第34話 仮面をはずすとき
「さて。どうやらオズワルド君の勧誘に失敗したようだが。言い訳があるなら聞こうじゃないか」
カーテンが閉ざされ、魔法のランプで照らされた室内。
豪奢なソファに腰掛け、憤怒の表情にも似た異国の仮面を被った男は脚を組み替えた。
トカゲの仮面を被った女――バージニア・リッチモンドは肩を落とす。
「…………はい、思いがけないトラブルがありまして」
「例の豚の事かね」
「はい」
『主催者』は組んだ手の上に顎を乗せると、仮面の奥から氷のような視線を突き刺してきた。
喉がカラカラだ。
額に嫌な汗が浮かび、仮面がずり落ちそうになる。
「確かに。あれは危険な化け物だ。豚の持つ知能、繁殖力、戦闘力を軍事利用してみようという発想それ自体は悪くない。制御が一切できない事を除けばね。そんな危険な化け物をオズワルド君に買うよう仕向けたのは、明確な敵対行為と見られても仕方が無い。わかるかね?」
「そんな事は……!」
全くもって謂われのない事だった。
オズワルドはバージニアにプレゼントしようとしていたらしいが、デビッドがそれを一方的に断ってしまった。
もちろん、仮に受け取ったとしても困惑した事だろう。
ただ、気持ちだけは大事にしたかった。あくまでも気持ちだけだが。
それがどうやら裏目に出てしまったらしい。
いや、そうではない。バージニアはデビッドのした事に安堵していたのだ。
「そんな事、とは? 答えたまえ、八〇一〇七二」
深呼吸を二度するが、横隔膜がまるで痙攣を起こしたようで、震えは収まらない。
それでもバージニアは意を決して一歩踏出したが、同時に音を立ててドアが開いた。
飛び込んできたのは、笑い顔の不気味な仮面を被った若い男。
『主催者』にも臆せずに大口を叩くこの男のことは、バージニアにも印象深かった。
「大変だ! 回収部隊が軍と衝突になった! かなりの損害が出ている!」
回収部隊。前回の会合で、新たに発見された『マザーボード』を回収に向かったチームが、河川敷で軍の部隊と戦闘になったという。
「河川敷のストリート・チルドレンどもがスクラップ・ヤードで見つけたのではなかったか? 浮浪児どもを掃除して、それから浚えば訳は無いだろう。どうせゴミにしかならんヤツらなら。ここらで引導を渡すのが慈悲だ、君はそう言ったはずだが」
「ガキどもなんて居やしない! 河川敷はもぬけの殻で、代わりに軍隊が控えていやがった! やつら、戦車まで持ちだしてやがる!」
「なんだと!?」
室内にどよめきが走る。
聞く所によると、戦車には一切の魔法が通用しないという。
笑い顔の仮面を被った男は、右手に提げたバケツを机に置いた。
「だが安心してくれ。これを持ってきた」
「何かね」
「見ての通りさ。いけ好かないヤツらを掃除するのに最適な餌だ」
バケツから覗くのは、大量のドングリである。
笑い顔の男は何を思ったか、箱を振り回すとドングリを部屋中にバラまいた。
カラカラと音を立てて転がる果実は、超古代ならともかく現代においてはあまり食用にされる事はない。
誰もが彼の奇行に目を奪われている時、彼はバージニアの手首を掴んだ。
「な、何よ?」
「早く!」
どこかで聞いたような声。
見覚えのある指。
バージニアは間違いなくこの男を知っている。
「まさか……デビッド……?」
男は答えない。
何も答えずバージニアを抱きかかえると、カーテンの閉じられたガラス窓に飛び込んだ。
「な、何よ! ちょっと、やめなさ――」
「黙って!」
ここは二階だ。
立木の枝を何本も折りながら、二人は一気に地上を目指す。
衝撃とともに地上に到達したが、バージニアにケガはない。
そのまま男は走り始めた。
男の胸に抱えられながら、嗅ぎ慣れたオーデコロンの香りが鼻を包む。
「ちょっと! 降ろしなさい! デビッドでしょ?」
男は立ち止まるとバージニアを降ろし、顔を覆っていた仮面を放り投げた。
やはりデビッドだ。
「何のつもりよ!」
「申し訳ありません、お嬢様。危険と判断いたしましたので」
「何が危険よ――えっ?」
身体を揺さぶる振動は、地震ではない。
バージニアは目を見開いた。
トラックほどもある真っ黒な怪獣が、地響きを立てて走っていた。
巨体に違わず、恐ろしいほどの速度が出ている。
「ドワオォォォオオオオオッッ!!」
雄叫びを上げると、怪獣はそのまま建物の壁に突っ込んだ。
先ほどまでバージニアがいたビルの壁に、巨大な穴が開く。
悲鳴と怒号が辺りを包み、土煙が上がる中、怪獣は『何か』を貪るようにして食っていた。
「ドングリですよ」
「どうしてあんな事を……?」
「さあ?」
デビッドは何事もなかったかのように、いつも通りの微笑みを向けてきた。
「動物が暴れるのは、大抵の場合人間の方に原因があるそうです。衛兵隊が来る前に帰りましょう、お嬢様」
そう言うと、何事も無かったかのようにデビッドは軽トラックのドアを開いた。
軽トラックとは、オルス帝国で採用されている『国民車』の規格を参考に作られた、庶民向けの自動車の一種だ。
中古車らしく、あちこちに錆が浮いている。
押し込まれるようにして助手席へ乗り込むとほぼ同時に、デビッドも運転席に潜り込んできた。
流れるような動きでキーを捻り、エンジンを掛ける。
同時にギアを二速に叩き込み、タイヤを軋ませて軽トラックは飛び出した。
「どういう事よ、答えなさいデビッド!」
デビッドは周囲を見回して一息つくと、ようやっと話し始めた。
「今回の『マイオリス』集会に、ガサ入れが入ると聞きましてね。協力の見返りにお嬢様を脱出させて頂きました」
「え?」
「河川敷の集落を迎撃するべく、軍を率いてボールドウィン侯爵が迎撃に乗り出しました。もう『マイオリス』は見限るべきかと」
「グループをお抜けください。『マイオリス』に所属したままでは、オズワルド様とお近づきになる事は不可能です」
「…………わかったわ」
軽トラックは河川敷に向かっているようだった。
ビルの向こうに黒煙が上がっているのが見える。
通行人たちもそれに気付いたのか、興味本位で野次馬を決め込もうという人々で道がごった返している。
「やれやれ。このままじゃ着く頃には全て終わってしまっていそうですね」
「変なの、やれやれなんて。まるで――」
「オズワルド様の口調が移ってしまった、と? やめてください。汚らわしい」
デビッドはオズワルドの事になると、妙に口が悪くなる。
以前から気になってはいたが、何か秘密がありそうだ。
特に根拠がある訳ではない。ただの勘だ。
「お嬢様」
「何よ」
信号で停まると、デビッドは優しげな――それでいて寂しげな瞳を向けてくる。
思わず胸がざわつく。
こんな表情を見るのは初めてだった。
「初めて会った時のことを……覚えていらっしゃいますか」
「ええ、もちろん。怪我をして、腹ペコで。雨の中捨てられた仔犬みたいだったわ」
「お嬢様は何も聞かずに、私を雇い入れてくださいましたね」
「専属執事を雇うのがステータスだもの。恩を売っておけば、そこそこ従順に働いてくれる。そう思っただけよ」
「ご期待を裏切るようで、申し訳ありません」
「どういう意味よ……?」
妙に胸がざわつく。
これではまるで、別れの挨拶だとでも言いたげで。
バージニアはかぶりを振って、そんな予感を振り払おうとした。
「さ、着きましたよ」
河川敷の土手に停められた巨大な鋼鉄の魔獣――戦車の横に軽トラックは停まった。
治安が悪いと聞いており、今までに近付いた事は無い。
「いったい何が……」
デビッドに続いて土手を登ろうとすると、子供たちの歓声が向こうから聞こえてくる。
ボロをまとい、真っ黒に煤けた顔の子供たちが集まっている。
その中心にいるのは、立派な体格をした二メートル近い半裸の男だった。
求められるがままにボディビルのポージングを繰り返している。
「ご苦労だったな、エフォート。そのお嬢さんか」
声を掛けてきたのは、陸軍士官の軍服を着た青年だった。
デビッドは彼に軽トラックの鍵を放り投げる。
「知り合い?」
しかし、デビッドは何も答えなかった。青年に向き直り、低い声で言う。
「ヨーク中尉。これで取引は成立……でよろしいですか?」
「ああ。そのままトラックに乗って逃げようとは思わなかったのか?」
「…………」
「ま、お前ならそうすると思ったよ。お前と似た目つきをした部下がいてな。……そいつも、そんなヤツだ。……ん?」
士官に兵士が一人駆け寄り、何か報告したようだ。
「ん、わかった。俺は怪獣を回収する。じゃあな」
青年士官は寂しげな笑みを浮かべると、背中を丸めて河川敷へ降りていった。
バージニアは何があったのかさっぱりわからず、自分の口がポカンと開いていた事に気付くのに、少しばかり時間がかかってしまった。
「バージニアお嬢様」
「な、何よ。早く説明しなさい、デビッド!」
「カーター・ボールドウィン侯爵が、故郷の孤児院で子供たちを引き取ってくれるとの事です。私も彼らに付いていく事にしました。誠に勝手ではありますが、お嬢様とはここでお別れです」
「えっ――?」
思わず振り向くと、そこに立っていたのはシルクハットにマント姿の仮面の男。
王都を賑わす大怪盗。
「まさか……『シルバー・ピジョン』……?」
「いかにも。このシルバー・ピジョンこそ、バージニアお嬢様の忠実なしもべ、デビッド・ペイジの正体です。すべて……すべてイリュージョンだったのですよ」
別の生き物のようにしなやかな指が、何もない所から球を取り出す。
彼の手の中で球は二つに、いや四つになり、また二つになって……消えた。
「…………!」
「デビッドの顔も、じつは作り物なんです。ちょっとイケメンにし過ぎたかな、と思っていますが」
「え……?」
「素顔の私と街ですれ違っても、お嬢様は気付きもしないでしょう。その辺は自信があります」
デビッド……あるいはシルバー・ピジョンは、そこで言葉を切った。
仮面の隙間から覗く目は、優しいデビッドのまま。
「オズワルド様は愚かで哀れな、しかしお優しい方です。ただ、あまりにもバカすぎるので知恵を貸してあげてください」
「待っ――」
思わず手を伸ばす。
しかし、不意に吹いた突風に一瞬目を細めると、そこには色とりどりの花びらが舞っているだけだった。
「お嬢様がピンチの時は、必ずお助けに上がります。それから……今さらかもしれませんが……私は、あなたの事が好きでした。さようなら、私のお嬢様」
耳に届くのはデビッドの声だけ。
右を見ても、左を見ても。そこには誰も居ないのだ。
「待ってよ……バカ」
戦車の上部ハッチが開き、小さな顔がぴょこん、と飛び出る。
真っ黒な髪、真っ黒な瞳の女子小学生が、ぶかぶかのヘッドセットを被っている。
「やっほー。『マイオリス』のおねーさん」
「あなたは……?」
「おねーさん、オズワルドの友だちだろー? あいつを放置したら、わるい人にだまされそうでアブナイからなー。ちょっとてつだってよー」
いつの間にか、銃を抱えた兵士たちの視線がバージニアに集まっていた。
「イヤとは、いわないよなー」
◆ ◆ ◆
「ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ! ……ズゴゴゴゴゴゴゴッ!」
オズワルドとナオミがアパルトメントに帰ると、何事もなくいつも通りの光景が広がっていた。
納屋では豚が元気に眠っている。
そう、元気に。人頭大の鼻提灯を出しながら、地響きのようなイビキを掻いているのだ。
「豚さんも元気そうなのです」
「そうだね。バージニアもきっと明日は学院に来るだろう」
ナオミの淹れてくれた紅茶を飲みながら駄菓子をつまむと、呼び鈴が鳴った。
「は~い、今行くのです」
こんな時間に来客など珍しい事だった。
「オズワルドさま。バージニアさまとサラちゃんがお越しです」
「うん、入ってもらってくれ」
意外な来客ではあったが、セールスの類いではないので安心する。
サラはトテトテと、バージニアはしずしずと部屋に入ってきた。
「おー? すっかりオタク部屋になってるなー」
サラは興味深そうに部屋の中を見渡すと、人気漫画のヒロインを模った精密な人形や、壁一面に張られたポスターに目を丸くしていた。
「やれやれ。失礼なお子様だ。めっ!」
「うわー」
サラに軽くデコピンをしてやると、彼女は言葉無げにはにかんだ。
しかしその直後、なぜかバージニアが血相を変えてオズワルドに突っかかってきた。
「失礼なのはあなたよ、オズ! いい加減常識を身につけなさい! この、オタク!」
オズワルド・ノートンが王女直属の騎士となるのは、この直後の事である。
その日を境に、シルバー・ピジョンと呼ばれた怪盗が王都に現れる事は二度と無かった。
(了)
名誉ある蔑称 ―魔法王国辺境領主の息子、王都でラノベと漫画にハマる― おこばち妙見 @otr2000
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