新米勇者にはしつけが足りない

左安倍虎

新米勇者にはしつけが足りない

「いくらゾンビだからといって人の前で鼻をつまんだり、露骨に顔をそむけるのはマナー違反ですよ、ギルフォードさん。冒険とは礼に始まり、礼に終わるのですよ」


 目の目に立ちはだかるゾンビたちの悪臭に顔をしかめるギルフォードさんに、私は礼儀を説きます。たとえ相手が不死生物アンデッドであろうと戦いの前には礼を尽くす、そのことを教え込むのが光明神殿の司祭兼マナー講師であるこの私、アリシアの仕事なのです。


「こいつらはただの動く死体であって、人間でもなんでもないだろうが。こんなやつら相手に礼儀を守る意味がどこにあるんだよ!」


 ギルフォードさんは嫌そうな顔をしたまま、剣を抜き放ちます。


「だいたい礼儀なんてのは、いけ好かない王族やら貴族だけに必要とされるもんだろ。宮廷の晩餐会だの、騎士のトーナメントだのと無縁な俺にはなんの関係もない」

「いえ、そうではありません。身分や立場にかかわらず、相手を敬う心は常に大事なものです」

「あーわかったわかった、とりあえず名乗っときゃいいんだろ」


 面倒そうに私のほうをふり向いた若者の碧眼が、何でこんな面倒なことをしなければいけない、と語っています。

 たくましい体躯をリングメイルで包んだ姿はいかにも屈強そうですが、肩まで伸ばした灰色の髪のせいもあり、妙に老成した、どこかけだるげな雰囲気も漂っています。


「ベルデランドのギルフォード、迷える汝らの魂を安んじたてまつらん、ってね」


 形だけ胸の前で垂直に剣を立てると、ギルフォードさんは雄叫びをあげ、20体ほどのゾンビたちの群れに突っ込んでいきました。私がメイスの先に灯した神光灯の蒼い光が、にわかに戦場と化した迷宮の大広間の人影を照らし、床に長い影をつくります。

 ギルフォードさんが剣を振るうたびに辺りにつむじ風が起こり、斬られたゾンビたちが隣のゾンビにぶつかって連鎖的に吹き飛び、石畳の地面に転がっていきます。ギルフォードさんの魔剣「インビジブルシルフ」の持つ力でした。


「さて、もうこれであらかた片付いただろ。第五階層の敵にしては大したことないな。さっさと『浄化の炎』でとどめを刺してくれ」


 神光灯であたりを照らすと、床には腐った骸が累々と転がっています。まだ手足をひくつかせているゾンビたちを前に私は目を閉じ、祈りを捧げます。


(聖なる炎よ、不浄なる肉体と迷える魂を清めたまえ)


 心の中で聖句を唱えると、ゾンビたちが二度と目覚めないよう焼き尽くす炎がその場に出現するはずでした。しかしいつまで待っても、私の祈りは聞き届けられません。いつもなら、祈りが天に届いた証拠として、胸の奥がじんわりと温かくなるのですが。


「おい、何をしてるんだ?」


 ギルフォードさんの苛立つ声が聞こえるとともに、大広間の隅で不気味な影がゆらりとうごめくのが見えました。

 その影に目を凝らすと、豪奢な長衣トーガをまとった骸骨でした。空洞のはずの眼窩のなかには紅い光が瞬き、骸骨はその光の明滅に合わせるようにゆっくりとこちらに歩み寄ってきます。


「ギルフォードさん、そこを離れてください!」


 悪寒が背筋を駆けのぼるのを感じた私が叫ぶと、ギルフォードさんは急いで後ずさりました。骸骨がなにかの合図のように片手を振り上げると、床にくずおれていたゾンビたちが立ち上がり、次々と骸骨の周りに集まり、手足を絡み合わせはじめました。


「なんなんだよ……こいつは」


 呆然と立ち尽くす私達の前に現れたのは、巨大な腐肉の塊でした。お互いの身体の中に埋没するようにグロテスクに組み合わさった肉塊は大きな球形を為し、その中央にはあの骸骨の頭が顔を出し、くぼんだ眼窩の奥から紅く光る目でこちらをにらみつけています。


「これは、人間という存在への冒涜ですね」


 球形の肉塊からはゾンビたちの手足が四方八方に突き出ていて、何かを求めるようにせわしなく宙を掻いています。吐き気を催すその醜い姿から目をそらすまいと必死に凝視していると、怪物から強い殺気が漂い出るのを感じ、私は叫びました。


「ギルフォードさん、来ます!」


 その途端、怪物は手足を引っ込め、猛スピードでこちらへ転がってきました。

 ギルフォードさんが急いで右へ飛びのき、私が左へ走ると、私達の間を怪物が通り抜けていきました。轍のように血や腐汁を床になすり付け、怪物は壁にぶつかって動きを止めました。


「アリシア、『聖糸緊縛』を頼む。まずはあいつの動きを止めないとどうにもならん」

「いえ、おそらくここでは恩寵の力は使えません。死霊王キルデリクの呪力がここまで及んでいるようです」


 さっき「浄化の炎」の力が使えなかったのは、私の祈りが天に届かなかったからです。この部屋自体に祈りを封じる力が存在しているとしか考えられません。


「じゃあ、どうやってあんな化物と戦えと?俺たちもかつてこの地下城に挑んだ五人の勇者みたいに、ここを墓場にしなきゃいけないのか」


 ここ──ベルデランド辺境伯領の東端を占める「黒の森」地下に広がるデルミナル古代城には、王から勇者の称号をもらった幾人もの戦士たちが挑んできました。そして、帰ってきたものは誰一人としていないのです。


「──いや、俺は違うな。なにしろ俺は、王から勇者なんてありがたくもない肩書きをもらって喜ぶほどバカじゃないからな」


 ギルフォードさんは不敵に笑いました。確かに彼は、この古代城に散った五人の勇者たちとは違います。彼はこの城の最下層に巣食う死霊王キルデリクの討伐のため雇われた一介の戦士に過ぎません。そして私は彼の補佐役として光明神殿から派遣されたのです。


「それで、だ。あいつをどう片付けるかだが……」


 ギルフォードさんが眉根を寄せていると、今度は怪物がゾンビを二体、こちらへと飛ばしてきました。着地してバランスを崩したゾンビの頭を、私がメイスで叩き割ります。視界の隅では、ギルフォードさんがもう一体のゾンビの首を斬り飛ばすのが見えました。

 ゾンビたちはおぼつかない足取りで、また怪物のほうへと歩いていき、本体に合体してしまいました。怪物の身体から再び手足が生え、肉塊を床から持ち上げます。


「これじゃあきりがないな。やはり本体を叩かなきゃ駄目なんだろうが、ゾンビどもの肉壁が邪魔だ」

「やはり、ここは一度話し合った方がいいのではないかと思います」

「はぁ?あんな化物と一体何を話すってんだよ」

「冒険とは礼に始まり礼に終わる、といつも申し上げているではないですか」

「人じゃないやつに向ける礼なんてもんがあるか!」

「たとえ化物でも、人としての心が残っていない、とは決めつけられません」


 私は姿勢を正すと、巨大な肉塊に向かって話しかけます。


「貴方は、本当に私たちと戦いたいのですか」


 肉塊の中央の髑髏が、私に目をむけました。


「貴方は、本当は誰かに命じられてこんな姿にさせられているのではないですか」


 髑髏の眼窩の中の光が、ひときわ大きくなったように感じられました。


「この呪われた部屋から解き放たれたくはありませんか。もう一度地上に出て陽の光を浴び、生の喜びを味わってみたくはありませんか」


 髑髏の顎がふるえ、乾いた音を立てました。こちらに何かを訴えかけているようにも見えますが、その口から言葉が漏れることはありませんでした。


「あんたはさっきから何を言ってるんだ?──ああ、そういうことか」


 納得したようにつぶやくと、ギルフォードさんは壁を背に動かずにいる肉塊へと突進し、一気に髑髏を断ち割りました。風の精の力を宿す魔剣が肉塊を両断すると、絡まりあっていたゾンビたちの身体がばらばらにほどけ、床に散乱します。

 ゾンビたちを操っていた骸骨が破壊されてしまったので、腐りかけた骸はもう二度と動くことはありませんでした。


「対話を試みるふりをして、あの化物の油断を誘ったんだろ?それならそうと言ってくれりゃよかったのに。いやあれか、敵を欺くにはまず味方から、ってやつか」


 ギルフォードさんが地面に転がった髑髏の破片を面白そうに蹴飛ばします。その様子に、私は思わず抗議の声をあげました。


「ギルフォードさん、死者にも敬意を払うべきだと何度も申し上げているでしょう」

「ん?まさかあんた、本当にこいつと対話しようとしてたのか?」

「その通りです。この方にも心があるのではないかと思ったのですが、どうやら不死生物アンデッドでも上級の存在ならこちらの言葉も通用するようですね」

「そのようだな。ま、どのみち倒しちまったんだからこいつはもうただの骨だ。敬意を払いたければあんた一人だけで好きなだけ祈りを捧げりゃいい」

「いえ、ギルフォードさん、貴方に礼儀をわきまえてもらわなければ困るのです。それに私はあんたなどという者ではありません。アリシアという立派な名前が」

「あー、はいはい、わかったよアリシアさん。お望み通り黙祷でもなんでも捧げ……ん、これはなんだ」


 ギルフォードさんの足元を見ると、長衣トーガの先から出た骸骨の手首が壁際にかかり、人差し指が上を向いています。その先には、飛竜狩りの様子を描いた壁画が掘られています。


「もしかすると、私たちに何かを伝えようとしていたのかもしれません。この壁には、何か秘密があるのではないでしょうか」

「どこかから仕掛け矢でも飛んでくるんじゃないのか?こんな化物を信じていいとは思えないんだがね。それよりさっさと先に進むべきじゃないのか」


 ギルフォードさんが指さした大広間の隅には、階下へと続く階段が見えます。しかし、私は自分の直感を信じることにしました。


「いえ、私は信じます。きっと、その指の先にはなにかがあるはず」


 呆れたように肩をすくめると、ギルフォードさんは骸骨の指差した壁面をあちこち触りはじめました。やがていぶかしげに目を細めたギルフォードさんが両手で力を込めて壁を押すと、その面が軋み音を立てつつゆっくりと回転し、細かい埃が床に落ちてきました。


「へえ、こんなところに隠し扉があったとはな。この先でさらに手ごわい化物とご対面、って展開は勘弁してくれよ?」


 まだ信じていない様子のギルフォードさんを尻目に、私は隠し部屋に入っていきました。


「これは……どうやら宝物庫のようですね」


 隠し部屋のなかには豪華な装飾の施された木箱がいくつも置かれていましたが、すでに蓋は外されていて、中身は空でした。そのほかには棚に数冊の書物が並んでいるだけで、目立つものといえば奥の壁面を飾るレリーフだけです。


「そりゃまあ、こんなに簡単に入れる部屋ならとっくに盗掘されてるよな。あの骸骨野郎も俺たちに宝をくれてやりたかったわけじゃないんだろう」

「私達が来る前に、ここに賊が侵入していたんでしょうね。さっきの怪物には遺跡荒らし程度では太刀打ちできないでしょうから、あの怪物が住み着く前にここに来たということでしょうか」

「あるいは、この城が地中に埋もれる前からもうお宝は盗まれてたかもな。どうせウィルダニア轟国の王族ってのもろくなもんじゃなかっただろうし、自分達から吸い上げた富をちょっとでも取り返してやろうって奴もいただろうよ」

「前から思っていたのですが、なぜギルフォードさんはそんなに王族や貴族が嫌いなんですか?」


 ギルフォードさんが私の説く礼儀をなかなか受け付けてくれないのは、それが貴人だけに必要なものだからだと思っているようです。ギルフォードさんが身分の高い人を嫌っている以上、彼が私の言い分を受け入れてくれるはずもないのです。


「あんたも知らないわけじゃないだろ?氷雪の巨人を撃退し、王都に迫った反乱軍の剛将ダロスを一騎打ちで破り、王女の病を癒す薬草を求めて霊峰アスガルンの頂までたどりついた勇者フロルスを、この国がどんなふうに扱ったか」


 強い眼光を向けられ、私は少しうつむきました。


「確か、平民の出身で礼儀を知らなかったことをとがめられ、ベルデランド辺境伯領の一寒村の領主の地位しか与えられなかった、ということでしたね。詳しい事情は知らないのですが」

「なら教えてやろう。ある晩餐会の席で、フロルスがフィンガーボウルの水で手を洗うというマナーを知らなくて、間違って中の水を飲んじまったんだ。それでしょせんは平民の出だと笑われ、『黒の森』にほど近い村を与えられたってわけだよ。平民なら王宮の貴婦人じゃなく、あの森の狼だの屍鬼グールだのを相手にしてろってことだな」


 ティレニア海を隔てた遠い島国では、フロルスさんと同じマナー違反を犯した家臣をかばうために自らもフィンガーボウルから水を飲んでみせた女王がいると聞いたことがありますが、残念ながらわがアストレイア王国にはそんな立派な人物はいなかったのです。


「なあアリシアさんよ、マナーとやらはそんなに大事なもんなのか?たかが手を洗う器から水を飲んだ程度のことで、誰が傷つくわけでもないだろ。そんな些細な過ちを犯したフロルスより、身を粉にして王家に尽くしたフロルスを馬鹿にする貴族どものほうがよほど失礼だろうが」

「そうですね、そこは私も異論がありません」

「だろ?なら、形だけのマナーを守る必要なんてどこにもないってことだ。ややこしい決まりごとをたくさん作ったところで、ついていけなくなる奴を増やすだけで誰も得をしない。せいぜいが人を貶める手段として利用されるくらいのことだ。フロルスがそうされたようにな」


 ギルフォードさんの目は、静かな怒りに燃えているように見えました。


「ですが、それならマナーを簡素にすればいいことでしょう。マナー自体をなくせばいいということにはなりません」

「ま、そうかもな。格好をつけたい貴族どもにはそういうことも必要だろう。だが、平民がわざわざ貴族どもの都合につき合う必要はないし、あいつらの仲間入りする必要もない」

「それはどういう意味なんですか?」

「勇者なんぞになっても何もいいことはないってことさ。勇者の称号ってのは、アストレイア王家に尽くした平民に特別に与えるもんだろ?最近の貴族どもは軟弱になってきてるから、名誉で屈強な平民を釣って最前線で戦わせるわけだ。勇者は名目上は伯爵に匹敵する地位ってことになってるが、実際はフロルスみたいに辺境に追いやられて、最期はこの古代城で果てておしまいだ。地位や名誉を求めなければ、あいつだって今頃は孫の顔を見ることだってできていただろうにな。大して報いてもくれない国に尽くそうとするなんて、本当に勇者なんてのはどうしようもない大バカだ」


 吐き捨てるように言うと、ギルフォードさんは悔しそうに表情をゆがめました。


「……それでも、私はギルフォードさんにマナーを身につけて欲しいのです」

「どうしてだ?言っとくが、俺がもし死霊王を倒すことができて、その功に報いるために勇者にしてやると王に言われたとしても、俺は断るぜ。俺は名誉も地位もいらない。欲しいのは金だけだ」

「いえ、死霊王を倒すためにこそ、マナーを身につける必要があるのです。そこのレリーフをごらんください」


 私が部屋の奥の壁を指さすと、ギルフォードさんが面倒くさげにそちらに視線をむけました。そこには、帝冠をかぶった男が玉座にすわり、十数人の家臣らしき者たちを引見する姿が彫られています。そしてその背後に、うなだれたままその様子を眺めるみすぼらしい男の姿も見えます。この男の部分だけが、妙に稚拙に描かれています。


「この轟帝らしき人の下に、上ザーリア文字でアインハルトという名前が彫られています。背後にいる人の下にはキルデリク3世と書かれていますね」

「逆じゃないのか?普通に考えれば、玉座でふんぞり返ってるのがキルデリク3世だろう」


 ギルフォードさんの疑問はもっともです。キルデリク3世は現アストレイア王家の始祖にして、ウィルダニア轟国の最盛期を築いた偉大な帝王だったということは、この国では3歳の子供でも知っていることですから。


「実は、キルデリク3世は病弱な帝で、政治の実権は大宰相のアインハルトが握っていた、という説が古くから存在しているのです。光明神殿に伝わるウィルダニア貴族の日記には、アインハルトの私邸には轟国の三百諸侯が列をなすありさまだった、と書かれているものもあります」

「そいつは俺の知ってる話とはずいぶん違うな。アインハルトはキルデリク3世の忠実な家臣だったはずだが」

「そういうことにしておかなければ、現王家には都合が悪いのでしょう。祖先が家臣に実権を奪われていたなどという不名誉な史実は隠さなければいけませんから」

「そういうもんかね。ま、なにが真実でも俺には関係ないがな」

「関係なくはありませんよ、ギルフォードさん。このキルデリク3世の絵、妙に下手だと思いませんか?これは明らかに、あとで誰かが描き足したものです。おそらくはこの二人の名前も」

「それがどうかしたのか」

「この史実を、後世の人間に伝えたかった者がいるということですよ。キルデリク3世は偉大な轟帝などではなく、アインハルトの陰でおびえているだけのみじめな生涯を送ったのだと。ウィルダニアの史家は、帝の名誉を汚すようなことは書かないでしょうからね」

「仮にその話が本当だとしても、別にどうでもいいことだろう」

「もし、この古代城の最下層に巣くうキルデリクが、このキルデリク3世だったらどうしますか?」


 ギルフォードさんがわずかに片眉を上げました。


「どうしてそんな無力な帝が、死霊王ワイトキングになるんだ」

「無力だからこそですよ。不死生物アンデッドの強さは、死ぬまでに抱いた怨念の強さに比例します。至尊の地位にいながらなんの力も持てなかったキルデリク3世は、誰よりも強い怨念を抱え、死霊王ワイトキングと化してしまったのではないでしょうか」

「ふむ……そういうことか」


 顎に手を当てると、ギルフォードさんは考え込むようなそぶりを見せます。


「アリシアさんよ、あんたの考えは読めた。誰にも敬意を払われたことのない死霊王キルデリクに、せめて俺たちだけでも敬意を払ってやったらどうか、と言いたいんだな」

「ええ、その通りです。おそらくさっきの骸骨も、キルデリク3世の境遇を私達に伝えたかったのでしょう。生前は彼の側近だった人かもしれませんね。長衣トーガはウィルダニアの貴族の衣服ですから。だからせめて私達だけでも、帝にふさわしい敬意を示して欲しいと思ったのではないでしょうか」

「しかし、それならなにも俺たちと戦う必要はなかったんじゃないか」

「死霊王に操られていたのでしょう。活動停止する直前になってようやく、自分の意志を示すことができたのだと思います」


 私は、この部屋の外の壁を指さした骸骨の指を思い出しました。あの骸骨をこの世に縛り付けていたのは、帝が敬われていなかったことへの強い怒りだったのかもしれません。 


不死生物アンデッドをこの世界につなぎとめているのは、生前に抱いた怨念です。死霊王キルデリクをこの世界から完全に解き放つには、私たちが彼に帝王にふさわしい礼をもって接しなければ」

「しかし、いくら礼を尽くしたところで、それでキルデリクが大人しく消えてくれるわけでもないだろう。結局、あいつを倒さなきゃどうにもならないはずだ」

「キルデリクを最強の戦士として扱えばいいんです。生前には誰もしなかった扱いを私たちがすれば、彼も満足するのではないですか」

「そういうもんかな」

「私は思うのです。なぜ、今までキルデリクに挑んだ勇者たちが、誰も帰ってこれなかったのか。それは、おそらく──」


 憶測ではありますが、それから私はキルデリクに挑んだ勇者たちの末路について語りました。ギルフォードさんの顔はみるみる険しくなっていきましたが、最後にはそれはありうる、と言ってもらえました。


 大広間の片隅にあらわれた階段は長い螺旋状で、巨人の体内をどこまでも深く潜っていくように感じられました。ようやく階段を降りきると、巨大な円盤のような場所に私たちは立っていました。

 あたりを見渡すと、四隅に設けられた大きな燭代に、音もなく炎が灯ります。


「おぉ~、ここで人間に会うなんてひさしぶりだなぁ~!あんたがたもあれかい、こいつを倒しにわざわざ古代城に踏み込んだ口かい?いや、ここまで来るのは大変だったろうなぁ」


 妙に闊達な声が頭上から降りそそぎました。見上げると、白銀に輝く甲冑姿の戦士が宙に浮いていました。鎧兜は明らかにアストレイア王家から授かったと思われる特別製のものですが、兜のなかからのぞいている顔は骸骨でした。


「あ、そうそう、あんたがたが上でしてる話が聞こえちまったんだけどさ、ひとつ訂正させてくれ。俺がフィンガーボウルから飲んだのは水じゃなくてな、酒だ。目の前にうまそうなスパイス入りワインがあったらからな、うっかり飲んじまったってわけだ。ほんと、酒には気をつけないといけないぜ」


 フロルスさんと思しき声が陽気に言いますが、そのお酒は誰が注いだのでしょうか。もしかするとフロルスさんは、高貴な方から注がれたお酒を断りきれずに、フィンガーボウルのお酒を飲んだのかもしれません。


「……おっと、だんだん目の前が暗くなってきた。どうやら俺もここまでみたいだな。もしあんたがたが生きて帰れたら、ノルマイア村の俺の家族に伝えてくれないか。息子はきっと俺を越える剣士になる、ってね。俺はもうここでおしまいだが、あいつは筋がいい。あいつなら死霊王だろうがなんだろうが、きっと倒せる。なんたって最強の勇者フロルスと最強の狩人イレーネの息子だからな。おっと、あんたがたがキルデリクを倒しちまったら、息子にはもうこいつと戦うチャンスはないってことか。まあいいや、とにかく息子こそが俺の魔剣インビジブルシルフの継承者としてふさわしいってこと、それだけは伝えといてくれ。どこの誰だか知らんが、頼んだぜ」


 ギルフォードさんは話を聞きながら、握った拳をずっと小刻みに震わせていましたが、やがて口を開きました。


「やっぱり、あんたは大バカだよ。そうやって最後まで誰も責めずに、言いたいことだけ言っていなくなっちまうんだからな」


 そう言うと、甲冑姿の骸骨戦士がゆっくりと床まで降りてきました。


「ようやくこの者の魂を喰らい尽くすことができた。今まで何人もの勇者が余に挑んできたが、15年も余に抵抗したのはこの者がはじめてだ」


 骸骨戦士の声が、急におごそかなものに変わりました。きっと、これが死霊王キルデリクなのでしょう。力を求めるキルデリクが、戦いの最中にフロルスさんの身体を乗っ取ったに違いありません。今まで挑んできた勇者たちの身体を乗り換えつつ、キルデリクはここで生きながらえてきたのでしょう。


「ギルフォードさん、礼儀を忘れないでくださいね」

「ああ、わかってる」


 ギルフォードさんは、隠し部屋のレリーフに描かれていた人たちのように右足を立ててひざまづき、右手を胸の前に置きます。左手は横に伸ばすところまで、私の指示通りです。


「轟帝陛下、お初にお目にかかります。私は世界最強の剣士を求め旅を続けている者ですが、不遜ながらウィルダニア史上最も偉大な帝である陛下と、剣を交えてみたいと望んでおります」

「ほう、余と戦いたいとな」

「むろん、勝てるなどとは思っておりません。ただ、剣に生きるものとして、七大陸に覇を唱えるウィルダニア轟帝の剛剣を一度、この身で味わってみたいのです。それさえ叶うならば、たとえこの場で果てようとも悔いはしません」

「だが、余がこの世で最強の剣士であるとは限らぬぞ」

「いえ、陛下こそが世界最強の剣士です。陛下のお体から立ちのぼる英気を、この身にひしひしと感じます」

「うむ、さようか」


 その声に、あきらかな喜びの色が混じりました。死霊王キルデリクは腰の剣を引き抜き、胸の前に構えました。ギルフォードさんの後ろに立っている私ですら、気を抜くと腰をぬかしそうなほどの威圧感を感じます。ギルフォードさんも同じく胸の前に剣を構え、声を張ります。


「アストレイア王国第五代勇者フロルスが長子、ギルフォード。参る!」


 キルデリクの剛剣とギルフォードさんの秘剣がぶつかり合い、激しい剣戟の響きが聞こえてきました。今のところ、両者の実力は伯仲しているように見えます。でも、私はこの戦いのゆくえを少しも心配していません。息子はきっと、俺を超える剣士になる──そのフロルスさんの最後の言葉を、私は信じると決めたのですから。

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