11羽 オネエと鳥のいるスナック
授業を終え、真っ先に駆けつけたスナック・ミホには、おじさんの他、トラック運転手の女性の姿もあった。長らく閉め出しでも食らっているのか、二人揃って首を縮めている。
「どうしたんです、二人とも」
思わず声を掛けると、女性の眉間に皺が寄る。これは警戒ではない、明らかな立腹の兆候だった。
「遅い! もう三十分も待ってたんですよ!」
「すみません、五限まであったもので。――おじさん、なんで俺のスケジュール把握しといてくれなかったんですか」
「テンション高いな、お前」
久方振りの対面に気分が高揚しているのは、長谷だけではなかった。おじさんも女性も、先日と比べると若干口が軽い。きっと心待ちにしていたのだ、スナックの開店を。
「じゃあ入るかね。三人集まったし」
そう言っておじさんは扉に手を掛けた。
開け放たれた戸の先に、見慣れた景色が広がった。背の高いカウンターと椅子。壁際には滑らかな表皮のソファーや、重厚としたガラステーブルが据えられている。以前とまるで変わらない配置だ。しかし店内には数点、見慣れないアイテムが置いてあった。
「何だ、この柵?」
出入り口を囲うように、腰程まである柵が新たに設置されていたのだ。さらにカウンター向こうと接客スペースも、同じく柵によって隔たれている。
真新しい不格好な木柵を押し開けると、小さな鈴がチリリと音を立てた。
「待ってたわよ、みんな~!」
迎えたのは、平生通りのスナック店主ミホだった。その顔は、これまで悶々と燻っていた悩みが晴れたかのように明るい。
「あのね、あのね。早速なんだけど、みんなに報告があるの!」
少女のように無邪気な笑みを見せたミホは、あっと声を上げて手を打ち合わせた。やけに興奮している。
「そうよね、立ちっぱなしもよくないわよね。とにかく座って頂戴。説明はその後ね!」
「焦らすなぁ」
揶揄するような、しかしどこか楽しげな声と共に、おじさんがカウンター端の定位置に腰を降ろす。長谷と女性もまた、互いに顔を見合わせた後、同じように席に着いた。
「で、説明って?」
早々に本題へと切り出したおじさんに、ミホは破顔を以って応じる。婚約の発表でもし兼ねない雰囲気である。
「あいつらの飼い主が見つかったのか?」
「引き取り手が見つかったのか?」
次から次へと回答を予想するおじさんに対して、ミホは気の抜けた笑みを返すばかりである。
長らく解答を待っていると、長谷の視界を小さな物体が掠めた。阿呆面の白い鳥、それが合計四羽。店内を一列に並んで行進していたのである。
よくよく見ると、部屋の隅には水と餌の入った器、さらに寝床と思しき籠も見て取れる。まるでこの場を飼育スペースにすると宣言しているかのようだ。
「あら、見つかっちゃった」
ミホは悪戯気な表情を浮かべる。それに噛みつくのは、案の定おじさんだった。
「どういうことだ。まさか店を辞めるなんて言わねぇよな!?」
「うふふ。実はね、あの子達、アタシが引き取ることにしたの」
「結局ミホちゃんが飼うのか」
「ええ、そうよ」
そう頷いて、ミホは四つのマグカップそれぞれに茶を注いでいく。立ち上る湯気が、部屋を一層温めるようだった。
「世話をしてたら、やっぱり情が移っちゃってね。ピーちゃんが死んじゃった後だし、すぐ新しい子を飼うのもなぁって大分悩んだんだけどね。でも、引き取ることにしたわ。折角ポスターを考えてくれたのに、ごめんなさいね」
以前滲んでいた憂いは、白い鳥を引き取るか否かを悩んでいた為だったのか。長谷は納得する。しかし一つだけ気掛かりがあった。
「やっぱりお店、辞めちゃうんですか? ここで飼いながら店を続けるなんて、保健所が許さないでしょう」
毎日のように風呂に入れ、いくら清潔に努めたとしても、動物は動物だ。それと飲食物とを扱う場を纏めてしまっては、衛生上の問題が発生する。客の病気や体調不良を引き起こす原因になりにでもしたら、店の存亡どころかミホの人生すら危うい。
だがミホは表情一つ変えなかった。そのツッコミは想定内である、そう言わんばかりに平然として茶を提供する。
「アニマルカフェってあるでしょ。猫カフェとかハリネズミカフェみたいなやつ。それにしようと思ったのよ。そう――ズバリ、オネエと鳥のいるスナック! どうよ、これ。全国からお客さんが来ちゃいそうじゃない?」
「どっちがアニマルか分かんねぇな」
茶を啜りつつ投げ掛けられるおじさんの揶揄も、ミホには届いていないようだった。彼女はキラキラとした、あまりにも無垢な表情で、スタッフとなる四羽を見つめている。
「ああ、夢のようだわ。お店の中に動物がいるなんて。これからは癒されながら接客出来るのね!」
「本気なんだな」
「ええ。……不満かしら?」
「俺ァミホちゃんがいるだけで癒されてたんだがな。……ちっとばかし騒がしくなるなぁ」
「あら、やだ。デレたわ、このおっさん」
「いいこと言ったと思ったのに、何だその反応。泣けよ」
ぶっきら棒に言って、おじさんは顔を背ける。短髪の下から覗く耳は、トマトのように赤く染まっていた。
「友情っていいなぁ……」
傍らの女性がそう呟く。若干
「アニマルカフェって申請とか色々必要って聞いたんですけど、ちゃんとやりましたか?」
「心配しなくても、ちゃんと進めてるわよ。今は資格の取得に向けて勉強中。ひょっとしたら、お店の改装も必要になるかもしれないわね。その時はその時」
ということは、ミホは今日付けで営業を再開する訳ではなく、今後の報告の為に長谷達を呼び寄せたようだ。思わぬ待遇に長谷の心は朗らかな陽気を感じた。
「アニマルスナックですか……いいですね。それなら私も通えそう」
「ええ、ええ。仕事帰りにでも寄って頂戴。お客さんはおじさんばっかりだけどね」
オネエがいるスナックよりも、オネエと鳥がいるスナックの方が敷居は低いように錯覚する。
やはりアニマルは偉大だ。
「それでね、ちょっと提案なんだけど――」
ミホの視線が長谷を捉える。
「長谷くん、ここで働いてみない?」
実家暮らしだからとアルバイト探しを怠けていた長谷にとって、棚から牡丹餅のような提案だった。二つ返事で引き受けたいところではあるが、長谷は一瞬その足を止める。
「働くって、具体的にどんなことを……?」
「鳥達の世話かしらね。アタシが接客をしている間、あの子達の面倒を見ていてほしいのよ。ほら、手慣れている感じだったし、鳥達も安心して身を任せていられるようだったし。……どうかしら?」
勿論給料や勤務時間は相談しましょう、と付け加えて、ミホは目元を和ませる。それに口を挟んだのは、やはり世話焼きおじさんだった。
「いいじゃねぇか。手伝ってやれよ。ミホちゃん、いつも一人で忙しそうなんだ」
言葉こそ友人を気遣う優しいそれであったが、その顔は愉快と言わんばかりに歪められていた。対してトラック運転手はというと、神妙とした様子で長谷の顔面を眺める。
「女装するんですか? その顔で?」
「しないです」
「は?」
すっかり歯に衣着せぬ物言いとなった女性は、少しだけ怖かった。小動物のような顔付をしていながら、目の奥は飢えた隈のように爛々と輝いている。
まさか従業員にも異性装を強要するつもりではあるまい。ひやりとしつつ店主を窺うが、彼女は穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
後日、「スナック・ミホ」改め、「オネエと愉快な鳥たち」が開店した。そこには店主の他、四羽の鳥と女装店員を加えて密かな賑わいを見せたという。
白い鳥が呼んだ細やかな縁。それは他人の人生すら変えかねない糸だった。
― 完 ―
しらとりえにし 三浦常春 @miura-tsune
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