第16話 Wiseman in the wilderness

 その日、ジャパリポリスは深い霧に包まれていた。

 見慣れた筈の街の風景が白く霞んで別の世界に見える。朝の静けさが普段よりも際立って感じられる。深い眠りに落ちた街を独り歩く。いつもと違う雰囲気に胸の鼓動が高鳴る。

 高揚した気分に僅かな不安が入り交じる。その感覚に水を差すように遠くから足音が近付いてくる。良い夢を見ていたところを起こされたような、それと同時に他人の存在に安堵するような感じ。

 霧の中から黒い影。フードを目深にかぶっているのが、少し不気味だ。

 人影は道路を挟んですれ違うとそのまま走り去って行った。再びの静寂と孤独。

 何気なく曲がった路地。ビルとビルの間に不用品ガラクタ置き場がある。袋やダンボールが積まれ、古くなった家具が並べられている。その中の木箱が目に留まった。

「………」

 ちょっと覗いてみよう。蓋を開けると、新聞紙に包まれた大小様々な、何かの破片か?割れた、皿?これは、何だろう?これとこれを繋げると…、ジグソーパズルみたいで面白いけれど…

 お、これは…、像だな。変わった形の。ヒトの姿を模しているみたいだが…。まあいい、これは貰っていこう。

 ………ジャパリポリスではこうやって不用になった物をリサイクルしているんだ。決してゴミを漁っているわけじゃないぞ。

 次第に霧が晴れてきた。薄雲を透かして白い丸が見える。今日は良い天気になりそう。早起きは三文の徳、とはよく言ったものだ。やはり散歩をすると良いことがあるなあ。

 家に帰って、智也のご飯を食べて、シャワーを浴びる。出てくると智也が掃除機を掛けている。リビングではちゃっかりとアミメ君がテレビを見ていた。

「髪が伸びる人形…。呪いですよ!」

「私は足が速いから平気だよ。」

「……そっちのノロイじゃないですよ。」

 一旦寝室に引き上げる。

 ん?ない。無いぞ。箱が空だ。……まさか。

 私は一目散に部屋を飛び出した。

「ひえぇぇ、絵の中から出てくるなんて…」

「智也!箱の中身は!?私の部屋の!」

「ああ、部屋のゴミなら出しておいたよ。丁度よく回収車が来た所だった。」

 さも当然といった顔で彼が告げる。その顔が遠ざかっていくような。目の前の世界が歪んで見える。全ての音が消え去り耳鳴りだけが響く。肩が膝が全身がわなわなと震える。

「わ、わたしの…、私の……、私の宝物ーー!!」

 絶叫と共に固く握った拳を叩きつける。智也の図体が吹き飛ぶ。けたたましい音を立ててテレビに突き刺さった。

「ひぃぃぃっ!テ、テレビから人が!」



 ヒトとフレンズが共に生きる街ジャパリポリス

 数え切れない絆の果てに俺達は出会った

 喜びと悲しみを分かち合って私達は歩む

 今日から始まる未来へと



「じゃあ、こちらにサインをして下さい。…今朝の分は、Aブロックの5番ですね。」

 集積所の受付で手続きを済ます。

「奥さんか恋人の私物ですか?時々ありますよ。」

 笑みを浮かべる係員に曖昧に返すと指定された場所へと向かう。

 全く、あのケモノ女。すぐ殴る癖が抜けない。おかげでテレビはぶっ壊れるし、部屋は散らかるし、わざわざゴミを引き取りに来なきゃならない。…まあ、テレビはオオカミのだからいいけど。

 五十畳程の区画にゴミ袋やダンボール箱が積まれている。一つ息を吐く。さて、この中から探すのか…

 ゴミ袋の中身を確認していく。こんな事なら名前でも書いておけば良かった。

「おっと…!」

 袋の山が崩れた。落ちた拍子に袋の一つから中身が飛び出す。結びが甘かったのか?やれやれ…。どうせ中を見るんだけど、片付けに手間がかかるな。

 そう思いながら床に散乱したゴミを見ると、ある物体に目が留まった。

「これって、オオカミの部屋の…」

 ゴミ箱…、じゃなくて宝物入れに入ってた。変な像じゃないか。

 像を拾い上げる。その周囲にも見覚えのあるゴミが目に入った。

 古ぼけた石、石碑の一部か?五…、とか書かれている。色褪せた紙切れ、何かの地図の様な、折り目が付いてるな。紙飛行機でも折ったのか?

 他にも様々なガラクタが。これは虫眼鏡、ルーペか。なんだってこんな物を拾ってくるんだ。

 兎にも角にも、オオカミの宝を拾い終えると受付に戻る。

「あっ。」

 途中ですれ違った男が小さく声を上げた。視線が俺が抱えている箱の中身に向けられている。

 俺が訝しげに男を見ると、即座に顔を背けて足早に去っていく。何だ?疑問に思ったが、すぐに俺も歩き出す。

 駐車場で車にガラクタを積み、さて帰ろうか、と思った矢先に背後から声を掛けられた。

「すいません。不躾ですが、貴方が拾い戻した物を見せて頂けないでしょうか?」

 低い声に丁寧な口調。ピンときた。振り返ると迷彩柄の服にフードを目深に被った男だ。さっきの奴といい、一体何だ?

「彼女の私物でも捨てたのか?それから、人にものを頼む時は素顔を見せろ、杜山もりやま。」

 男がフードを下ろす。見知った顔が現れる。

「やはり未来だったのか。その返答には脈絡がない。俺には彼女はいない。だから、私物を捨てるという行為自体が有り得ない。」

「分かってたなら、普通に声を掛けろ。それと今言ったのは冗談だ。真に受けるなよ。」

「悪かった。」

 深々と頭を下げてくる。

「別に謝る事じゃねえよ。」

「いや、他人に依頼をするのに失礼な行為だった。教えてくれてありがとう。やはり、お前は善き友だ。」

 あ、そっちね。相も変わらず律儀というか…

「固いんだよなぁ。」

「……何が?」

「お前の頭!」

「石頭なのは生まれつきだ。」

「…言い方が悪かったな。お前の態度だよ。」

 今二つ程、腑に落ちていない様子を見るとため息が出る。母さんとは違った意味で話すのが面倒なんだよな。

「それで、お前もこのガラクタに用があるのか?」

 箱ごとガラクタを見せる。

「お前 “も”?」

 そう呟くと眼鏡越しに上目遣いで俺を見る。その眼に確信のような表情が浮かぶ。

「…手間を取らせたな。」

 箱の中を軽く覗いただけで、あっさりと踵を返す。

「もういいのか。」

 一転してもう興味は無いとばかりに無言で去っていく。律儀だったり、無愛想だったり、変わらんな。

 あれ?助手席の床に変な像が落ちている。箱に視線を戻すと、中には入っていない。積んだ時には入っていた筈。いつ落としたんだ?おかしいな、気付かない筈がないんだが……

 まあいいか。帰ってオオカミに御飯を作ってやらないと。



「アミメ君、エスカレーターで走るんじゃない。子供じゃないんだから。あと、おもちゃ売り場には寄らないよ。」

 あからさまに不満な表情を浮かべ、横に並んだアミメキリンが私を睨んでくる。

 家電売り場に着いた。壊れてしまったテレビを買い替える為にわざわざ足を運んだ訳だが。私よりもアミメ君の方が乗り気だ。

「新製品を見るとワクワクしますねえ。どれが良いかなぁ。」

 正直なところ、ショッピングを楽しむという感覚が私にはどこか他人事に感じられる。もちろん、私もオンナだから楽しい気持ちはあるし、お金で食べ物が手に入るのは便利だよ。

 ただ、私がネイティブだからなのか、捕食者としての本能からか、物を“買う”という行為にいまひとつ実感が湧かないな。

「オオカミさん!見てください、これ!」

「分かったから、そんなに大きな声を出すんじゃない。」

 興奮気味の彼女が何やら目玉商品を指さす。瞳をキラキラさせて、新しいおもちゃを見つけた子供みたいだな。ため息を吐くと歩み寄る。

 …まあ、君のそういう素直な所は羨ましくもあるけどね。

「それで、これは何だい?新しいゲーム機かい。」

「違いますよ。テレビですよ、テレビ!」

「ディスプレイが無いじゃないか。」

「従来の画像受信機はもう古い!新世代のイノヴェイション!未来型エンターテインメント!」

 仰々しい文句を並べ立てて店員が近付いてきた。

「お客様、お目が高い!こちらは新開発の新技術によるお客様のための新製品でございます。いやあ、お客様は実に幸運の持ち主でいらっしゃる!」

 にこやかな表情で揉み手をする。言動とは裏腹に丸眼鏡の奥の眼は私達を値踏みするかのようだ。ヒトによく似たフレンズ。特に小狡い所がそっくりだな。

 …どことなく気に入らない。

「百聞は一見に如かず、まずはご覧下さい!」

 私の内心を知ってか知らずか眉ひとつ動かさずに商品の説明を続ける。

 店員が機械のスイッチを押した途端に私もアミメ君も驚嘆の声を上げていた。心の中が一瞬で驚きの感情に染まる。

 何だこれは?空中に絵が浮かんでいる。

「空間投影型テレヴィジョン、ホロヴィジョンです。」

 得意気な声音で店員が告げる。

「はえー…」

 あんぐりと口を開けてアミメ君が虚空を見つめている。多分、私も同じような顔なんだろうな。店員の口の端が微かに上がる。確かにすごい技術だ。

「いかがですか、お客様のこれからのライフスタイルを彩る逸品です!」

「でも、高いんでしょう?」

「今なら出血大サービス!より高画質で観られる専用チューナーに、超小型高音質のオーディオスピーカーセットもお付けして、お値段、なんと!」

 うーん、その値段なら新しいテレビを買うよりもお得、なのかな?

 腕組みをする私を目を輝かせたアミメ君が凝視している。そんなに欲しいのなら、自分で買えばいいじゃないか。

「……分かった。買うよ。支払いはカードで頼むよ。」

「やったあ!」

 両手を上げて無邪気に喜ぶアミメキリン。本当に羨ましい性格だよ、全く。

 会計を済ませ、軽く店内を見回す。並んでいるテレビの画像が視界に飛び込んできた。ニュース番組のようだ。見覚えのある映像に目が釘付けになる。

 これって、今朝見たジグソーパズル、の様な石の破片じゃないか。

「…これらの貴重な文化遺産が盗掘され、裏の市場、所謂ブラックマーケットに流されて高額で取り引きされていると言う。」

 低い男性の声のナレーションが入る。ついで場面が切り替わりニュースキャスターの姿が映る。

「学術研究省の寺田長官はこのような事態を看過出来ないとして、文化娯楽省と共に立法監察省並びに保安警察省とも連携して関係者の調査及び摘発に乗り出すとしています。」

 盗掘、ブラックマーケット、摘発?耳に入ってくる言葉が頭の中でぐるぐると回っている。

「…この様な行いは人類の叡智とその遺産を後世に託すという、ジャパリポリス創建の理念に対する冒涜と言っても過言ではない。真実を明らかにしたうえで厳正なる処断を下す所存である、と立法監察省の三剣ミツルギ首席監察官は強い言葉で述べました。」

 ひょっとすると、私は何か重大な事件に関わってしまったのでは?隣ではしゃぐアミメキリンをよそに私の心の中にはモヤモヤと霧が立ち込めていくようだ。周囲の音も耳から耳へと抜けて頭に入って来ない。

「…ペンネーム月の影さんから、恋人が野菜嫌いで困っています。肉食のフレンズでも野菜を食べられるレシピを教えて下さい。はい、恋人や家族の野菜嫌い、直したいですよね。今日はそんな野菜が苦手な人でも美味しく食べられるレシピを紹介しちゃいます。」



 磨き上げられた大理石の床を歩くと、閑静な空間に足音だけが響き渡る。見上げた正面にはかつての地上の支配者の姿。


 遥か太古の白亜の地層から

 眠りを妨げられた暴君は

 その治世の十分の一にも満たない時間を

 星の支配者と嘯いていた

 小さき者をいかように思う

 物映さぬ暗き眼窩に問いかける

 我らが時代いまは黄昏か

 黎明の前の宵闇なのか


 巨大な骨格標本を前にしばらく佇んでいると、意識が遠く悠久の記憶に触れるような、そんな感覚を覚える。

 ジャパリポリス中央博物館、遺された人の叡智の集積。

 だがそれも、この地球ほしからすればちっぽけなものかもしれない。

「悲しみを繰り返し僕らはどこへ行くのだろう?」

「悲しみが終わる場所よ、未来君。」

 振り返ると、赤、橙、黒、亜麻色、派手な髪色のフレンズが立っていた。猛禽類特有の軍人調の服装をしている。

「久しぶり、相変わらず詩人ね。」

「そう言う君もな、トキコ。」

 おもむろに俺達は両手を頭の上に掲げて三角形を作る。結社のメンバーだけに伝わる秘密の挨拶だ。

「話は奥で聴くわ、付いて来て。」

 休館日の博物館、静謐の中を俺と彼女の二つの足音だけが響く。周囲には物言わぬ標本達。案内板には生命の歴史とあったな。ゴリラの剥製、“類人猿から人へ”か。向こうにはクジラが見える。尤もあれは模型だろうな。進んでいくと化石が並ぶ一画に来た。その一つに目を向ける。ボスと名札には書かれている。

「その化石はおよそ百二十万年前のウシの祖先よ。」

「ふうん……」

「発掘場所はプリオシン海岸じゃないわよ。」

 口を開こうとした矢先に彼女が告げる。

「緻密に冷徹に、先入観を排した事実の積み重ねこそが学問には必要よ。」

 右手を眼鏡の蔓に当てながら続けて言う。

「考古学には直感に導かれた大胆な発想が一番大切だと、俺の先生マスターは言っていたけどね。」

「それには私も同意するけど、貴方のは空想でしょう。」

「ユーモアと言って欲しいね。」

 学生時代から変わらず、面白みに欠ける女だな。

秘密結社ミステリーサークルの創設メンバーにしては、お固いな。」

「趣味と仕事は分けるものよ。」

「そうか?結社のメンバーで趣味を仕事にしているのは、君ぐらいだろ。」

 他は公務員に会計士、芸能人に……

 頭の中に懐かしい顔ぶれを思い浮かべているうちに展示室を抜けて収蔵室へ着いた。調査中や未分類の遺物が棚に並べられている。人類の貴重な遺産だが、これも人によってはただのガラクタだな。

「それで、盗掘品というのは?」

 俺は鞄から奇妙な像を取り出す。

 彼女は右手で眼鏡の蔓を軽く押し上げると像を見つめる。

「…変わった像ね。……見たことのない、………文化様式。」

 一通り調べ終わると像を返してくる。

「非常に興味深いけれど、これは盗掘品ではないわ。」

「そうなのか?」

 オオカミの話や、ゴミ集積所で出会った男の反応、杜山の態度から当たりだと思ったんだが。

「それよりも、貴方の恋人が見た神鏡の破片の方が重要よ。」

「神鏡?」

「あれは非常に貴重なのよ、もしかすると旧世紀から続く論争に決着がつくかもしれない!」

 興奮気味にまくし立てる。緻密と冷徹はどこ行ったんだ?

「それを一握りの好事家達が金にあかせて買い漁り、金目当ての盗掘者が後を絶たない。許される事では無いわ!私達の物ではないのに!私達が好きにしていい物ではないの!」

「……なら、誰の物なんだ?」

「みんなの物よ。過去に生きていた人達と、これから生まれて来る人達の。それを繋げるのが現在いまを生きる私達の役目でしょう?未来君!」

 彼女の眼が鋭く問い詰めてくる。変わらないな。

「我々は何故、学ばねばならないのか…」

 先生の研究室。屋根裏部屋の様な雰囲気の、あの場所でそう問い掛けられた。

「…それが私達の使命だからよ。」

 学ぶ事の大切さと、楽しさを俺達は教わった。

 俺は手に持った像に目を落とす。

「歴史から学び、過去を知り、未来を想像する。ヒトだけが為せるわざだ。」

「…取り乱したわ。ごめんなさい。」

 眼鏡を直しながら彼女が言う。

「いや、トキコ。やっぱり君は、本当に…」

 良い女だよ。

「何よ?」

「いや…」

「貴方達って、昔からそうやって含みのある言い方するわね。…カッコいいとでも思ってる?」

 全く、冷徹な口振りだ。それよりも…

「俺 “達”?」

「そう。先月、杜山君が訪ねて来たわ。」

「あいつにも盗掘の話をした?」

「ええ。」

 なるほど。そういうことか。

「この像は君が預かっててくれ。これも過去からの預かり物だろうからな。」

 改めて彼女に像を渡す。

 再び展示室に戻って来ると、見慣れない人影が目に入る。

 誰だ?何故か一瞬アミメかと思ったが。

「今日は休館よ。悪いけど、また明日来てくれないかしら。」

「過ぎ去りし者たち。我が同胞。されど我はここに。そは何故なにゆえ?」

 謎掛けの様な呟きを残して見慣れないフレンズは出て行った。

 トキコと別れの挨拶を交わすと博物館を後にする。さて、俺も謎を追わなくては。鍵を握る人物は…



 東の空が白み始める頃、私は微睡む街を駆けていた。件の盗掘品とその密売に関わる者を捜して。

 恐らく奴らは不用品に紛れ込ませた盗掘品を回収車より先に入手しているのだろう。そう考えて不用品の回収ルートを巡っているのだが、未だに手応えは無い。

 ジャパリポリス全ての不用品置き場となると相当な数だ。それに加えて公共のものではない個人が趣味で作ったものも合わせれば、全てを回るのはあまりにも効率が悪い。獣の浅知恵、と智也なら笑うかもしれない。分かってはいるが、他に良い方法を思い付かない。

「しらみ潰しに当たるしか…」

 呟いた途中で物々しい音が耳に届く。本能的に耳をそばだてる。荒々しい物音、怒声。不穏な空気が肌に伝わる。

 交差点を曲がった私の眼に飛び込んできたのは人影が拳を振りかぶる姿だった。

 私は躊躇した。人影は全部で五つ。迷彩柄の人影が黒服の人影を殴りつけている。地面にうずくまる影が一つ。殴られていた影がよろめきながら膝をつく。残っていた二つの影が迷彩柄に躍り掛かる。

 一見すると多勢に無勢だが、オオカミである私にはどちらに加勢すべきか、咄嗟に判断がつかない。

 一人が迷彩柄の背後から組み付く。もう一人が正面から拳を…、袖口から棒を取り出し振り下ろす。動じる事なく振り下ろされた手首を片手で掴み止め、背中に組み付く黒服の襟首にもう片方の手を伸ばす。棒を持った影を壁に、組み付いていた影を地面に叩きつける。かなりの腕力だ。

 耳に鈍い音が響き、手首を掴まれた影が悲鳴を上げると棒を取り落とす。

「待て!」

 意を決して駆け出すと迷彩柄に向かって素早く拳を繰り出す。掴んでいた手を離して私の攻撃を防いだ。続けて拳の連打を浴びせる。奴が両腕で顔を庇う。ひとまずは動きを止めた。

 距離を置いて対峙する。改めて目前の相手を観察する。迷彩柄のジャンパーにズボン。顔はフードに隠れて見えない。拳の感触からかなりの筋肉量と硬い骨格だ。恐らく男。体格は中背だが、腕が長いな。あの怪力、掴まれると厄介だ。

 奴が構えていた両腕を下げる。唐突な大音響が空気を震わせ私の全身を揺さぶった。

「くぅっ!」

 凄い雄叫びだ。本能的に身体がこわばる。しまった。隙を見せた。

 膝を曲げ背を丸めて両腕で上体を覆い、防御の姿勢をとる。

 ………攻めてこない?腕の隙間から相手の様子を窺う。細く鋭い眼光がこちらを見ている。フードが下ろされ素顔があらわになった。スクエアタイプの眼鏡、向こうも私を観察するように、その奥の三白眼から冷やかな視線が突き刺さる。赤みがかった髪を短く刈り上げている。

「タイリクオオカミ、ネイティブフレンズ。家族名は望月。個人名は無し。職業は漫画家。」

 私を知っている?警戒しつつ、ゆっくりと腕を下ろし構えを解く。

「君は何者だ?何故、私のことを知っている?」

「俺は未来智也とは友人だ。」

 智也の友人か。どうも思っている以上に世間は狭いようだ。いやそれよりも…

「ここで何をしていたんだ?アクション映画の撮影かな?」

「俺は……、それは冗談で言っているのか?」

 不機嫌そうな表情で返してくる。あれ、何か気に障ったのか?

「ああ、後半はね。」

 遠くからドアの閉まる音。道路をこするタイヤの音が微かに響いた。四つの人影は既に視界から消えている。どうやら私は悪役の方に加担したようだ。

 慌てるそぶりもなく、地面に落ちた棒を男が拾い上げる。

「見せてくれ。」

 差し出された棒に鼻先を近付けると私は追跡を開始する。オオカミの鼻から逃げおおせる者はいない!

 ……そう意気込んだものの、5分と経たずに標的を見失ってしまった。道路から漂う刺激臭に足を止めざるを得ない。逃げ足の速さといい相手も素人ではないな。

 後ろから駆動音が近付く。振り返ると迷彩柄の男が乗った大型バイクが止まった。ロゴが入っている。……忍者にしては全然忍んでいないぞ。

 男はフルフェイスのヘルメットを外すとバイクから降りて周囲を見回す。

「すまない、逃がしてしまったよ。」

 無言で道路の隅に屈み込んだ。

「もしかして君も盗掘品の事件を探っているのかい?だとしたら、私が足を引っ張ってしまったね。」

「…支障は無い。俺の目論見通りだ。」

「どうだろう?協力して事に当たるというのは。」

「これから仕事がある。明日、事務所に来てくれ。話はその時にしよう。」

 腕時計を確認しながら告げるとバイクに跨り再びヘルメットをかぶる。

「待ってくれ、君の事務所ってどこだ?私はまだ名前も聞いていないぞ。」

「未来が知っている。モリヤマヨシオ。職業は会計士だ。」

 バイクが走り出す。追いかけようかと思ったが、結局見送った。智也の友人か…、曲者揃いだな、全く。

 翌日の正午近く、私はアミメ君の車で男の事務所に向かっていた。

「智也さんの言っていた住所はここですよ。」

「智也は見れば分かると言っていたが…」

 薄茶色のレンガ風の壁。白地に黄、緑、赤の三本のライン。逆U字形のガード。確かに良く見た覚えのある建物だ。

「杜山会計税務事務所、ここですね。」

 受付時間は午前7時から午後11時までか。並んだ幟には、“会計監査、税の申告など” “法人から個人まで” “お気軽にご相談ください”と書かれている。

 入口の自動ドアが開くと初老の男女が出てきた。夫婦だろうか、私達に軽く会釈すると、穏やかな表情で何か話しながら車に乗り込む。

 走り去る車を横目に入口に向かう。何故かアミメ君が指を鳴らした。自動ドアが左右に開く。

「ふふふ、見て下さい。真っ二つですよ。」

「…ああ、それは素晴らしいね。」

 中は綺麗なオフィスだ。テーブルや椅子、奥に見える棚のファイル類、机の上のペンの位置まで測ったかのようだ。側に立つ観葉植物も、葉の一枚に至るまで緻密に計算されて置かれていると錯覚しそうだ。

 チリひとつない床の上にコツコツと靴音が響き、昨日の迷彩…、背広にネクタイ姿の男が現れた。

「今日は時間を取らせてしまって申し訳ない。ワオンソン先生。」

「いや、こっちこそ。今日も仕事だったのだろう?それと、私の事はタイリクオオカミでいい。こっちはアミメキリンだ。…アミメ君?」

 私の陰に隠れるようにしてアミメ君が耳打ちしてくる。

「オオカミさん、この人ゴクドーですよ。」

「やぶからぼうに何を言い出すんだい。」

「あの目、間違いなく10人はってますよ!」

 男は表情を変えずに佇んでいる。鋭い三白眼。不機嫌そうな顔つき。昨日もそうだったが、おそらく元からこうなのでは?

「すまない。彼女は、ちょっと想像力が飛躍し過ぎてしまってね。」

「名探偵と呼ばれたアミメ・クリスティの孫だろう。マーゲイ・ドイルとコンビを組んでいた。」

「いやー、それほどでもー。」

「君が照れるところじゃないだろう。」

 話が進まないじゃないか。そう思って仕切り直そうとしたところで、先に彼の方から名刺を渡してきた。

「改めまして、杜山義士です。本日は御足労頂きありがとう。早速だが本題に入りたい。よろしいか?」

 私達は応接用の椅子に腰掛ける。彼が眼鏡の位置を直す。

「……まず概論として、古代エジプトのファラオを例にとれば、政治的、宗教的な動機から権力者は自らの墳墓を造り、副葬品として…」

「ちょっと待ってくれ。それって長くなるのか?」

 話としては興味深いが、流石に前置きが長過ぎるだろう。

「問題は無い。今日の午後は予定を空けておいた。」

「そうじゃなくて。もう少し、かいつまんで話してくれ。」

 アミメ君がいびきをかいた。君も早過ぎるだろう。

「ナポレオンのエジプト遠征の際に…」

「ま っ て く れ な い か。」

 なんだこの男、智也とはまた違った意味で話が通じないぞ。

「あのー、何か飲み物ありませんか?喉が渇いちゃいました。」

「……………」

 異様に長く感じる五分が過ぎ、彼が奥からカップの載った盆を持ってきた。レモンの香りと紅茶の味でどうにか心を落ち着かせる。

「私から質問させてくれ。君は盗掘品の事件を追っている。昨日の連中がその犯人、もしくは共犯者だろう。逃がしてしまったが、君はそれも想定内であるかのような口振りだった。既に犯人の目星がついているんじゃないか?」

 彼の眉根が微かに動く。顎をさすると口を開いた。

「三週間前に古美術商を営んでいる男から仕事の依頼を受けた。その時、会社の帳簿に不審な点を見つけた。そこからこの男が盗掘品の売買に関わっている事を突き止めた。」

「謎はすべて解けているじゃないですか!」

 立ち上がったアミメ君を座らせながら私は答える。

「でも、決定的な証拠がない。」

「ああ。…だが、それもじきに分かる。ところで、未来はどうしている?」

「智也なら他に用事があると言ってどこかへ出掛けたよ。君に伝言を頼まれていたな。“マルコとルカがフレンズになったら何を運ぶ?”だそうだ。一体どういう意味だい?」

「ライオンとウシ。運び屋を当たるという事だろう。そっちは未来に任せよう。」

「では、私は?何か手伝える事はないかな?」

「無い。今の所。」

 素っ気なく告げられ、私は答えに詰まってしまった。

「ヨシオちゃ〜ん。お弁当持って来たわよ。」

 畳み掛けるように明るい声が響く。見ると事務所の入口に包みを掲げた女性が立っていた。

「今日はヨシオちゃんの好きなお野菜ハンバーグにしたわ。まだ温かいから冷めないうちにおあがり。」

「母ちゃん…。俺、いま…」

「あらやだ!お客様?まだお仕事中だったかしら。お母さん、うっかりしてたわ。」

 私はため息をついた。もう話を続けられる雰囲気じゃないな。

「どうも初めまして、杜山義士の母でございます。」

 女性は君子きみこと名乗った。何のフレンズだろう、一見するとヒトそのものだ。

「私、テレビで観たことありますよ! “キミコの簡単レシピ”の人ですよ!」

 幾分興奮気味にアミメ君が言うと彼女は笑って答える。

「あらやだ〜、そんな大層なものじゃないわ。ちょっと料理が得意なだけですよ。ふふ、でも私、実はお蕎麦だけは作れないのよ。なぜかって?ほら、言うでしょ、“オラん打ーたん”って。」

 呆気に取られる私達を前に朗らかな笑い声を上げる。ふと横を見ると、息子の方は明らかにばつの悪そうな顔だ。智也といい、母親がフレンズだと結構大変そうだな。

「どうぞ召し上がれ。沢山作っておいて良かったわ〜。…あ、そうだ。これ見てちょうだい。来る途中にね、似顔絵描いてもらったのよ〜。似てるでしょう。」

 成り行きで相伴にあずかる事になってしまい、肝心の話はそれ以上出来なかった。仕方ない、ひとまずは彼らに任せておこう。

 ……それにしても、あの野菜ハンバーグは美味しかったな。智也にも作ってもらえないかな。



 黒く光沢を放つテーブル。他の家具も同じ黒檀か。敷かれているのはペルシア絨毯か?深い群青色のガラス製の水差しといい、派手さは無いが落ち着いた高級感ある調度品。悪くはない趣味だ。珈琲を一口飲むとカップに目を落とす。これも良いが、俺としては完璧な美よりも“下手物げてものの美”、疵や歪みがある方が好みなんだがな。

「お待たせしてしまって申し訳ない。どうしても外せない商談があったものでね。」

 ブランド物のスーツに身を包んだ恰幅の良い中年の男が現れた。

「君とは初対面だな。金野成城かねのなるきだ。」

 携帯の画面をこちらに向けてくる。プロフィール交換か。しかし、俺は名刺交換すらした事がない。無反応でいると、芝居がかった身振りで肩をすくめてみせる。

「まあいいか。興味があれば、サイトにアクセスしてくれ。…それでは用件を聴くとしよう。」

 ソファーに身をうずめる。背後の壁にはタペストリーが掛けられている。描かれているのは、インドの象頭神ガネーシャだ。

 さて、どう切り出したものかな。

「貴方の会社の財務監査をした結果、資金流用の一部に不正な点が見つかりました。」

 単刀直入だな。まあ、こいつに腹芸を期待するだけ無駄か。

「ほう、それは聞き捨てならないな。」

 片方の眉が若干つり上がる。

「また、取引先の企業の中には実態の無いものがあります。」

「ペーパーカンパニーってやつだな。税金逃れでよくある手だ。」

「その程度の事は大なり小なり、どこでもやっているだろう。まあ、私には身に覚えの無い話だがね。」

 鼻で笑うと足を組んでみせる。

 杜山は内ポケットから折り畳んだ紙片を取り出し、テーブルの上に広げてみせる。

「何かね、それは?」

「その企業との取引内容の一部です。そして、こちらが…」

 金野の視線が右から左へと動く。

「貴方の顧客との取引内容の一部です。無論、ご存知ですね。」

 一瞬だが奴の目元が引きつった。

「固有名詞が違うだけで、数字は一緒だな。」

 紙片を覗き込んだ俺を金野が睨んだ。

「ところで金野さん、あんたは贋作にかけては一家言ある男らしいな。なかなか面白い本も書く。」

「お褒めに預かり光栄だ。それで、結局のところ何が言いたいのかね?」

「貴方はこの取引を隠蔽しようとした。その為に架空の企業との取引をでっち上げた。何故なら…」

「私が偽の美術品を売りつけているからか?馬鹿を言っては困るな!」

 語気を強めると杜山の話を遮る。

「私は素晴らしい美術作品をより多くの人々に知って貰いたいと常々思っている。その為の複製品レプリカだ。本物ではなくとも優れた作品を傍に置きたいと願う客に精巧な複製品を提供する。それが私の仕事だ。贋作と言えば聞こえは悪いが、模倣と言う行為は人間独自の文化だと私は考えている。その意味も含めて私は複製美術を生業としているのだ。」

 後半は立ち上がって熱弁を振るい始めたぞ。意外に熱いな。…どうもこのおじさん、ただの金の亡者という訳でもなさそうだな。

「それなら回りくどく隠す必要も無いし、複製にしては桁が多過ぎやしないか?」

 金野は鼻から深く息を吐き出すと、首を何度かひねり襟元を直して再びソファーに座った。そういやこの男、シャツのボタンを全部留めた上に厚手のネッカチーフで首を覆っているな。部屋の中はエアコンがきいているとはいえ、この季節にしてはちょっと暑苦しい印象だぞ。

「その点に関しては担当の部署に問い質さねばならんようだ。全く私も焼きが回ったな、部下の不正に気付いていなかったとは。取り乱して済まなかった、君達のおかげで…」

「待って下さい。」

「本題はここからなんだ。」

 しれっと部下に責任を押し付けて話を打ち切ろうとする。やっぱ食えないなこのおっさん。

 「我々が知りたいのは取り引きされた物の中身です。」

 失礼と一言告げて、怪訝な表情を浮かべた金野を前に、杜山は立ち上がると脇に置かれた棚の上の機器を操作する。

 空中の一角に映像が浮かび上がる。

「…次は盗掘品に関するニュースです。保安警察省は発掘された美術品の盗掘及び売買に関与した疑いがあるとして、ポリス内の古美術商とその顧客並びに取引先の企業に対して近々大規模な捜査を行うと発表しました。」

 俺と杜山が映像から目を移すと、同じく目を動かした金野と視線がぶつかった。

「……つまり、何かね?私もこの件に関わっていると、君達はそう言いたいのかね。」

「貴方が本当に隠したかったのはこの事件に関与している事でしょう。」

 口をへの字に結んだ金野は片手で携帯の画面に指を走らせる。

「思い付いたんだがな、複製した美術品の中に盗掘品を隠して売るっていうのはどうだ。これなら表向きは問題無いね。」

「おっと失礼。少し外させてもらう。…私だ。」

 携帯を耳に当てながら部屋を出て行った。

 残された俺達は互いに顔を見合わせる。

「吐くと思うか?」

「いや。だが問題は無い。ここまでは筋書き通りだ。」

 社員の女性が置いていった代わりの珈琲を半分程飲み干した所で金野が戻って来た。

「さて、私も忙しい身でね。そろそろ話を切り上げて貰えないかな。」

「証拠品をどこかへ隠さないとな。」

 カップに口を付ける俺を金野が睨む。

「そこまで言うのなら家捜しして貰っても構わんよ。ただし、何も無かったら笑って済ませられる程、私も冗談が好きではない。それと、君の思い付きだがね、コナン・ドイルの『六つのナポレオン』にそっくりだな。作家を気取るにはちょっと想像力が足りないんじゃ無いかね。」

 何だと?この野郎…、この俺に向かってよくもそんな口が……!

 思わず立ち上がりかけた俺の肩に大きな手が乗せられる。

「金野さん、もう一つだけよろしいでしょうか?」

「まだ何かあるのかね?」

 いささか面倒臭そうに奴が答える。

「手間は取らせません。これを見て頂きたいだけです。」

 そう言ってまた取り出した紙片を広げる。今度のは大きいな。地図か?あちこちに印が付いている。

 一瞥した金野の眉間に縦皺が浮かんだ。その様子を見て杜山は礼を言うと素早く紙片をしまい込み、帰るよう俺を促した。そんな俺達を今度は金野が呼び止める。

「杜山君、会計士としては優秀だが、君は妄想が過ぎるな。」

 言葉を切り携帯に目をやると僅かに口元を緩ませる。そして点けっぱなしになっていた棚の上の機器、ホロヴィジョンだったな、に携帯を向ける。チャンネルが切り替わった。

「…先程入ったニュースです。保安警察省はフレンズへの暴行並びに盗掘品の密売事件に関与した疑いがあるとして、杜山君子氏の身柄を拘束したとの事です。」

「なっ……!?かあ……」

「君達の推理も的外れだったようだな。この方は杜山君のご家族かな?こんな所で探偵ごっこをしている場合かね。」

 白々しく告げる金野。今度は俺が杜山の肩を掴む。

「やってくれるじゃねえの。」

「はて?これが現実というものだよ。」

 歯を食いしばる杜山を連れて俺は部屋を出ようとする。背後から奴が追い撃ちをかけるように言葉を浴びせてくる。

「いい大人がヒーロー気取りは恥ずかしいと気付くことだな。」

「ここから逆転するのが本当のヒーローってものさ。」

 俺は勝ち誇る奴に言い返すと部屋の扉を閉めた。



 三杯目のコーヒーを飲み終えるとカップを皿の上に戻す。室内をうろうろと歩き回ると椅子に腰掛ける。さっきからこの繰り返しだ。どうにも落ち着かない。待つのは私の性分じゃない。こんな事なら智也達について行けばよかった。…まあ、頼まれてしまったからな。

 首だけを回して振り返る。さっきまでの私と同様に室内を歩き回る杜山の姿が目に浮かぶ。

「いい加減落ち着けよ、杜山。珈琲も冷めるだろ。」

 不機嫌を通り越して憤怒の表情で彼は床を踏み鳴らし続ける。

「そうよヨシオちゃん。せっかくトモちゃんが淹れてくれたんだから。お母さんなら平気よ。びっくりしちゃったけど、話せば分かってくれたわ。だってお母さんもヨシオちゃんも間違ってなんか…」

「黙ってくれよ!!誰のせいで!こんな!俺が!どれだけ!俺…、俺の……。俺の、せいで……。ごめん、母ちゃん。俺が……」

 彼の言葉を遮るように君子さんが立ち上がる。

「あなたは悪くないわ。正しいと思ってしたのでしょう?なら、胸を張りなさい。」

「そ、そうですよ!悪いのはその金野って人ですよ。家族を狙うなんて絵に描いたような悪党ですね!」

 いたたまれなくなった様子でアミメ君が声を上げる。

「どういった手を使ったんだか分からんが、搦手を使ってくる事ぐらい予測出来なかったのか、お前らしくもない。」

 智也が空になったカップにコーヒーを注ぎながら、突き放すような口調で言う。

「双子の入れ替えトリックとか!」

 一瞬の沈黙の後に智也が続ける。

「それで?正義の味方ごっこはもう終わりか?だったら最初から余計な事に首を突っ込まず、会計士の仕事だけをやってればいいんだ。」

「ちょっ、智也さ…」

 私は軽く肩に手を触れてアミメ君を制する。こういう時は下手に間に入るものじゃない。そう思った。……悔しいけどね。

 智也が杜山の正面に立つ。二人は無言で見つめ合う。杜山が拳を握りしめる。アミメ君が息を呑む。突き出された拳を微動だにせずに智也が分厚い胸板で受け止めた。

「怒りの矛先を誤ると碌な事にならないぞ。」

 そう言って何事もなかったようにコーヒーを啜る。

「………分かったよ。」

 杜山は大きく息を吐くと母親に向き直る。

「義士ちゃん、正しいことをしなさい。良く見て、良く聞いて、良く考えて、あなたが思う正しいことを。その為にもし、どれだけ敵を作ろうとも私があなたの味方でいるから。」

「ありがとう、母ちゃん。やってみるよ。」

「そうと決まれば腹ごしらえね。待っててすぐに作るわ。」

「私も手伝います!」

 アミメ君が立ち上がる。頷いた君子さんは私の前を通り過ぎる際に囁いた。

「トモちゃんもいい男よね。しっかり掴まえておきなさい。」

 耳元が熱くなった。

「タイリクオオカミ、君にも手伝って貰いたい事がある。」

「どうした?出番だぞ、オオカミ。」

「…ああ。」

 扉が開く音で我に返る。ようやく来たな。

(君子さんを守れば良いんだろう。)

(いや、次の狙いは俺だ。)

 見慣れた影が入って来る。

(こちらの揺さぶりに対して揺さぶりを返してきた。時間を稼ぐ為に。)

(人質は生かしておくから価値がある。言い方は悪いが君子さんは杜山にとっての足枷だ。わざわざ外す事はしない。)

 声色まで似ている。正体を知っていなければ騙されたかもな。

 私は仕切りに使われているパーテーションを背に立つ。

 本物と寸分違わぬ笑顔を浮かべて尋ねてくる。

「残念だけど君子さんの自慢の息子はここにはいないよ。…もうひとりのいい男と正義を貫きに行った。そして…!」

 右手に意識を集中させ、私は背後のパーテーションをけものプラズムの刃で貫いた。

 パーテーションと共にフレンズ型セルリアンが倒れ、砕け散る。

「こういうトリックか。」

 横目でパーテーションの裏にあったテーブルを見ると、白紙の画用紙が置かれている。森の賢母、そう呼ばれるに相応しい女性の似顔絵が描かれていた筈の。

「智也の言うとおりだったな。以前、絵を描くズーロギアンに襲われたと聞いていたから…、待て!」

 逃げ出したセルリアンを追って私も事務所を飛び出す。

 夜の暗がりの中に紅い光点が浮かぶ。全部で十二。確かにこれは私の役目のようだ。杜山が見たらどう思うだろうか。夢を操るセルリアンに襲われた時のことが脳裏をよぎって私は強く歯噛みする。

(怒りの矛先を誤ると碌な事にならないぞ。)

 分かっているよ。それでも…!

「人の心を踏みにじる。こんなものが進化であるものか!私は認めないぞ!聞こえているか!ズーロギアン!」

 闇夜に吠えると私は地を蹴って紛い物に刃を振り下ろした。



 空になったコーラの容器をリサイクルボックスに放ると、駐車場の金網のフェンスをよじ登り隣の敷地へ入る。上手い具合に防風林がある。立ち並ぶ樹の陰から双眼鏡を覗き込む。

 ホームセンターの裏手、搬入口に数台のトラックが停まっている。一見すると商品の積み下ろしをやっているように見えるが…

「こんな所に隠してあったのか。しかも集積所とは目と鼻の先じゃないか。意外に盲点だったな。」

「最近出来た店で資金の出所を洗ったら、金野の取引先の一つが関わっていた。他にも候補があったから確証を得る為には奴を動かすしかなかった。」

「で、揺さぶった結果、尻尾を出した訳か。とは言え流石に素早いな。あと一日遅かったら…。いや、あの様子だと一時間もかからんな。」

 大股で一直線に杜山は搬入口へ向かう。こいつは最後の詰めで力押しなんだよなあ。全く。ま、ここまで来たら正々堂々、正面突破と行くか!それがヒーローってものだよな。

 俺も杜山に並ぶと真っ直ぐに進む。

「なんだお前達!ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」

 制止しようと近付いた男に杜山が軽く拳を突き出す。勢いよく後ろに吹き飛んだ男が積み上げられたダンボールに突っ込む。ダンボールの崩れる音をゴングにクライマックスシーンの開始だ。

 杜山がアクション映画のヒーローさながらの大立ち回りを演じている横で、俺はトラックの積荷を調べる。

「おい!何やってる!」

 これは美術品のレプリカか。

「やめろ!」

 ん?このダンボール…

「こいつ、離れろ!」

 二重底か。中にあるのは…

「このヤロウ!」

 トキコに見せてもらった写真と同じだ。当たりだな。

「杜山!見つけたぞ。」

「くそぉ!」

 手首に棒が当たる。危ねえな、貴重な文化財だぞ。さっきからなんだ?ポンポンとひとの身体を叩きやがって、俺は布団じゃねえぞ。

 角材やら鉄パイプやら…、釘バット?どこから持って来たんだ。夏の羽虫の様な奴らを無視して杜山の元へ向かう。

「未来……、ラグビーでもしてるのか?」

「珍しいな、お前が冗談を言うのは。」

 まとわりつく虫を払い落とすと見つけたブツを渡す。

「一体何の騒ぎかね?これは。」

 聞き覚えのある声に振り向くと見知った男が腕組みをして立っていた。若干不機嫌そうに唇を歪めている。

「黒幕のご登場か。」

「また君達か。よっぽど暇を持て余しているようだな。いい大人が嘆かわしい事だ。」

「小人閑居して…、とでも言いたいようだが、不善を為しているのはあんたの方だろ。」

 金野の表情が大きく歪む。苦虫を噛み潰すとはこの事だな。

「それを返して貰おう。」

 杜山に向かって手を伸ばす。

「断る。これは貴方の所有物ではない。」

「サスペンスドラマの犯人じゃないんだ、さっさと弁護士を呼んだ方が現実的だと思うけどな。」

「どうしても私を悪役にしたいようだな。」

「言葉は正しく使えよ。物を盗む、嘘をつく、人を陥れる、あんたが自ら悪い事をしているんだ。」

「私は人として為すべき事をしているだけだ。」

 金野の目が据わる。右手を上げると、背後から黒服の男達が現れた。その真ん中、彼等に挟まれる形でまたも見知った顔が立っている。

「トキコ!」

「ごめんなさい、杜山君。未来君も。」

「やはり君達の知人か。何やら嗅ぎ回っていたのでおとなしくして貰ったよ。警察に突き出すところだが、私としても穏便に済ませたいと思ったのでね。」

 何を白々しい。口元にだけ笑みを浮かべて金野が再び手を差し出す。

 杜山が険しい顔で噛み締めた歯を剥き出す。

「ありきたりのパターンなんだよなあ。もうちょっと意外な展開には出来ないのか。」

 大仰に両手を広げてかぶりを振ってみせると、全員の視線が俺に向けられる。

 突風が吹き抜け、黒服の一人が声を上げてうろたえる。

 俺が顔を向けると続けて全員が新たな登場人物に視線を向ける。トキコを抱えた二本角のフレンズが手に持った槍を突きつける。

「密輸労働者組合の者よ。あなた達…」

「にゃははは、組合をナメんじゃねーよ!」

 さらに暴風もとい、たてがみのフレンズが黒服達を張り飛ばし、殴り飛ばし、投げ飛ばす。

「ちょっとマーちゃん!私の台詞の途中でしょ!」

「えええっ、そうだっけ?悪い奴やっつけるんじゃなかったの?」

 脇に抱え込んだ男の顔に容赦無く拳を浴びせながらとぼけた声で答える。

「……とにかく、これで形勢逆転だな。」

 金野の奴はわなわなと肩を震わせている。

「どいつもこいつも、私の邪魔をしおって…!」

 その顔が怒りで紅潮する。

「私の使命なのだ。人の…、けもの風情に何がわかると…。」

 頭がゆっくりと傾いていく。

「人の文化!人の叡智!人類の偉大な遺産は!私が!」

 異様な雰囲気に、その場の全員が動きを止める。

「ワタシが…!守る、マモル、まあぁぁもももるぅぅぅ…!」

「一体なんなの?」

「この人、なんか恐いよ。」

 この感じ。こいつは…!

「まずいぞ、近付くな!離れろ!!」

 雄叫びとも悲鳴ともつかない叫びが響き、金野の首から黒い何かが生え出てくる。それは瞬く間に膨れ上がり、枝分かれした触手を周囲に伸ばす。

「うわあああ!」

「ひいぃぃ…」

「た、助けて…!」

 黒服達が次々と触手に捕らわれ呑まれていく。既に金野の姿は見えない。大木の如くに膨れ上がった黒い物体が人も物も見境無く呑み込む。

「逃げて!マーちゃん!」

「セーちゃん!?…貴様ぁぁぁ!!」

「馬鹿!やめろっ!」

 制止する声も空しく二人のフレンズも呑まれてしまう。そのうえ…

「トキコぉ!!」

「杜山!よせ!」

 トキコを救おうとした杜山まで…!

「くそったれ!」

 強く奥歯を噛み締め俺は駆け出す。だが、逃げ延びたとしてどうすればいい?

 防風林の手前で振り返る。黒い物体は遥か見上げる程の大きさだ。おまけに、何だ?巨大な塔の様な形から、姿が変わって……

「恐竜?いや…、怪獣とでも言うのか!?」

 大地を踏みしだく両脚、ビルを薙ぎ払うだろう尻尾、鋭い爪を持つ二本の腕、凶々しい背びれ、開かれた口からは牙が覗く。

 凄まじい叫びが耳をつんざき、空間を震わせる。

 あまりの重圧感、絶望感に押し潰されそうだ。

 その場にへたり込みそうになる自身を震えながらも二本の足がかろうじて支える。

「どうしろって言うんだ…。タイリクオオカミ……」

 目をつぶり、天を仰いだ俺の足に何かが触れた。

「これは…」

 足元を見ると、あの奇妙な像が立っていた。無言でそれを拾い上げる。

 何故だ?わからない。でも…!

 俺は右手に持ったその像を星空に向かって突き上げた。

 白い閃光が世界を包む。



 窓から吹き込む風がレースのカーテンを揺らす。外では日の光が木々の緑を照らしている。

「保安警察省は一連の事件にはまだ多数の人間が関与しているとみて、引き続き金野氏への聴取並びに背後関係の調査を行うと発表しました。それと関連して、杜山君子氏に対する身柄の拘束について公式に謝罪するとの事です。」

 ホロヴィジョンから流れるニュースを聞き流しながら、私はペンを走らせていた。

 一息ついてコーヒーカップに口を付ける。広げたスケッチブックに描かれた下絵を見直すと、あの夜に見た出来事が思い浮かぶ。今でもあれは現実だったのだろうか、自分でも不思議な気分だ。人に話しても信じては…、ああ、リンは信じるどころかどうして自分を呼ばなかったのかと怒っていたっけ。レイもスクープ写真を逃したと落胆していたね。

 あれが事実だったと証明する物は何も残っていない。でも、“無い”という事が、やはりあれが確かに起こった事なのだと告げているのだろう。

 あの夜、ズーロギアンの作り出した偽物共を片付けた私は智也達の後を追ってホームセンターへと向かった。そこで目にしたのは…

 もう一度スケッチブックに目を落とすと、私はまぶたを閉じる。

 黒い怪獣と対峙する白く輝く巨人の姿がまざまざと浮かんできた。

「な…!なんだあれは!何が起こっているんだ!?」

 呆気にとられる私の前で二つの巨体がぶつかり合う。

 四つに組んだ二体は暫く膠着していたが、怪獣が巨人を振り払う。巨大な身体で素早く後転し立ち上がった巨人に黒い尻尾が打ち付けられる。

 重々しい一撃を受け止めると、巨人は手刀を振り下ろす。一度、二度、力を込めた三度目の手刀が尻尾を両断する。怪獣が絶叫し身をよじらせる。

 再び対峙する二体。憤怒の叫びを轟かせ怪獣が突進する。正面から受け止めた巨人の肩に怪獣が噛みつく。膝をついた巨人を押し倒し、その喉に喰らいつこうとする。

 すかさず巴投げで怪獣を投げ飛ばす。大地が震動し、私は地面に手をつく。

 今度は巨人が怪獣に向かって駆ける。振り向いた怪獣の口が大きく開き、背びれが赤い火花を放つ。炎の様な奔流が解き放たれ、それを浴びた巨人が膝から崩れおちる。

 立ち上がろうとする巨人の横っ面を怪獣が張り倒し、その巨体がこちらに迫って来る。

「うわあああ!!」

 逃げようがない!もうだめだ…。思わず両腕で顔を庇い私はぎゅっと目をつぶる。

 ………恐る恐る目を開くと、巨人の顔があった。両手をついてかろうじて身体を支えている。その背中に怪獣が容赦無く爪を叩きつけている。巨人はその場から動かずじっと耐えている。

 何故?…私を守っているのか。

 巨人の身体を包む光が明滅し始めた。まるで危険を知らせるかのように。

「もういい!私に構うな!!」

 叫ぶ私を大きな目が見た。巨人が笑った。何故かそんな気がした。その笑顔には見覚えがある。

 光の明滅が激しくなる。

 私は駆け出していた。怖くはなかった。巨大な指先に触れる。こんな事をしても意味は無いかもしれない。それでも…!

「お願いだ!負けないで!!」

 声の限り叫んだ。

 ゆっくりと、力強く巨人が立ち上がる。振り返りざま怪獣の左右の腕を掴む。その身体が赤い輝きを帯び、怪獣の巨体を押し返していく。そのまま突き飛ばすと両腕を広げ拳を握る。握り締めた拳に赤い輝きが集まる。

 殴り付けられた怪獣が悲鳴じみた叫びをあげ、よろめきながら下がる。だが、背びれが赤い火花を散らしている。踏みとどまった怪獣が口を開く。

 巨人の身体が黄色の輝きに包まれる。両腕で前方に円を描く。黄色い円盤が空中に形作られる。咆哮を発すると怪獣の口から業火が迸る。しかし、業火は円盤に跳ね返され怪獣自身に降りかかった。

 巨人の両手が青く輝く。左右の手でくの字を描くと、今度は青いブーメランが現れた。投げ付けられた二つのブーメランが怪獣の周囲を回り、挟み込む形で一つに繋がる。

 動きを封じられた怪獣が激しくもがく。巨人が二つの腕を胸の前で十字に組む。掛け声と共に放たれた白い光線が黒い巨体に吸い込まれる。スローモーションの様にくずおれると同時に、その巨躯は白い光となって飛び散りかき消えていった。

 それを見届けると、巨人も光の柱と化して天へと飛び去った。

 我に返った私の目に見慣れた背中が写る。

「智也!」

 駆け寄る私の声が聞こえていないかのように、彼はその場に立ち尽くしている。

 もう一度声を掛けると、ようやく私を振り返った。

 彼に抱きつくとその胸元に顔を押し付ける。

「ありがとう。」

 囁いた彼の鼓動を感じながら私は目を閉じた。

 チャイムの音にまぶたを開く。アミメ君かな?椅子から立ち上がり玄関に向かおうとして、私はまたスケッチブックを見る。

「光の巨人か。」

 いつかこれを主役に漫画を描きたいな。名前は何がいいだろう?スーパー?それともワンダー?そうだ……!



 夜の公園。さわさわと音を立てる樹木の下。ベンチに腰掛ける男がひとり。

「葉隠れに君の姿を見透かすも忍ぶ想いに音無く去りぬ。」

「葉が散れば枯れた肌には秋霜の如き寂しさ耐え難くあり。」

 俺は杜山の隣に腰を下ろす。暫く互いに無言でいた。

「トキコが礼を言っていたぞ。食事にでも誘えば良かったのに。お固いのも考えものだぞ。」

「俺には暗がりが性に合っている。彼女は眩し過ぎる。」

「格好つけてるつもりか?それこそ性に合ってないな。」

 再びの沈黙。遠くでドン、という音が聞こえ空に咲いた花が俺達を照らす。

「…ま、お前の人生だ。勝手にしろよ。」

 俺は立ち上がると杜山を振り返る。

「行くぞ。今夜は俺に付き合えよ。」

「勝手だな、お前も。」

 そう言いつつ杜山が並んで歩き出す。立て続けに音が鳴り、二つの影を映し出す。

「急ごうぜ、良いところを見逃す。」

「ここからでも見えるだろう。」

「近くで見上げるのが良いんだよ。」

 足を早める俺に杜山が諭すような口調で言う。

「重要なのは場所よりも、誰と見るかだろう?」

「お前には言われたかねえよ!」

 夜空を彩る花園の光が走り出した俺達の姿を影絵の様に照らし出した。



 杜山義士です。ここまでの通読ありがとうございます。この場を借りて御礼を述べたいと思います。また読者諸氏におかれましては益々のご健勝の事とお慶びを申し上げます。

 ちょっとヨシオちゃん!前置きが長いわよ!早く次回の予告をしないと!

 あ!そうだ。ねえ、セーちゃん、密輸労働者組合ってなんなの?

 えっ?あ、あれは、以前に観た映画で…

 ええい!何をやっているんだね。私は弁護士を探すので忙しいんだ。手短に頼むよ!

 仕方がないわね。簡潔に済ませるわよ。次回はドラゴンの話。ファンタジー映画かしら?非現実的だわ。



 次回 『He has received a handsome legacy』

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