縞模様の贖罪

ミスターN

第1話 縞模様の贖罪

「釣れないな……」

[つれないねー]


 竿を出して一時間程たっただろう。

 そう思って時計を見たのだが、たったの二十分しか経っていなかった。

 

 ここはオアシスと呼ばれる場所。

 赤い砂が埋め尽くす砂漠の中にぽっかりと空いた緑の空間。端から端まで歩いても数分程度の狭い空間は、周囲の砂漠と違って快適な温度に保たれている。

 中央には池が存在し、透明度の高い綺麗な水を並々と湛えている。

 池の中心には黒い立方体が鎮座していて、そこから水が滾々と湧きだしている。

 立方体の傍には空中に浮いたガラス板――特殊AR『ヴィジョン』があった。ヴィジョンには『自然環境再生研究施設【オアシス32】』と記されている。


「お腹空いた……」

[がんばれアサカ。きっとすぐつれるよっ]


 隣でフワフワ浮いているカルマは私を励ます。

 小さな子供の様な外見で中性的な顔。どちらかと言えば少女に見える。

 服装は箱舟から脱出した時の味気ない病衣から、いつの間にか物珍しいエキゾチックなものに変わっていた。

 物質としての体を持たないため、服装も自由に変えられるのだろう。


[本当におさかなさん居るの?]


 水中に沈んでいる黒い立方体がハッキリと見えるくらい透き通った水にも関わらず、魚の姿は見えない。

 見えるのは立方体の傍で舞い上がる白い砂と水草ばかりだ。


「居る……と思う。たぶんね。私も研究施設のカフェで聞いただけだったから」


 食料が底をついて自分の迂闊さを呪っていた時に、魚の話を思い出したのだ。


 私が逃げ出した箱舟にはエクトプラズム研究のための施設が数多く存在した。そこでは様々な角度から実験が行われていて、当然その中には生物実験もあった。

 魚を対象とした研究者がとあるカフェの常連で、その日も日当たりの良いオープンテラスの一角に座っていた――


「ご一緒しても?」

「ん? ああ、良いよ」


 白衣を着崩し、ボーっとしながらコーヒーを飲む彼の前に座り顔をじっと眺める。


「……僕の顔に何か付いてる?」

「ええ、素敵な眼球が二つほど」

「確かに。でも素敵は余計だよ」

「私の主観だからデータに加えるなってことですか?」

「あぁ……、気を悪くしたならすまない。研究ではノイズだが、コミュニケーションを取るにあたって主観は重要だ。うん、素直にうれしいよ」


 彼はようやく笑顔を見せた。

 こちらから名前を伝えると、少し目を丸くしてから自分はマーヴィンだと名乗った。


「驚いたな。君みたいな人でもカフェに来るんだね」

「それってどうゆう意味ですか?」

「おっと……。悪い意味は無いんだ。才能あふれる人間は常に求められるからね。忙しくて来る暇なんて無いと予想していたんだ」

「なーんだ。誰かさんみたいに『研究の奴隷』とか『実験ロボット』なんて言うのかと」

「誰だそんな事言うやつは。酷い奴だな」


 マーヴィンは少し怒った風に言った。

 他人の立場に立って発言できる人間はこの施設に少ない。珍しいタイプだ。

 彼との会話は楽しく、内容は次第に互いの研究に触れるようになった。


「僕はね、魚を対象に実験をしているんだ」

「魚ですか……。見たことないですね」

「大断絶の後、魚そのものはおろか資料も不足したからね。でも、ある所にはある。僕の研究室ではゼブラフィッシュと呼ばれる種が飼育されているんだ」

「ゼブラと言うと……。確か黒と白の縞模様の生物でしたっけ。その魚もそうなんですか?」

「詳しいね。生物方面も研究したことがあるのかい?」

「……ええ、まあ」


 今は違う分野だが、以前は生物メインで研究していた。むしろ詳しい方だ。


「碩学だね。僕は魚一筋さ。今日もゼブラフィッシュにヒトエクトプラズムから抽出したカラーコードを、低解像度化処理したうえで定着させる実験をしたんだ。ヒトと魚じゃウーシア解像度が違い過ぎるからね」

「面白いアプローチですね。私もカラーコードの定着を試みたことがありますが、すぐにイデア化してしまって……」

「僕も最初はそうだったんだ。おかげで貴重なゼブラフィッシュが水槽ごとエクトプラズム塗れになって大変だったよ。ただ、今回は上手くいった」

「というと?」

「識字と簡単な思考が出来るようになったんだ。最終的にはレッドフォールアウト耐性を持たせた魚として、オアシスに放流したいんだけど……。その前に、DNAを編集して声帯を作ってから会話をしてみようと思ったんだ。果たして魚はどんな思考をするのだろうか気になってね。でも、信頼出来るDNA編集の専門家がなかなか居なくて」

「だからここでボーっとしていたんですね。となると私は貴方のメシアになるのかもしれません」

「それってつまり……」

「信頼に足る人物を紹介します。明日もここに居ますか?」

「勿論さ!」


――アサカっ! 引いてるよっ!]

「おっと」


 昔を思い出していると、細い釣り竿に連動して水面が揺れていた。

 慌てて釣り竿を振り上げると縞模様の魚が掛かっていた。


[ぜぶらふぃっしゅだっ]

「カルマは何でも知ってるね」

[箱舟のアーカイブをちからずくで持って来たのはアサカでしょー]


 まあ、そうなのだが。

 ただ、力尽くという表現は言外に乱暴な暴力が存在すると勘違いされるのでやめて欲しい。

 私はスマートにアーカイブ統括管理権限者と交渉しただけだ。


 ともかく、成果物を近くの平たい石の上に置く。

 釣り上げたゼブラフィッシュは口のすぐ下。喉の辺りが歪に大きく膨らんでいた。


「イタイ……。クルシイ……」

[ねえねえ。おさかなさん喋ってるよー]

「そうだね」


 痛くて苦しいのは強烈な日差しに焼かれている上、水から上がって酸欠になりつつあるのだろう。

 私はすぐ後ろに待機させていたエクゾスケルトンからナイフを取り出し、魚の前に立った。

 全体的に黒くマットな仕上げのナイフだが、刃の部分だけは強い日差しに照らされて鋭い光沢を放っている。


「コロシテ……。コロシテクレ……」


 聞き慣れた言語を発声する魚は死を直感したのか、じっと動かなくなった。


[なんだかかわいそうだよ]

「そうかな」


 私は魚の粘液に覆われた体を手で押さえてナイフを突き立てた。

 エラを切って血抜きをすると、生臭さが減って美味しく食べられるらしい。


「アアアァー! イタイイタイイタイー!」


 ゼブラフィッシュは体が岩に削られるのもお構いなしにのたうち回る。

 細かい鱗と流れた血が混ざり、まるで溶けかけのかき氷の様になった。


[ねえ、アサカ……。どうにかならないの?]

「もうすぐどうにかなるよ」


「ア……。アア……。マー……」


 血を失った魚は力を失い、喋ることを止めた。

 死んだ魚の目は血に濡れたナイフを持った私を映していた。


[……これって食べられるの?]

「食べられるよ。毒は無いし、淡白でおいしいって聞いた」

[そうじゃなくて……。さっきまで生きてて、喋ってたんだよ?]


 確かにさっきまで生きていて、なんなら我々と同じ言葉を発していた。

 でも――


「もうしゃべらない。これはただの食材だよ」

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