第6話 ショータイムのはじまり

 たとえるなら嵐の前の静けさだろうか。今は恐ろしいほど静寂が続いているが、それは怒鳴り声が響く前触れだった。

 透はドアの向こうに誰もいないことを確認すると、私と向き合った。瞳には憂いと怒気しか含まれていない。


「音羽!」

「はい!」


 私は先生に名を呼ばれたときのように、姿勢を正して返事をした。


「お前は、どんな無茶なことをしたのか分かっているのか!」


 遅く帰ってきた子供を親が叱る。その声色の方がまだ優しいと感じた。雷おやじの雷が落ちたという言葉に尽きる。そして、ゲンコツがないだけありがたいと思うしかなかった。


「……すみませんでした」


 失敗したときのことを考えると、随分無謀なことをしたと思う。

 綱渡り師は生と死が隣り合わせで、些細なことでも命取りになりかねない危険な仕事だ。また、自分のミスで今回の演目が再演されなくなれば、本当の意味で仲間の頑張りを無下にしていたかもしれない。


 自己嫌悪に陥っていると、透はほんの少しだけ口調を和らげた。


「お前なら、渡る前にいつもの綱との違いが分かったんじゃないのか?」

「はい。分かっていました」


 厳密に言えばその前から怪しい動きを掴んでいたものの、言い訳にしか聞こえないだろう。あの状況の中で何をするのが最善だったのか疑問は残るが、それは心の中で愚痴ることにする。


「次から気を引き締めて臨むように」


 帽子を取って、ふわりと頭を撫でた手が温かい。ぬくもりに甘えそうになるのを堪えながら、私は俯きながら頷いた。


「怪我されたら困ったんだからな……今日だけは」


 勢いよく顔を上げた私に、透は小さな箱を渡した。

 すぐに笑顔を作って頷くと、透は頬を赤く染めながら咳払いをする。


「ま、そんなこんなでよろしくな。美紗」


 突き出された拳の意図を察した私は、すぐに突き出した自身の拳をぶつける。

 コツンという音は小さくはあったが、心強い音を確かに感じた。

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ショータイムのはじまり 羽間慧 @hazamakei

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