第15話 Speedking

 ライトを消すと車から降りて歩く。湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつく。わずかな星明かりの下、聞こえてくるのは虫の声と砂利を踏む足音だけ。やがて眼前に浮かび上がる黒い影。河にかかる陸橋、道路を照らす街灯の光の届かぬ、その真下の暗闇に足を踏み入れる。

 時刻は真夜中を過ぎている。丑三つ時、方位ならうしとら、古来より異界のものが現世と交じわると言われる。

 生暖かい風が吹き付けて草を揺らす。

「ねじれ角の悪魔の名は?」

 風に乗って暗がりから問い掛ける声。

「ブラックバック。」

 持っていた携帯用ライトを灯す。

「角笛の天使は?」

 目を凝らすと二本角のフレンズの影が浮かび上がる。

「アンテロープ。」

 その隣に大柄なたてがみのフレンズのシルエット。

 二つの影が頷くのが見える。

「ブツは?」

 たてがみのフレンズが右手に大きな包みを掲げて近付く。ライトで中身を確認する。上着のポケットから厚みのある封筒を取り出して渡すと、左手でそれを二本角のフレンズに差し出した。

 二本角が封筒から紙幣を一枚抜き出すと、ポケットから何か取り出す。ライターか。紙幣に近付け、…なんだか手つきが怪しいな。着火してその灯で…

「うわっ!?っつ!」

 小さな火柱が眼前を舞う。反射的に掴み止める。我ながら良く取れたもんだ。

「あぶないよー。」

 こっちの台詞だ。全く、なんだって火力を最大にしてるんだ。

「セーちゃん、火は苦手なんだから。ライトにしようって言ってるじゃない。」

「だ、だって…、それじゃあ、ハードボイルドじゃないじゃない。」

「どうしてライターがハードボイルドになるんだ?」

「セーちゃんは昔観た探偵ドラマの主人公に憧れてて…」

「マーちゃん!余計な事言わないで。」

 探偵ドラマ、ライター、火力…。脳裏に懐かしい主題歌と共にスクーターに乗った男の姿が映し出される。

「……クドーちゃんね。」

 ありゃ、ハードというよりハーフボイルドだろ。

 左手に持ったライターをそっと差し出すと、二本角が紙幣を火に透かして見た。二枚、三枚と無作為に抜き出しては火にかざす。

 遠くから駆動音が近付き、頭上を通り過ぎて行った。二台、車とバイクか。

「いいわ。取り引き成立よ。」

 封筒を懐にしまいながら二本角が言う。

 火を消したライターを渡し、包みを受け取る。ずっしりとした重みがある。

 二つの影が暗闇に紛れていく。遠ざかる足音を背にして、俺もその場から去った。



 ヒトとフレンズが共に生きる街ジャパリポリス

 数え切れない絆の果てに俺達は出会った

 喜びと悲しみを分かち合って私達は歩む

 今日から始まる未来へと



 心地良い眠りから覚め、ゆっくりと身を起こす。カーテンの隙間から注ぐ光が柔らかい。

 シャツを羽織って部屋を出る。驚くかな?我ながらちょっと大胆だったかも…。はにかんだ彼の笑顔を思い浮かべて口元が綻ぶ。香ばしい匂いが漂ってきて鼻をくすぐり、胃袋が声を上げる。足取り軽くダイニングルームへ向かう。

「とも…」

「おはようございます、オオカミさん。」

「…おはよう、アミメ君。早いな。」

 ……私は踵を返し寝室へと戻る。

 スカートを穿き、身支度を整えてから再びダイニングへ。エプロン姿の智也がテーブルに皿を並べている。

「おはよう、オオカミ。今日は天然マグロのステーキだぞ。」

 バターとにんにくの匂いが漂う。思わず唾を飲み込んだ。

「朝から豪勢じゃないか。どうしたんだい?」

 海の無いジャパリポリスでは海産物は貴重だ。

「まあ、ちょっとな。」

「ふうん。昨日は夜遅くに出掛けていたようだけど、どこに行っていたんだい?」

「俺は夜行性だから。」

「怪しいですね。きっといかがわしいお店ですよ。」

 智也の瞳が虹色の光彩を帯びる。

「あれっ?」

 皿を見失ったアミメキリンが視線を泳がせる。

「…ちょっと何してるんですか!」

 智也がけものプラズム製のマフラーで皿を持ち上げている。

「アミメちゃんのお皿は没収になりまーす。」

「図星つかれたからってやめて下さいよー!」

「お前、最近アリツ化してきたぞ。」

 助けを求めるように彼女が私を見る。

「今のはアミメ君が悪いよ。“玉につけた傷は消せても、言葉につけた傷は消せない”と言うだろう?軽率な言動は慎むべきだ。」

「…さすが、下着にワイシャツの人は言うことが違いますね。」

「んぬぁっ!?」

 またも余計な事を。くそう、このアリツ化キリンめ!

「なんだそれ?」

「なんでもない!」

「ふーん。本当は二人でイチャイチャし…」

「ア ミ メ く ん。」

 睨みつけると彼女はおとなしくなった。全く。

 気を取り直して、料理を頂こう。……うん!

「いい表情だ、オオカミ。じきにおまえはそれ無しでは生きられないカラダになるのさ。」

「…そう言う君もアリツ化してきたな。」

「要するに餌付けですよね。」

「じゃあ、お前にはお代わりはいらないな。」

「わ、私はそれが無いと生きられないカラダなんです!」

「うるせえよ。」

 思わず笑ってしまう。ちっぽけでかけがえのない食事風景。それが映画のワンシーンの様に輝いて見える。この街で君と迎える朝が何より大事だと思える。ささやかな、この時が“幸せ”なのかな。

 だけど、どうしてだろう?楽しい時間ほど長く続かないのは。

 そびえ立つ緑の山を前にして私は自問していた。

「どうしたオオカミ。さっきからちっとも進んでないぞ。」

 薄い緑、濃い緑、鮮やかな赤、黄色に紫。大皿に盛られた色とりどりの野菜達。

「ダメですよ。肉食だからって、野菜もきちんと食べないと。」

 問題は量だ。私の頭よりも高く積み上がっている。

「なあ…、これ、三日分くらいあるだろう?」

 アフリカゾウの息子とアミメキリンはさも不思議そうに顔を見合わせる。

「何言ってんだ?」

「どう見ても一食分ですよ。」

 くっ!これだから草食獣は!

 何度フォークを突き立てても、眼前の緑のモンスターは冷ややかに私を見下ろしている。

 ラジオから流れてくる軽快な音楽も、私の絶望的な胸中を変えることはなかった。

「勝ちたい、貴女にだけは負けたくない。その想いが私を更なる高みへと押し上げてくれた。私が走れたのは、貴女がいてくれたから。本当にありがとう、疾風はやて。」

「どうしてそこで遠い目をするのよ。それだと私、死んじゃったみたいじゃない。」

「そろそろお別れの時間となりました。本日のゲストはアテナオリンピックの金メダリスト、飛田紫電とびたしでんさんと、ライバルの人見ひとみ疾風さんでした。」

 トマト。ニンジン。ピーマン。レタス。キャベツ。ブロッコリー。キュウリ。アスパラガス。……顎が疲れてきた。

「地上最速の女と大空の女王か。」

「決勝だと二人とも音速を超えたんですよね!さすがキングの名は伊達じゃないですね。」

「単純に速度だとハヤブサの方が三倍速いけどね。」

 ダイコン。ホウレンソウ。カリフラワー。…野菜、野菜、野菜。……動物だった頃に戻りたい。

「こんにちは。」

「お疲れさまです!」

「お邪魔するわね。」

「アリツさん達が来ましたよ。」

「…どうしたんですか?オオカミさん。燃え尽きてますけど。」

「智也さんの料理で骨抜きにされたんですよ。」

「確かに良い匂いがしますね。ふふふ、私はグルメ雑誌に記事を書いた事もありますよ。」

「それはどうでもいいが。…昼は刺身にするか。」

「悪いわね。催促したみたいで。」

「お昼までまだ時間がありますし、ちょっとおやつにしましょう。はい、今日は草餅です。」

 視界に緑色が入る。反射的に立ち上がる。

「それじゃあ、お茶を…、どうした?」

「いいですよ、私が…、オオカミさん?」

「私はオオカミなんだ。オオカミは肉食獣なんだぁ!」

 私はリビングに駆け込むとソファーにうつ伏せになりクッションを頭にかぶる。

 当分、緑は目にしたくない。

「本日未明、東部環状線で自動車が横転する事故がありました。警察によりますと、道路上のブレーキ痕や車の破損状況等からかなりの速度を出していたとみられ、ハンドル操作を誤って外壁に激突した可能性が高いそうです。ここ最近、同様の事故が多発しており、走り屋と呼ばれる若者を中心としたグループによる暴走行為が原因とされています。警察は病院に収容された運転手の回復を待って、事故の詳しい経緯や暴走行為との関連について聴くとの事です。なお、この事故により環状線の一部区間は通行止めになっていましたが、現在は解除されています。」



 雨上がりの道路の匂い。雲間から青空が覗いている。露に濡れた街路樹の緑が日の光に煌めく。爽やかな風が通りを吹き抜けて行く。

 絶好のお出掛け日和だな。歩くのも良いし、車で遠出をするのも良い。オオカミと二人で。…といきたい所だが、何故かここ数日、彼女の機嫌が悪い。毎日肉を食わせてるのに。

 今日もアリツさんと買い出しだ。粗方必要な買い物は終えて、彼女は馴染みの店でハーブを買っている。店長とは学生時代の友人らしく、二人は世間話に花を咲かせている。俺はその合間に外で手持ち無沙汰な時間を過ごしている訳だ。

 通りを挟んだ向こう側に珈琲店がある。一杯飲もうかな。そう思った矢先に一台の車が駐車場に停まった。

「お、ファイアバード。」

 光沢を放つ漆黒のボディ。フロントバンパーには独特のライト、…色はオレンジだが。こいつは気分が上がる!

 一歩踏み出すと、運転席から細長い人影が姿を見せた。

「よお、未来!久し振りだな。何してるんだ?」

仁登呂ニトロか、奇遇だな。お前こそ…」

 二歩目を踏み出した瞬間、奴の姿が視界から消える。

「取り敢えず、コーヒーでも飲むか。お前の奢りでな。」

 背後から肩を叩かれた。相変わらずだな。

「お前の行きつけだろ。そっちが奢れよ。」

「おいおい、しがないこと言うなよ。公務員の給料と作家先生の稼ぎじゃ、ライオンとハイエナぐらい違うぞ。」

 何だその例え。

 そこへドアが開く音がする。

「お待たせしました。ごめんなさい、つい話し込んじゃって。」

 ニトロの奴はアリツさんを見ると口笛を吹く。

「原田先生も隅に置けませんなあ。」

「違うってんだ。」

「こちらの方は?」

「こいつは…」

「初めまして。俺はニトロ。未来君とは無二の親友さ。」

 そうだっけ?

「どう?俺の車でこれからドライブしない?」

 そう言って指差した先に目をやったアリツさんの笑顔が一瞬で真顔に変わる。彼女の視線が車とニトロの顔を往復する。

「82年型のトランザム。貴方、まさか…」

 いつもの彼女と違う、張りつめた雰囲気だ。

「紅葉坂の“スピードキング”!」

 なにそれ?

「ふっ。その名を知っているとは、君も“彼方かなた”を知る者か。」

 なに言ってんの?

「待ってて下さい!車取ってきますから!」

 言うが早いかアリツさんは乗ってきた車で走り去ってしまう。

「おい、ニトロ、どういう事だよ。」

「俺と彼女は夜空に輝く二つの明星。だが、そのうちの一つは地に堕ちる。今日がその日だった。それが“彼方”に魅入られた者の宿命さだめさ。」

 説明になってねえよ。ニトロは一人で納得している。取り残された俺は仕方なく珈琲店に入った。

「…それで帳簿の改竄を暴いたら、担当の女と一緒に命を狙われて、刺客を返り討ちにしたってよ。」

「会計士の仕事か?相変わらず、あいつだけ違う世界に生きてるな。」

「そう言うお前も、セルリアン退治は小説家の仕事じゃないだろ。」

「当然だ。市民の義務を果たしてやってんだ。」

「そういやお前、漫画家のワオンソンと付き合ってるらしいな。」

「誰に聞いた?」

「噂だよ、噂。うちでもちょっとした有名人だ。仲良くヒーロー活動に励んでるからな。」

「なら感謝状の一つもよこせよ。」

 ニトロと二人、互いや友人達の近況を語り合っていると、窓越しに黄色い車が停まるのが見える。続いてクラクションの音。俺達は同時に席を立つ。

 駐車場では車を乗り換えたアリツさんが待っていた。

 ディアブロじゃねえか。すげぇ車に乗ってるな。しかもこれって…

「何してるの!?早く乗って!」

 彼女の剣幕に押され助手席に座る。隣を見るとハンドルを握ったニトロが親指を立ててみせる。

 スタートと同時に身体がシートに押し付けられる。すぐさま横殴りにドアに押し付けられ、る間もなくシートに。街中で何キロ出してんだ。彼女がアクセルを踏み込む。赤信号だぞ!右に左に車線を変えては前の車を追い越していく。そっちは反対車線だろ!ニトロの奴は?バックミラーを見ると真後ろにつけてやがる。スリップストリームか?舌打ちの音がして車がさらに加速する。

 前に大型のトラックが見える。躊躇無くハンドルを切る。だからそっちは…!別のトラックが迫って来る!

「アリツさぁぁぁん!」

 けたたましいクラクションに急ブレーキの音、トラックドライバーの罵声が耳を通り抜けていく。生きた心地がしない。もう帰りたい。信じ難いことにニトロも平然とついて来てやがる。…こいつら狂ってる!

 短くも長い悪夢の様な時間がようやく過ぎ去った。市街を抜け、外周部の環状線を突き進む。横目で速度計を覗く。さん、びゃく…、ミックスじゃなきゃ死ぬぜ。車線上に他の車は見えない。いよいよ一騎打ちか。ニトロは変わらず真後ろに…、いない!車線を変えたな。サイドミラー、…いた!鼻先を押し込んできた。差が若干縮まる。急カーブを曲がる。窓に顔が押し付けられる。刹那、視界に黒い影が…

 ニトロ!横に並んだ!いや、僅かに奴が速い。

「くっ!」

 アリツさんがアクセルを踏む。抜けない!二度目のカーブ。徐々に離されてるぞ。三度目、スキール音が響き渡る。黒い車体は半分以上前に。なんて奴だ。

「智也さん!降りて!」

「え?」

「車から降りて!早く!」

「無茶言うな!」

 黒い車体が完全に前に出て車線を塞いだ。…勝負あったな。

「私が、負ける?“ワルプルギスの魔女”と恐れられた、この私が…!」

 呟いた声が震えている。…だから、なんなのそれ?

 市街区から離れた所にある道路脇の充電施設で二台は停車する。

 車から降りたアリツさんは不機嫌を通り越した、出会って以来見た事も無い怒りようだ。

「智也さんが降りないからよ!」

 乗れって言ったの君じゃない。俺を睨む眼が猛禽のそれだ。

「ん、うまい!」

 なに食ってんだ。ニトロは容器に入った赤い果物をつまんでいる。イチゴか。向こうに直売所の旗が見えるな。いい気なもんだ。

 アリツさんの方を振り向くと、ふくれっ面で顔を背ける。参ったな。

「乗れよ、未来。送って行ってやるよ。」

 このまま彼女と帰るのも気まずい。俺は容器ごとイチゴを受け取ると助手席に座る。熟した果実を口に放る。甘酸っぱいな。

「お前に付き合うとろくな事がない。」

「つれないな、親友マブダチだろ?」

悪友ワルダチだ。」

 市街区へ引き返していく道中、サイドミラーに後ろから近付いてくる黄色い車が映る。そのまま俺達を追い抜いて猛スピードで走り去った。

「まさかアリツさんが走り屋だったとは。彼女のあんな顔初めて見たぜ。」

「誰にだって裏の顔がある。人は誰しも仮面をかぶって生きているものさ。」

 …ペルソナか。

「ところでな、実はお前に頼みたい事があるんだが…」

 言いながらダッシュボードのボタンの一つを押す。ザーッという音の後に無線通信が入る。

「……工業地区の倉庫街に走り屋とみられる改造車が多数集結しているとの通報……、付近の車両は速やかに取り締まるよう……」

「こんな時間からやるとは、気合い入ってるな。」

 他人事みたいに言うな。

「この所ちょくちょくニュースで聞くな。走り屋の事故。」

 危うく俺も巻き込まれる所だった。

「さすがに上層部ウエもこれ以上は見逃せないから、ちょっとシメろってことだ。」

 どの口が言うんだ。灯台下暗しか。

「で、頼みたい事って…」

「実際に見てもらった方が早い。行くぞ!」

 身体がシートに押し付けられる。残っていたイチゴを口に放り込む。…酸っぱい。甘いやつだけ取りやがったな。全く。

詐欺師チーターめ!」

「はははっ、キングが抜けてるぜ!」



 流れ過ぎていく金網やフェンスを車窓から眺めていた。工業地区の一角、いささか異質で耳障りな機械や金属の音に胸の辺りを掻き乱されるような。煙突から立ち昇る煙が何か不吉なものに見えるような。そう思ってしまうのは私が獣だからだろうか。

 いや、フレンズとなってヒトの歴史に触れた為か。パトカーの後部座席で漠然とそんな考えが浮かんだ。私の意識は過去…、と呼ぶにはまだ新しい数日前の記憶を遡っていた。

 猥雑な繁華街の通りを当ても無く歩く。旨そうな飲食物の匂いに混じって、酒、煙草、香水、それに加えて何やら妖しげな臭いが鼻をつく。人々のざわめきに時折、怒声や罵声に悲鳴までもが聞こえてくる。建物もどこか古びてくすんで見える。明るく清潔感のある中央市街とはまるで別世界だ。スラム街、そう呼ぶのがしっくりくる。

 流石の私も普段はこういう場所へは来ないのだが、連日の智也の野菜責めでストレスが溜まっていたのかもしれない。至る所に樹木が植えられ常に緑が見える他の市街区も、今の私には逆効果だ。むしろ、ごみごみとしたスラムの方が気分が和らぐような。たまには悪くないかな、こういうのも…

「見ろよ、オンナだ。悪かねぇ。」

「いいケツしてるじゃねえか。」

「あの谷間に顔を突っ込みてえなぁ。」

 ……絵に描いたようなチンピラだな。ため息を吐く。

 睨みつけてやったが、男達はニヤつきながら近付いて来る。仕方ない。今の私は虫の居所が良くないんだ。

「待ちなさい!」

 後ろから呼び止められる。制服姿のフレンズが警棒を手に私と男達を睥睨する。

「あ、ブッチーの姉御。」

「お勤めご苦労さんです。」

「あなた達、そこまでにしときなさい!痛い目みるわよ。」

「やだなぁ、ちょっとあいさつしただけっスよ。」

 ブッチーと呼ばれたフレンズに睨まれると、男達は頭を下げながら立ち去って行った。

「ありがとう、助かったよ。」

「余計な仕事を増やされたくなかっただけよ。目の前の傷害事件を見逃す訳にはいかないし、彼らも下品だけど根は悪い奴らじゃないから。」

 咎めるような眼で私を見る。一瞬、智也の顔が浮かんだ。

(すぐに暴力に訴える。野蛮獣め。)

 存外、彼の言うことも的外れではない、のかも…

「うーん、おかしいなぁ。」

「我の目指す場所は何処いずこだろうか?」

「ロッドが反応しませんね。」

「グレビー!行くわよ!」

 もう一人の白黒頭の制服警官に声を掛ける。シマウマのフレンズか。見かけないフレンズの相手をしているようだが。

「くっ、残念ですがダウジングでは見つからないみたいです。」

「悪いけど人生相談なら他を当たることね。」

「我が道のりは遠く未だ光明を見出せず。」

「では知り合いの占い師を紹介しましょう。」

 そんなやり取りを経て二人の警官も足早に去って行く。私も散策を続けるとしよう。尤もその数十分後に期せずして彼女達と再会するのだが。

「ブチハイエナとグレビーシマウマのコンビだろ。うちの常連さ。ブッチーはここいらの不良ワル連中からは慕われてるんだ。」

 ホットドッグを買ったついでに店主から話を聴いていると、当人の声が耳に届いた。

「止まりなさい!」

 声の調子からただ事ではない様子だ。礼の言葉もそこそこに私は駆け出す。揉め事に首を突っ込みたい訳じゃないが、結果的とは言え彼女には助けてもらったからな。

 通りから路地へ走り込む姿を見つけた。私も後に続く。彼女の背中越しに若い男とその前方に立ち塞がるグレビーが見える。

「おとなしくしなさい!少し話を聴くだけよ。」

 私の出る幕ではなかったか。そう思ったが、男の様子が変だ。首…、肩の辺りを押さえて身を震わせている。こちらを見る眼が紅い光を放った。

 絶叫と共に男の右腕から黒い刺が無数に生え、瞬く間に腕全体を覆い尽くして膨れあがった。長さも太さも元の腕の倍以上だ。一体これは…、新手のセルリアンか?

「…動かないで!」

 動揺しながらもブチハイエナが拳銃を構える。唸り声を上げて男が飛び上がり変貌した右腕を振り下ろす。

「下がれ!」

 彼女を抱えて飛び退く。凶々しい刺の塊が鞭の様に地面を打つ。

 私は立ち上がり、構えた右手に意識を集中させる。男が右腕を振りかぶる。

「遅い!」

 一息に間合いを詰め、すれ違いざまにけものプラズムの刃で黒い塊を斬り裂いた。

 異形の腕が地に落ちる。男が右腕を押さえる。人間の腕を。身体そのものが変化したわけではないのか。擬態したセルリアンではない?

 男の肩の部分。最初に押さえていた所。あれはセルリアンの石だ!サンドスターを凝集させた左拳で石を叩き割る。肩を覆っていた黒い刺が粉々になり、煙の様に消えて無くなった。

 倒れた男の首に手を当てる。…この匂い。視界に黒い欠片が…、石の破片か。

「大丈夫だ。息はある。」

 近付いてくるブチハイエナに答える。互いにホッと息を吐いた。

 …のも束の間、背後で小さく悲鳴が上がる。

「み、見て!」

 先程斬り落とした異形の腕がブルブルと震えている。まだ砕けていなかったのか!?

 切断面に眼が現れた。棘を脚の様に蠢かせて地を這っていく。さながら、黒いムカデだ。ちょっと気持ち悪い。

 呆気に取られた私達を置いて、そのまま裏通りへと向かう。

「待て!」

 我に返って追いかける。逃がすわけにはいかない!

 路地を抜けたその時、一陣の突風が吹いた。鋭い破裂音が数回した、と思った時には宙に浮いたムカデが砕け散っていた。何が起こった?

 一瞬だが、何者かが通り過ぎて行ったような…

 私が見逃すなんて、恐ろしく速いぞ。

「あのセルリアンは!?」

「ああ、問題ないよ。」

 地面に散らばる破片が蒸発していく。

「やるわね!貴女。」

「いや、私じゃなくて…」

 何だ?この感じ。観られている、誰かに。周囲を見回すが不審なものはない。

 駆動音がする。振り返ると視界の端にオレンジ色の光跡が映った。

「今、応援を呼んだわ。悪いけど貴女にも話を聴かせてもらうから残ってくれる。」

「それは構わないよ。」

「ありがとう。私はブチハイエナ。貴女は?」

「私は…」

「タイリクオオカミ!着いたわ。」

 声を掛けられて私は現実に引き戻される。目的地の整備工場に着いた。パトカーを降りると、“ブラウン・メンテナンス・サービス”と書かれた看板が目に入る。敷地内には数台の車が並んでいる。黒い車の隣に見慣れた車体が目に入った。

 建物内に入ると三つの人影があった。長身痩躯の男が口を開く。

「よう、西部署のブッチーか。妙な所で会うな。」

「飛田巡査!ここで何をしているんです?」

「ヒマだからダチと遊んでるだけさ。」

 この男も警官か。青地に向日葵柄のアロハシャツ。黒のメッシュが入った金髪。スポーツサングラスを掛けている。細身に見えるが、シャツから覗く腕は引き締まっており胸板も厚い、かなりの筋肉質だ。

 その両隣には対照的な体格の良い男達が立っていた。一人は言うまでもない。よく知った顔と身体。傲慢で狡猾な獣。大きくて優しい動物。どちらも彼の素顔だ。

「ニトロの同業か。それで何の御用だい?言っておくが、うちは認可を受けている真っ当な会社だよ。」

 もう一人、作業服の男が言う。上背は智也より低い、飛田と呼ばれた男と同じくらいだ。ただ横幅は三人で一番広い。服の上からでも分かる、マッチョな体型。首回りや二の腕は智也より太いぞ。

「茶臼恵芽斗さんね。今日は貴方に訊きたい事があるの。協力してもらえる?」

「なんだい?スリーサイズか、好きな女のタイプか?今度の休日なら空いてるぜ。」

「この工場で違法な改造を行っているそうね。」

「うちは認可を受けている。二度も同じ事を言わせないでくれよ。俺は無駄は嫌いなんだ。」

「表のジムニー、BOSS(基本操作補助システム)が付いていませんね。違法車両ですよ。」

 グレビーの言葉に智也が目を泳がせる。

「で、それが何の問題だ?なあ、コング。」

「ああ。警察から注意を受けたってんで車を持って来た。ニトロのツテでな。今からここでBOSSを取り付けるんだ。何か文句があるのかい?」

「いいえ。では、エメトさん…」

「コングでいい。」

「語呂が悪いしな。」

「お前に言われたかねえな。」

「違法車両に乗っていた走り屋がこの工場の常連だと、耳にしたんですが。」

「噂だろ。ウラは取ってあるのかい?シマシマ姉ちゃん。」

「事故を起こした走り屋の車から、この工場で扱っている部品が出てきたわ。」

「そりゃそうだ。うちは車の整備工場だ。車のパーツを扱ってる。」

 ブチハイエナの鋭い視線を受けながらコングは淀みなく答える。それを飛田はニヤニヤ笑いながら見ている。グレビーはフラフラと歩きながら工場内を物色しているようだ。

 智也が顎をしゃくって合図をしてきた。

「ちょっと彼と話をしてきてもいいかな?」

「いいわ。」

「御自由に。…ブッチー、これを見て。」

「俺オシッコしたいんだけど。」

「さっさとしてくればいいでしょ!」

 怒鳴るブチハイエナを背に私は智也と建物を出る。

「珍しい所で会うな。漫画の取材か?」

「君の方こそ、いつから走り屋になったんだい?」

「友と久闊を叙しているだけだ。」

「不良警官と違法整備士か。友達は選んだ方がいいよ。」

「それはこっちが言いたいね。ま、それはさておき。」

 工場内を見ながら続ける。

「走り屋連中の事故、裏でセルリアンが関わっている。あの二人の狙いもそれか。」

「その口振りだと君も。あのニトロと言う男かい?」

「ひいばーちゃんは言っていた。生涯の友に勝る宝は無いと。」

 久し振りに聞いたなその言葉。

「君はどうして警察ごっこを?」

「大元は君なんだが、まあいい。私は偶然その場に出くわしたんだ。」

 彼女達と出会った日の事を話す。

「…で、その時に拾った石の欠片をバビルサに調べて貰った。」

「現場から証拠品を持ち去ったのか。君も大概だぞ、これだからオオカミは。」

「それを見逃して貰う代わりに捜査に協力しているといった所だよ。」

 私が笑ってみせると、彼はわざとらしく額に手を当ててため息を吐く。

「それで、調査の結果は?」

「まだはっきりとは分からないが、バビルサが言うには、セルリアンの卵という表現がしっくりくるらしい。…人間に寄生する。」

「ニトロの話だと、事故を起こした走り屋はセルリアン化した自動車に襲われたらしい。」

「あの二人は走り屋達や、彼らが利用する整備工場を洗っているんだ。」

「ニトロは車の方だな。レースに紛れ込んでいるそいつをどうにか引っ張り出したい。そいつが元凶か、あるいは…」

 私と智也は顔を見合わせる。口に出さずとも考えている事は同じだ。

 工場から獣の吠える声が聞こえてきた。私達はひとまず中に戻る。

「なんですか、やめて下さい!」

「スティーブン!」

 工場の隅でグレビーがイヌに絡まれている。コングが制止するとようやくおとなしくなった。

「そういや、アルバートはどうしたんだ?」

「あいつはもういない。…フレンズになっちまったからな。」

「ところで、それは?」

 ブチハイエナがグレビーの側にあるシートに覆われた車らしきものを指差す。

「見せてもらえる。」

 コングが頷くとグレビーがシートを剥がす。中からは一台の車が姿を現した。

「見ない型ね。」

「レース用、というか展示用でしょうか?」

「走り屋の車なら見た目も重要だろう?」

 私が言うと智也が首を振る。

「分かってないな。オオカミ、こいつは車じゃない。」

 他の二人も首を縦に振っている。いや、どう見ても自動車だと思うが。

「なら一体何だと言うんだい?」

 三人の男が同時に口を開く。

「タイムマシンだ。」

「タイムマシンさ。」

「タイムマシンだよ。」

 警官二人と顔を見合わせる私の前で男達が和気藹々と語り出す。

「ちゃんとタイムサーキットもあるぞ!」

「時速88マイルだよな!」

「生ゴミの代わりにサンドスターで動くようにしようぜ!」

 私達そっちのけで盛り上がっている。…全く、これだからオトコって生き物は!

「ほっといてもう行くわよ。」

 そう促されて私はパトカーに乗り込む。

「いいのかい?」

「必要な情報は聴き出せたわ。」

「へえ、流石だね。」

 そう言ったのだが、彼女はどこか不機嫌な様子だ。

「どうにも飛田先輩に踊らされてる感じなんですよ。」

「とにかく、捜査を続けるわ。タイリクオオカミ、貴女にもまだ手伝ってもらうわよ。」

 ゴールまではもう少しかかりそうだが。

「乗り掛かった船だ。最後まで付き合うよ。」



 流れ行く雲の狭間から中天へと昇り行く半月が垣間見える。地上には群れなす鋼の獣達が双眸を輝かせていた。

「こちらニトロ。感度は良好、そっちはどうだ?」

「こっちも問題は無い。」

 レース用に調整した自動車型タイムマシンの操縦席で小型通信機から聞こえる声に答える。周囲には正統派から色物まで、多種多様なマシンがひしめく。まるで百鬼夜行だな。

 走り屋達による闇のレース。鉄と油の匂いが鼻腔を満たし、モーターの唸りとスキール音が耳をつんざく。信ずるは己自身。決意を胸に、誇りをマシンに、意地がハンドルを動かし、執念がアクセルを踏む。見据えるはただゴールだけ。望むはただ勝利のみ。“速さの彼方”で魂がぶつかり合う戦場に、今また一人の男がその身を投じようとしていた…!

 ……漫画じゃねえんだからさ。気違いどもと一緒にされちゃかなわん。

「もうじきスタートだ。頼んだぞ、未来。」

「レースに出るのは頼まれたが、勝てるとは言ってないぞ。」

「前にも言った通り、操縦は俺がやる。お前は座ってればいい。」

「前にも言ったが、お前が直接出ればいいじゃねえか。」

「俺は顔が知れてるんでね。それに、ピンチの時に颯爽と現れるのがヒーローだろう?」

 ハクトウワシと気が合いそうだな。今度紹介してやろうか。

「お前には感謝しているんだ。こいつはお前にしか頼めない仕事だからな。…ありがとう未来。お前がいてくれて、本当に良かった。」

「遠い目をしながら語るな。」

 こういった所も母親譲りだな。

「ま、お前なら頑丈だから、滅多なことじゃ死なないだろうしな。」

「なにい?」

 アラーム音と同時に車が急発進する。取り敢えずハンドルを握る。

 …さん、よん、ご。先頭集団のちょい後ろ。出足はまあまあか?

 後ろから一台、凄い速さ…、火を吹いてるぞ!あっと言う間に先頭集団を追い抜いて見えなくなった。赤い閃光が走り、爆発音が轟いた。

「…爆発したぞ!」

「“ロケットガイ”だ。走り屋名物のロケット花火。やっこさん、マシンにロケットエンジンを積んでるらしい。」

「馬鹿じゃねーの!!」

 そんな物積むな!積めるのか?どこから持って来た!?

 カーブを曲がる。前の車が曲がり切れずスピンして…、そのままバック走行してやがる!横に並んだ。視界が白く染まる。フラッシュか。何故、写真を?

「そいつは宙返り走行の“マーベリック”。良かったな、お前もライバル認定されたぞ。」

「俺は走り屋じゃない。」

 ましてやこんな狂人どもと一緒にするな。

 宵闇の中レースは続く。

(お袋には永遠に分からんさ。)

 走り屋達を取り締まる、と見せかけて奴らを逃した日にニトロはそう語り始めた。

(走ることが楽しかった。仲間達と競い合うことが。勝つ喜びも負ける悔しさも。だが、勝ちたいと思い、勝って、勝ち続けて、やがて、誰も俺とは走ってくれなくなった。そして俺は、…走るのをやめたんだ。)

 ヒトとフレンズの間に生きる者達、か。

(お袋の様に、独りで走り続けることも、ライバルと出会うこともなかった。)

 前に一台。ドアが開いた。何だ!?

 外れたドアが飛んで来やがった。避けなかったらやばかったぞ。

「“ダーティージョー”の飛び道具か…。何人もの走り屋が餌食になった。」

 そう言う声色が冷たい。

「少々、お仕置きが必要だな。」

 奴と並んだ。そのままカーブを…、内側から奴が迫って来る。こいつ…!

 ぶつかる寸前、加速して抜ける。ダーティージョーの車はガードレールに激突して横転。ここでリタイアだ。

コイツは俺を裏切らない。コイツでなら、誰とでも対等に勝負が出来る。だからこそ、レースを汚す奴は許せねえ…!)

 いつもはクールなニトロが、あの時だけは感情を曝け出した。

 尚も走り続ける。前方にテールランプが見える。

「“マスタング”!気を付けろよ、未来。そいつは本命候補だ。」

 なかなか差が縮まらない。素人目にも凄腕だってのが伝わるぜ。

 バックミラーに光!猛スピードで迫って来るぞ!赤い、コルベット!?抜かれた!

 何だ!?すれ違った瞬間、寒気が。まさかこいつが?

「ニトロ!」

「どうした未来?…今の奴か?」

「…勘としか言いようがないがな。」

「そいつを待ってた!セルリアンと戦ってきた、お前の勘をな!」

 コルベットがマスタングと並んだ。先頭はこの二台、やや遅れて俺。レースは三つ巴って所だな。…普通のレースならな。

 ゴールが近付く。コルベットが…!?腕が生えた!赤黒い腕か、触手がマスタングを攻撃しているぞ。やっぱりあいつが…!

「未来!タイムサーキットを使え!」

 タイムサーキットのスイッチを押す。小さな破裂音がして外装が弾け飛んだ。モーターの駆動音が高く響く。二台の車がぐんぐん近付いて来る。

 マスタングがコルベットから距離を取る。その間を通り越す。

 コルベットのライトが毒々しく緑に光った。どうやらこっちを獲物に見定めたようだ。

「未来!そこからはお前が運転しろ!俺もすぐに行く!」

「無茶を言うな!」

 コルベットの触手が伸びてくる!ハンドルを切る。道路に突き刺さった。くっそう。串刺しになるか、事故るか、碌なもんじゃねえ!

 赤い車体が震え、表面が蠢いている。今度は何だ!?見る見るうちに変形して、人型になった!

「ロボットアニメじゃねえんだぞ!」

 カーセルリアンが腕を振り下ろす。道路が陥没する。震動がこっちにも伝わってくる。さっきからアクセルを踏みっぱなしなのにちっとも振り切れない。

「ちくしょうめ、どうしろってんだ。」

 奴が再び腕を振り上げる。避けられるか?

「かわせぇぇぇ!」

 視界の端、サイドミラーに接近してくるオレンジの閃光が。カーセルリアンの足にぶつかる。片足立ちになったセルリアンがバランスを崩して倒れた。

 黒いファイアバード!ニトロか!確かに、今だけはヒーローだな。

 周囲の景色が形を取り戻す。三十分も経ってないだろうに、何十時間も走ってたみたいだ。走り屋なんて冗談じゃないぜ。

 車を降りる。二本の足で歩くってのは素晴らしいな!

 ライトに照らされた人影に駆け寄る。

「ニト…」

 誰だ?黒地に金のレーシングスーツ。フルフェイスのヘルメット。いや、ニトロだよな。

「無事か、未来智也。俺はナイトロード。」

 ナイト…、Knightroad?騎士道なら、Chivalryだろ。

「話は後だ、まずはこいつを倒す。」

 カーセルリアンが起き上がる。改めて見るとでかいな。元の車より大きいんじゃないか。緑のライトがこちらに暗い光を放つ。睨まれてるようだ。

 奴の拳が迫る。後ろに跳んで躱す。道路が抉られ破片が飛び散る。

「こっちだデカブツ!」

 ニトロが素早い動きで奴を翻弄する。

「おっと!」

 体勢を崩した。いや…、ヘルメットの下の眼が俺を見ている。

 デカブツが拳を突き出す。俺はマフラーを奴の腕に絡み付ける。

「オオカミィィィィィ!!」

 力の限りに引っ張った。

 ………こういう時は好きな女の名前を呼ぶものだろ。

「ナイスだ!」

 跳び上がったニトロはデカブツの体を駆け登っていく。奴の体に小さな円盤が取り付けられていく。

 カーセルリアンの頭から地面に着地したニトロが右腕を高々と上げる。指を鳴らす小気味の良い音が響く。円盤が輝き始め、セルリアンの体を無数の虹色の光球が覆った。サンドスターと奴の体を構成するサンドスター・ロウが対消滅を起こす。

「見ろ!」

 思わず指を差す。虫食い状になった奴の体の中央部、人間で言えば胸、心臓の辺りにヒトの姿が見える。コルベットのドライバー、核として取り込まれたのか。

「未来!石だ!石を壊せ!」

 ドライバーの胸に暗緑色に煌めく石が突き刺さっている。表面が脈打っているようにも見える。

 中腰に構えたニトロが両手を掬い上げる動作で来いと告げる。頷き返すと俺は走り出す。組んだ両手に左足を掛ける。ヘルメット越しに虹の光が映る。

「飛べぇー!!」

 ニトロの全身が発条の様に俺の身体を弾き飛ばす。

 広げた掌を、小指、薬指、中指、人差し指、親指、ゆっくりと拳を形作る。弓を引き絞るように左腕を振りかぶる。

 カーセルリアンの心臓部、核となったヒトの胸、暗緑色の石を目掛けて渾身の突きを繰り出す。

 石が砕けるとセルリアンの全身も輝く粒子となって夜の闇に溶けていった。

「おい!大丈夫か!」

 道路に仰向けに倒れたドライバーの横っ面をはたく。微かだが呻き声をあげた。どうやら息はあるようだな。やれやれ。

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「助かったぜ、ニトロ。……ニトロ?」

 振り返った先にはただ薄明かりに照らされた道が続いているだけだ。

「ニトロ!どこだ、おい!…ニトロ!!」



 レース場となった道路。そのゴール地点を見渡せる丘の上から一部始終を眺める影がひとつ。

「あらあら、やるじゃないあの子達。これで撒いた種は全部かしら。まあ、試運転としては上々ね。ウフフ。」

 双眼鏡を覗きながらほくそ笑む。そのまま周囲を探るように頭と身体を大きく振る。

「あら?新しいフレンズを発見!……タイリクオオカミね。」

 芝居がかった仕草でこちらを見た。大柄な美女。黒髪の所々が青緑がかっていて、同じ色合いのライダースーツを着込んでいる。

「まずは自己紹介しましょうか。私の名はスポグログ。元になったフレンズは“ゴルゴンの眼”を持つ者、ゴルゴプスカバよ。」

「保安警察省西部署、刑事部捜査課所属のブチハイエナよ。両手を上げて頭の後ろで組みなさい!」

「同じくグレビーシマウマです。あなたには弁護士を呼ぶ権利があります。あなたには取り調べに対して黙秘する権利があります。あなたの証言は法廷であなたにとって不利な証拠として提出される事があります。…これ一度言ってみたかったんですよ。」

 スポグログはゆっくりと両手を上げる。

「それにしても、よく私を見つけられたじゃない。」

「走り屋達からバイクに乗ったフレンズに会ったと証言を得たわ。」

「私のダウジングとタイリクオオカミさんの鼻がここを指していたので。」

「気になったんで、事故現場を見せてもらったんだ。そこで同じ香水の匂いがしたものでね。」

「そう、ヒトの真似をしてみたのだけれど、それが仇になったわね。」

 掌をこちらに向けたまま、艶めかしく笑う。

「貴様もズーロギアンだろう。目的は何だ?」

「あなた達を苦しみから救うこと。」

 目を伏せると憂いを帯びた表情を見せる。

「何?」

「詳しい話は後で聴かせてもらうわ。」

 拳銃を構えたままブチハイエナが近付こうとする。

「…だから、貴女達もセルリアンになりましょう。」

 上げた眼が緑に輝く。両の掌から黒い塊が浮き出てきた。鋭い尖端がこちらを目掛けて飛んでくる!

「危ない!」

 けものプラズムの刃で斬り払う。

「本性を現したな!」

 身をかがめて地を蹴る。蒼く輝く刃を奴に向かって突き出した。

 視界が回転する。全身に強い衝撃。

 空に浮かぶ月。…投げられた?奴の顔が私を見下ろしている。

 立て続けに銃声が鳴り響いた。

「それ以上動くんじゃない!」

 何事も無かったかのようにスポグログがブチハイエナの方を向く。

 私は身を翻して起き上がる。サンドスターを集中させた右手を振り上げる。伸びろ、蒼き刃よ。月に届くまで…!

「スポグログ!!」

 振り返った奴を目掛けて右手の刃を振り下ろす。

「……馬鹿な!」

 受け止めた!?…片手で!

「くっ…!」

 けものプラズムが消える。集中が途切れた。…まだだ!

 私は再度、両手にサンドスターを集中させる。

魔狼咬殺フェンリルバイト!」

 超硬質化させたけものプラズムの刃で奴の身体を挟み込み、圧し潰す!

「…くそっ!!」

 平然と両手で止められる…、ばかりか押し返されている…!

 スポグログの唇が歪む。…しまった!私も身動きが取れない。両眼の緑の光が増す。何だ?背筋が粟立つ。…何か、まずい!

 技を解いて身を伏せる。暗い緑の光芒が虚空を貫いて奔った。危なかった…!奴が体勢を崩さなければ当たっていたかもな。

「ありがとう、おかげで助かった。…それで、君は私達の味方でいいんだよな?」

 仮面の闖入者が頷き返す。獣を模したようなデザインのマスク。黒と黄色の戦闘服バトルスーツ。ヒーロー漫画の主人公みたいだな。…コスプレか。

「思ったより速いじゃない。さすがは正義の味方、と言ったところかしら。」

 わざとらしく膝裏をさすりながらスポグログが言う。さすっていた右手を離すと掌を上に向ける。今度は何だ?私は膝を曲げて構える。

 奴が掌を閉じた。

「足下!」

 弾かれたようにその場から飛び退る。足下の地面が盛り上がり口を閉じる。見た覚えがある。ハエジゴクだ。あるいはトラバサミか。

「あら残念。貴女、意外と目が聡いわね。」

 グレビーを見る眼が緑に染まる。

「伏せろ!」

 奴の眼から暗緑色の光線が再び放たれた。

「…はしっこいわね。」

 グレビーを抱き抱えたコスプレマスクを横目に低く呟く。本当に速いな。私以上かも。…負けてはいられないな。

「スポグログ!」

 奴に向かって駆ける。右手の光刃を薙ぎ払う。掌で止められる。左手の光刃を突き出す。肘で受け流される。右肘で顎を打つ。鳩尾を蹴る。効いていないか。足裏に違和感。奴が掌を閉じる。宙に跳ぶ。私を見上げる緑の眼が輝きを増す。

「オオカミ!」

 連続で発砲音がする。全く怯む事なく奴が光線を放つ。両手の光刃で黒ばんだ緑の奔流を断ち割る。そのまま頭上から双つの刃で斬り掛かる…

 寸前で刃を消す。受け止めようと両手を上げたスポグログの眼前に着地する。奴が困惑の表情を浮かべる。私は膝をついて両拳を地面に置いた。

地狼噴撃ウルフゲイザー双烈ダブル!」

 眩い光の柱がセルリアンの全身を押し包む。

「……やってくれたわね。タイリクオオカミ。実に賢しい手を使うケモノだこと。」

 低い声音で告げるスポグログは衣服が消え、全身が剥き出しになっている。骨?いや、黒い石の体。表面には緑の光の筋が不規則に波打っている。顔の皮膚も所々剥がれ落ちて、ホラー映画の怪物モンスターみたいだ。

 思わず後ずさる。喉を掴まれた!身体が浮き上がる。見開かれた眼には緑の光が満ちている。こちらはサンドスターの消耗が激しい。大技での反撃は無理だ。中指の一本拳で肘関節の内側を打つ。手が緩んだ。両脚で奴の体を蹴って引き剥がす。

 即座に跳び退いて光線を躱す。奴が頭を回す。緑の光刃が空間を薙いだ。

「おっと!レディに対してあまり無体を働くもんじゃないぜ。」

「そうね。…私もレディなのだけど。」

 声音と共にスポグログの顔が元に戻っていく。体が、衣服も再生していく。

「だったらお淑やかにしていて貰おうか!」

 コスプレマスクが瞬時に奴を挟んだ向かい側に移動する。

「スピードは大したものだけど、それだけじゃ私は…、あら?」

 唐突に地面に倒れ込んだ。

「オーエド時代のドーシンから伝わる捕縛術さ。そいつは新開発の特殊ワイヤーだ。そう簡単にはほどけんぜ。」

 その言葉通り、スポグログは胸の前で両手を合わせた状態で身じろぎしている。

「その技は…、やはり貴方は飛…」

「俺はナイトロード。フレンズの味方、セルリアンの敵だ。」

 ナイト…、アニメかゲームのキャラみたいな名前だな。

 ブチハイエナは納得いかない様子で顔をしかめている。彼の正体を探るよりも、今は…

 私は拘束されたまま横たわるスポグログに近付く。

「あら、駄目よ。無抵抗の容疑者に危害を加えるなんて。」

「あいにくと、私は警察官じゃないんでね。」

 突如、三台のバイクが割り込んできた。スポグログを守るように取り囲む。ヘルメットもスーツもバイクも黒ずくめだ。ヘルメットの下で紅い双眸が灯る。

 三人のライダー達が見る間に変貌していく。以前の走り屋と同じだ。変形したバイクとも一体になり、現れたのは…。ヒトの上半身に四本脚の下半身、…神話に出てくるケンタウロスだ。

「セルリソイド、と名付けたのよ。」

 スポグログの体が起き上がる。

「ヒトとセルリアンの新たな可能性。進化よ。」

 糸で引かれるように奴の体が宙に浮いた。

「旧き生命は淘汰され、私達ズーロギアンとこの子達セルリソイドが、この星の新たな支配者になる。」

 更に上空へと昇っていく。この能力は…

「セルリアンと一体化する事が進化だと!?」

「そうなる事でヒトもフレンズもあらゆる苦しみから解放されるわ。素晴らしいでしょう?…それを受け入れられない者は滅びるしかないわね。あなた達のように。」

「それが貴様等の目的か。ふざけたことを…!」

「私の目的はセルリソイドを生み出すこと。あなた達を滅ぼすのは、あの二人の役割よ。その為に私達のうちの幾つかは欠けてしまうけど、それも当然ね。弱者には滅びを、それがこの世界の掟だもの。」

 夜空の闇に奴の姿が紛れていく。銃を向けるブチハイエナをコスプレ…、ナイトロードが制止する。

「よせ!冷静になれ、今はこいつらに対処するのが先だ。」

 三体のケンタウロスは私達四人の周りを輪になって駆けている。

「こいつらは中にヒトが入っている。セルリアンの殻を破って、核になったヒトの身体の石を壊せば元に戻る筈だ。」

「なら、君が足を止めてくれ。私が外殻を剥がす。石を壊すのは君達に任せるぞ。」

「分かったわ!」

「了解です!」

「行くぞ!」

 三方向からケンタウロスが襲ってくる。槍と化した腕を掻い潜り、前方の一体に狙いを定める。ナイトロードがワイヤーで脚を搦め捕る。けものプラズムの刃で殻を斬り裂く。グレビーのダウジングロッドが石を砕く。

 その背後からケンタウロスの槍が迫る。

「グレビー!」

 自身ももう一体の槍を躱しながらブチハイエナが銃を連射する。槍の根元、肘の部分が砕け散った。

「いい腕だ!らせるには惜しい。」

 ナイトロードが一体を縛り付け、残る一体には円盤を投げ付ける。前脚に当たった瞬間、虹色の光と共に脚が砕けてケンタウロスは倒れ伏す。

「よし!あとは任せろ!」

「なら、任せたぜ。」

 その声を残して、私の側を一陣の突風が吹き抜けて行った…

「三人とも生きてはいますね。セルリアンと同化していた時間が長いようだから、どうなるかは分かりませんが。」

 搬送されていくライダー達を見ながらグレビーが呟いた。

「レースの方も片が付いたようね。ご苦労様。協力に感謝するわ。」

 応援の警官と話していたブチハイエナが手を差し出してくる。

「ところで、貴女、警察の仕事に興味はない?」

 握手を交わすとそう尋ねてきた。答える前に彼女が続ける。

「でも貴女はオオカミの割にはスタンドプレーが多そうだし、やっぱりいいわ。聞かなかったことにして。」

 そう言って足早に去っていく。

「ブッチーもワオンソン先生のファンなんですよ。『ジャガーさんが通る』の続きが読めなくなると困りますからね。」

「グレビー!何してるの、置いてくわよ!」

 遠ざかっていく二人を見送り、私は夜空を仰ぐ。半分に欠けた月が白い光を投げかけていた。



「勝ちたかった。負けたくなかったんだ。どうしても勝ちたくて…。そんな時に、あの女と会ったんだ。なんとなくヤバイ感じがしたけど、レースで勝つためなら、そう思って…、言う通りに…」

 取り調べに答える走り屋の男。その様子をマジックミラー越しに眺めていた。

 レースの騒動から一週間後、ニトロに呼ばれた俺は取り調べに同席することに。

 事件の黒幕はスポグログと名乗った新種のフレンズ型セルリアン、ズーロギアンの一人だ。セルリアンに寄生された走り屋達は全員が治療を受け、セルリアン化した自動車も破壊された。ひとまずは一件落着か。

「…あいつの気持ちは分からんでもない、こともない、かもしれない。」

「珍しく歯切れが悪いな。お前らしくもない。」

「ん、まあな。負ける奴の気持ちは、軽々しく分かるとは言えん。」

 署内の廊下を並んで歩く。

「勝ちたいという欲望、負ける悔しさ、妬み。ヒトならではの感情が今回の事件を引き起こした。なあ、ニトロ。それでもお前は走りを続けるのか?」

「愚問だな。負ける奴がいるから、勝つ奴もいる。あいつが本当に負けたのは自分の弱い心にだ。勝ちたいと思うから、真剣に勝負をする。本気で勝負をするからこそ、勝者も敗者も互いを称え合えるんだ。その為には勝負は公正フェアであるべきだ。」

 人は誰しも裏の顔を持っている。表と裏。表裏一体。勝利と敗北も、二つでひとつか。

「俺は逃げない、勝負から。そして負けない、自分にな。お前はどうだ、未来?」

「愚問だな。ヘミングウェイは言っている。この世界は素晴らしい…」

 醜さに目をつぶれば、美しさも見えない。

「戦う価値がある!」

「戦う価値がある!」

 俺とニトロは互いに笑い合う。

「真似するな。」

「パクるなよ。」

 警察署の入口が見える。

「話は変わるがな、未来。」

 ニトロの輪郭が一瞬ぼやける。

「こいつはどういう事だ?」

 手に持った雑誌を突き付けてくる。開かれたページの文字が目に入る。

 “神出鬼没のヒーロー、ザ・ビヨンド!その素顔は!?”

 リンが書いた記事だな。

「何だ?ザ・ビヨンドって。」

「俺が名付けたんだ、格好良いだろう?」

 ニトロの口がへの字に曲がる。

「で、それが何の関係があるんです?教導課の飛田刑事。」

「いや、何も。」

 外に出る。青い空に日射しが眩しい。

「乗ってけよ、未来。ドライブと洒落込もうぜ。」

「いや、結構だ。帰りはオオカミが迎えに来てくれるんでな。」

 丁度良く、バイクに乗った見知ったシルエットがやって来た。

「やあ、智也。待ったかい?」

「今出て来た所さ。…どうした?そのバイク。」

 赤い、何と言うか、未来的なデザインだな。

「コングの所でバイクの整備もしてくれるって言うから、持って行ったら、代わりに乗って行けって言われてね。…運転するかい?」

「ピーキー過ぎてお前にゃ無理だ。」

「…へっ、そんな車に乗ってる奴が言えたことか。」

 オオカミの後ろに跨る。

「やっとモーターのコイルが暖まってきたところだよ。」

「じゃあ、俺達は行くぜ。」

「そうだ、飛田巡査。色々とありがとう。」

「互い様さ。」

 俺達とニトロは同時に走り出し、左右に曲がるとそれぞれの道を目指して行く。バイクと車の駆動音が空に響き渡った。



 飛田仁登呂だ。ジャパリポリスを覆う黒い影!街を蝕む陰謀!迫り来る敵!友との誓いを胸に、愛する者を守る為、男は今!戦士の仮面をかぶる!終わりなき戦いの果てにその瞳に映るものは?次回!超音速ヒーロー!ザ…!

 何言ってるんですか!勝手に予告を変えないで下さい!

 そうですよ。次回の秘境探検では私のダウジングが大活躍するんです。

 貴女もよ!乗らないで。まったく、たまには私もゆっくり休みたいわ。どこか、南の島の、静かな森なんかいいかもね。



 次回 『Wiseman in the wilderness』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る