第5話

「言ったでしょう? 探偵のお仕事を尊重してください」

 そして、目の前のテーブルを指した。

「正方形とはどう間違えても言えない長方形のテーブル。クリスティーヌ嬢を左手前とすれば、あなたはその隣。ブリジット嬢は向かい。アデレード嬢は斜めの位置に座っていた。ここまではよいですね?」

 これもジュリアンの望みどおりセッティングしたものだ。現場を再現してくれと、ホールから同じ形のテーブルを運びいれ、鑑識によって撮られた写真を乗せてある。

「ケーキを取りに来たのは被害者とダフネ嬢だ。その際新しい皿に乗せて渡しています。これはちょうどそばに新しい皿の山があったので僕がそうしたんです。テーブルへ帰ってきた二人は、大勢かがモンブランを食べられるように、グループで来ているのなら分け合ってくださいという暗黙の了解にのっとって二人でケーキを分けようとする。そのときクリスティーヌ嬢が言った。『大好きなモンブランだから、上に乗っているマロングラッセはもらっていいかしら?』と。これは毎回のことだそうですね。彼女が言い出すのも半ば予測できたはず。さて、この席の位置から行くと、分けるのはもちろん目の前の相手。ブリジット嬢は被害者のその言葉に渋る」

 真っ直ぐ見据えられて彼女はばつが悪そうに下を向く。

「別に、たかが栗の一個や二個かまわないわよ、けど……」

「そう。あなたはいつもそうやって被害者に良いところを取られてしまうのを、不満に思っていた。しかも、右手に光るエンゲージリングと胸元の、本来あなたがもらうはずだったネックレスを輝かせて目の前に座っている。少し渋るのは当然。あなたの気持ちはよくわかりますよ。もちろん他の二人もわかっていた」

 そこでダフネが提案するのだ。こちらのケーキを二人で半分にすればいい。自分はクリスティーヌと半分にするからと。

「そうよ、私が犯人だと言うのなら毒入りのケーキの半分を食べようなんて提案しなかったはずよ。むしろ渋ったブリジットの方が犯人たりえるんじゃない?」

 彼女の言葉にジュリアンは破顔した。

「良いですね。それでこそ犯人だ」

「なっ!!」

「自分の身を守るための心理トリック。あなたは自分のケーキが安全だと知っていた。保険としてある部分を食べさえしなければ大丈夫だと確信していたんです。その、ブリジット嬢が渋る直前、ケーキを受け取って席へ戻ったときのこと。ナイフを落としたとか?」

「ええ。クリスティーヌのナイフがね。それで、かごに残ってた一つを渡したのよ。モンブランは下がタルト生地になっていて、ナイフを使わないと切り分けるのが難しいから」

 ブリジットが言うと、ジュリアンはうなずいてテーブルの上のナイフを取る。

 ランチバイキングはコストを減らすために必要最低限の人間でまわすこととなる。きれいな皿に変えて行くのは、美味しく食べてもらうには必要なことだが、ナイフとフォークのセッティングに手間を取られるわけにはいかない。このホテルではテーブルごとにナイフとフォークを席の数だけ入れて最初から置いてあった。座った客が自分たちでそのかごから取るのだ。

「さて、初めからおねだりする気満々のクリスティーヌ嬢は、一番上のマロングラッセを半分に切る気などさらさらない。ナイフとフォークを上手に使って、脇へ除ける。そして、モンブラン本体をちょうど真ん中で半分に。――ランチバイキング。肉料理もあったというのに、なぜナイフが残っていたか。思い出してください。このナイフとフォークをみんなに渡したのは、ダフネ嬢じゃなかったでしょうか?」

 先ほどまで勢い込んでいた彼女は、すっかり黙り込んでいた。ブリジットとアデレードはちらりとそちらを見てうなずく。

「確かにそうだった。けど、ダフネはいつも気を回してそんなことをやる方だったし」

「肉より魚ってタイプだったものね。普段から本格的なコース料理でもなければ、こういったバイキングだとナイフを使わずに終わることも多かった。だからクリスティーヌも新しいのをもらうんじゃなくて、あまってるダフネの分を使ったのよ」

 フォローになっていないフォロー。

 それを理解していない人間が彼女を追い詰めていく。

「普段からナイフを使わない彼女は、皆にナイフ類を配り終えると、かごの中をナイフだけにして、そこへ毒を塗った。ナイフの左側だけにね。そうすればマロングラッセを除けるときも、ケーキを切るときもダフネ嬢のケーキは無事だ。どうしたって切り分けるときにフォークで左側を押さえる。そして、普通切り分けたときに自分のフォークを使っていれば自分の皿へ切った左半分を入れて、皿ごと残りのケーキは相手に渡すでしょう? 百パーセントとは言わないが、ほぼ、ね」

 ジュリアンはダフネの席にあるモンブランの写真を示す。

「この食べ方を見て変わってるなって思ったんだ。この丸い山のようになったモンブラン。下のタルトは固め。真ん中の切り口の方からフォークで崩して食べて行った方が楽だし、見た目もきれいなのに、わざわざ一番外側から手をつけている。もしも、切り分けたとき毒のついているクリスティーヌ嬢側の左断面と、自分の分になる右断面が接触していたら、【甘い毒】《ロクーム》は微量でも死に至る。けれどケーキは食べておいた方が犯人候補から遠ざかれる。一緒に心中する気のない彼女は、一番安全な側から食べるしかなかった。もちろん切り分けるとき細心の注意を払って彼女の様子を見守っていただろう。ナイフでどこか別のところに触らないようにとね」

「そういえば、ダフネは席に座ってすぐに化粧室に行った」

 思い出したようにブリジットがつぶやく。

「この【甘い毒】《ロクーム》はね、皮膚から吸収はされないんだ。アルカリに弱いから石鹸でよく洗えば安全だ。ナイフに毒を塗ったのは、きっと指にこっそりつけて触ったんだろ。そして食事の間にかごをブリジット嬢の方へ押しやり、わざと彼女の使っていたナイフに触れて落とす」

「それなら、ナイフを渡したブリジットが……」

「君がナイフを使ったらアウトだ。新しくもらえばきっとそのままクリスティーヌ嬢に渡されるだろうし、仕込む暇がない。それにブリジット嬢の位置で右側に置くナイフを落とすのはなかなか難しい。また、毒を塗るチャンスはその渡すときだけ。ならばやはり手のどこかに毒をつけてナイフへ塗るのが確実だろう。しかしあの後、顔色を変えて怯えていた二人とは違って、気丈にも警察の質問に対応していた彼女は化粧室へ行っていないそうだ。警察はそういった行為はきちんと見張っているよ」

「なんなら指をくわえて見せましょうか?」

 ブリジットはそう言ってダフネを見た。不愉快さを隠すことなく。

 自分の旗色が明らかに悪くなってきたと感じてか、ダフネの表情はさらに険しくなった。

「女性をいじめるのは好きじゃないけど、何か反論はありませんか?」

 軽い彼の口ぶりに、ダフネはジュリアンを睨みつける。

「すべて状況証拠よ。なんの物的証拠もないわ」

「状況証拠とか、物的証拠とか。ずいぶん勉強してらっしゃいますね」

「机上の空論よ。あなたが、モンブランを配るときに巧く仕込めばいいことだわ。そちらのお嬢さんも巻き込んで」

 真っ直ぐ突きつけられた指は、セイラに向かった。クライドの眉間にしわがより、セイラの瞳が輝く。

「私に喧嘩を売るのね! 買うわ。いくら出せばいいかしら!」

 今にも走り出しそうな彼女の首根っこをクライドがしっかりと押さえる。

「そう。そこで戻ってくるわけです。あの時あなたは僕に罪を押し付けようと考えた。どうやらクリスティーヌとただならぬ関係のようだからと。でもね、それが誤解なんですよ」

 そう言って彼は壁際においてあった鞄の中から一枚のチラシを持ってきた。

「ご存知でしょう? 二ヵ月後、ガードラントの首都で劇場が開かれるのを」

「あ、知ってる。何か古典のオペラをやるらしいって。チケットが全然取れないって――クリスティーヌが話してた」

 アデレードの言葉にジュリアンはわが意を得たりと右腕を彼女へと向けた。

「その通り。実はこの公演にはいわくがあってね。この上演が決定された作品の他にもう一つ、候補に挙がっていた物があった。どちらも最近発掘されたものを復元した。結局上演するのは今回の物に決まったわけだけど、セイラ嬢がそのもう一方の話を聞きたいと言ってね」

「そう。とっても魅力的な題名だったものだから、ジュリアンに内容を聞かせてとせがんだの」

「確かにセンセーショナルなものですからね。オペラというよりはミュージカルだったのだけど、立地条件等を見ても面白いと思いましたよ。そして、その上演されない作品の主人公の名が、クリスティーヌ」

 その場にいた全員が息を飲む。

「なぜあなたがそんなことを知っているの? あの公演は、初めてのもので誰も物語を知らないと聞いたわ。あちら側も隠しているって」

「確かに、内容はごく一部の人間しか知らないんですよ。でもね、実は僕の本業は歴史学者で、とくに”混沌と浄化の節”近辺を対象としているんです。もちろん古典にも精通しているので、今回特別に助力を求められました。二つのオペラを選ぶところから参加していて、脚本も読んでいるので内容も知っている。警察の方で確認していただいても結構ですよ。殺人となればヒロインの名前と少々の単語ぐらいかまわないでしょう。その中の台詞をちょうどモンブランを配りながらセイラに話しているところを、あなたは聞いてしまったようですね」

 つまり、ジュリアンの言うクリスティーヌと、目の前にいたクリスティーヌはまったくの別人。

 ああそうかと、今更ながらに気付く。ジュリアンとセイラがエグバートの元へ現れたとき、『歌姫のお話は聞けた?』とセイラが聞いていた。ひっかかったのだが、そのあとのことに気を取られてすっかり忘れていた。

「今までの話を聞いていると、ブリジット嬢に罪を押し付ける気だったようですね。計画通りにしていれば毒の入手経路で彼女の名前が挙がるようにでも細工してあったでしょうに。確かに毒を塗るタイミングが彼女の場合難しい。そこへ絶好のカモである僕が現れた。だが、そこが間違いでした」

 室内に沈黙が下りる。誰もがダフネの次の反応を見守っていた。

 彼女にもそれがわかるのだろう。やがて、元の穏やかな表情でジュリアンを見つめる。

「……そう。それは申し訳なかったわ。私の勘違いだったようね。でも、その様子だと食事中その話をずっとしていたのでしょう? ブリジットだって聞いていたかもしれないわ」

「それなら、さっきあなたが言い出したときに一緒になって言い出すはずだ。ブリジット嬢も勘違いしていたんだろうから。あなたも勘違いしていると知る前に僕に罪を押し付ける気だったのだから。目撃者は多い方がいい」

 そこで話は振り出しに戻る。

 高らかにセイラが宣言した。

 

 『あなたこそ状況が読めていないお馬鹿さん』だと。

 

 ジュリアンという予定外の駒を組み込もうとして、せっかくのシナリオが音を立てて崩れてゆく。

 だがまだだ。

 エグバートは内心の焦りを隠すのに必死だった。

 ジュリアンのおかげで状況的にはダフネの黒が決まった。だが、今の世の中状況だけでは裁判に勝てない。彼女を犯人として捕まえるには証拠がいるのだ。これだけ彼の推理に反論をしてくる女だ。自白を引き出さなければ逮捕できない。しかし、決定的な証拠を見せ付けなければ彼女はうんと言わないだろう。瞳の奥の覚悟が見える。どこまでもしらを切ろうという強固な意志が。

 このままでは、目の前にある殺人犯を逃してしまう。

 ふと、ジュリアンの視線を感じ、ダフネから目を離してそちらを見る。目が合うとかれは笑った。

「しぶとい人ですね。この部屋の中にいるあなた以外の全員があなたを黒と判断している」

「でも……証拠はないわ。私はやっていないもの」

 やれやれと、わざとらしくため息をついたジュリアンは、スーツの内ポケットから札を二枚取り出した。

「今までのやり取りから、決定的な証拠は僕の鞄からあなたの指紋が出る。毒瓶からあなたの指紋が出る。この二つぐらいでしょう」

 だが、鑑識とて阿呆じゃない。すでに関係者の指紋はすべて集めてあり、彼の鞄から魔導で指紋を浮かび上がらせ、比較検討をしていた。そして当然の如く彼女の指紋は現れていない。

「まあ、そちらは警察に任せるとして、実はもっと簡単な判別方法があるんですよ。あの鞄には仕掛けがあって、中のものを許可された人間以外が勝手に取ろうとすると相手の手に、印が残る。そして、中に何か入れた場合にも然り」

 ダフネに狼狽の色が現れる。

「その印を浮かび上がらせる。出したなら緑、入れたならオレンジ色の印がその触れた手の甲に出るんですよ。札がね、結構高いからもったいないなと思ってるんですけど――」

 そう言ってエグバートを見るが、睨みつけると諦めたように肩を落とした。

「みなのために犯人をはっきりさせるのはいいかもしれないですね。ってことで、比較対象のためにブリジット嬢もよろしいですか? 両手を前に出してください」

 もたつくダフネを尻目に、ブリジットはきびきびした動作でジュリアンに向かって両手を差し出す。彼が小さく呪文をつぶやきながら札を彼女の手の甲に、かざすと、札は消え、何の変化も現れなかった。

「さあ、次はダフネ嬢の番です」

 半ば無理やりに手を引いて、そして――オレンジが現れると彼女はがっくりと肩を落とした。

 後は警察の仕事だ。仕方なかったのだといい続ける彼女を連行させ、残りの始末を部下に指示する。

「あんないい物があるならとっとと出してくれりゃよかったのに」

「だから、あの札高いんですって。警部補の給料半年分くらい軽く飛びますよ? 一枚でね」

「……警察での補填は難しいぞ」

「わかってますって。実際は僕が試作品のモニターやっているんでただでもらったんです」

 言ってることがニ転三転し、どこへ突っ込んでいいのかわからない。

 諦めた顔で宙を睨むエグバートに、ジュリアンとセイラが笑う。

「試作品だから法廷での証拠としては十分ではないんですよ。追い詰めて彼女の口から真実を引き出さないと。でも一度折れてしまえば後はなんとかなりそうでしょう?」

 確かにあの様子だと素直に話してくれそうだ。直前までの強い意志は彼女の中から消えうせていた。

「そのためには彼女の逃げ道をすべて塞いでから出ないといけないとおもったんです」

 あの長ったらしいやり取りも、計算の上だったのか。

「まあ、セイラに楽しんでもらうためってのが第一でしたけどねっ!」

「すっごく面白かった! ジュリアンってば探偵になれるわ」

 やはり見かけ通りの男。

 だがそれにも慣れた。

「それでは警部補殿。僕らは失礼します」

「電車の時間に遅れちゃうものね!」

「ああ。ありがとう。世話になった」

 感謝の言葉にジュリアンは慇懃な礼をして背を向ける。クライドは軽く頭を下げ、セイラは二人の間でこちらへ手を振った。

「さて、次はどこで途中下車するんだっけ?」

「アンチェスタに幽霊屋敷があるんですって。で、名物の消えるパフェってのが大人気なの、だからそこへ――」



      了

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ベキルのモンブラン殺人事件 鈴埜 @suzunon

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