未来へ一歩

「……今考えると、あの時のわたしってかなり無茶しましたよね。先輩と、どつき合うだなんて」


 回想終了。

 秘密の場所を後にして、みんなの居る祭りの場へ、帰りの山道を歩きながら、梨津は少々あきれ顔でボヤいた。あの時の痛みが幻痛としてよみがえったのか、額を押さえるような仕草をしている。

 俺とて同じ気分ではある。

 頭突きのやり合いによる額だけでなく、戸を蹴り砕いて怪我をした足についても、痛みを想起したのだが、梨津には秘密である。


「俺も驚いた。おまえにあそこまでの強固な根性があろうとは」

「え? いやー、それはなんというか……お姉ちゃん譲りみたいなものですかね、ははは」

「恐ろしく曲がった意味での強固だがな」

「先輩、それ褒めてないです」

「褒めてるつもりがないから安心しろ」

「いや、安心も出来ないです」


 照れた顔から一転、どよーんと落ち込んでいる梨津。起伏が大きくて面白い奴だった。


「まあ、その時は退くに退けなかった理由があっただろう。俺にもおまえにも」

「……そうですねー」


 感情のぶつけ合いの後、何故、こんなにも熱くなってしまっていたのかを考えた。

 冷静になれと事前に言われて起きながら、それが出来なかった俺も。

 世界の何もかもがどうでもよくなっていた梨津も。

 お互いに、自分と相手のことを考えて、あの時共通していた思いをほぼ同時に見つけた。

 つまるところ。



 ――俺もこいつも、あの人のことが大好きだった。



 それだけのことだ。

 そして、俺のそういう思いを感じ取ったからこそ。

 あの人を亡くして辛いのは自分だけでなく、俺も、そしてみんなも同じであり、それでも前に歩いていかなければと。一歩を、踏み出していかなければと。

 実河梨津は、自身で気付いたのだ。


「本当に、世話のかかるやつだ。あの時といい今といい」

「いや、本当にごめんなさいって。あとでみんなにも謝っときます」

「そうしておけ。……みんな、本気で心配している」

「…………」


 俺の言葉に何か感じるものがあったのか、梨津は少し顔を俯かせる。

 夜闇に表情が隠れ、俺からは見えなくなるが、何となく、俺には今こいつが考えていることがわかる。

 今、自分が、どれだけみんなに大切に想われているのか。

 そして、自分の姉が、どれだけみんなに大切に想われていたか。

 それを改めて彼女が感じているであろう今、俺からは何も言うことはないので、しばらく黙って歩こうと思ったのだが。


「……江笊先輩」


 存外に早く、梨津が顔を上げた。

 夜闇でわかりにくいが、顔には少し赤みが差しているような気がした。


「先輩は……今も、お姉ちゃんのことが好きですか?」


 そして、そんなことを訊いてきた。

 少し驚いたけど、俺の答えは既に決まっている。


「そうだな。初めて持ったこの気持ちは、今でも消えていない」

「……そうですよねー」


 弱々しく梨津は苦笑する。

 そう答えられるのがわかっていたかのような、ほろ苦さの滲む笑顔だ。

 ただ、その時に限っては、彼女の表情に今まで漂っていた影がないように、俺は感じた。

 そして、まだ、話は終わっていないとも。


「わたしは、お姉ちゃんみたいに美人じゃないし、背も高くないし、胸だって小さいし、眼鏡だし、運動音痴だし、格好良くもないですけど……」

「……梨津?」


 俺が首を傾げるも、梨津は、こちらを真っ直ぐ見てきて、



「わたしでは、江笊先輩にとってお姉ちゃんの代わりになれませんかね」



 ザッと、風が吹いたような気がした。

 俺は一瞬呆然となってしまったけど、この言葉の意味は、わりと簡単に理解できた。

 先ほどの間抜けなやりとりの中で、彼女が何を言っていたか。


 ――好きです、付き合ってください。


 想起した時は冗談のように感じたものだが。

 今の彼女は、そんな雰囲気ではない。

 冗談みたいなノリや勢いではなく、しかし影は残さず、それでいて精一杯の勇気と共に。

 それに対する、俺の答えは。


「おまえはどうやっても、風吹先輩にはなれん」

「……先輩」


 その気持ちは、受け入れられなかった。

 俺自身が言ったとおり、今も胸中で存在しているこの想いは、そうそう消えることはない。

 まして……俺の中でのあの人は、何者にも代えられはしないのだ。

 でも。


「おまえは、おまえで居ればいい」

「え……」


 だからこそ。


「実河梨津は、実河梨津の力で、俺の一番になって見せろ」

「――――」


 俺は、こいつにあの人の代わりになることを求めていなかった。

 ずっと立ち止まってきて。

 されど、これから踏みだそうとしている歩みの行き先を、間違えてほしくなかった。

 それくらい。

 こいつもまた、俺の中では決して小さくない存在だった。

 同じ想い共有し、同じ想いをぶつけ合ったあの時から。

 こういう存在を、なんと言い表すのだろうか……と考えたが、そこまで完璧に推し量れるほど、俺は成熟していない。


「ええと……それは、ええと……」


 俺にとっては推量不能であるこいつは、未だに俺の言ったことに対して、要領を得ずに立ち尽くすのみである。

 そんなこいつのことを可笑しく思いつつも、顔には出さずに、


「さあ、さっさと帰るぞ。みんなが待ってる」

「あ、ちょ、待ってくださいよ江笊先輩!? どういうことですか今のっ!? 脈ありと解釈していいんですかっ!」

「自分で考えろ」

「じゃ、じゃあ……チャンスは、まだまだあるってことでっ!」


 先へ先へと進んでいく俺のあとを、梨津が慌ただしく付いてくる。


 ――今や、実河梨津の表情に、影は残っていない。


 一杯一杯の空元気でもなく、ただ純粋に力が溢れている。重なっていたあの人の面影も、少しずつ消えていくようにも感じる。

 つまり、こいつは、前に歩きだしたのだ。驚くほどに力強い足取りで。

 俺も、それに負けないくらいの強さで歩いていかねば。

 お互いに負けないように、歩いていくことで。


 風吹先輩。

 いつか、あなたに追いつけそうな気がします。 


 そして、あなたに追いつき、追い越せた時。

 俺の初恋は、終わるのかもしれません。


「ちなみに、わたしが江笊先輩を好きになったのは、先輩がお姉ちゃんを好きになる前からなんですがっ!」

「む……」

「一目惚れってやつですよ。で、お姉ちゃんに教えられながら頑張ってる先輩を見てて、わたしはさらに……あ、なんか先輩、照れてません? 照れてません!?」

「うるさい。あんまり騒がしくしていると、さっきのおまえの痛々しい言動をみんなの前で公開してやるぞ」

「うぬぅ! 何気に後悔しかけていることを……!」

「あと、風吹先輩からこっそり聴かされていた、おまえの幼少時の連続粗相記録などを――」

「わーたーたー!? お姉ちゃんってばなんてことをっ!?」


 こういう、騒がしい回り道もあるけど。

 また、明日。

 前へ、前へと。


 俺達は、歩いていく。

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明日へ踏み出す一歩ずつ 阪木洋一 @sakaki41

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