エピローグ 日常

エピローグ「私とイイコトをしよう!」


  眠りという天国からぼくを追放する、目覚まし時計の電子音が鳴り響いた。

  最後の戦いから丸一日以上経っているが、未だ疲れが残っているように感じる。

  のそのそとベッドから降りると、ひんやりした空気に少し目が醒めた。ここ最近の朝の冷え方に、冬も本番に入ったことを実感する。

 おはよう、母さん」

 おはよう、速人。朝ご飯、もう少しでできるわよ」

  着替えを済ませて、一階へ降りると、母さんは朝食の支度をしながら振り返らずにあいさつを返した。

 父さんは?」

 今日はお休みだから、いつもどおりお昼前まで寝る予定よ。あ、テレビのボリューム、少し上げてくれる?」

  ダイニングテーブルの上にあるリモコンを操作して、テレビの音量をふた目盛り増やす。朝の情報バラエティ番組が報じているのは、『異世界の魔術師』の話題一色だった。

 ……彼らが自衛隊に語った内容を整理しますと、彼らは『ダーン・ダイマ』と呼ばれる、異次元の世界の魔術師であること、またこの二人の魔術師は会話の内容から、それぞれ名前を『ハイアート』『ヘザ』と呼ばれていることが分かっていますが、それ以外の情報は依然謎に包まれています……」

 このハイアートって人、何だか速人に似てるわね。名前もちょっと似てるし」

 そう?  自分に似てるかどうかなんて、自分じゃよく分からないな」

  目玉焼きをテーブルに運んできた母さんがテレビ画面をちらりと見て言い、ぼくは首を傾ぎながら答えた。

 似てるわよー。そう思うと何だか、ヘザって人も朝倉さんに似てる気がしてくるわね」

 気のせいでしょ。仮面で見えないけど、たぶんこの人の方が美人だ」

 あら。速人がそんなこと言ってたって、今度朝倉さんが来たら教えてあげようかなー」

 やめてよ。また先輩にいじめられるから──それよりご飯早くして、遅刻しちゃう」

 はいはい」

  朝食を済ませ、歯磨きをして、用意された弁当を引っつかむ。

  普段と変わらない日常のルーティーンを終え、ぼくはあわただしく玄関を出た。

 ハヤ君、おはようなのだ!」

  いきなり大声であいさつをされて、ぼくは心臓が口から飛び出そうになった。門の前にハム子が待ち構えていたのだ。

 何だ、ビックリさせるなよ。おはよう、ハム子──あれ、おまえ今日は部活じゃなかったか?」

 ……サボってしまったのだ。今日は、大事な用があるから……」

  わずかにうつむいて、ハム子はほんのり頬を染めて恥ずかしげにはにかむ。

  大事な用って、アレか。

  まさか朝一番で来るとは思わなかった。

 ……え、えーと。とりあえず、学校に行こうか。話ならそっちで──」

 う、ううん、今聞いてほしいのだ」

  門をくぐりかけたぼくを、マフラーの端をつかんで引き止める。これはもう、逃げられそうにない。

 ──あのね、ハヤ君。私……ハヤ君が、す、好きなのだ!」

 ……うん。知ってる」

  その一言にずいぶんと勇気を振り絞ったのだろうが、ぼくは用意しておいた答えを素っ気なくつぶやいた。

  ハム子は一瞬きょとんとして、それからあわてたようにまた大きな声を上げた。

 ち、違うのだ!  好きってのは、そういう好きじゃなくて──」

 おっと、そこまでだぞ小牧君」

  不意に頭上から声がして、ぼくとハム子は門から続く我が家のブロック塀の上を見上げた。

  そこには、朝陽にポニーテイルのシルエットを浮かび上がらせた少女が、腕組みしつつ雄々しく立ちはだかっていた。

 朝倉先輩!  何してるんですか、人ン家の塀の上で!」

 もちろん、君を待っていたのだよ。ついに約束の時は来た……!」

  朝倉先輩は組んでいた手をほどき、左手は腰に当て、右手はぼくの顔に向けてビッと人差し指を向けた。

 さあ、速人君──私とをしよう!」

 いや、まずは塀から降りてください。というか突然何なんですか、イイコトって!」

 イイコトが何かだと?  無論、セッ 詳細を聞いたんじゃないです!」」

  決まった、怒涛の三連続ツッコミ。

  まるで縛めから解き放たれたかのような、今日の朝倉先輩のボケラッシュはいかがなものかと。以前の彼女が暴走特急なら、今はもはや暴走リニアモーターカーだ。

 先輩、そんなの朝っぱらから大声で言うことじゃないでしょう!  恥ずかしくないんですか?」

 ねぇ、ハヤ君が怒鳴ってて副会長さんの声がよく聞こえなかったんだけど、イイコトって何?」

 ピュアか!  高校生にもなってウブなネンネか!  それぐらい察しろ!」

 えーん。副会長さん、ハヤ君が怖いのだー」

 まぁまぁ速人君、そういきり立たず冷静に話そうではないか。そのために、まずは……塀から降りるのを手伝ってくれないか。上がってみたら思いの外高くて、少々怖くなってしまったのだが」

 子猫か!  高い木に登って降りられなくなったやんちゃ盛りの子猫か!  ……すまんハム子、おまえの方が適任だから、降りるのを手伝ってやってくれないか」

  半べそをかきながら、ハム子が朝倉先輩の小脇を持ち上げて、塀の上からひょいと降ろした。──もうダメだ。これ以上のツッコミは健康に悪い。

 それで、イイコトって何なのだ」

 って、まだ引っぱるのかそれ。朝も早くから公衆の面前で言えることじゃ──」

  言いかけた時、朝倉先輩がハム子のブレザーの襟をぐいと引っぱり、ハム子はそれに抗うことなく頭を下げた。

  ひそひそと耳打ちする。

  一気にハム子の顔面が沸騰した。

 だ、ダメなのだ!  いきなりそんな、エッチなことはいけないと思うのだ!」

 ほう?  小牧君、君は速人君としたくないのか?」

 え!  あのその、いきなりじゃなくて、いつかはと思うけど……興味も、なくはない……けど……」

  ハム子の顔全体が、ますます真っ赤に変わっていく。頼むからそこは初志貫徹してくれよ。

 こらハム子、先輩のペースに乗せられてるんじゃない。というか先輩、何でまたそんなにがっついて来るんですか。何度も言いますが、そういうのは節度と順序が大事──」

 決まってるだろう。明日には死んでいるかもしれないからだ」

  ふっと真顔になった朝倉先輩の語り口に、ぼくはぐうの音も出なかった。一度死んでいるだけに、その言葉は重すぎる。

 言うことが大げさなのだ。副会長さんは知り合って短いから知らないと思うけど、ハヤ君は小さい頃からそういうトコに頑固だから、そんなコト言っても簡単に譲らないのだ」

  ハム子が、あからさまに幼なじみというステータスで先輩に対してマウントを取りに行く。今思えば、下関ってその辺の勘がよく働く奴だったんだな……今度、ちゃんと相談してみるか。

 ふふ、私もそこの所はよ~く知っているさ。共に過ごしていた時間が長かったからな、前世で」

 もう、ふざけてばっかり!  副会長さんはちょっと真剣さが足りないのだ」

  いやハム子、それは実はウソじゃない。本当に彼女はぼくと長い年月を共に過ごした、前世で。

 真剣も真剣、こと速人君への真心だけは大真面目さ。私は──速人君のためなら、この命すらみじんにも惜しまず、捨てる覚悟がある」

 また大げさな言い方をして……そういうトコが本当に本気かどうか怪しいのだ」

  いやハム子、それも実はウソじゃない。本当に彼女はぼくを守って何のためらいもなく命を捨てた。

 ふふふ。私の想いが本気かどうかは、彼だけが知っていればいいのだよ。──さて速人君、そろそろ学校に行こうか、二人で」

  朝倉先輩が、出し抜けにぼくの左腕に絡みついてきて、ぼくはドキリと心臓を躍らせた。

 あーっ、ずるいのだ!  ハヤ君は私と学校に行くのだ!」

  ハム子も、ぼくの右腕を強引に懐に引っぱり込む。肘の辺りに柔らかいものがフニっと当たって、ぼくは身体の芯が火照るのを感じた。

 ず、ずるいのはどっちだ!  おっぱいを当てるのはフェアではないぞ」

 やっ、これは、わざとじゃなくてたまたま──」

  ぼくを間に挟み、腕を引き寄せ合いながら、二人は喧々ごうごうと言い合いをしている。

  前に両側から袖をつかまれて登校した時より、ずっと悪い状況だ。今回もこのまま登校させられるハメになったら……想像すらしたくない。

 ……おまえたち、いい加減に……しろおぉぉ!」

  もうつき合っていられない。

  ぼくは両腕を振りかぶって、組みついている二人を力ずくではね除けた。

  次の瞬間、ハム子も朝倉先輩も置き去りにして、猛然とダッシュする。

 あっ、待つのだハヤ君!  話はまだ終わってないのだ!」

 速人君、待ちたまえ!  君には責任を取ってもらう約束が──」

  ハァハァと、白い息を吐きながら学校へ向けて走るぼくの背後から、二人分の靴音が追いかけてくる。

  すべてを終わらせて、ようやく取り戻した平和な日常が──かくもかしましく、心をざわつかせるものになってしまうなんて、思いもよらなかった。こんなにもせわしく、落ち着かない日々がずっと続くのだろうかと考えると、先が思いやられて仕方がない。

  運動の足りない身体での全力疾走はそうそう長続きせず、次第にあごが上がってくる……無意識のうちに見上げた冬空は、鉛色の雲が低くたれこめており、少し早めの初雪を予感させた。

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異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです 観音寺蔵之介 @k-kuranosuke

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