

 あの女に愛想が尽きたからあなたに替えました、か。ふざけないでちょうだい。あいにく、私はそんなに心が広くないの。

「もう一度やり直そう」

 どんなに優しい声を出しても意味がないわよ。そのドアを一生懸命叩いたって、私の心の扉を開けることなんてできないじゃないの。それだけあなたはちっぽけな存在なのよ。

「……お願いだ。せめて君の顔を見せてもらえないか。少しだけでいい」

 私が出てこないとわかったのか、ドアを叩くのをやめて言った。

 そんなにしてまでも私に会いたいの?

 あなたは私が会いたくてたまらないときもあの女のところに行っていたのにね。虫がよすぎるんじゃないかしら。

 私はそんなことを考えながら、何となくあいつがどんな顔をしてこんなセリフをはいているのか見てやりたくなった。

 そっとドアに近付き、鍵を開けた。

 カチャリという音がたって、鍵が開いたのが分かると彼はすごい勢いでドアを開けた。びっくりして立ち尽くしていた私を、彼はその勢いのまま抱き締めようとした。

 でも私はするりとうまくかわした。

「誤解しないでくれる? 私はあなたを許さないんだから」

 冷たく言うと彼はその場で土下座した。

「どうしたら許してくれるんだ? 許してくれるのなら何だってする」

 なぜあなたはそこまでするの?

 私は軽蔑した目で彼を見つめていた。

「……じゃあ、あの十字路に行ってもらいましょうか」

 今日も新月の日だったはずだ。

 これはなかなか面白いんじゃない? あなたがどこまで本気なのか試させてもらうわよ。



 十字路はとても静かだった。とうに陽は落ちて、寒さがぐんと増している。息が白い。星がとても綺麗だった。

 私が待ちぼうけを食うことになったあの日も、確か今日のような天気だったわ。なんて素敵な日なんでしょう。

「これから、どうするんだい?」

 私がここに来て立ち止まると、不思議そうな顔をして尋ねた。

「あなた、まだ私を愛してくれるの?」

 許してあげてもいいような素振りを見せながら訊く。

 当然演技である。そのような感情はこれっぽっちもない。

 それでも彼は私の台詞を聞いて安心したようだ。

「当たり前じゃないか。だからこうしてここにいるだろう?」

 一歩だけ彼は私に近付いた。

 私と彼との距離はあと数歩ほど残っている。

 これだけの距離があれば大丈夫だ。

「そう言えば、あなた、許してくれるなら何だってするみたいなこと、言っていたわね」

 ここで嘘をついたら私は逃げるわよ。あなたは一度、私を裏切っているんだから。

「あぁ、君が許してくれるのなら。僕にできることならなんでもするよ」

 彼は私が許してくれるものだと信じ込んでいるようだ。表情が明るくなっている。

  でも残念ね。あなたに残された答えは一つよ。それはね……。

「だったら私のために死んでちょうだい」

 自分の顔が不気味に笑んだのが分かった。

 あなたのおかげでこんな怖い表情を作れるようになったのよ。皮肉なものね。

「そんなこと、できるわけ……」

 車のライトが私たちを照らす。

 彼は私の後方を凝視し、再び私を見つめた。その顔は恐怖で歪んでいた。

「まさか……」

 彼は私に気が付いたようだ。とはいえ、もう手遅れよ。

「私はね、あなたを待っている間に死んだの。ずっと待っていたのに、どうしてきてくれなかったの?」

 彼は逃げようとしたが、金縛りにあっているがために動けない。おそらく声も出ないだろう。

「もっと早く来てくれたら良かったのに」

 自分の頬に涙が伝った。

 私はあなたが好きだったから、今でもここにいるのよ。

 車は私を通り抜け、彼を人形のように軽く跳ね飛ばした。


 ――彼は即死だった。


   * * * * *


 あれから何十回もの新月の夜が訪れたわ。

 それでもあの女はあなたのために花を供えてゆくのよ。あなた、別れたと言っておきながら実はそうじゃなかったのね。

 私、どういうわけかここから動けないのよ。何故かしらね。誰も私を見てくれないのに。存在に気付かないというのに。あなたのところにも逝けないの。ただあの女が花を供えに来るのをずっと見ているの。

 毎月、毎年。ずっとずうっと。

 あの女は年をとっていくのに、私はあの日のままよ。変わらずにあり続けるの。一体誰が望んでいるのかしら。

 それでね、あんまり長いことここにいて寂しかったから、私に気付きそうな人に片っ端から声を掛けてみるの。


 でも、みんなダメね。


 どうして死んでしまうの?




 ……あれ?

 あの人私が見えるのかしら。

 こっちを見ている。

 周りには誰もいないのに。


 信号が青に変わる。少年は真っ直ぐこちらに向かってくる。


 そこに信号無視のトラックがブレーキも掛けずに向かってくる。


「止まって!」


 私は思わず叫んだ。

 聞こえないと知りながら。


 ――本当は誰かが死ぬのはもうたくさんだ。


 どんっという鈍い音。

 トラックは反対車線に吸い込まれるように向かい、

 通りに面した銀行に突っ込んだ。


 その様子が目に飛び込むと同時に、少年の姿を追った。


 ――見つからない。


 下敷きになってしまったのか。


 車の急ブレーキの音。

 人が集まってくる。

 どよめくクラクション、ざわめく観衆。


 私はくらくらした。

 目の前で人が死ぬ瞬間なんて、何度見てもなれるものではない。


 また花束が増えるな、と意識の冷静な部分が言った。

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