後編 


「あら、村長。勢ぞろいでどうしたのかしら?」


 彩子は微笑を絶やさず、小首を傾げて可愛らしい仕草で尋ねた。


 戸を荒々しく開けて入ってきたのは、村長に、博士、村人A、村人B、リーゼント特攻服トップクの不良Aだった。外にはまだ入りきれない数人の気配があったが、部屋に入ってきた5人が止まってしまったので後続は入れない。

 大半は逃げられないように家を囲んで待機しているようだ。


 彼らが驚いて立ち止まってしまったのは、俺らが畳敷きの室内にも関わらず、靴を履いていた事だろうか?

 それとも、勝手に引っ張り出してきたテーブルとイスを設置していた事だろうか?

 あるいは、見知らぬティーセットで俺が給仕して彩子が優雅にティータイムを愉しんでいた事かもしれない。


 大勢で押し入り、恫喝して、こちらの気を削ごうとしていたであろう村長は、予想もしていなかった光景に、逆に気勢を削がれていた。


「アフタヌーンティーのお客にしては無作法なぐらい多いみたいだけど?」


 自分は人の家で土足でティータイムしておきながら、無作法だとか煽る、煽る。


「さすがに全員に振舞えるほどの紅茶の用意はないわよね?」


 話を振って来たので肯首して「ああ」と端的に肯定しておく。

 解決編では引き立て役としての質問以外は助手は背景に徹すべきだ。


 皆があっけにとられる中、流石というべきか、村長は気を持ち直し、自分の役割を思い出したようだ。


「あんたらには、責任を取ってもらう」


 神の宣託のように、決定事項だと言い放つ。

 脈絡もなく、全く説明もないその言葉で、俺たちが抵抗すると考えていたのだろう。

 硬直していた村長以外の全員が、我に返り俺たちを抑えようと身構える。

 しかしまた、その予想を裏切ったのは彩子だった。


「あら、奇遇ね。私たちもそのつもりだったのよ。でも、そうねぇ、念のため、一応、聞くだけ聞いておくけれど、それは村の総意ということでいいのよね?」


 彩子は微笑を湛たたえたまま、部屋の中の一同を見渡す。

 女王が臣下を見定めるような振る舞いに、思わず謁見の間を幻視する。

 誰がこの場の空気を支配し、主導権を握っているのか、わからせるような行為だ。


 美しいその仕草に、博士は怯えたように身をすくませる。

 しかし村長の胆力はなかなかのもので、怯むことなく言い返す。


「ああ、あんたらはこの村を乱した原因だ。だから責任をとってもらう」


「そう、良かったわ。私の思い違いでなくて。私も探偵の責務として、そろそろ終わらせなきゃって思ってたの。では、終幕フィナーレといきましょう」


 そう言うと、彩子はティーカップを置き、立ち上がった。

 そして最初の言葉を紡ぎだす。

 そうだ、解決編はやはりこの言葉から始められるべきだ。


「さて、皆さん……」




◆◇◆◇◆




「さて、皆さん、今回の事件には、この村の特殊な環境が関係しています。この村は不良少年を更生させるため、農作業に従事させる村、という事だけれど、本当にそうかしら?」


「そうだ」


 憮然とした表情で村長が答える。

 あの微笑を浮かべた彩子を前に答えることができるだけで大したものだ。


「本当に?

 ではなぜ、殺人の嫌疑をかけられ逃亡した人が和尚になって、堂々と過去を自慢出来ていたのかしら?

 札付きの不良たちが言いなりなっているのはなぜ?」


「そこは俺も不思議だった。和尚がいるなら理解できるが、和尚が死んだ後も従順だったしな」


「和尚がいるならっていうのはどういう意味かしら? どうして和尚がいれば不良が従うの?」


「単純に暴力だな。試合で人を殺したっていうのも、彼らの世界じゃ立派な称号トロフィーだ」


「その通りよ。彼らは暴力の論理で動くわ。じゃあ彼らにとって最上級の立場って何かしら?

 和尚ゴリラは非合法の地下格闘技と関りがあったのだから、その運営をして儲けていた組織にもつながりがあったはずよね。その伝手で安全な逃亡先としてここに来ていたのなら、この村と寺の背後にはそういった組織、暴力団がいると思って間違いないんじゃない?

 ここにいる不良たちは少年院帰りもいるってことだから、多分2号観察も多い、っていうより2号観察がほとんどなんじゃない? つまりは不良界のエリートたちってわけ。

 昨今暴対法なんかで厳しい暴力団にとっては、リクルート用の人材プールってことね。日本の人手不足も極まってるわね」


「いや待て、保護観察の保護司って非常勤とは言え国家公務員だろ。暴力団関係者は簡単になれないだろ」


「そうね。だから多分暴力団はこの村の土地だけじゃなくて、寺も一緒に買ったのよ」


「寺を買う?」


「宗教法人って優遇措置が多いから、新興宗教とかは簡単に認可は下りないのよ。でも、信教の自由の原則から、今ある宗教法人からはその法人格を取り消すことができないの。だからすでに寺として認められてる宗教法人なら、買い取ればすぐに宗教として活動できるわ。

 その宗教法人の登録者である住職とかが同意すればね。

 これは暴力団とかの常套手段よ。

 ここの寂れて廃れた寺を寒村と一緒に買って、その寺の住職に宗教活動のボランティアとして保護司の申請をさせれば、審査は簡単に通るはずよ。もしかすると、認可する側にも鼻薬を利かせてる可能性もあるけどね。

 そんなところだから、あのゴリラが簡単に潜り込めたのよ。もし何か出頭が必要な時には、それ用の人が別にいるでしょうしね。

 そして、ここにいる村人は全て暴力団関係者ってわけ。将来の就職先の先輩なわけだから、不良たちが従うのも当然でしょう?

 そしてここで保護観察期間を済ませた不良たちは、暴力団のフロント企業に就職したという形にしておけば、社会復帰実績も上々。更なる不良エリートの集まりも良くなるってわけね」


 彩子の説明に「なるほど」と納得する。

 見れば村人風の彼らは憎々し気な顔をしているし図星のようだ。

 気を付けて見れば、懐が不自然に膨らんでいる。物騒なものを隠し持っているようだ。

 そりゃあ、不良たちもヤクザの言うことは聞くだろう。


「でも、それだけじゃないわ。不良たちにどこまで明かしてるか分からないけど、もっと非合法な事もやってるハズよ。ここは非合法な行為の集積場兼最終処分場みたいなものよ」


「何をやってたんだ?」


「確実な所では違法薬物の精製ね。この周辺に生えてる芥子や麻、それに幻覚作用のあるキノコ類を採取して大麻や阿片、その他毒物や薬物を作ってるのよ。

 一人だけ場違いな博士がこの村にいるのは、その精製に必要だからよ。

 マルコが見たプレハブ倉庫の中は、私たちが採取したようなヤバいものが詰め込まれてたんでしょ?

 それに、不良の仕事は農作業より草の採取とかの方が多かったのに、村長がデジカメに収めていたのは農作業風景だけだったわ。公への活動実績報告のための証拠画像だったんだろうけど、そっちを撮ると採取してる麻薬の原料とかが写っちゃうから撮ってなかったのよ。

 あなたが言ってたのよ。ヤバい草とかが生い茂った場所に『複数の人が定期的に歩いたと思われる跡がある』って。それを辿ってこの村に来たってことは、ここの人が定期的に採取してたってことでしょ」


 麻薬の事は知らされていなかったのか、彩子の声が聞こえる場所にいる部屋の外の不良たちも、話に聞き入っている気配がある。


「それに、誘拐や殺人も複数あるでしょうね。彼らが恐れるのは情報漏洩よ。証拠や証人を流出させるわけにはいかないわ。そして寺には墓地だってあるのよ。普通なら処分に困る死体も、墓地に好きに埋葬してしまえば、明るみに出ることはないわ。外で起こした事件の死体をここで処理もしたでしょうし、外部に漏らしそうな不良も、いつのまにか消えて埋められてるんじゃないかしら」


 聞いていた不良たちがざわつき動揺しているのが分かる。

 その動揺を抑えようとするかのように村長が口を開く。


「それは全部憶測だろう。外で幹部になっている者もいれば、合わなくて帰った者もいる。まして外の人間を殺しているなんてそれこそ証拠はないだろう」


「あら、化けの皮がはがれてるわよ。そっちが本当の口調なのね。いかにもインテリヤクザっぽい喋り方ね。マレビト様の風習とかもあなたが考えたのかしら。あの風習だって、そこそこの学がないと民俗学的に矛盾なく作れないものね。

 そもそも、マレビト様の仕来りを流布させてるあたり殺る気マンマンじゃない。あれはこの村を探りに来た人の排除用でしょ。

 不良たちやマレビト様に不自然な行動をしても仕来りという言葉で強引に納得させるための。

 それに、証拠はあるわよ。忘れてるのかしら。私たちはお篭り堂の中を見てるのよ。あそこが処分場だったんでしょ。血や暴行の痕があれだけしっかり残ってて、マレビト様は無事に帰りましたなんてありえないじゃない」


 ビシッと村長を糾弾するように指す。


 村長は肩をすくめると、取り繕うのをやめたのか、堂々とした態度で答えた。

 そこには先程までの田舎者の村長という雰囲気は残っていなかった。


「ハズレだ、お嬢ちゃん。マレビト様は元からこの村にあったんだよ。買収の時にここのジジイやボウズから聞いて、都合がいいからそのまま使ってたんだ」


「あら? 唯一感心できるポイントだったのに、ガッカリね」


「もっと感心してほしい所はあるんだよ。このビジネスは人助けになってるんだから、慈善事業だぜ。

 金もなくて困ってる人間からも無理やり毟り取っていく国の方がよっぽど阿漕だろう。俺らはそう言った人たちを助けてやってるのさ。

 国ですら返納を認めないこんなド田舎の山を買い取って、税金や保全費用に困ってる人を助けたり、公にできない死体とかの廃棄物を業界最安値で引き取ってやったり、困った人を助けてやってるんだ。

 いわゆる、社会の必要悪ってやつだよ。

 それを邪魔しようと潜り込んだジャーナリストとか、国家権力の犬とかを排除もしたが、むしろ奴らの方が非生産的なんだから、社会の敵なんだよ」


「それは、あなたが黒幕っていう自白でいいのかしら?」


「ああ、そうだよ。お嬢ちゃんたちはどこの敵対組織の人間なのかな? 山の中にまだ何人か潜んでるんだろう? ウチの博士が怖がっててね。まぁ、素直に喋っても喋らなくても結果は一緒なんだけど。お嬢ちゃんたちはもうマレビト様のお願いを使ってしまってるからね。

 今までのマレビト様のお願いはちゃんと叶えてあげたよ。『殺して』か『助けて』のどっちかだったから、殺すか薬で精神ココロを壊して助けるかのどっちかだったけどね」


 村長はニヤニヤしながら嗜虐的な表情で語る。


「あなたホントにクズね。そして犯人としてもダメね。ちゃんと悪足掻きして言い逃れないと解決編は盛り上がらないでしょ。探偵の謎解きを自白で晒しちゃカタルシスがないじゃない」


 まったくだ。しかも『殺して』という人を殺しちゃダメだろ。クッコロさんは殺してはいけない。これは日本の常識じゃなかったのか。こんな常識知らずだなんてゲンナリだ。


「そんな韜晦してられるのも今のうちだ。お前たちはここで終わりだ」


 そう言うと、村人風ヤクザは懐から拳銃を抜き出した。

 難しい言葉の応酬に頭がパンクしかけていたらしい不良たちも、気が付いたかのように臨戦態勢になる。


「この人数相手にどうにかなると思うのかな? いや、お嬢ちゃんはどうにかなるまでこの人数の相手をしてもらうことになるんだが」


 村長ヤクザは下卑た笑いを浮かべながら、うまいこと言ったみたいな余裕のあるドヤ顔だ。


 彩子はため息をつきながら椅子に戻り腰かけると、俺が取り替えた温かい紅茶を手に答えた。


「なんでアタシが相手するのよ。マルコ、アタシの言った事覚えてるわね。好きにしていいわよ」


 そう言うと、彩子は興味を失ったように、ティータイムを再開した。


 俺は彩子の前に立ちはだかると、銃を向ける男たちを睨みつける。


 男たちは何の躊躇もなく引き金を絞り、大きな銃声とともに3発の銃弾が俺の身体に命中した。




◆◇◆◇◆




「私このゲームの設定には不満があるのよね」


 いつだったか、事務所で暇を持て余した彩子が、いくつかテーブルゲームを引っ張り出してきて俺に説明していた時に、彼女の考えを語ったことがある。

 そのゲームの中から一つの近年有名になったゲームを引き合いに出して言ったのだ。


 そのゲームはドイツでは昔からあるものだが、日本では最近認知度が上がったゲームで、数人でカードを引いて役割を決め、その中から会話で潜んだ狼男を見つけ出して処刑するというものだ。

 このゲームのブラックな所は、人間が疑心暗鬼で狼男かどうか確証もないのに多数決で人間を処刑するというところだ。間違っていた場合は狼男に村人が間引かれるという結果で知らされることになる。

 それを繰り返して村人が狼男よりも少なくなった時点で人間側の負けが確定する。


 そのゲームを手にした彩子はこう言った。


「ラノベなんかでも良く出てくる二つの種族だけど、獣人と人狼の違いって何だと思う?」


「獣人っていうのはアレだろ、色んな動物の要素が混ざった人間ヒューマノイドで、人狼ってのはモンスターって扱いだろ」


「じゃあ、極悪な狼の獣人と善良な人狼は何が違うの? 極悪な狼獣人はモンスターじゃないのかしら?」


「襲われる人間からすれば、どっちも同じようなもんじゃないのか?」


「全然ぜんっぜん違うわ。人狼と種族の在り方として近いのはむしろ吸血鬼よ」


「なんだその珍説は。それこそ全然違うじゃないか」


「まぁ聞きなさい。この2つの種族はその存在自体が、どちらも人間社会があることを前提としているの。つまりどちらも人間に擬態できるっていう事。依存と言ってもいいわね。吸血鬼なんて食事が人間の血なのだから依存度ははるかに高いけど。どちらも捕食者側という立場だけど、種族の在り方自体が人間社会を利用するようにできているのよ」


「つまり、獣人と人狼の違いは人間に擬態できるか否かという事か?」


「ええ、その通りよ。そして、人間以外の食事で問題ないのに、何にでも変身できるというわけではなくて、人間だけに変身するという特化種族である人狼は、人間を殺すためだけの種族、つまり人間の天敵と言うべき種族なのよ」


「それと、ゲームの不満に何の関係があるんだ?」


「だから、人間の天敵である人狼が、正体がばれたくらいで簡単に処刑されたりしないと思うの。むしろ正体を暴いた方が、人間全滅の危機のはずなのよ。だからさっき私が説明のためにやったネット人狼で人狼だと暴かれた事は、私の負けじゃなくて、村全滅エンドで私の勝ちのハズなのよ!」


 もう俺にゲームを説明するといった目的はどっかにいってるらしかった。


 過去に彩子と交わした会話を思い出しながら、眼前に広がる死屍累々の光景を見て、彼女の言葉は正鵠を得ていたと実感する。




◆◇◆◇◆




 銃弾が俺に命中し、俺の身体が攻撃と認識した瞬間に、俺の肉体は全身の筋肉が隆起し膨れ上がり、金色の体毛に覆われた。頭部は狼の物へと変質し、牙が伸び、指には硬質化した鋭利で大きな爪が生える。


 そこには二足歩行する金色の巨大な肉食獣がいた。


 命中した3発の銃弾はパタパタという音を立てて畳の上に落ちる。

 銀でない弾丸は俺の身体に何の痛痒も与えない。銀ですら少し効く程度だ。

 魔法金属でないと俺の身体には通用しないのだ。


 そこからは正しく蹂躙だった。

 部屋にいた5人は、俺の一薙ぎで外へ吹き飛んだ。


 外にいた不良たちは銃声で何かが始まったことは理解していたが、その後に吹き飛んできた村長たちと、それに続いて出てきた巨大な金色の狼に理解が追い付かず、ただただ踏みにじられていった。


 不良たちの戦意は、俺を見た途端に雲散霧消していた。

 悲鳴を上げて山へ逃げ込む者、その場で気絶する者、呆然と立ち尽くす者、精神の限界を超えて暴れる者、その悉くを暴力の餌食とした。

 彼らに分かる論理で彼らの身体に教え込んだ。

 彩子に敵対したのだから仕方ない。命まで取らなかった俺に感謝してほしいぐらいだ。

 ただ、ヤクザに関しては保護する理由もないので手加減せず圧し折った。息をしている者はいないだろう。


 腰が抜けたのか、ダメージで立てないのか、吹き飛ばされて、座り込んだまま銃を撃つ村長にゆっくりと近づく。

 銃弾は俺に当たるが、意味をなさない。ついには弾が尽きるが、気付いていないのか、引き金を引き続ける。弾があろうとなかろうと、意味のない行為であることに変わりはない。


 眼前に立った俺に、村長はか細い声で言った。「た、たす、助けて」と。


 俺は親切に答えた。


「お前はマレビト様じゃないから駄目だ」


 同時に右手を振りぬく。


 村長の首が捥げ、頭は高速で彼方へと飛び去った。


 座ったままの村長の首から、間欠泉のように血が真上に噴出し、文字通り血の雨を降らせた。




◆◇◆◇◆




 血まみれになってしまったので、井戸のそばで水浴びして、こびりついてしまっていた血を洗い流した。


 変身した俺をモフりたそうにしていた彩子を、血が付くからと押し留めたところ、俺が水浴びするところを名残惜しそうにじっくり見られた。セクハラか。


 彩子の指示でディーゼル発電機を壊すと、スマホの電波が復旧した。どうやら圏外だったわけではなく、妨害装置があったようだ。

 彩子は電話で何件か電話をかけてどこかと連絡を取っていた。「ハム太郎」とか言ってたから、おそらくそのうち一本は公安の知人に後始末の連絡をしていたのだろう。


 その後、俺は人攫いをやらされた。

 寺男の中で、彩子の香水の匂いが付いた男を連れてくるように言われたのだ。

 なんだ、悪戯じゃなくて目印だったのかと気付いたのはその時だった。

 すぐに寺まで行き、その男を気絶させて連れてきた。

 寺男を傷つけるなと命令されたが、気絶させるのはノーカンとしてもらおう。


 そして博士の家からカギを持ち出し、置いてあった車のうち一台を拝借して、土砂崩れで埋まってしまったところまで移動した。

 その途中に『この先私有地 立ち入り禁止』の看板があり、簡易バリケードが築かれていたが今となっては意味のないものだった。


 崩落場所は10mほどあり危なっかしいが、俺なら問題ない。同時には無理だったので、一人ずつ抱えて往復した。崩落場所の先には、1日ぶりのここまで乗ってきた車が止めてあり、そちらに乗り換えて近くの町まで戻った。


 町に戻ると、俺たちを待っていたちょっと上品ハイソな雰囲気をまとった車と爺さんがいて、また何かのトラブルかと身構えたが、彩子はその爺さんと連れに、例の寺男を渡し、交換にデカい重そうな鞄を受け取っていた。




◆◇◆◇◆




 さて、この事件の大まかな顛末としては以上なのだが、当然納得できないので、続くことになる。


 帰路についた車内で「少しドライブがしたい」という彩子の要望に応え、遠回りすることにした。


 行き先を聞くと「もう山はお腹いっぱいだから海がいいわ」と言う。


 彩子に希望の場所があるようなので、彩子が入力したナビに従って運転する。


 車内に沈黙が落ちたところで、問いただす。


「お前、あの村の事知ってたな?」


「当たり前でしょ。アタシが仕事を放り出して遊びに行くと思ってたの?」


 思ってるけど言わない。普段の行動を顧みろとか言ってもどうせ無駄なのだ。


「さっき会ったのが依頼人クライアントよ。綾瀬川家っていう名門の旧家の執事さん。新興宗教調査の案件」


「あれ? 新興宗教調査はハム案件じゃなかったか?」


 たしかそうだ、新興宗教にして真っ黒なのがあるが、公安ハムでは内偵に送ったのが2人連続で消えたとかいって、彩子の知り合いからウチに回ってきた調査依頼だったはずだが。

 そういえば、昨日彩子は朝からその件で調査に出てたんだった。


「もう一軒別口でね。その新興宗教を調査に行って帰ってこない身内のジャーナリストの回収依頼。ご当主が目をかけてるお孫さんですって。お家が名門だから、大事になる前に内々に救出してほしいって。

 昨日、ハム太郎のとこに行って情報仕入れたら、そこまでの一本道が土砂崩れで埋まったって聞いたから、急いで行ったのよ。山菜採りで迷い込んだふりして潜入するために。道が塞がってれば追い出されることもないし、道のない側から来たなら看板も見てないから意図しての不法侵入と判断できないでしょ」


「あんなにボロボロになるほど古い寺なのに新興宗教なのか?」


「言ったでしょ、元々の寺の宗教法人格を買ってるから、歴史自体はあるのよ。買った後に、宗派の縛りを受けないように新しい宗教名に変えてるのよ。そもそも仏教に無我の行なんて変な修行ないわよ。村長あたりが、自分たちに都合よくなるような宗教を作ったのよ」


「それなら、俺にも先に教えてくれればいいだろ」


「アンタの演技ダイコンじゃない。黙ってることはできても、演技ヘタクソなんだから、教えない方が素のリアクションでいいでしょ。保護対象の生存も不明だったし、生きてるにせよいつまで持つか分からなかったから、急ぐ必要があったのよ。公安ハムからの依頼も一度で片付いて美味しい案件だったし。ただ、山の中でホントに迷った時は焦ったわ」


「それはお前が採取に夢中になるからだろ」


「仕方ないじゃない、入手困難な触媒があんなに群生っていうか栽培されてると思わなかったんだから」


 俺はルームミラーで後部座席に積んであるリュックを見る。


「いくらお前が空間拡張で拡げてるからって、あんなに採取しなくてもよかっただろ。入れてるだけで魔力食うんだろ?」


 このリュックは彩子の魔術で中の空間を大きな部屋くらいにまで拡張してある。着替えやティーセットなども空間が広がっているからこそ、野草を大量に採取したリュックに収納できていたのだ。


「いいじゃない。今回もアンタのお陰で、魔力貯金使わなくて済んだし、十分黒字よ」


 彩子はホクホク顔だ。


 今給黎彩子は名探偵としての名前は広まっていないが、魔女としての名は、その道ではかなり広まっている。

濡烏の魔女レイヴンウィッチ』『勇者殺し』『サイコワルキューレ』と、二つ名を冠するほどだ。


 たまに依頼で異世界に行くなどという事すらある。

 おそらくこの地球で単独異世界渡航の術を持つ、極少数の内の一人だ。


 その依頼で俺の世界に来た時に、人狼としての俺に目をつけて連れ帰られてしまったのだ。


 彩子は魔女ではあるが、今のこの世界は遍在魔力マナが薄く、体内魔力オドに頼るしかないらしい。それでも彼女は膨大な体内魔力オドを持ってはいるのだが、枯渇すれば何もできなくなってしまう。そのため、常に薄い遍在魔力マナを貯めて貯金を作っているのだ。


 その結果として、彼女が求めたのは、この世界で遍在魔力マナに頼らず、自らの面倒ごとを解決する手段だった。

 俺は魔術は使えないが、体内魔力オドのみで変身し物理的に問題を解決できるので、彼女の条件にピッタリだったらしい。


 ちなみに、彼女が後先考えずに、無制限に破壊の魔術を行使すれば、一地方の地図を少なくない範囲で描き変えなければならない程度の被害は齎すことができるだろう。


 そんな風に事件の話をしながら、海岸線をドライブしていると、カーナビが目的地に到着したことを告げる。


「少し歩きましょう」という嬉しそうな彩子について、一緒に歩く。

 潮風が顔を撫で、いい気持だった。陽の光が海面に反射してキラキラと輝いている。絶景だった。強めの波音が心地よい。そう、ここは……


 彩子は俺を海側に立たせると、数歩下がって少し真面目な顔でこう切り出した。


「約束通り、オススメの場所を紹介したわよ。マルコ、あなたが犯人ね」


 俺にビシッと指を突き付けて、そう宣言した。


 そう、ここは崖の上だった。




◆◇◆◇◆




「はっはっはっ、なにを言っているんだいアヤコ。ボクがハンニンのワケないじゃあないか」


「アンタやっぱりダイコンじゃないの! まあいいわ。悲しいわね、マルコ。あなたが人を殺めるなんて」


 いや、さっきお前の目の前で、思いっきり首ちょんぱしたじゃん俺。

 お前それを紅茶飲みながら見てたよな。

 なに今更そっち側に立とうとしてんの? お前も十分こっち側だよ?

 などと思うが、口には出さない。今の俺は犯人だ。言い逃れて見せる。


「一体、ボクが(村長以外の)誰を殺したって言うんだい? 村長が自白して解決しただろう?」


「アレは私もミスリードしたけど、全ての黒幕っていう意味での自白であって、和尚ゴリラを殺した件の犯人とは言ってないわ。和尚ゴリラを殺したのはアンタよ」


「ハッ、面白い。素晴らしい想像力だ。キミは探偵なんかやめて作家になった方がいいんじゃないかい?」


「……ねぇ、もうキャラブレブレだし、何かムカつくから普通に喋って。アンタがボクとか言うとなんかイラっとするわ」


「続けてくれたまえ。ボクの次回作の参考にさせてもらうよ」


「やめろって言ってんでしょ! なんでアンタが作家設定なのよ!」


「オーケー、オーケー、参ったよ。ボクの完敗だ。で、証拠はどこにあるんだい? ん?」


 遊びすぎたようだ。彩子が無言で魔術を放ってきた。無詠唱の高等技術だ。


 風の拳が俺を殴りつけ後ろに吹き飛ばす。

 ちょ、ここ崖!


 空中に押し出された俺は驚異的な反射速度で崖っぷちに手をかける。

 人狼の能力ありがとう!

 人狼の握力でとっかかりのない崖の地面に指を食い込ませて両手で辛うじてぶら下がる。

 お前折角の魔力貯金ここで使うのかよ!


「おい、マジ危ないだろ!」


「どうせアンタ犯人なんだから飛び降りるでしょ。遅いか早いかの違いよ」


「ふざけるな! 犯人突き落としてから解決編とか斬新すぎるだろ! どう考えても犯人はお前だよ!」


「ふざけたのはアンタでしょ。どこまでやったかしら? そうそう、和尚ゴリラを殺したのはアンタよ」


「おい、このまま続けるのかよ! せめて引き上げろ!」


「アンタそっちの方がちゃんとしそうだから、そのままでいいでしょ」


 クソっ! 原因は俺だから強く出れない。

 仕方なく懸垂して、せめて崖から頭だけ出す。


「あの時俺たちは閉じ込められてたろ! どうやってあそこから抜け出すんだよ!」


「それはあのお篭り堂の性質を考えればいいのよ。あそこはマレビトを閉じ込めるためのものだったけど、それだけじゃないでしょ? 拷問し、殺す場所でもあったのよ。アンタはまだらの紐を疑ったけど、あの村にはもっと便利なものがあったでしょ。


 そう、阿片よ。あそこは閉じ込めたマレビトを阿片で燻して、抵抗力を無くしてから、尋問したり、拷問したりしてたのよ。まぁ、阿片じゃなくてもっと幻覚作用の高い薬物かも知れないけど。

 だから、あの中には錯乱して扉を爪が剥げるまで引っかいたり、壁に頭を打ち付けたりした跡が残ったのよ。アンタがあそこに染み付いた臭いの中に、甘い香水のような匂いって言ってたから、多分阿片だとは思うけどね。


 だから、和尚ゴリラは私たちが眠ったぐらいの時間に、床下に忍び込んで、あの穴の一斗缶に阿片を入れて燻らせたのよ。いくらオイルライターを持ってるからって、オイルまで常に持ち歩く人はいないでしょ。多分阿片を燻らせるために着火剤に使ったのよ。その時にライターを落としたけど、火をつけた後だから必要なかったのね。


 証拠? 一斗缶の中の水は黒く濁ってたわ。中に燃えて灰になった阿片があったせいでね。寝る前はからだったのだから、私たちが水を流しただけじゃ、黒く濁ってる説明がつかないわ。

 私が翌朝に気分が悪かったのも阿片のせいなら納得がいくわ。そして私に気付かれない様に、コーヒーの匂いでお堂の中の空気を塗りつぶしたんでしょう?

 和尚ゴリラも驚いたでしょうね。十分に燻して、さあ好き放題弄ぼうと閂を開けて入ったら、ガスマスクを付けて、全く阿片を吸い込んでいないマルコがいたんだもの」


 あの時は気付いたら、お堂の中が真っ白になってたからこっちも驚いたんだよな。匂いがしないから気付くのに遅れてしまった。火事かと思ったが何時まで経っても火の手は上がらないし、彩子は問題なさそうに寝てたから、耳栓を外して様子を見てたら、煙が薄れてきた頃に和尚が入ってきたんだよなあ。


和尚ゴリラは驚いたでしょうけど、腕っぷしに自信があったせいで、そのままマルコに挑んでしまったのね。そして、殴り殺されてしまった」


 まだだ、まだ終わらんよ。

 もう結果は見えてるけど、最後まで足掻くのが正しい犯人のあり方だ。


「いやいや、もしそれで和尚を殺せたとして、その後はどうするんだ? 俺たちは閉じ込められてた上に、閂には和尚の両腕がぶら下がってたんだ。俺が和尚を殺した後に、誰か親切な猟奇的美術センスを持った人が偶然通りかかって、密室を作ってくれたのか?」


 俺が反論すると、彩子は待ってましたとばかりに返す。

 彼女が嬉しそうで何よりだが、腕が疲れてきたので早くしてほしい。


「私がマルコを褒めたいのはそこよね。準備もしてない即興で密室作って見せたんだから。幸運も重なったとは言え、十分評価に値する出来だったわ。そもそも密室とは何かしら?」


 アカン。これ長くなるパターンの謎解きや。

 ここで『三つの棺』みたいなことされると俺の腕が終わりまで持たないぞ。


「不可能犯罪の代表例。構築するメリットとしては捜査側に自殺と誤認させて事件化させないことができる。実際のメリットとしてはそれ以外にほぼ存在しないので、現実では殺人として事件化した時点でその密室は失敗と言える。ってところじゃないか?」


 物語上の密室殺人とはジレンマ的なものなのだ。現実ならば「発覚しなかった、あー良かった」で終わりだが、発覚しなければそれこそお話にならないのだ。

 そして、事件となった時点で、その密室は犯人の意図と違っているか、もしくは何らかの失敗がある。つまりは失敗作なのである。

 殺人が明らかなのであれば、密室だからと言って警察が捜査をしないなどという事はありえない。それ以外の面から組織力で犯人を追い詰めていく。密室など些細な問題の一つとしかならない。むしろ、密室を構築できた条件という、犯人特定のための情報を提供した状態になってしまうのだ。


 また、物語においては、こう言った事に思い至らずに、せっせと密室構築をして探偵に挑んでいる時点で、探偵と犯人の頭脳戦をテーマとするミステリにおいて『密室殺人』というテーマであること自体が、犯人の頭脳の格を下げてしまう。

 そこをどう回避して面白くするかも、作家の腕の見せどころではある。

 むしろ、これだけデメリットがあるにも関わらず、いまだに密室殺人というジャンルが連綿と続いているのは、そこにそれだけ魅力的なロマンがあるからだろう。


「そうね、だから今回の状況は死体ではなく、犯人が密室に閉じ込められるという逆密室というべき特殊な密室ね。探偵と犯人だけが事件から隔離された。メリットとデメリットの観点から言えば、これは密室というより不在証明アリバイの一種と言うべきかもね。だからこの密室は事件の未発覚ではなく、容疑者から外れることを目的とした密室なの」


「それで、どうやって密室を作ったんだ? 俺は魔術なんか使えないぞ」


 早く解決してもらおう。こんなとこで密室講義始められたら、俺が落ちてしまう。

 いつの間にか犯人が解決を望むという変な状況ができていた。


「突発的状況で、アンタは和尚ゴリラを殴り殺してしまう。多分そこでまず考えたのが、死体の隠蔽もしくは偽装。でも隠蔽は眠ったままの私を放置して遠くに行けないし土地勘がないためできない。そこで夜目の利くアンタが、お堂から目につく距離にあった膳岩に気付いた。とりあえず、その岩に叩きつけて殴打の痕跡を隠そうとしたんでしょ。この村には和尚ゴリラを除いて、アンタと同じぐらい手の大きな人はいないから、殴打痕で犯人が分かっちゃうからね。

 そして、その後に、今度は閂の問題に気付く。殴打痕を隠しても、これでは疑われることに変わりがない。そこで、密室を作ることになった。でも、かなり力業の密室よね。扉を閉める時に閂を落として受け金に落ちるようにするなんて」


 そう言うなよ。俺には即興で完璧な密室トリックなんて無理なんだから。

 あれだって細工とか苦労したんだぞ。

 その細工全てが腕力に任せた力業ではあったけれど。


「閂を落とす時には、両開きの扉をギリギリまで閉めた隙間から片腕だけしか使えないんだから、和尚ゴリラでないと一人で持ち上げることができないような閂を片腕で持ち上げて落とすなんてできると思わないわよね。うまく認識の隙を突いてると思うわ。


 多少扉が開いた状態でも閂が嵌るように、受け金を広げて変形させてそれをカモフラージュするために腕をぶら下げたのも、評価ポイント高いわね。ミスディレクションやおどろおどろしさが増したわ。欲を言えばやっぱり『腕を失う』とか『腕だけで動く』とかいう不気味な歌とか詩がもとからあればよかったのにね。残念だわ。


 アンタが外にいる状態で何回か試行した上で、多分そのままじゃ上手く嵌らなかったんでしょう。重さが足りないか、バランス的な問題で。


 だから、重さを増すために、和尚ゴリラの腕をもう一本持ってきて閂の端に付けた。

 あの腕は重りとして利用したんでしょ?

 和尚ゴリラの腕は片腕で7㎏ぐらいかしら。重りとしては十分だし、カモフラージュとしても優秀。限られた状況でよく考えたわね。


 そして、正常な受け金の方に閂を嵌めたまま、扉をギリギリまで閉めて閂を持ち上げた状態から手を放して素早く閉めた。閂が踏切の遮断機みたいに落ちるようにね。


 失敗しても成功するまでやればいいしね。アンタが朝に言ってたように時間はたっぷりあったんだから。

 でも、試行の時には腕を付けてなかったでしょうし、アンタにとっては大した重さじゃなかったから気にしてなかったかもしれないけど、受け金につけた手の指は、閂の落ちた重さで潰れてたわよ。


 それが、一度閂が外されて、腕が付けられた後に閂が嵌められた事を証明してるのよ」


 一回でうまく嵌ったから、そこは確認できなかったんだよな。

 ともあれ、これで俺の言うべき台詞はアレだけだな。

 すんなり終わりそうでホッとする。


「証拠はあるのか? 俺がやったっていう証拠は?」


「むしろ、露骨なぐらいにありすぎよ。サービス精神旺盛すぎって思ったわよ。


 まずは単純に腕力。この犯行には尋常じゃない力が必要よ。だからこそ複数犯や何らかの器具の利用が疑われるし、村長は敵対組織の複数犯とミスリードされてたみたいだけど、アンタが人狼だってわかってれば迷うまでもないわね。そうでなくても、重そうなリュック背負った上に私を抱えて階段上るとか、和尚ゴリラの遺体を不安定な状態で持ち上げるとか、怪力を見せつけてるんだから、見た目以上に筋力があることに気付かれてもおかしくないわよ。単独犯ならアンタが容疑者筆頭よ。


 それに、起きた時に異様に水が減ってたこと。

 血を洗い流すのに使ったんでしょ?

 死体とは言え、腕を引きちぎったりすれば血塗れになるわよね。でも水の量や状況から全身を洗うことはできなかった。だから見える手や頭だけきれいにしたのよね。村長を殺した時にワザと血塗れになったのは、それを誤魔化すためでしょうけど、ちゃんと見て確認したわよ。アンタが水浴びするところ。血塗れになったばかりのアンタに、すっかり乾いて血痕があったのを」


 くそっ、セクハラじゃなかったのか。


「…………いつから気づいてた?」


「疑いは最初からあったけど、全部分かったのは寺に戻って遺体やお篭り堂を確認した後ね。山門のところで振り返った時よ。犯人がアンタだと分かってガッカリしたけど、まぁ楽しめたし、本来の仕事に気持ちを切り替えたわ」


 ああ、あの時か。あれは俺の間抜けな格好に呆れたわけではなかったのか。


「だが、状況証拠だけじゃないか。俺じゃない敵対組織の複数犯の可能性だって……微レ存……」


 最後まで言い逃れようとする俺が嬉しいのか、獲物を追い詰める猫の表情で、彩子が近づいてくる。


「決定的な物的証拠だってあるわよ。アンタが昨日着てた服よ。

 その辺に捨てるわけにはいかないし、今もリュックの中にあるんでしょ。事件の後にアンタがリュックをもって私から離れた事はないものね。残念だったわね、捨てに行けなくて」


 ちっ、やっぱりわかってて俺がリュックを持って離れるのを邪魔してたのか。

 彩子はそのまま近づいてくると、俺の手を踏みつけて見下ろしてくる。

 鬼かこいつは!


「この手も決め手の一つよ。いくら握力があったって、閂に指が食い込むなんてできるわけないじゃない。まだ死後硬直も始まってない腕を閂に固定するために、この握力であんたが閂に指を食い込ませて、その穿った穴に和尚ゴリラの指を捻じ込んで固定したんでしょ。和尚ゴリラと同じ大きさの手だから出来た事よね。逆に言えば、アンタにしかできない証拠ってことよ。

 でも、疑問は残ってるのよ。


 そもそもアンタなんで獣化へんしんしたの?


 アンタ獣化へんしんしなくてもあの和尚ゴリラを圧倒できるだけのスペックあるでしょ」


 俺はサッと目を逸らす。海が綺麗だ。

 疲れてきたので腕も伸ばす。頭は自然と崖下へと沈み込む。

 嫌なところを的確に突いてくるところは流石だな。


「あの時に獣化へんしんせずに、和尚ゴリラを殴り倒すだけに止めていれば、正体を明かすこともなく、面倒な密室を作る必要もなかったハズよ。それに気が付かないアンタじゃないでしょ?


 たしか人狼の獣化条件は『身の危険を感じた時』『感情が昂った時』『戦闘を意識した時』だったわよね?

 しかも、未熟な人狼はこれを制御できないから意図せず獣化へんしんしてしまうために、部族の外に出してもらえないのよね? 成人したかどうかは年齢ではなくて、これがある程度制御できるかどうかを試されて決まるのよね? 

 そしてアンタはこれをほぼ完璧に制御できてるハズだったと思うんだけど、あの場で獣化へんしんする論理的な理由が見つからないんだけど?」


 手にかかる重さが増し、声の位置から、彩子が俺を見るために、崖から身を乗り出してきたのが分かる。

 「分からないことがある」と、ある意味探偵の敗北宣言をしながらも、その反面、声が愉しそうだ。

 予想がついてるからなのか、俺を追い詰めてるのが愉しいのか、どちらにしてもドSであることは間違いない。いや、知ってるけど。


 あの時のことは思い出したくもない。


 あの時を思い起こさせる彩子の声に耳を塞ぎたくなるが、塞げば俺は崖下へ真っ逆さまだ。




 煙る室内で耳栓を外した俺に最初に聞こえてきたのは閂を外す音だった。


 開いた扉に煙が流れ、その向こうから、獣欲に目をぎらつかせ、口元を下卑た笑みに歪め、涎でも垂らしていそうな、袈裟を着た大男。


 嫌悪感から、煙の向こうから現れたガスマスク姿の俺に驚いた和尚の正中線に、即先制のパンチを叩き込むと、和尚は開いた扉の向こうへ吹き飛ばされた。


 それを俺は追って外に出た。

 ガスマスクを外し、起き上がった和尚と対峙したのだが、和尚も薬をキメていたのか、痛みはあまり感じていないようだった。


 そして、和尚は言ったのだ。

「あのメスガキを犯して嬲り尽くすつもりだ」と。

 その上、更に酷い言葉が続いた。




「ねぇ、マルコ、教えてよ。何に動揺して、感情を抑えきれなくなったの? 私は怒りじゃないかと思ってるんだけど?

 あの和尚ゴリラの目的を考えれば、感情の制御に秀でたアンタが、我を失うほど怒り狂うのは理解できなくもないわ。あの日、アンタは私を守るって宣言してたんだし。

 でも証拠もないのに、探偵が憶測で語っちゃダメよね。それに、犯人の告白のシーンを探偵が奪っちゃダメだと思うのよ。

 だから、アンタの口からハッキリ聞きたいわぁ。感情を抑えきれなくなったその理由を」


 彩子がノリノリだった。

 声が愉悦に溢れている。

 確かに告白のシーンは大事だ。犯人として正しく振舞おう。

 俺は観念して、恥ずかしさに顔を赤らめながら口を開く。


「…………ったんだ」


「なに? マルコ、聞こえないわよ。大きな声でしなさい」


 追い詰める彩子の声に自棄になった俺は、彩子の方を向いて大声で告白した。


「あの和尚、両刀使いだったんだ! 俺のことも狙ってやがった! 生まれて初めての恐怖だったんだ!」




 和尚は自分の非道な行いや、俺と彩子をどうするつもりかを、聞きたくもないのに語った。

 あの和尚は元からそうだったのか知らないが、あの女日照りの村で性欲を解消する術を持っていたのだ。

 囚われて薬で自我を奪われていた綾瀬川某というジャーナリストも、他の寺男も、和尚の犠牲になっていた。女性のマレビト様がいなくて何よりだったとは思うが、あの気持ち悪い視線が俺にも向けられたものだと知って恐怖した。

 そして殴っても殴っても、痛みを感じず、むしろ恍惚とした表情で股間を滾らせて俺に向かってくる、スキンヘッドの筋肉大男に、命の危険とは異質な初めての恐怖感が、俺の限界を振り切ってしまったのだ。


 その後はもう無我夢中だった。

 その時におそらく、和尚と同じく彩子を狙ってきたのであろうシンヤ君とやらに目撃されて、彼は彼で恐怖に駆られて山へでたらめに逃げたのだろう。朧げに、何かが近づいて去っていく気配があったような記憶があるが、当時はそれどころではなかった。


 まさか最年少で成人して以来、ワイバーンに襲撃された時も、ダンジョンで孤立した時も、教会勢力に狩られた時も、ドラゴンと対峙した時ですら、獣化を制御できない時なんかなかったというのに。

 さすが異世界。日本こえー。超こえー。




 俺が一瞬の現実逃避(回想)から戻ると、俺の視界には、彩子の予想外の事に呆けたような表情があった。

 それと同時に、見てはいけないものも見える。俺が何故、頭を沈めて目を逸らしたのかも思い出す。せめてドロワースとかスパッツとかを着けていてくれればいいものを。…………シルクの白か。


 彩子の表情がすぐに怒りと羞恥で赤く染まる。

 しまった、バレたか。いや、俺の表情の制御は完璧なはずだ。

 というか、この状況は俺悪くないよな。無防備な彩子が悪い。


 一瞬でそこまで考えた。思考速度が明らかに上がっている。これもしかして走馬燈。


 彩子の表情はとても綺麗な微笑に切り替わっていた。絶世の美女と評していいだろう。

 あの微笑って、あれ?悪給黎の微笑ワルキューレスマイルじゃ……。

 この状況であれの対象になっているのは俺しかないわけで。


「期待した私がバカだったわよ! この駄犬!」


 手加減なしの風の拳を喰らい、吹き飛ばされた俺は海中に落下した。




◆◇◆◇◆




 運転できない彩子が待つ崖上へずぶ濡れで戻った俺は、約束なので彩子にこう言った。


「ボーナスくれ」


 苦虫を噛み潰したような表情をした彩子だったが、約束は守ってくれた。

 事務所へ帰る途中で俺の要求通り『水木しげる漫画大全集』を全113巻買ってくれた。


 一仕事終えた俺は、事務所に戻ったらこの『水木しげる漫画大全集ボーナス』を一気読みするか、民俗学の本を彩子から借りて読むか、どちらにするか頭を悩ませるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワルキューレの微笑 @P_D_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ