聞き屋 出張蒲田編

@Hayahiro

蒲田編


 俺にだってガキの頃の思い出くらいある。

 普段は横浜から離れることのない俺だけど、事件があればいつだってどこの街にだって顔を出す。

 聞き屋っていう仕事は、俺の天職だ。最近では俺の真似をしている輩もあちこちに存在している。けれどまぁ、奴らは所詮、偽物なんだ。ただ単純に話を聞いているだけだからな。

 それでも俺は、そんな輩に感謝もしている。

 俺は聞き屋だけで生計を立てている。そんな奴は、この世界に俺しかいないんだ。他人から話を聞くだけで、金を得るのは簡単じゃない。

 俺は一日に、多ければ百人の話を聞くこともあるんだが、そんな奴らから金を戴いたりしているわけじゃない。

 聞き屋っていうのは、ただ話を聞いているだけじゃ生活はできない。時折差し入れのハンバーガーやお茶缶なんかは頂くけれど、それで家族は養えない。

 俺の真似をしている聞き屋は、学生だったり、会社員が夕方から趣味でやっていたりの奴ばかりだ。無償でのその行為には尊敬もしているし、有難いとも感じている。

 俺がこうして長い間、聞き屋で食べていけているのは、奴らが頑張っているからでもある。

 俺は当初、横浜で起きる事件だけを解決していた。この街は広い。そして、人が多い。事件は絶えることがない。

 けれど、ここにこうして座っていても、やってくる誰かが全員この街の人間っていうわけじゃないんだよ。当初は主にそうだったが、噂が広まってからは、県外からの客も多くなった。

 そんな時、俺の真似をしている奴らが役に立つ。単純に俺の代わりに誰かの話を聞いてくれるってだけでも、俺への負担は軽くなるんだが、奴らは時に、それ以上の活躍をしてくれる。

 情報っていうのは、武器であり、金を生み出す力を秘めている。


 俺は横浜で生まれ、横浜で育った。そりゃあ時には別の街に足を運ぶこともあったけれど、生活の中心というか、人生の中心が横浜なんだ。

 俺ははっきりと、ここが俺の街だって言い切れる。

 とは言っても、生粋の浜っ子じゃないってことが、残念ではある。

 俺の親父は、東京生まれなんだ。

 その代わり、爺ちゃんが横浜生まれの横浜育ちだよ。仕事の都合で東京で暮らしていたってだけだ。そしてそこで、親父が生まれ、大人になってから戻ってきた。爺ちゃんを東京に置いたままね。

 俺は爺ちゃんが大好きで、元気だった頃の爺ちゃんが暮らしていた街に、電車を乗り継いでは遊びに行っていた。

 俺にとっての東京は、その街が中心であり、全てとも言える。

 蒲田っていう街は、横浜とはだいぶ匂いが違う。たまに出かける都会とも違う。言われなければ、川崎のようでもある。

 爺ちゃんの家には、京急蒲田から歩いて四から五分ってところだ。俺はこの歳になるまで知らなかったが、JR蒲田駅とは、まるで別物だったんだよ。

 俺にとっての蒲田駅は、今でも京急に違いないんだが、最近はちょっと、様子が変わっちまった。

 ちょっとどころじゃないか? 俺の知る面影はどこにも見当たらない。

 それでも不思議と、爺ちゃんの家がどこにあるかは分かる。道路も線路も駅も変わっちまったし、見覚えない建物だらけだけど、独特の匂いだけは、変えようがない。

 川崎のようだと言ったのも、その匂いが似ているっていう意味だ。世間一般では人気の少ない街だけど、それなりの良さはどちらも抱えている。

 まぁ、横浜みたいに洒落ていないのは確かだけどな。蒲田はどうしたって男臭さいんだよ。

 それって別に、汗臭いだとか、嫌だっていう意味じゃない。正直に言わせてもらうが、色っぽくはないし艶っぽくもない。けれど、魅力には溢れている。

 蒲田の街を歩いていると、見ず知らずのおじさんに声をかけられる。流石にこの歳の俺には誰も声をかけてはこないだろうが、幼い頃は違っていた。

 ほぼ間違いなくおじさんだったが、たまにはおばさんもいたし、そのどっちともつかないおネエさんにも声をかけられた。

 俺はそのおネエさんが好きだった。もちろん、恋愛感情なんかじゃなく、純粋に人として好きだったんだ。

 俺はあの街に、月に二度から三度は通っていた。小四から中一までの間、爺ちゃんに会いたいがためだけに、わざわざ一人で電車を乗り継ぎ、通っていたんだ。

 なんていうのは、半分は嘘だな。爺ちゃんのことは確かに大好きだった。けれど、それ以上に好きなものが、あの街にはあったんだ。

 爺ちゃんの家には、レコードプレーヤーが置いてある。そして、大量のレコードも揃っていた。

 俺の家にも一応はプレーヤーがあり、数枚のレコードも置かれていた。けれどまぁ、聞きたいと感じたことはなかった。プラスチック製のプレーヤーで、蓋の代わりに埃が被っていた。レコードに関しても、俺が幼い頃にでも買ったのか、幼児番組のキャラクターが描かれているジャケットのものが数枚あった他は、親父の趣味なのかどうか判別できない映画のサントラがあるばかりだ。演歌すらなかった。

 俺はこれでも演歌が好きなんだ。もちろん、その仲間の歌謡曲だって大好きだ。

 けれどやっぱり、爺ちゃんの部屋で聞くブルースに心を持っていかれたよ。小四だったガキの俺には生意気すぎるよな。

 俺には確かに、その心が見えたんだ。

 英語の歌詞は、正直意味が分からなかった。それでもなにを伝えたいのかが、俺には強く感じられたんだ。怒りや哀しみ、優しさが、手に取るように分かる。なにを言いたいのかだけでなく、その情景までが頭に浮かんだ。

 当時は分からない感情や情景もあったけれどな。

 爺ちゃんの家にあった山程のレコードを、俺はひたすら聞き漁った。好き嫌いなんていうのは意味がない。どんな音楽にも感じる部分は必ずある。俺はそんな感情を感じるのが好きなんだ。

 レコードはなにも全てがブルースだったわけじゃない。爺ちゃんの趣味は幅広い。当時流行っていたレコードも揃っていた。

 そんな爺ちゃんとは、基本的には部屋にこもってレコードを聞く。だけど当然それだけってわけじゃない。おやつやジュースを用意してくれ、それを楽しみながら音楽をも楽しむ。会話をしながら聞く音楽も、いいもんだ。

 そしてこれは毎回じゃないんだが、散歩に連れて行ってくれることもあった。俺にとって、隠れた楽しみの一つだ。

 その理由はいくつかあったけれど、一番はやっぱり、爺ちゃんが行きつけのレコード屋に行けることだ。

 近くには線路が走っていて、無機質な学校のような大きな建物があり、なかなかに人通りの激しい道だったよ。大きなスーパーもあったしな。

 けれどやっぱり、レコード屋には客なんていない。爺ちゃんと俺と店員。たまに来る客は一人か二人で、無言でレコードを漁り、帰っていく。

 その店が蒲田のどこにあるのか知らなかった。爺ちゃんに手を引かれて歩いていただけだったからな。それも、音楽の話に夢中で、どんな道を歩いていたのかなんて記憶の欠片にも残っていない。

 俺はずっと、そこが京急の線路近くで、しかも駅からそう遠くはない所だと考えていた。

 爺ちゃんの家に行く途中、何度か一人でその店を探そうと試みたが、まるで見つからない。無機質な建物とスーパーを探せばいいだけだ。簡単だと思っていた。けれど俺には見つけることができない。爺ちゃんと一緒の時にだけ現れる不思議な店なんだって、ほんの少し信じていた。

 蒲田は、俺にとって第二の街だったとも言える。


 そんな蒲田にも、聞き屋はいる。俺はそいつに呼ばれ、会いに行くことになった。

 けれどなんで俺が出向かなきゃならないんだ? 礼儀としては向こうから来るべきなんだよな。

 俺はそいつが、駅前にいるとしか聞いていない。蒲田駅に行けば会えるから、一度会って話がしたいと言われたんだよ。本人からじゃなく、人伝いにね。

 それで俺は、わざわざ会いに行ったんだが、俺は間抜けなんだ。蒲田駅って言えば、京急蒲田しか思い浮かばない。すっかり姿を変えちまった駅前をふらついたが、聞き屋らしき存在は確認出来なかった。俺が聞いた話では、平日の午後から夜にかけて、駅前のちょっとした広場にそいつが座っているということだった。

 バスターミナルならあったよ。その周辺をちょっとした広場と呼ぶこともできるが、憩いの場とは呼べないな。

 俺がいるこの場所は、広場じゃないが、憩いの場ではある。聞き屋がいる場所は、誰もが寛げる場所じゃなくちゃならない。どんなに喧騒が激しい場所でもだ。

 俺が見たその場所は、とても寛ぐって雰囲気ではなかった。

 俺はなんとなくの勘を頼りに、爺ちゃんが暮らしていた家を探し求めた。記憶はすぐに蘇り、見覚えのある通りを歩いていた。

 ひょっとして、あの時の坊やじゃない?

 いやに化粧の濃いおばちゃんに声をかけられた。見覚えはないが、もしかしての予感はあった。けれど俺は、人違いじゃないか? そう言って右手を上げて挨拶をしただけで通り過ぎていったんだ。そのおばちゃんも、俺と同じように右手で挨拶をした。あの時の坊やに間違いないと思うんだけどね・・・・ そう呟きながら。

 爺ちゃんの家は、跡形もなく消えていた。いつ壊されたのかも知らなかったけれど、そこにはビルが建っていて、一階がコンビニに変わっている姿を見るのは、ちょっとばかり悲しい現実だよ。街を歩いている時には感じられた爺ちゃんの面影が、どこにも見当たらない。

 取り敢えず俺は、コンビニの中に入って行った。やることもなくなってしまったし、どうしたもんかと考えていたんだ。

 コンビニの中でやることと言ったら、トイレを借りるか、雑誌の立ち読みをするか、たまにちょっとした買い物をする程度だ。

 俺は雑誌でも立ち読みしようかって考えた。

 手にしたのは、タウン情報誌。どういうわけか、蒲田特集と表紙に書かれていた。

 気にならない方がおかしいよな。俺は人生で数十年振りに蒲田にやって来たんだ。しかも、すっかり変わっちまった街並みに驚いてもいた。まぁ、変わらない部分にはホッともしているんだけどな。

 恥ずかしいことに俺は、その雑誌で始めてJR蒲田駅の存在を知ったと言っても過言ではない。

 雑誌の特集では、JR蒲田駅周辺がほとんどで、京急蒲田はおまけ程度に掲載されているだけだった。

 自分がいかに世間知らずかを思い知らせてしまったよ。恥ずかしい話だよな。

 けれどまぁ、その雑誌のおかげもあり、俺は無事にそいつと出会えた。しかも、思い出っていうおまけ付きでな。

 雑誌を買った俺は、それを頼りに蒲田駅へと歩いた。予想以上に大きな駅だったが、俺の驚きはそこじゃない。少し先に見えてきた線路に、違和感を覚えた。だってそこは、JRの線路だ。けれど俺にはそれが京急の線路に感じられた。その理由は明らかだよな。だって俺は、その景色を見ていたんだから。

 見覚えがあったのは、線路だけではなかった。無機質な建物にスーパーまで見えてきた。そして当然のように、レコード屋を発見したんだ。

 約束を忘れ、店の中に足を踏み入れた。当然だよな。そこでもし後回しにしていたら、その店が消えてしまうかもっていう考えが本気でよぎったんだから。

 小一時間はそこにいた。けれど俺は、一枚も買いはしなかった。また来ようと心に決め、それを守るためっていうのが本音だよ。

 それから俺は駅前をうろついた。

 驚いたことに、レコード屋から駅までは、歩いて一分だったんだよ。よく見れば、そこに駅があるってことは誰の目にも明らかだった。幼い頃の俺が気づかなかったのは、視野が狭かったからだけじゃない。そういった見識が足りなかっただけだ。

 駅前広場らしき空間は、レコード屋側の口にはなかった。俺はその大きな駅ビルに入って行き、反対側の口から外に出た。

 目の前にそれらしい広場が見えたよ。なんとも異様な賑やかさだったな。学生が多いからなのか? 横浜の街とも、俺が知る東京とも違う。やっぱりどこか、川崎っぽさが混じっていた。それを、学生の賑やかさで誤魔化している。

 それらしき男の姿はすぐに目に飛び込んできた。学生らしき男女の話に、必死に耳を傾けている。時折相槌なんかを入れながらな。俺なんかよりもよほど聞き屋らしく見えたよ。

 少しの距離を置き、そいつの様子を伺っていた。そいつは全く俺に気がついていない。まぁ、ただの聞き屋だからそんなもんだろ? 残念ながら、俺の後継候補にはならないなと感じた。

 学生らしき男女がそいつに礼を言い、去っていく。俺はそっと、そいつに近づこうとした。するとそいつが、不意に立ち上がった。俺に顔を向けながらな。

 俺にとってはまさかの行動だったよ。そいつはてっきり、俺になんて気がついていないと考えていたんだからな。

 ほんの一瞬の戸惑いだった。まぁ、正直に言えば俺の判断ミスだ。大事に至らなかった幸運に感謝している。

 やっと来てくれたね。

 背後から突然声をかけられるっていうのは、いい気分じゃないよな。

 俺はゆっくりと、その声の主の顔を覗こうとした。

 振り向かない方がいいよ。そいつがそう言った。

 ナイフでも突き刺すのか? 蒲田ってのは随分と物騒になっちまったもんだ。

 俺がそう言うと、そいつは大声で笑い出した。なんだかいかれた暴力映画の脇役のような感じだったな。

 本当に来てくれるとは思わなかったよ。あんたは色々と忙しいようだからな。

 目の前の男がそう言った。

 俺はずっと、そいつから目を離さないでいた。そいつは真っ直ぐ俺に向かって歩いて来ていたが、その視線はずっと、俺の背後に注がれていた。

 俺を試しているつもりなのか? 残念だけど、お前らが素人で助かったよ。

 本気でそう感じた。そいつらがもし、本当のそっち方面のプロだとしたら、俺はあっさりとっ捕まっていただろうからな。

 どういう意味だよ! そいつはそう言いながら、俺に向かって一歩前へと足を踏み出す。

 キスでもされるのかとゾッとしたよ。俺はそいつの股に足を振り上げた。嫌な感触が脛に乗っかったが、そのまま振り抜いた。そいつは首をかっ切られる時の鶏のように呻き、股に手を当てながらその場に倒れ込んだ。

 俺はすぐに、背後の男の腕を掴んで投げ飛ばした。目の前で倒れているそいつの上にね。カランッと地面を転がる物音には少しばかり焦った。まさか本当にナイフを突きつけていたとはね。無茶は程々にって感じたよ。

 これでおしまいか? 一体なんのために俺を呼んだんだ?

 寝転び呻く二人を見下ろし、そう言った。

 ちょいとばかし有名になると、おかしな連中に絡まれることが増える。まぁ、横浜じゃあそういった連中も今はいない。こういう遊びもたまにはいいのかも知れない。怪我さえしなければな。

 噂以上に乱暴者なんだな。

 そう言いながら、二人は互いに支え合い、悪態をつきながら立ち上がった。

 そいつは俺が預かっとくよ。さっさと拾ってこっちに寄こしな。

 俺がそう言うと、ついさっきまで背後にいた男が、ナイフを拾って俺に手渡した。

 案外と礼儀があるんだと見直したよ。きちんとナイフの柄を俺に向けていたからな。それが常識ってもんだが、世の中には非常識が蔓延している。

 手渡されたナイフの感触に、違和感を覚えた。やけに軽い。偽物だなって思った瞬間、聞き屋をしているそいつが突然俺の腕を掴み、自らの胸に呼び込んだ。

 とっさの出来事に、対応するのは難しい。ある程度予想をしていればなんとかなることもあるが、全くの想定外だと、いくつかの修羅場を潜ってきた俺でさえ、固まってしまう。

 聞き屋のそいつの胸に、ナイフが刺さった。

 なぜだかそいつは、大量の血を吐いた。俺の大切なジャケットが、汚れてしまったよ。まぁ、真っ黒な年代物だからシミも目立たないけれどな。それでも白いシャツには茶黒いシミがいっぱい流れ着いた。

 奴のシャツから真っ赤な血が滲み出てくる。俺が手に持つナイフにその血が伝い、俺の手を染めた。

 それにしてもおかしい。俺はこの人生で誰かをナイフで刺したなんていう経験はないが、その感触がまるでなかった。

 聞き屋のそいつにも、違和感がある。映画でも見ているかのようだった。

 俺はそのナイフを引っこ抜いた。聞き屋のそいつは、大袈裟に呻いたが、俺の手には確かな感触がこれっぽちもなかった。

 引き抜いたナイフを、血で汚れた俺自身の腹に突き刺してみた。

 やっぱりというか、幼稚すぎるんだよな。刃先が引っ込むおもちゃだったんだよ。すぐに気がつかなかった自分が情けない。

 あんたに助けて欲しいんだ。ちょっとばかし危険を伴うから、噂通りか試しただけだ。

 聞き屋のそいつが、口の周りの血糊を拭いながらそう言った。

 流石は本家の聞き屋だよ。噂通りの間抜けさと、噂以上の腕っ節だ。

 俺に投げ飛ばされた奴がそう言った。

 俺を試したってわけか? まぁ、そんなのはどうでもいいんだよ。こんな所までのこのこやって来た俺に責任があるんだからな。

その二人は俺に、頭を下げて謝った。言葉遣いはなっていなかったが、その気持ちはじゅうぶんに伝わった。言葉っていうのは面白いよな。同じ言葉を発しても、込めた気持ちによってまるで違う意味に聞こえてしまう。綺麗な言葉を並べても、気持ちがこもっていない言葉はつまらない。耳にしか届かないんだ。

 俺は、普段はそいつが陣とる場所に腰を下ろした。その椅子は、横浜を真似て用意したらしい。

 あんたが座ると、まるで雰囲気が変わるんだな。この街が、洒落て見えるよ。

 そんなことを言われても、嬉しくないな。横浜ってのは、それほど洒落ていない。一部の観光地だけだ。そういうのは。

 蒲田っていう街には、俺が忘れていた思い出がいくつか落ちていた。今回は大した事件でもなかったし、そんな思い出に触れることができて嬉しかったよ。聞き屋のそいつらに呼び出されなければ、俺はきっと、死ぬまで蒲田駅の存在に気がついていなかっただろうからな。

 助けて欲しいガキがいる。知り合いでもなんでもないが、放って置けない。このままだとあいつは、いつか本当に死んでしまう。

 聞き屋のそいつが、話を始めた。

 あいつはよくこの辺りをぶらついているんだ。一人の時もあれば、複数の時もある。俺がここにいる間、少なくとも日に三度は顔を見かける。いつもあいつは、落ち込んだ表情をしているんだ。なんとなく気になった俺は、あいつのことを調べてくれとこいつに頼んだんだ。

 あいつはいつも、向こう側の屋上で過ごしていたんだ。ここに姿を見せずに一人の時は、間違いなくそこにいる。今もきっと、いるだろうな。

 東急プラザの屋上は知っているだろ? この街のシンボルだからな。

 そんなことを言われても、俺にはピンとこなかった。その名称から、駅ビルかなにかなんだろうとの予想は出来たがな。

 俺は、そいつらの次の言葉に驚いた。そして、さっきの言葉に深く同意することとなった。

 屋上の観覧車、そのすぐ傍のベンチがあいつの定位置だよ。

 駅ビルの屋上に? そうか・・・・ 確かにあれは、蒲田のシンボルかも知れないな。爺ちゃんとレコード屋、そして観覧車が俺の知る蒲田の象徴でもある。

 それじゃあとにかく、行くとするか。俺は心でそう呟き、立ち上がった。二人の話はまだ終わってないようだったが、俺にとっては意味がない。そこまで聞ければじゅうぶんなんだ。聞き屋っていうやつは、案外と無駄な話は聞かないんだよ。

 広場で座ったまま俺の背中を眺める二人を放っておき、俺は一人でそのビルの屋上に向かった。同じ駅ビルといっても、やっぱり横浜のとはまるで雰囲気が違う。何度も言うが、蒲田は川崎によく似ている。いいや違うな。川崎が蒲田似なんだな。

 いくつかの駅ビルを抜け、東急プラザに辿り着く。俺は駅ビルの中身を眺めながらエスカレーターで七階まで上がり、そこからは階段で屋上に出た。カラフルな観覧車は、俺の記憶とは少し違うが、懐かしさは残されている。台車が九台もある割には小さ過ぎるそのシルエットが昔のままだ。屋上の雰囲気も、俺が爺ちゃんと来ていた頃と変わらない。爺ちゃんはよく、ここでタバコを吸っていた。

 観覧車の入り口からは少し離れている場所のベンチに、あいつが座っていた。

 あいつは高校生で、俺より大きな身体を持っていた。

 そのベンチだけは、なぜか昔と同じだった。他のベンチがお洒落に変わっていたのに、不思議だったが、俺にはなぜか、しっくり感じられた。

 残念なことに、俺は一度もその観覧車に乗ったことがない。爺ちゃんは、高い所が苦手だと言い、俺は、一人で乗り込む勇気がなかった。それに、一人では恥ずかしいっていう気持ちもあったと思う。観覧車を利用していたのは、当時の俺よりも幼い子の家族連れか、高校生くらいのカップルばかりだった。

 こんな所で一人でさ、なにをしているんだ?

 俺がそう声をかけると、あいつは地べたに向けていた視線を、その顔と共にゆっくりと上げた。

 その顔は、予想以上に寂しげだった。

 こんな場所に男が一人っていうのは、楽しくないだろ? 俺はそう言いながら、あいつの隣に座った。あいつはいい奴だな。俺のために、その腰を浮かして、ほんの少し端にずれたんだ。

 お前を助けて欲しいって頼まれたんだけど、どういうことだ? いじめだったら、闘うか逃げるかしかないな。

 あいつは俺に顔を向け、笑った。

 どうせ駅前の聞き屋にでも頼まれたんだろ? 残念だけど、僕はいじめなんて苦にしていないよ。僕が苦にしているのは・・・・

 あいつの表情が曇る。屋上に足を踏み入れた時に感じた雰囲気に逆戻りだよ。

 あそこの聞き屋は頼りにならなくても、こっちの聞き屋なら安心だと思うけれどな。

 俺がそう言うと、あいつが反応する。コロコロと表情が変わる奴だなって感じたよ。

 あなたが・・・・ だったらきっと、なんとかなるかも・・・・

 あいつとの距離が、近づいた。

 結果を先に話してしまうけれど、事件そのものは簡単に解決した。俺はいつものように、たいしたことはしていない。聞き屋っていうのは、話を聞くのが基本的な仕事だからな。後はほんのちょっとのお節介だ。俺はそのお節介が得意なんだよ。

 あいつにはたった一人と言ってもいい友達がいた。そいつをあいつは、例の取り巻きと一緒に虐めていたそうなんだ。その取り巻きは川崎の住人だった。地元では有名な悪だよ。これもネタバレだけど、その取り巻き連中は、あいつがその友達を救った後に、別な事件を起こして捕まっている。その時には別の少年が入院するという犠牲にはなったが、それで済んだことはあいつのおかげでもあるんだ。あいつがその現場に割って入り、あいつの友達が警察に連絡をしたことで得られた結果だったからだ。

 俺がしたことは、助言を放つことと、見守ることだけだった。後は、裏方の仕事もほんの少しだ。

 俺はあいつを、東急プラザの外に連れ出した。意味なんてないが、俺の思い出の地を連れ回した。レコード屋と爺ちゃんの家だ。そしてそこから、今ではその風貌が様変わりした京急蒲田への帰り道を歩いた。

 俺はあいつに、そいつのことを本当の友達だと思うなら、やることは簡単だ。それはきっと、取り巻き連中を助けることにも繋がるんだ。俺はそう言った。

 また来たねと、おばちゃんが声をかけてきた。おや、隣の子にも見覚えがあるね。まさかあんたの子じゃないだろうけど、この辺の子には間違いなわね。

 おばちゃんだと思っていたけれど、彼女は半分おじちゃんだった。あいつがそう教えてくれた。しかも、俺は思い出してしまった。そのおばちゃんこそが、俺が好きだったおネエさんだったんだ。

 そのおネエさんが、あいつとその友達を手助けしてくれたんだけど、それはまぁ、どうでもいいか? 後の事件の時に、警察が来るまでの間、取り巻き連中を押さえつけていたんだよ。たまたまそこに居合わせたと言っていたが、あいつのことを気にかけてくれていたことに感謝をしている。

 取り巻き連中には、ちょっと厄介なバックがついていたんだ。ヤクザともチンピラとも言い難い厄介な奴らだよ。俺はそっと、奴らに灸を据えた。

 あいつは自分の意思で取り巻き連中を退け、その友達を救った。俺はその瞬間を、きっちりと見届けている。まぁ、その場にあのおネエさんがいたことには気がついていたんだけどな。

 こうして事件は解決して、俺は横浜に戻った。


 この間は助かったよ。こんなんじゃ足りないだろうけど、感謝しているよ。

 俺の前に、聞き屋のそいつともう一人がやって来た。そして、結構な厚さの封筒を投げてよこす。

 俺はこうやって稼ぎ、プロの聞き屋として生きている。

 聞き屋のそいつは、蒲田にいながら、その地元は川崎だった。あいつの取り巻き連中には、もう一人の弟が混じっていたんだよ。二人が本当に救いたかったのは、その取り巻き連中だったってわけだ。俺は少しばかり騙されてしまったってことだ。

 まぁ、聞き屋なんて、そんな程度なんだよ。

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