第6話 最後の晩餐

 私は神に成った。神は、厳かに天に昇る。


 足に注射針を刺す。薬液を少しずつ注入していくと、感覚が消失していくのがわかる。右手に肉切り包丁を手に取り、右足を足首から切断する。足首から先には肉が少なく、味も悪い。痛みもなければ、感覚もない。焼きごてをもち、切断面に押し付けると、肉の焦げる香ばしい香りが食堂に漂う。ものの数秒で止血は終わった。

 この作業を繰り返していけば、私は私を食らうことができる。薬品は大量に用意した。切れ味の良い刃物も数多く取り揃えた。調理はせぬことにした。生のまま、食材そのものの味を楽しむことこそ、最後の食事に相応しいだろう。

 膝の関節を外し、ノコギリで切断する。自らを解体することも、他者を解体することも大きな違いはない。ただ、強いて言えば態勢が辛く、力が入れずらいくらいの違いだろうか。右足の膝から下を、肉切り包丁で三分割する。血を吹き出しながら、それはテーブルの上で私に食べられることを待っている。

 肉は、その持ち主が食したものによって味わいが大きく変わる。畜産に携わる多くの人々が最も気を使う点は、食材の「食事」にあるのは言わずと知れた事実だ。その点、私を食べることは、私にとって非常に興味深かった。つまり、人を食った人間の肉とは、どのような味になるのか。それを私はまだ知らなかったからだ。おそらく、この世で最も甘美で芳醇な、美味の極致たる味覚であろう。

 生肉をテーブルナイフで切るのは骨が折れる。肉切り包丁を適宜使いながら、生ハムを削ぎ落とすようにして切り分けていく。

「さあ、神になるときも近づいてきた。」

 私は恍惚としていた。それは確かに薬品のせいもあるだろう。しかし、何より私のその行為そのものが私を恍惚させた。今まで数えきれない人間を食べてきた。数えきれない調理法で、様々な部位を。その食肉たちは、どれも個性的であった。

 生前、菜食主義だった人物の肉は、臭みが抑えられ、脂肪分も少なく、爽やかな風味さえ纏っていた。和食を主食としていた人物の肉は、醤油や味噌の香りを帯びていた。他のアジア圏のものは、香辛料によって肉が柔らかく、時にスパイシーさを影に潜めていた。

 生ハムの要領で切った脹脛の肉を、一口頬張る。濃密な血液の風味と、肉の弾力が構内に広がる。同時に、あまりにも複雑な…酸味、旨味、ほんの一滴の辛味…味覚と呼ばれる全てを総動員した味わいが、私を魅了する。私の肉は、まさに至高の食肉だった。

 一切れ一切れ、丹念に味わう。この日のために用意した赤ワインとの相性も格別だ。次第に、私は自らの意識が揺らいでいくのを感じていた。血液を失いすぎたせいだろう。まだ、私は私を味わいたい。すでに両足は食べ終えた。腸を抉り取るのは、技巧として苦労した。味わいも、足の方が美味であった。生の臓物は、あまりにも弾力に富みすぎている。…。

 腹膜は美味であった。適度な脂肪と、筋肉の合わさった味わいは、赤ワインの渋みによってよりふくよかに膨らんでいく。肉自体も厚く、食用には向いている部分であろう。無論、他者の肉体を食べることで、熟知してはいたが。

 さて、腹膜を少し食べ終えたあたりで、私の肉体には限界が訪れた。視界がぶれる。意識が朧げに霞んでいく。頭がクラクラと揺れている。手が、自らの意思でコントロールできない。私は、私がもうすぐ神になることを悟った。

 最後の一口、赤ワインを口に含む。朦朧とした意識の中、麻酔薬を首に打ち込む。いよいよ意識は消失し始めた。私は、歓喜に震えている。魂が喜びに満ち満ちている。これほどの恍惚は、何を食した時にもありはしなかった。また、これ以前に経験したこともなかった。私は確かに、多くの罪を犯した。それは世間的に見れば全くもって許されるものではないだろう。しかし、それがどうだ。私は、私の思う最も幸福な方法で死んでいく。

 世界とは、理不尽なものだ。私は本来、この世の誰よりも不幸に死なねばならぬ人物だろう。だが、実際は違う。

 人を食い、天使を創り、天使を喰い、神に最も近い人間を食った。

 私は、私がついに神になり、人類から昇華することを感じながら、目を瞑った。

 




「これまた一段と、異様だな。」

 中世の宮殿を意識して造られたであろう豪邸の食堂に、それはあった。

「また食人ですか。欠損した人間を見るのも、もう飽き飽きしましたよ。」

 死体は上物のスーツを羽織った男性だった。その両手にはナイフとフォークが握られている。

「…いや、どこか様子が違うぞ。これは。」

 男性の右側には、肉切り用の巨大な包丁や、血のついたノコギリが残されている。死体の切断に使ったのだろう。死体の…?

 左側の小さなテーブルには、注射器と薬品が丁寧に揃えておかれている。

「局所麻酔薬か。」

「被害者を生きたまま料理したんですかね。悪趣味極まりない。」

 死体は、下半身を完全に無くしている。上半身も、鳩尾の近くまでを失っていた。

「切断面が焼かれているな。止血するためか?」

「焼きごてもこちらにありますね。用意周到です。」

 テーブルの上の皿には、生肉が残っている。それは特に調理された様子もなく、ただ血を滴らせている。それは新鮮な肉を、否応無しに意識させた。

「右手に、刃物を握った跡がある。」

 男の右手には、力を込めて刃物を扱ったと思われる、内出血が見られた。私は、これをみて、直感的にある事実に気がつく。

「自分で、自分を食ったんだ。こいつは。」

「え…?」

 自ら己を食す。そう見れば、状況は実に単純明快だった。食人鬼は、今まで麻酔を用いることをしなかったが、今回はそれがある。おそらくそれは、生きたまま、自分を食らうためだろう。

「なんのために、そんな。」

「バケモノの考えはバケモノにしかわからん。こいつは、正真正銘のバケモノだ。」

 食堂の時計は、秒針を冷徹に進めている。自らを食した男を、眼下に見据えながら。

「俺たちには、理解しようとしてもできないことがある。人々はそれをわかり安くしようとそれらしい理由を並べ立てるが、異常なものたちにとって実情は単純だ。」









「きっとただ喰いたいから喰った。それだけのことだろう。」

 


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人工天使 鹽夜亮 @yuu1201

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