隣の君

霜月燦

1

 2月。そう、2月。今年もやってくるのだ、あの忌々しきバレンタインというイベントが。たとえ世界から戦争が無くなろうとも争いが起きる日が。

 だからこそ。だからこそ俺は行動を起こす。



「しーいなさーん!チョコをいただけないでしょうか!」

 周りが野次馬とならないよう慎重に、しかし大胆に隣の席に座る椎名に対して紛れもない本心を伝える。

 椎名は「全く、本当に…」と小さく呟きながらもこちらを向いてくれる。流石は義理堅い椎名だ。

「チョコください!義理でもいいので!」

 彼女がこちらに向き直ったので改めて伝え直す。何よりも大事なことだからだ。そして譲歩もする。我ながら謙虚だ。

「大体さ、藤木。そもそも今日持ってきている訳がないじゃない」

「まさか!?嘘だ!!椎名の義理堅さはどこに!!」

 小声でもリアクションはしっかりと。大きくてを広げて驚きを表現した。

 だからだろうか。周りの苦笑いする声が聞こえるが気にするつもりはない。


「てかさ、今日はまだ13日じゃん」

 冷たく言い放つ椎名の目線は黒板の右側、つまりは日付が書かれている部分に注がれている。

 そこには無機質な字で2月13日(土)と書かれている。


「わかってる!でも14日は休みだから土曜日の今日しかないんだよ!」

 そう、14日には恋人たちが密会しチョコを堂々と渡すことができる。だが、恋人のいない俺にとっては今日がチョコという勝利を得られるラストチャンスなのだ。

 13日の金曜日ならぬ13日のバレンタインである。


「てかそもそも。私友チョコも義理チョコも配るような人間じゃないよ?」

「なんてことだ…」

 椎名と同じクラスになったのは高校2年の今年が初めてであるからそんな事実は知らなかった。

 義理堅さ日本一の椎名ならきっと義理でもチョコを作ると思っていたから目の前が暗くなる。


「バスケ部のマネージャー、いるじゃん。私より可愛ーい子がさ。あの子から貰えないの?」

 椎名が可愛い、の部分を強調して訊ねてくる。確かに、マネージャーは物凄く可愛い。だが、問題がある。

「マネージャー、彼氏いるから義理すら作らないんだよね」

 そう、つまりはそういうことだ。彼氏以外に振り撒く義理などない。世界は無情なり。


「なるほど、私には彼氏がいる訳ないと思っているから義理でももらえる、と。傷付くね、これは

「えっ!椎名彼氏いるの!?それならごめん!」

 反射的に頭を下げる。確かに考えてみると、椎名とは話したことは何度もあるのに恋人の有無だとかは話題になることはなかった。


 椎名はクラスの中心で活動する性格ではないが律儀だし義理堅い。どちらかというと可愛い系の小顔で華奢だからそこそこ男子人気はある、と思う。



 俺以外は話題にも上げないが。



 とはいえ俺は可愛いと思っているからこそ彼氏がいても不思議ではない。義理堅い椎名は義理チョコを作らず、恋人がいた。

 ショックで寝込みそうである。


「いや、いないけどさ」

 頭の上から椎名の小さな声がしたので頭を上げる。

 椎名は苦笑していた。正確には苦笑いよりも呆れ笑いよりの顔だ。チョコレートでいうならカカオ30%くらいの苦笑い。そんなに苦くないやつだ。


「大体なんで私なのさ?まさか隣の席だからとか?」

 半分図星である。

「隣の席だっていうのもあるけどさ、一番は椎名が義理堅いから!」

「義理堅そうだから分け与える義理チョコもあると思われても困るんだよねー」

 椎名が本日二度目の苦笑いをする。カカオ51%くらいの苦笑だ。ちょっと苦め。


「それに加えて!二学期からずっと隣だし運命的な何かでもらえないかなー、と」

 5年間この学校にいて2期連続で隣が同じというのは椎名が初めてだし、運命的だとはいえなくはないだろう、多分。

 まあ、全校生徒3000人の中探せばそこそのいそうだが。


「確かに連続で隣なのは珍しいけどさ…」

 先程より苦味の増した笑顔。カカオ75%くらい。好き好んで俺は食べない苦さ。

「運命はそんなに安売りしてません」

 今度は苦笑いではない、純粋な笑顔だ。苦くないからホワイトチョコ?でもあれもカカオ含まれてるか、割合は知らないけど。


「大体さ、チョコ欲しいって急に言われても困るよ。作らなきゃ渡せないし練習も必要だし」

 正論過ぎる。その通りだ。

「てかさ、藤木はそんなにチョコが欲しいわけ?」

「実はそんなに」


 正直なところチョコが欲しいのではない。

「じゃあなんでチョコチョコいうのさー」

 椎名が若干むくれている。頬袋に大好きな餌をしまったハムスターみたいでなかなか可愛い。


「チョコレートに秘められたドラマというか、ロマン?」

「何それ」

「実は陰ながら応援してくれている女の子がいて、その子がバレンタインに勇気を振り絞って告白してくれる、そんなことに全人類が憧れているからさ!」

 そういう劇的な何かがチョコによりもたらされることを望んでいるのだ。

 だからまあ、正直チョコが欲しいというよりはドラマが欲しいのかもしれない。


「都合よすぎ……そもそも、そういう子がいたとしてアピールもなしにどうやって努力に気付けっていうのさ」

 短い、呆れたという声が聞こえそうなため息を吐き出した椎名が不服そうに訊いてくる。

 「それは……確かに……だが……それでも俺は夢を見たいんだ!人知れず努力している姿に惹かれる控えめな美少女による告白は人類普遍の夢だから!」

 椎名の言うことはもっともである。だが、俺はロマン派だ。


「はいはい……そうだねー」

 そんな俺の熱意などどこ吹く風、投げ遣りな返答だけが返ってきた。

 ちょっと寂しい。


「そういえば部活はどうなの?」

 よくぞ聞いてくれた、という気持ちで元気が甦る。


「実は、インハイに行ける可能性が少なくとも1%はある!」

 何を隠そう、我らがバスケ部は初戦突破に命を懸けている弱小だ。

 だが黄金時代にキャプテンを務めていたという新コーチと、優れた体格の新入生の加入により急成長し、隠れた逸材へと姿を変えたといえる。

 例えば、先月行われた6校合同の練習試合。総当たり戦のそれにおいて、俺達は3勝2敗の3位という結果を叩き出した。

 例年5戦5敗の6位であることからすると月面歩行に並ぶ偉業といっても過言ではない。


 もっとも、この歴史的快挙知っているのは極一部だ。

 なぜなら一時期は栄華を誇ったが最早古豪とすら呼べないほど落ちぶれた我らがバスケ部に対する期待は板チョコよりも薄い。

 極めつけに我が高校は強豪のサッカー部に今年12年振りに甲子園に出場した野球部があり、それらに比べると俺達バスケ部は遥かに見劣りする。

 強ければチア部やらが応援に来るらしいが、俺はみたことがない。そもそも応援は保護者が来てくれれば御の字、もし保護者以外が俺達側の応援席にいたならば気がつき次第部員総出で後日感謝を陰ながらするくらいだ。


 つまり、纏めると不人気な俺達バスケ部の快挙は我が校でも重要機密として扱われ、誰も口に出すことがないなのである。



 だからだろう。椎名は「1%って」と苦笑する。

 まあ、普通はそう考えるな、と内心で思っていたところ、どうやらまだ言葉が続くらしい。

「それじゃあ藤木がチョコ貰える確率と同じじゃん」

 そうだとしたら100%になる。だって帰ったら姉から貰えるから。あと母からも。

 でもそこらへんはカウントしないつもりだ。意地である。


「ならインターハイ出場という快挙のためにチョコをください!」

 だからこそ再び頭を下げる。椎名からのチョコはカウントする方のチョコだし、欲しいから。

「だから私は持ってませーん。あー、でも無くはないか。ちょっと待ってて」

 椎名は最初こそ呆れた顔をしたが、真剣な顔で鞄を探し始めている。これは。まさか。期待していいのかもしれない。


 女神椎名は鞄からお菓子を取り出し俺に渡してきた。

「これ、箱は空けちゃったけど半分しか食べてないから」

「マジで!?くれるの!?俺に!?ありがとう!大事にします!」

 渡されたお菓子を頭上に掲げながら頭を勢いよく下げたら机にぶつけた。

 それを見た椎名が笑いながら「食べて欲しいんだけどな、お菓子なんだし」というので俺も思わず笑う。



 そして苦笑しながら顔を上げて気づいたことがある。まさか。これは。

「あれ!チョコじゃない!」

 そう、チョコのチョの字もない。サラダ味というのは名ばかりで塩味が強い、細いスティック状のプレッツェル菓子の箱が俺の手の中にはあった。


 アレだな、これは文字通りの塩対応をされたのかもしれない。塩辛い涙が出そうだ。

「チョコ、貰える確率1%だからね。当然です」

 椎名は心底楽しそうに笑っている。これは一本とられた。あとで一本あげよう。 

「そんなぁ!花粉を99.9%ブロック!とかいうマスク着けてても花粉症の俺が苦しむ世の中なのに!1%もあるなら確実にもらえるはずじゃないですか!」

 0.1%の花粉があれだけ人を苦しめるのだ。その10倍の1%ならばチョコは確実に貰えてもおかしくはない。この理論は完璧だ。

「それに、天文学的には高い確率じゃないですか、椎名さん!」

 天文学部の椎名なら1%の高さを知っているはずだ。

「確かに1%は天文学的には高い確率だけどさー。藤木も私も人間だし。だからこの結果は当然でーす」

 心底楽しそうに椎名が笑っているので、まあいいかという気持ちになる。

 そもそもそれに、渡されたこれは嫌いな菓子ではない。時々無性に食べたくなるやつだ。


「1%は低い確率じゃないよ、藤木。感想待ってるから」

 そういいながら椎名は早足で立ち去った。どうやら知らない間に帰り支度を済ませていたようだった。

 しばらくは椎名の塩対応にうちひしがれた後、箱を逆さまにする。ザーッという音と共に中身がすべて出てきた。

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