空が落ちてくる妄想にとり憑かれたままヒトの一生は空どころか隕石の一つも降って来ることなく終わることの証明

零真似

空が落ちてくる妄想にとり憑かれたままヒトの一生は空どころか隕石の一つも降って来ることなく終わることの証明



舞台中央に自転車

そのカゴに2つの日記

狂気の笑い声

明転

上手と下手から、それぞれ男と、女が出てくる。


 男 「あれは1ヶ月前のことです」

 女 「それは3週間前のことでした」

 二人 「恋人と別れました」

 男 「なにがいけなかったのか」

 女 「なにがダメだったのか」

 男 「僕にはわからなくて」

 女 「私にはわからなくて」

 男 「僕は旅に出ることにしたのです。彼女との思い出をどこかへ捨てに行くための旅。ここにあるのはその記録。もとい日記です。旅日記」

 女 「彼としていた交換日記はまだここにあります」

 男 「まだ少し時間があるようなので」

 女 「恥ずかしいけど読んでいきたいと思います」


男、ゆっくりと自転車をこぎ始める

女、ゆっくりと自転車のあたりを彷徨い始める


 男 「3月1日。彼女と別れて迎える初めての朝だ。これから僕は旅に出ようと思う。だが、さてどこへいこう? 自分の計画性のなさが情けない。とりあえず、西へ向かうことにした。そうすれば夜は来ないからその間に考えればいい」


 女 「3月2日。今日は素敵な光景を見た。昼間の公園で走り回っている小さな女の子と男の子がいたのだが、その途中、男の子が足をもつれさせたかなにかで転んでしまったのだ。すると優しい顔をして女の子が男の子に手を差し出した。普通は逆だ。そう思うとおかしくてフッと笑みが零れた」


 男 「3月3日。行先は決まった。僕はその方向に向かってペダルをこぐ。だけど気を付けないといけない。僕は方向音痴だから、こっちだと思ってこいでいてもいつの間にか思っていたところとは違うところについていることがよくある。今回はそうならないことを願いたい。ああ、ナビがほしい。だれかくれないだろうか」


 女 「3月4日。今日も微笑ましい光景を見た。齢(よわい)80に迫ろうかというおじいさんとおばあさんがいたのだが、その二人――なんと青空の下を手を繋いで歩いていたのだ。お互いに笑顔で、でも同時にちょっと恥ずかしそうで。ああ、私もあんな恋ができたらなあと感じた」


 男 「3月5日。まだ道のりは遠い。焦ってもしょうがないと自分に言い聞かせてはいるが、どうにも気持ちばかりが流行る。――時々思う。なぜ人間ばかりが動かなくてはならないのかと。たまには、100回に1回くらいは、場所の方からきてはくれないだろうか。大陸だって移動するんだ。不可能じゃないと思う。いや不可能か。そんな他愛もないことを考えた日だった」


 女 「3月6日。今日は特になにもない、ゆっくり時間の流れる日だった。ベンチから空を漂う白い雲を見ていると少し気持ち悪くなった」


 男 「3月7日。ようやく目的の場所に辿り着いた。しかしもう夜も遅い。今日はここで泊まることにする。明日からはここについて詳しく知っていこうと思う。他人からはよく『順序が逆だ』と言われるが、僕はそうは思わない。下調べしていろんなことを知ってからいくより、着くまではなにも知らないほうがソレを知れたときの感動は大きい。だから僕はいつもあまり下調べをせずに気の向くまま旅をすることにしている。この考え方はきっとこれからも変わることはないだろう」


 女 「3月8日。男の子4人がおにごっこをしていた。しかし見ていると3人がずっと同じ1人の男の子ばかり標的にしていて、ついにはその男の子が泣き出してしまった。うるさい人だと思われたくはなかったけど、私は男の子たちに注意をすることにした。いじめはよくない。当人たちにそんな自覚はないのかもしれないけど、なにがいけないことかは早めに教えておいたほうがいい。男の子たちは私の話を聞き入れてくれて、ちゃんとその1人に謝っていた。そして謝られたほうも笑って許していた。理想的な関係に思えた」


 男 「3月9日。発見の連続だ。凄い。知れば知るほど好きになる。そして思い知る。僕がなにも知らなかったことに。だから旅はやめられない。ぼくはすっかりここが好きになってしまった。しばらくはどこにも帰りたくない」


 女 「3月10日。どうやら私に関するよくない噂が流れているらしい。噂は嫌いだ。上辺だけを這いずる言葉は寄生虫のようで、鵜呑みにしてしまえばたちまち根を張られ、血流は止まり、あげく脳まで支配される。そうして操られた人間は新たな寄生虫を産む母体となり、無自覚のまま、大手を振って人間を殺す。――噂は嫌いだ」


 男 「3月11日。今日は何枚か記念の写真を撮った。思い出は形にしないと残らない。そうしないと“ソレ”はどんどん頭の奥に追いやられ、ついには勝手にゴミの日に出されてしまう。捨てるべきものととっておきたいものの線引きくらいはさせてほしいものだ。今を忘れないために――僕は写真を撮る」



 女 「3月12日。死にたい」



 男 「3月13日。メールは好きじゃない。メールだけじゃない。ラインも、手紙も、交換日記も好きじゃない。文章は自分を忘れないために書くものだ。想いを伝えるためにあるものじゃない。なにか伝えたい想いがあるなら会ったときに直接言えばいいし、そっちのほうが心に響く。慕情(ぼじょう)も憧憬(しょうけい)も慟哭(どうこく)も、口から発せられる言葉にしなければ、空気のように見えはせず、煙のように立ち昇り、捉えどころもない“ソレ”はなにもなかったように消えていく。加えて記すならば、同情を誘う恐喝はまるで意味を成さない」


 女 「3月14日。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 殺される! 死にたくない! 助けて! 早くしないとやってくる。どれだけ逃げても追いつかれる。人の皮を被った虫が私を殺しにやってくる! ああ、手首から赤い命が流れていく。私の温度が消えていく。嫌だ嫌だ嫌だ! 私は死なない! 死んではやらない! あと1センチをおまえは越えられないだろう。そこに私の心臓がある。命を繋ぎ止めるポンプを止めさせはしない。どれだけすり減っていこうとも、どれだけズレていこうとも、おまえなんかに私の芯を傷つけることなど絶対にできはしない。そこで見ていろ。この赤に誓って私は生を謳歌してやる!」


 男 「3月15日。ようやく連絡がこなくなった。別れてほしいと伝えたにも関わらず、夜になれば毎日うるさいくらいにメールがきていたが、ようやく別れを受け入れてくれたらしい。おそらく僕に新しい彼女ができたことを知ったのだろう。彼女には悪いことをしたと思っている。僕は方向音痴だから時々間違うのだ。毎日大学にもいかず死んだような顔をして公園で時間を潰しているときいて少し心配していたが、立ち直ってくれたならよかった。彼女のぶんも、僕は今の彼女と過ごせる時間を大切にしようと思う」


 女 「3月16日。生きている。私はあらゆるモノを受け入れながらなににも孕(はら)ませられることはない。醜い凶器をぶら下げた獣共は私が二本の指でほんの少し心の膣を広げてやるだけで私へ迫ってくる。電車に揺られているときも、道を歩いているときも、食べているときでさえ、つまりいつでも情欲を滾(たぎ)らせたオス達は汚らわしい視線で私を犯し、嬲(なぶ)っている。なんて単純で、滑稽で、浅ましい姿だ。さあ、ここだ。おまえ達の欲しているモノはここにある」


 男 「3月17日。彼女は僕の望んだ全てを叶えてくれる。疲れた僕を励まし、寂(さび)れた心を癒し、隠すべき下劣を秘めていることを正当化してくれる。彼女は僕の全てを許し、認めてくれる。はち切れそうな感情の塔を柔らかな肉肌で根本まで包み込み、しこりを一滴も残さず吸い出してくれる様は艶美(えんび)で、僕は死に近づき生を生み出す情事の果て際(ぎわ)に命を肯定された気がした」


 女 「3月18日。肉と肉とが擦(こす)れ合う。私に跨(またが)った獣の荒い息遣いを鼻腔(びこう)で受け止め、哀れな情欲を締め上げる。やがて、逃げては戻りを繰り返していた獣の象徴が痙攣(けいれん)し、白濁(はくだく)の想いを私の中にぶちまけていく。従順で純朴で純潔の無力な私は為す術もなくそれをただただ受け入れ、瞳に微かな悲しみの雫を溜めて絶頂した。そして列を成す猥雑(わいざつ)な獣の群れに私は彼らの仲間の死体を差し出し、また愛撫(あいぶ)を始める。なにも生み出さず無益に重なっていく時間にグラインドし、私は身体を捩(よじ)りながら夜の世界を嬌声(きょうせい)で染めた」



 男 「3月19日。彼女と別れた」



男が自転車から降りる

車輪が輪廻を描くように回っている

そしてやがてそれが止まる



 女 「3月20日。私は全てを知り、回帰(かいき)した」


 男 「3月21日。あれから考えた。なぜこうなってしまったのかを。そしてわかった。僕はまたやってしまったのだ。まだ方向音痴は治っていなかったらしい。そう。僕はまた、間違えてしまった。ただそれだけのことだった。僕が間違っていた」


 女 「3月22日。生き残った。私はあらゆるモノを受け入れながらなににも孕ませられることはなかった。私は今ここにいて、今ここにいるのが私だ。けれどここに独白(どくはく)の告白をする。強がってみたけれど、強くあろうとしたけれど、やっぱり、私は一人で生き続けられるほど強い女ではなかった。このままではきっと殺される。それが獣にか孤独にかはわからないけれど。だから――私は私の王子様に助けを求めた」


 男 「3月23日。メールが届いた。別れた彼女からだった」

 女 「『会いたい』」

 男 「文面はそれだけだった」

 女 「私は会いたかった」

 男 「僕は会いたくなかった」

 女 「私は救われたかった」

 男 「僕は救われたかった」

 女 「私はずっと会いたかった」

 男 「僕はしばらく会いたくなかった」

 女 「虚勢も張ったし堕落もした」

 男 「でも」

 女 「今は」

 二人 「……会いたかった!」


男は自転車に跨り、逸る気持ちを抑えきれずに自転車をこぎ出す

女の指は日を追うごとにゆっくりとその車輪の中に近づいていく


 女 「3月24日。なんと彼が会いに来てくれるらしい! 私の胸は高鳴った。鼓動がうるさい。鳴り止まない。嬉しさが止まらない!」


 男 「3月25日。僕は彼女に会いに行くことにした。旅は所詮旅だ。終わりがある。留まることはできない。帰る場所がある。だから僕は旅ができる。そんなことも忘れていた。僕は帰る。あの場所へ」


 女 「3月26日。私はまだこの長く険しい塔の最上階で独りずっと待っている。さあ急いで私の王子様!」


 男 「3月27日。もう道に迷うことはない。なぜなら既に見えているからだ。僕はただあの太陽を目指せばいい。心の裏まで暴かれることを恐れて夜へ逃げた僕を変わらず照らし続けてくれているあの太陽を目指せばいい」


 女 「3月28日。夜はいろいろ考えすぎる。夜には魔が潜んでいる。独りの夜は怖い。だから早く来て!」

 男 「3月28日。振り返ってみれば、以前はあんなに輝いてみえた場所も今は他と同じに見えてしまう。魔が差しただけだった。だからなにも考えることはない。ただ僕は彼女のところへ帰ればいい」


 女 「3月29日。いよいよ明後日彼が私のところへ来る。そんなときになって気づいてしまった。自分がとっくの昔に種付けされた、どこにでもいるただの卑怯なメスでしかなかったことに」


 男 「3月30日。まずは謝る。そして昔のように戻る。これで明日はうまくいく。僕は彼女を愛している」


 女 「3月31日。私は彼を愛してはいなかった。私はただ人を愛したかっただけだった。そう思い知って、私はまた家畜のように股を開いた」

 男 「3月31日。僕は彼女を愛してはいなかった。僕はただ人に愛されたかっただけだった。そう思い知って、僕はまた獣のように肉を貪る」


二人が向かい合う。ペダルを必死にこぐ男。


 女 「それでも私は気づかないフリをする」

 男 「それでも僕は気づかないフリをする」

 女 「私はあなたが大好きなの」

 男 「僕にはやっぱりキミしかいない」

 女 「好きっていって?」

 男 「大好きだ」

 女 「結婚しましょう」

 男 「ああ、いいよ」

 女 「ありがとう! うれしい!」

 男 「子どもは何人ほしい?」

 女 「二人作って私達みたいに素敵な恋をさせるの!」

 男 「じゃあ歳をとってもなかなか楽できないな」

 女 「私も働くわ」

 男 「キミは僕のぶんまで子ども達のことを見てあげてよ」

 女 「ええ、わかったわ」

 男 「ねえ」

 女 「なに?」

 男 「ありがとう」

 女 「どうしたの急に?」

 男 「なんか言いたくなってさ」

 女 「変なの」

 男 「そうかな」

 女 「そうよ」

 男 「そっか」

 女 「ねえ」

 男 「なに?」

 女 「死ぬまで一緒にいましょうね」

 男 「ああ、喜んで」


 女 「そして」

 男 「僕らの」

 女 「人生は」

 男 「たった」

 女 「一ヶ月で」

 男 「終わって」

 女 「惰性が」

 男 「続いて」

 女 「たぶん」

 男 「僕達は」

 女 「とっくの」

 男 「昔に」

 女 「死んでいて」

 男 「次の」

 女 「瞬間」

 男 「奇跡を願って」

 女 「3月は」

 男 「終わり」

 女 「4月」

 男 「1日」

 女 「この日」

 男 「全ては」


 二人 「ウソになる!!」


自転車が急ブレーキで止まる

同時に暗転

やがて舞台が明るくなると、そこには交わり身体を重ね合う男と女


 男 「4月2日。僕は生きている」


 女 「4月3日。私は生きている」


 男 「4月4日。僕は生きていく」


 女 「4月5日。私は生きていく」


 男 「4月6日。僕はまだ死んでいない」


 女 「4月7日。私はまだ死んでいない」


 男 「4月8日。なにも始まらない」


 女 「4月9日。なにも終わらない」


 男 「4月10日。ゆっくり静かに消えていく」


 女 「4月11日。そしてみなさんさようなら」


譫言(うわごと)のように呟きながら男と女は互いに別の方向から裏へはけていく

舞台上にだれもいなくなるとだんだん舞台は暗くなっていく。

薄闇の中、二人の狂気の笑い声

暗転

                END

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