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「えーっと、椎名さん?だよね。チョコ、いる?」

 そう言って隣の席になった見知らぬ彼が私に向けてきたのは、よく薬局とかで安く売られているビスケットにチョコが乗っかったお菓子だった。

「あっ、ありがとう…いただきます」

 目の前に出されたら受け取ってしまう。私の癖だ。断れないで、勧められるがまま。

 大学に入ったら悪い男に気を付けろよと姉から釘を刺されている、私の癖。


「俺藤木!よろしくね!」

「椎名です。椎名しいな瑞希みずき。よろしくお願いします」

「俺は藤木!藤木ふじき健也けんや!」



 隣の席になったから、という理由でお菓子を渡してきた藤木はよく言えば義理堅そうで真面目そうな外見だった。

 メガネを掛けていて細身で色白。背は高いけど、高いというよりは長いという感じ。

 正に現代っ子ここに極まれり。あんまり運動してなさそう。

 ちょっとよさそうと思ったのはお菓子の趣味が合うことくらい。

 そんな印象だった。


 高校二年生の二学期、初めて隣になった藤木とはそうして知り合った。

 知り合ってからは隣の席だし、お菓子を時々くれるから話をすることがあるくらいだった。


 少し話して意外だったのは彼はバスケ部だということ。確かに背は180cm近くで高い方あるから意外ではないのかもしれない。

 でも、藤木は羨ましいくらいに細いし色白白。ただ、本人曰く骨太で筋肉もしっかりあるらしい。

 似た体型の男子の名前を挙げてそいつよりは10kgは重いぞー、だとか体脂肪率7%なんだぞー、とか言ってたけど本当かはわからない。


 だって、見た目の割に案外適当だと話しているうちにわかったから。語尾が緩やかに伸びている、というのかふんわりというのがしっくりくる話し方の時もあるし、ハキハキとしゃべっておどける時もある。どっちの感じで話すかは気分次第らしい。

 そして授業中はよく寝ている。寝るときは頬杖をついているけども、よく机から肘が落ちて目を覚ましてる。


 でも、挨拶だけはきちっとするし、何だかんだ親切だったり義理堅くて律儀だし、そういったのが振る舞いから滲み出てるし、育ちのよさを感じるような折り目正しい面も多い。


 そんな彼は男友達の少ない、というよりはいない私にとって彼は、入学5年目にして初めてできた異性の友人だと思う。




 ある日は藤木は「日曜に市の体育館で大会があるから来てよ!」と伝えてきた。

 もっともその日は姉の服選びに付き合わされる予定だったのでその時は断らせてもらった。

 ただ、当日の日曜日に問題は起きた。毎度のことながら支度の遅い姉を置いて先に電車に乗ったのだけどもそれが悪かった。

 目的地の駅で降りて改札を潜りしばらくして、姉から「ごめーん、彼氏から会おうって言われたから今日はパース」というメッセージが入ったのだ。

 流石は姉。理不尽だ。そして流石は私の姉。誘われたら断れない。



 「今度パフェ。それでチャラ」とだけ送り、携帯をしまった。

 携帯をしまい顔を上げると案内標識が目に入った。

 "総合体育館 1.2km"

 藤木が言っていた試合会場はそのだったな、と思い出す。

 そういえば一応誘われていたな、と考えると足は自然とそちらに向かっていた。


 姉と同じで誘われたら断れない性格の私だから、仕方ない。

 


 会場に入ると、ちょうど藤木達の試合が始まる頃であった。

 そこそこ大きな大会なのか観客席はほとんど満席でようやく空いている場所を見つけて腰を下ろす。

 私にとっては1.2kmの散歩でもなかなかの運動だ。


 コートの中にいる藤木は8番を着けていた。確かに筋肉がついている腕だったし、脚もそうだった。

 ユニフォーム姿だからかもしれないし、学校ではないからかもしれない。

 見慣れている適当さも剽軽さも隠れた、ひたすらに真剣な顔だったからかもしれない。

 理由はよくわからないけれど、普段とは違うな、と感じた。


 試合は、結果として85-69で負けだった。藤木はひっきりなしに動いたり、かと思えば止まったり。時々チームメイトの肩を叩いたり声を出したりして励ましたり。

 ルールや動きの基本はわからないけれど全力でやっているというのはわかった。


 その後も二、三試合ほど眺めたが観ていても藤木たちの試合ほどの楽しさはなかったので帰ることにした。

 バスケットボールを知らないのだから仕方ないだろう。

 靴底が鳴らす音が鳴り響いているけれど、耳に残っていたのはのんびりさも剽軽さもないけれど、藤木の声だった。


 外に出たところ喉が乾いていることに気がついたので自販機のある駐車場に回った。

 しかし、藤木の声が聴こえたので思わず足が止まってしまった。

 物陰から遠巻きに覗いたところ、彼はコンクリートの床に大の字になって「絶対来年は先輩達にインハイ行く姿見せてやりますから!」と叫んでいた。

 なんとなく見てはいけないものを見た気がしてしまい、音を立てないように気を配りながら退散した。



 その翌日は何故か6時半に目が覚めた。二度寝をしたいが遅刻の可能性があるからダメ。

 かといってやることも思い浮かばない。ちょっとの自問自答の結果、せっかくだから河川敷まで散歩することにした。

 もっとも、散歩といっても河川敷までは5分ほどだ。それでも早起きをして5分も歩くというのは私の16年の中では大きな一歩といえる。

 私の持っている唯一の運動着である学校指定のジャージに着替える。私にとっては凄いことをしている、そんな気持ちに胸が少し高鳴る。

 一応は母に河川敷に散歩に行くと連絡を入れてから家を出た。


 11月を間近に控えていることに加え、早朝ということもあり外は寒かった。それでも既に河川敷にはジョギングをしている人がちらほら見えている。


 そして、そこには大粒の汗をにじませながら対岸で運動している藤木がいた。

 周りを見回してもあれだけの汗をかいているのは藤木くらいだった。

 何やら跳ねたり後ろ跳んだり、その場で変な姿勢で足踏みをしたり。忙しなく動いている。

 よくよく見ると、昨日試合で見た動きに似ている気がした。


 一人で黙々と動いている藤木を眺めていたら突然携帯が鳴った。母からだ。

 「そろそろ戻らないと遅刻するよ」とのこと。時刻は7時15分。45分には出ないと間に合わない。

 慌てて走って家に戻った。



 結局いつもよりは少し遅れて家を出たため、家から駅までの道のりも走ってなんとかいつもと同じ時間に教室に着いた。藤木もいつもと同じで、始業5分前に教室に入ってくる。

 相変わらずの間の抜けた「椎名おはよー」にという声に気が抜けたのか、ふとあくびが出そうになる。

 あくびを噛み殺していることを隠すために「おはよ、藤木」と短く返した。


 そしてその日の英語の授業で信じられないことに私は人生で初めてとなる爆睡をしてしまった。

 幸いなことに他の人は気がつかなかったのだろう。ただ一人、隣の藤木を除いて。


 だから、藤木が授業後に「椎名も寝るんだね……驚きすぎて今日の英語寝れなかったよ……」と心底驚いたという顔で報告をしてきて思わず笑ってしまった。

 理由を聞かれたが、姉に連れ回された疲れだと誤魔化した。

 熟睡の原因は、あの早起きと全力ダッシュだとわかっていたけどなんとなく伝えにくかったから。


 そう考えたところで藤木は毎日あそこで運動をしているのか気になった。

 もしそうだとしたら毎回授業で寝ているのも不真面目だからとかではないのかもしれない。

 だから確認のために、この日から一週間だけ早朝に河川敷へ向かうことにした。



 結果はというと、藤木は毎日河川敷にいた。大体朝六時には走って河川敷に現れ、一時間程基礎トレーニングをした後は走る。毎日毎日そんな感じだった。

 流石に一日くらいは休むだろうと思っていたからこそ、私は驚いた。だからついつい二週間ほど早起きをして藤木を覗きに行っていたた。

 流石に早起きがキツくなってやめてからも、時々早起きした日に見に行ったら必ずそこに藤木はいた。



 それからというものの、少しだけバスケに関心を持ち始めた。

 関心を持つと、なんとなくだけどバスケ部の試合を観に行こうと決めた。

 藤木のプレーをする姿を改めて観てみたくなったのだ。

 ただ、観に行くのはあのときのように大会であるとか、もしくは大規模な練習試合と決めている。

 彼にバレたら気恥ずかしいから。



 そして、都合よく毎年6校が合同でやる練習試合があるということを藤木が話していたのでそれに向かうことにした。

 勿論、藤木には姉の服選びと嘘をついて断った。


 合同試合の会場は、前と同じで総合体育館。試合は朝10時からだというけど私は9時30分頃にはなるべく端の方で高い方にある席に腰掛けていた。

 練習試合だからか当然あの時よりも人数は少ないがそれでも人は沢山いたので胸を撫で下ろす。

 これならバレないかな。隅っこだし、人も多いから。



 藤木達は第一試合。皆が試合開始前の準備運動をしてから、コーチがメンバーを集め、円陣を組みキャプテンらしき人が音頭を取る。

 そしてスターティングメンバーだと思う人たちが羽織っていたジャケットを脱ぎコートに向かう。

 その中にはもちろん8番を着けた藤木もいた。

 コートを脱ぎながらも藤木の口が動いている。何を言ったかはわからないけれど、チームの人たちが皆笑っているのできっといつもみたいに適当なことか剽軽なことを言って場を和ませたのだろう。



 6校合同の練習試合の結果は、3勝2敗で3位。その2敗も大敗ではなく、強豪校相手に僅差の惜敗。

 私自身思わず声をあげて何度も応援したほどだった。

 藤木は5試合全てに休まず出ていてシュートを何本も決めていた。リバウンドに積極的に絡んだり、ルーズボールに食らいついてそのまま勢いよく壁に激突したり、ドリブルで相手を抜き去ってそのままゴールを決めたり、パスカットも何本も決めていた。


 とにかく、格好よかった。



 試合を観た帰り道、高揚感の名残に包まれていたところ、バレンタインの広告が街を埋め尽くしていることに気がついた。


 彼は一体、チョコを渡したらどんな反応をするのだろうか。少し考えてから妄想を掻き消す。


 

 でも、何度も何度も掻き消したはずなのに、気がついたら彼にどうやってチョコを渡すかを考えていた。


 直接学校で伝えるには、勇気が足りない。彼はなんだかんだで男子の中心的存在だ。だからきっと野次馬も多いだろう。

 もしかすると私が知らないだけで誰かと付き合っているかもしれないし、だとしたら立ち直れない。


 だからどこかに彼を呼び出せないか。考えたけど、私は呼び出すのも多分、直接口では伝えられないだろう。

 だから紙に書いておこう。直接渡すのは恥ずかしいから、メモに書いてお菓子の箱に隠して渡そう。


 "藤木へ、プラネタリウム室で待っています"というメモを作るのに結局6回も書き直した。

 それを箱の中のお菓子の袋にに貼り付ける。


 あとはこれを渡すだけ。



 チョコの準備は母と姉と。

 散々姉に弄られたけど、なんとか上達して見映えもそこそこのが作れるようになった。

 何種類か作ったけど、渡すことにしたのはチョコタルト。

 理由は彼が好きだという、初めて私に話しかけるときにくれたお菓子にちょっとだけ近いから。

 思い出のお菓子だし、藤木も甘いものは好きだから、きっと食べてくれると思う。




 13日はいつもよりも少しだけ早起きをしてしまった。緊張しているのだろう。鞄にタルトとお菓子を入れたかを何度も確認し、学校へ向かった。




 どうか、藤木が気付きますように。


 ちゃんとタルトを渡せますように。


 そして想いを告げられますように。

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隣の君 霜月燦 @shimotsuki3

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