過去にあったぶつけ合い

「久しぶりだな」


 あの日。

 実河邸の中の一角、がっちりと鍵がかかっている木製の引き戸の前で、俺は、そのように声をかけたものだ。


「…………」


 反応は予想していたとおり、なにもない。

 だが、俺は構わず続ける。


「御老体から今のおまえのことを聞いた。随分と荒れている、と」

「…………」

「そうなってしまうのは解る。俺もきゅう有羽ゆうを亡くしては、今のおまえと同じ状態になってしまうかも知れない」


 頭脳明晰かつ屁理屈上手でいつも飄々としている兄と、気弱でいつも他人に謝ってばかりいる妹のことを思う。

 いろんな意味であの二人には振り回されることが多いけど、大切と思える兄妹が俺の傍から居なくなってしまうなんて、想像もしたくないことだ。


「だが、乗り越えないといけない。近しい者を亡くしたとして、いつまでも悲しんだままでは居られない。俺もおまえも、誰だってそうだ。だから――」

「……さい」

「ん?」

「うるさい」


 やっと戸の向こうから反応があった。

 手応えを感じつつ、俺は続ける。


「口うるさくしてるから当たり前だ」

「そんな当たり前なんて鬱陶しいだけなんで、さっさと消えてください」

「そうも行かない。御老体にも頼まれている」

「自分の意志ではないってことですね」

「俺の意志だと言えば、おまえは心を開くのか?」

「…………」

「残念ながらそうではない。今のおまえを動かせそうな人物と言えば、それこそ風吹先輩なのだろうが……」


 無い物ねだりをするつもりはない。

 ただ、一つ言えることと言えば、やはり。


「だが、もし風吹先輩が今のおまえを見たらどう思う。いくら明るいあの人でも、おまえがそうなることを望んでは――」

「黙れ」


 黙れときたか。

 こいつのことを友達と思っていただけに、少し驚いた。


「……先輩もみんなと同じなんですね」

「なんのことだ」

「みんなと同じように、知ったような口しか利かない。今のわたしをお姉ちゃんが悲しんでるだの、お姉ちゃんが泣いてるだの……あなた達に、お姉ちゃんのなにがわかるってん言うんですか」

「おまえには、風吹先輩のことが全部わかるのか?」

「妹ですから」


 いや、その理屈はおかしい……と言いたいところなのだが、下手な否定は梨津の反発を起こしそうなので、合わせることにした。


「ならば、今のおまえを風吹先輩ならどうすると思う」

「放っておくんだと思います」

「……流石に、それはないのではないか?」

「一人にしておいて欲しいときは黙って一人にしてくれるし、傍に居て欲しい思ったときには既に傍に居てくれる。お姉ちゃんは、そういう人なんです」

「…………」


 言われてみれば、あながち間違っていない。

 あの人と初めて会った時の俺は、何もかもに自信をなくしかけていたのだが。 

 寄りかかりたいときは、肩を貸してくれた。糸口をつかめそうなときは、軽い助言だけを残して黙って俺を見ていてくれた。立ち直った反動で、溢れ出て抑えられそうにない力を、全身で受け止めてくれた。

 あの人が居たから、俺は……少しは強くなれたと、自分を誇れるようになった。


「だから一人にして欲しいんです。今だけと言わず、これから先もずっと」

「…………」


 ただ。

 今のこいつを、あの人は放っておくだろうか?

 ずっと一人にして欲しい、もう誰にも会いたくない……こんな悲しいことを言う妹を、放っておく姉など居るだろうか?

 ……それは違う。


「それは出来ない。いくら風吹先輩とて、おまえに拒絶されるのは耐えられんはずだ」

「そんなこと――」

「おまえは風吹先輩に拒絶されたら、耐えることが出来るのか?」

「……っ……」

「そういうことだ。風吹先輩が誰かを一人にするときは、そいつにとっても風吹先輩自身にとっても必要と感じたときだろう。だが、今のおまえは、明らかに風吹先輩にとって望ましい形では――』

「うるさいっ!」


 と、戸の向こうから今までで一際大きな怒鳴り声が聴こえた。

 手応えあり。

 そういう感情的な反応を返してきたときは、自分が間違っていると気付き始めた証拠だ……と、兄の笈が言っていた。


「少しお姉ちゃんに気に入られてたからって、わたしのことまでわかったような口を利くな!」


 あとは、どのようにして、あちらの激情を受け流して、


「馬鹿! 勘違い人間! 偽善者!」


 どのようにして、冷静に梨津を諭すか――


「あんたみたいな奴なんて死んじゃえ!」


 どのようにして――


「あんただけじゃない! みんな、みんなこの世から居なくなっちゃえ!」


 ――――!


 ズドンッ!


 瞬間。

 目の前で閉ざされていた木製の戸は、蝶番ちょうつがいごと木っ端微塵になっていた。

 俺の蹴り足によって。


「な……っ!?」


 崩れる戸の向こうでは、最初に会った時に比べ、目に見えてやつれているとわかる小柄な少女が、驚愕に目を見開いていたのだが……それにも構わず、俺は梨津の胸ぐらをぐいっと掴みあげた。


「取り消せ」

「え……」

「風吹先輩が愛していた、仲間達の存在すべてを否定したその言葉を、今すぐ取り消せ!」


 その時の俺は、間違いなく我を忘れていたのだろう。

 笈からもらった『説得や交渉はいつも冷静に』と言うアドバイスなんて、既にそっちのけだ。

 そう。

 冷静になんて、なれるわけがない。

 俺のことはどのように言わても別に構わない。

 だが、仲間達のことになると話は別だ。

 勢いで言ったことだとしても、俺はこいつの発言を許せなかった。絶対に。


「取り消せ! 今すぐに!」

「……つけるな」


 しかし、梨津はその剣幕に気圧されるでもなく、


「カッコつけるなっ!」


 胸ぐらを捕まれた状態にもかまわず、俺の肩を掴み返して、


 ゴッ


「ぬぅ……!」


 顔面に頭突きを見舞ってきた。

 俺と梨津の身長差は十センチ未満。届かないと言うことは全然なく、衝撃が俺の額を貫通した。脳が揺れて、一瞬グラリと来てしまったが、何とか堪える。梨津を掴む手も離さない。


「陶酔してるようなこと言ってんじゃないですよ!」

「陶酔してるのは……どっちだ馬鹿がっ!」


 続いてやってくる罵声にも負けず、


 ゴッ


「あいたぁっ!?」


 俺は梨津にお返しの頭突きを放つ。

 結構容赦なしでやってしまったが、


「っ……」


 それでも、梨津は意識を失うこともなく、こちらを睨みあげてくる。

 腕っ節も運動神経もなく、しかも今はやつれ気味だというのに、この胆力は見上げたものだ……と、冷静な俺なら思っていたのだろうが、生憎その時の俺は冷静ではなかった。


「馬鹿とは何ですかっ!」

「黙れ馬鹿っ! 自分だけ辛いみたいなことを何度も何度も言いやがって! 風吹先輩が亡くなって辛いのは、おまえだけであるはずがないだろうが!」

「うるさい!」


 またも梨津からのお返しの頭突きが一発。

 目の前が真っ赤になるも、意識はしっかりと保たれている。当然のように。 


「お姉ちゃんの病気に、あんた達がちゃんと向き合えて居れば――!」

「あの人が納得して抱えていったものを、他者の責任にするなっ!」


 今度は同じタイミングで、両者が頭突きを放つ。

 額が額がぶつかり、お互い衝撃に弾かれることはなく、ぐりぐりと額を押し付けながら、


「最っ低! お姉ちゃんがあんたの何を見込んでいたのか、全然わかんないっ!」

「俺とて、おまえが風吹先輩の妹である要素がどこにも見あたらん!」


 熱で頭がいっぱいになっている俺達の言葉は、既に小難しい駆け引きも陰険な雰囲気もない。

 ただただ単純に、相手への怒りをぶつけるのみだ。


「馬鹿!」

「阿呆!」

「ボケ!」

「すっとこぽんぽん!」

「死ね!」

「おまえが死ねっ!」


 そのぶつけ合いは、実に十五分にわたって続けられたのだが。

 お互いに退き際も弁えておらず、このまま共倒れの様相を呈してきたところで……結局この場は、駆けつけてきた実河の御老体の、強制介入によってお流れになった。

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