覗く顔
滝川創
覗く顔
仕事で失敗をしてしまい、上司に散々怒られた。それに加えて体調が優れず辛かったということもあり、私の気持ちは完全に沈んでいた。
ここ数日間、資料を作るために夜中までパソコンに向かっていたため、寝不足が続いている。
今日こそは早く寝よう。
私はそう思いながら、夕暮れで朱色に染まった帰り道をトボトボと歩いていた。そのうち辺りは暗くなっていき、空はどんよりとした灰色の雲で一杯になった。
水滴が顔に落ちてくる。
ポツ ポツ ポツ
雨が降り出し、私は走り出した。
ザーッ
雨あしは強くなる一方だった。私はカバンを頭の上に乗せて全速力で走った。
バシャッ バシャッ
雨の中に曲がり角が見えた。
雷鳴が轟き、白い閃光が私の顔を照らす。
そこの角を曲がった先に私の家がある。私はスピードを上げた。
曲がり角を曲がろうとしたその時、目の前に男が飛び出してきた。男の顔は青白く、目は充血していた。男も雨の中を走っていたのだ。
私は止まろうとしたが間に合わなかった。
私と男は思いきり衝突した。
ドン!
ドサッ
私は地面に倒れ、頭を強打した。ぼやけた視界で走って行く男の後ろ姿が見えた。
男は謝りもせずに走って行ったのだ。
「ひどいやつ」
私はつぶやきながら、ぐっしょりと濡れたカバンを持って立ち上がった。
ふと、足元を見るとそこには財布が落ちていた。男が落としていったのかも知れない。
ひとまず拾っていくか。私は財布を片手に歩き出した。
足を捻挫したようで、歩くたびに足が痛んだ。
***
家に着くと疲れがどっと出た。
私は眠気のあまり半分目をつぶりながらお風呂に入った。
気がつくと何も考えずに机に向かってご飯を食べていた。毎日の習慣により、身体が勝手に動くのだ。
私は食事を終えると重い腰を持ち上げて台所へと皿を運んだ。
皿を洗うために水を出したところで、戸締まりをしていなかったことを思い出し、私はリビングの窓を閉めようと台所を出た。
リビングに入るとすぐ、窓から異様な気配を感じた。
私は目を細めて窓を凝視した。
そこに映る人影を目にして私は凍り付いた。
あの男だった。
男の顔はぶつかる直前のほんの一瞬しか見ていないが、間近で見たその顔は鮮明に脳に焼き付けられていた。
そのために確信できた。今、窓に映っているのは間違いなく、先ほど曲がり角でぶつかった男だった。
私は恐怖のあまり後ずさった。
男の姿は透き通っていて顔の青さが印象に残った。
私は警察に通報しようと電話に走った。受話器を持ち上げた途端、近くに雷が落ちた。窓ガラスが割れてしまうのではと思うような力強い音が聞こえ、鼓膜が破れそうになった。
目の前が真っ白になり、それと同時に家中の電気が消えた。停電だ。
テレビの電源も切れ、無論電話も使えなくなった。
恐る恐る振り返ると相変わらず窓から男がこっちを覗いていた。
私はケータイで通報をしようと考えた。しかしケータイは見つからなかった。
どこに置いたのかどうしても思い出せず、暗くて部屋から探すことは不可能だった。
私はどうすればいいか分からなかった。とにかく武器になりそうなものを探すことにした。
ここにきて先ほどねん挫した足が腫れて痛みも増してきた。
手さぐりで台所に行き、手を切らないように気をつけて一本の包丁を持ちだした。
そこで先ほど拾った男の財布のことを思い出し、中身を見てみることにした。徐々に目が暗闇に慣れてきたのでその作業は楽だった。
財布の中には証明書、クレジットカード、そして大量の万札が入っていた。普段からこんなに持ち歩いているのだろうか。軽く三十万はあった。もしかしたら大金持ちだったのかもしれない。
私は証明書の写真を見た。やはりあの男のものだった。名前はヤマグチトシオというらしい。その男がこの家の窓際に立っているのだ。私は気がおかしくなりそうだった。
これ以上目が合うのは嫌なので私は違う部屋へ移動した。その部屋にあるソファに座って深呼吸をした。
ちょっとの間休んだが、すぐに男のことが気になって先ほどの部屋に戻ることにした。
私はゆっくりと部屋に入った。やはり男が窓際に立っていてその手には包丁が握られていた。私が包丁を持ち出すのを知っていたかのように男も包丁を持ちだしたのだ。
私は無意識のうちに包丁を構えた。それに応えるように男も同じように包丁を構えた。その姿勢で止まりながら私は考えた。
なぜ、ただ窓から私を見ているだけなのだろう?
もしかして実は財布を取り返しに来ただけなのではないだろうか。
いや、でもなぜやつに私の家が分かるのか。
それに財布を取りに来ただけなら包丁など持っているはずはないし、玄関から来るに違いない。
やはり男は頭がおかしいのだ。
私は腕が疲れてきたのでゆっくりと包丁を降ろした。するとなぜか同時に男も包丁を降ろした。
何なんだ、こいつ。
急に明かりが付いた。停電が終わったのだ。
突如、後ろで男の人の声が響いた。TVだった。
私は破裂しそうになった心臓を撫で下ろした。
停電の前についていたので、電気が再び流れ始めてONになったのだ。ちょうどニュースをやっていた。
<……地方では今日は豪雨になりました。
速報です。今日午後四時頃、複数人が歩道で男に刃物で切りつけれ死亡しました。
被害者の財布からは現金が抜き取られており、現金目的で殺害したとみられています。
男は現在もなお逃走中で、現場近くの防犯カメラの映像から犯人はヤマグチトシオ容疑者だと疑われています。
くれぐれも外出するときは気を付けるようにしてください。
次のニュースです……>
私の背筋を冷たいものが走った。その映像に流れている人物ははまさに私がぶつかった男だった。
私は気がおかしくなりそうになり、落ち着くために洗面所で顔を洗った。顔をタオルで拭き目線を上げて鏡を見る。
そこには男が映っていた。
「わああぁぁっ!」
私は驚きのあまり腰を抜かした。私は這うようにして部屋に戻った。
随分立ってからようやく立てるようになり、私は窓を見た。変化無く男が立ち尽くしていた。
私が右手を上げると男は左手を上げた。私は思いつく限りの色々な動きをしてみたが、窓に映る男は全く同じ動きをした。
私は意を決して窓を開けた。
そこに男は立っておらず、雨が吹き込んでくるだけだった。
ピーンポーン!
インターホンが鳴った。玄関まで行きインターホンの画面を見るとそこには私が立っていた。
体の至る所から汗が吹き出し、膝がガクガク揺れ始めた。
ねん挫の痛みは歩くのが辛いほどになっていた。
インターホンに映った外に立つ私はその手に大きな刈り込みばさみを持っていた。
画面の中の私はインターホンのボタンを押し続けていた。
私がそれに応答せずに呆然としているとそのうち画面の私はどこかへ消えた。
***
私は逃げるべきだったのだ。怪我をしたこの足で逃げることはもう不可能だ。私には窓に映った自分の姿に怯えている時間などなかったのだ。
私は力なく地面に座り込んだ。
ケータイのありかを思い出した。「私」のポケットの中だ。
財布もそして住所の情報も。
全ての出来事はこれで説明がつく。
さっきあの曲がり角でぶつかった時。
まるでSF小説のように――
私たちは「入れ替わって」いたのだ。
先ほどいた部屋から窓のガラスが割れる音がした。
覗く顔 滝川創 @rooman
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