第14話 Vocalize inmost emotion

 穏やかな風に運ばれて、夜気が身体を包み込む。懐かしさすら憶える宵闇の中、深く息を吸うと胸の内を静寂しじまが満たす。妙にうわずった感覚。薄雲の隙間から覗く月に向かって吠えたい。駆け出したい。何もかも振り捨てて、ただひたすらに。独りなら…

「“春宵一刻しゅんしょういっこく直千金あたいせんきん”だな。」

 感慨深げな智也の声。激しい嵐の様な衝動を抑えて、温かいそよ風に似た気持ちが湧き上がる。今はゆっくりと歩いていたい。彼とふたりで。

「それは?」

「蘇軾の詩だ。春の夜は、一時間に百万ジャポネの価値がある。もっとも君には、“春眠しゅんみん不覚暁あかつきをおぼえず”の方がしっくりくるかな。」

「せっかく良い気分なのに水を差さないで欲しいな。」

 そうは言ったものの、あながち外れてもいない。一緒に迎える朝の居心地の良さは、日の光を恨みたい程だ。

 ただ、それを認めるのも癪なので私は大袈裟にそっぽを向いてみせる。我ながら子供っぽいな。

「そう拗ねるなよ。確かに良い夜だ。散歩に誘ってくれて嬉しいよ。」

 彼の指が触れる。私は息を吐くとその手を握りしめる。互いに口元を緩める。

 強めの風が花びらを舞い散らす。私達は前方を仰ぎ見る。公園の灯りに照らされた桜の木が立ち並ぶ。

「驕れる者久しからず、春の夜の夢の如し。…桜は美しいが散り際は儚いなあ。」

「君は見かけによらず繊細なんだな。」

「花に涙し、鳥の声に嘆く、それがヒトだよ。」

「悪かったね、ケモ耳女で。」

 横目の彼に悪戯っぽく笑ってみせる。

「私にだって詩を理解する心はあるさ。」

「詩は考えるより感ずるものだぜ。」

 皮肉めいた彼の言葉を聞き流して、私は頭に浮かび上がった一節を口にする。

「四月の気層のひかりの底をつばきしはぎしりゆききする。」

 雲が晴れ月の光が差し込む。私と智也、二つの影が足元に伸びる。

「おれはひとりの修羅なのだ。」

「俺はひとりの修羅なのだ。」

 月明かりの下、重なり合った声が夜空へと拡がり消えていく。

「春と修羅、いいうただ。」

「彼の紡ぐ言葉はなんて言うか、私の、魂に響くんだ。君は笑うかもしれないけど。」

「笑わないさ。不思議だよな。星々と俺達と、人と銀河と大地と宇宙が、一つに繋がっている。そう感じさせる。優しさ、いや、…慈しみか。」

 智也が夜空を見上げる。その目が遥か遠くを見ているような。

「…生命いのちの悲しみを、背負って紡ぐ、いつの日か、ほんとうの天上へ、祈りよ、届くと願って。」

「智也…」

 噛み締めるように吐き出された彼の言葉に、私はどう応えればいいのか見当もつかない。何故だろう。すぐ傍に居るのに彼が遠くに感じる。心の隔たり。私が女だから、獣だから?それがもどかしい。どこか悔しい。分かり合える、繋がる。それでも、私と彼は、あなたとわたし。

 気が付くと彼の手を強く握りしめていた。離したくない。たとえ銀河を旅することになっても、私達は、ずっと一緒だ。

「どうした、オオカミ。」

 智也が私を見下ろしている。いつもの優しい眼差しで。よかった。安堵の息を吐く、と同時に恥ずかしさがこみ上げてきた。

「違うんだ…。君が、寂しそうだったから、手を握ってあげたんだよ。」

 僅かに困惑した表情を浮かべながらも、微笑む彼から私は目を逸らす。

「それはそれとして、知っているか?オオカミ。桜の花が美しいのは、その根元に死体が埋まっているからなんだぜ。」

「今度は怪談話かい。」

 私はため息をひとつ吐くと、視線を一際大きい桜の木へと向ける。

「毎晩、桜の木の下に白い服の美しい女が…」

 白い服の美しい…

 背筋が粟立つ。目の前、桜の木の下に、白い人影が。長い髪の儚げな女性。振り向いた彼女と、目が合った。

 刹那、高い悲鳴が夜の闇をつんざいた。

「どうした!?タイリクオオカミ!」

 私は震える指で桜の木をさす。

「あ、あそこに、白い、女が…、き、木の下、桜の…」

 智也の身体が視界を塞ぐ。彼の大きな背中に触れる。堅く、それでいて温かい。冷えた心が一瞬で温もりに満たされる。

「…何も見えないぞ。」

 彼の陰から顔を出す。桜の巨木が静かに花びらを散らせている。

「流石はオオカミ。迫真の演技だったな。心底びっくりしたぜ。」

「嘘じゃない!本当に見たんだ。」

「分かったよ。オオカミさんは怖がりだなぁ。」

 信じていないな。くっ!本当にもどかしい。言葉が通じても、意思が伝わらないというのは。というかこの男、肝心な時に人の話を聞かないな。

「…もういいよ。」

 私は背を向けて歩き出す。

「だから拗ねるなって。おイヌ様は気位が高いんだから。」

 智也が背後から近付いてくる。手を伸ばして肩に触れようとするのが分かる。私は肘で彼の脇腹を打つ。

「…痛えな。全く、すぐに暴力に訴える。野蛮獣め。」

「君の方こそ、すぐにフレンズを馬鹿にして。口は災いの元だと知るべきだよ。」

 私と智也は睨み合い、同時にそっぽを向く。先程よりも強く風が吹き、私達は桜吹雪に包まれる。顔一面についた花びらを払い落とす彼の仕草が可笑しくて私は吹き出した。

 こちらを見た彼の表情も緩む。何だ?自分の頭の上を指差した。彼の意図と違和感に気付き、私は耳を動かす。…うまく取れない。彼が手を伸ばす。

「ほら、取れたよ。」

「ああ、ありがとう。」

 どちらともなく笑い出す。春の夜空に私達の笑い声が吸い込まれていった。



 ヒトとフレンズが共に生きる街ジャパリポリス

 数え切れない絆の果てに俺達は出会った

 喜びと悲しみを分かち合って私達は歩む

 今日から始まる未来へと



 ううむ…。はちきれんばかりのおっぱい。こいつは生半可な凶器じゃないぜ。虎柄のビキニが刺激的だ、タビーちゃん。逞しい二の腕も素敵。大型ネコ科獣特有のぶっとい太腿が最高。縞々の尻尾も可愛い。程良く引き締まったムチムチの身体、特にふとももが素晴らしい!

 やっぱりトラは地上最強の…

「あっ!」

 挑戦的な表情で寝そべるモデルの水着姿が消える。

 視線を上げると雑誌を片手にタイリクオオカミがこちらを見下ろしていた。…俺を蔑むような冷たい眼だ。

「ふーん。…君はこういうのが好きなのかい?」

 グラビアを一瞥する眼がまるでゴミでも見るみたいだ。

「何だよ…、返せよ。」

 一拍置いて顔に雑誌が叩き付けられる。

「何すんだっ。」

 鼻を鳴らしてオオカミが背を向ける。

「なに怒ってんだよ。いいだろ、グラビア見るぐらい。全く…」

 嫉妬深い女だな。

「ふふふ、オオカミさんは自分の水着姿を見て欲しいんですよね。」

 アリツさんがテーブルに湯飲みを置く。緑茶の香りが仄かに漂う。お茶請けは水羊羹だ。

「ふぉうでふよ。んぐっ、…乙女心が分かってませんね。」

 ソファーに寝転んで煎餅を貪りながらアミメキリンが言う。

「アミメ…。取り敢えず…、股を閉じろ。なんて格好してやがる…!」

 お前はもっと女を意識しろ。

「そういう所ばっかり見て、ほんとスケベですね。」

 ……俺は、ゆっくりと湯飲みに口をつける。うん、新茶の苦みが舌に広がる。水羊羹を頬張りながら、雑誌の記事に目を通す事にする。

 “ポラリス解散の危機!?”

 “今話題のアイドルグループとして名高いポラリスだが、その裏では不穏な噂も流れている。ポラリスが解散するのではないかというものだ。先日も出演予定の音楽番組を急遽キャンセルするなど、その行動にファンは不安を募らせている。”

 “メンバー不仲説”

 “その原因として真っ先に上がるのは、かねてより噂されていたメンバーの不仲説だ。特にリーダーのウラニアとボーカルのライラの対立はファンの間では有名だ。”

 “ライラ独立か?”

 “独立してソロとして活動する為に、ライラが複数の音楽プロデューサーと水面下で交渉を続けているという関係者の証言もあるとか。”

 “人気グループとして不動の地位を築いたポラリス、果たして今後も北極星の如く輝き続けるのか?それともその座を明け渡すのか?ジャパリポリスでのライブ開催が間近に迫るなかその動きにますます注目が集まる。”

「……お送りするのは、ポラリスの曲で“Pray in 273”です。」

 丁度よくラジオから件のアイドルの曲が流れ始める。

 ダイニングではハシブトガラスがカメラの手入れをしている。その隣で人気アイドルグループの記事を作成したシベリアオオヤマネコが執筆中だ。タイプライターとは古風だな。

 ………小説は手書きだろ?ハイデッガーも言っていた。

「美味しいわね。」

「お代わりください。」

「はいはい。」

 アリツさんがエサをやるもんだから居着いちゃった。

「ご馳走さま。…リン、そろそろ時間よ。」

 ハシブトガラスが立ち上がる。

「あら、もうお出かけですか?」

「取材の予定があるんです。……さあ行きましょう!」

 原稿をしまい込んだオオヤマネコと目が合った。

「………俺に言ってるのか?」

「誰が車を運転するんですか?」

 さも当然といった表情で聞き返してくる。

「時間が惜しいわ。続きは後にして。」

 言い返そうと口を開いた所でカラスが嘴を挟んできた。

 仕方無く立ち上がる。

「どうせ暇なんでしょう。」

「うるせえなあ。お前に言われたくないね。」

「私は今日は仕事で来てるんですよ。」

 仰向けになって俺が読んでいた雑誌を開くアミメ。

 玄関に立つオオヤマネコが首だけこっちを向く。

「分かった。今行くよ。」

「お気を付けて〜。」

 三人で車に乗る。助手席にシベリアオオヤマネコ、屋根にはハシブトガラス。以前にも言ったが、フレンズとはいえ、屋根の上に人を乗せて走るのは立派な違法行為だ。咎められるのは俺なんだぞ。全く…

 兎にも角にも、道中何事もなく目的地に着いた。

 総合体育センターの敷地内を歩く。

飛田とびた…、いや人見疾風ひとみはやてでも取材するのか?」

「すぐに分かりますよ。私が掴んだ極秘の情報なんです。ふふふ。」

 何やら自信有り気なオオヤマネコについていく。

 体育館、トレーニングジム、幾つかのコートを抜け、グラウンドに辿り着く。鮮やかな緑の芝生の上。縄跳び、ランニング、ダッシュ、ストレッチ。十数人程がトレーニングをしている。

「この身は熱く燃えているぅぅぅぅぅ!」

 …一人だけ一際騒がしいのがいるな。

「未来か。珍しいな。お前も汗を流しに来たのか?」

 見知った顔が近付いてきた。筋肉質の身体、しなやかな身のこなし、スパッツ姿も似合うな。何よりもふとももが素晴らしい。

「アモイトラ。ここでトレーニングしているのか。」

「インストラクターとして指導しているんだ。私の本業だよ。」

 バビルサの実験台、…ではなかったか。

「俺は、取材で来たんだ。」

「スポーツか、格闘小説でも書くのか?」

「いや、俺は付き合いで、取材はこいつらが…」

「ホッキョクグマ!それ以上はオーバーワークだ!少し休め!」

 アモイトラが声を掛けると、絶叫しながら走っていたフレンズがペースを落とす。やがてゆっくりとした歩調でこっちに来た。

「お疲れ様です。ウラニアさん。お時間を頂けますか?」

 待ちかねたようにオオヤマネコが口を開く。カラスは手早くシャッターを切っている。

「…こういう訳だ、悪いなアモイ。」

「私は構わないが、くれぐれも騒ぎは起こさないでくれよ。」

「善処するよ。」

 屋内の休憩室に場所を移して、早速インタビューを始めるオオヤマネコ。相も変わらず唐突で強引だが、ポラリスのリーダーを務めるホッキョクグマのウラニアは大して気にも留めずに応じている。元々の性格か、あるいは取材慣れしているのかな。

 さて、俺は……。長椅子の上に白いクッションが目に留まる。丁度良いや。

「むぎゅっ!」

 な、なんだ!?この感触、クッションじゃない!?

「うわぁぁっ。」

 慌てて立ち上がる。

「むう〜、何をするんですか。エラトは椅子ではありませんよ!」

 人、…フレンズだったのか。びっくりした。

「ご、ごめんよ。クッションに見えたから。思わず…」

「エラトが丸々と太ったモフモフでフカフカの毛玉に見えたですって!?ホッキョクウサギは元から大きいんです!エラトが太っているわけではありませんよ!」

「いや、そんなことは言ってないじゃん…」

「エラト!姿が見えないと思っていたら、こんな所でサボっていたのか!」

「サボってなんかいません!エラトは休憩していただけですー!」

 きゅうけい…、球形だけに。…冗談言ってる場合じゃないか。

「まあまあ、皆さん落ち着いて。エラトさんもいらっしゃったんですね。ではご一緒に取材を。」

「先に写真を撮らせてもらうわ。」

「……だから、何で俺の写真を撮ってんだ。」

「人気アイドルグループと人気作家のコラボレーション企画。“原田テツヲが小説家の視点から語るポラリスの歌詞の魅力とは。”…次の記事はこれでいきましょう!」

 その場でぽんぽん企画が変わるな。着想の早さだけは感心するぜ。

「大きい二人の間に挟まればエラトは細く見えます。これで写真映りも大丈夫です。」

「エラト、やはりサボっていたな。ダイエットに成功するまでおやつは無しだからな。」

「そ、そんな…。冬に備えなくてはいけないのに。」

「これから夏だろう。筋肉はつけた方が良いぞ。」

 うんうんと頷いたホッキョクグマと目が合った。

「分かっているじゃないか。筋肉こそパワー!うおおぉぉぉ!燃え滾ってきたぁ!トレーニング再開だぁ!」

「いや、取材じゃないのか。」

 まったく…。どいつもこいつも。これだからケモノは…。やはり万物の霊長たるヒトが統率しなければ。

 ………そうだ、オオカミの野菜嫌いも直さないと。



 出版社へ向かったアミメ君と別れ、私は車の助手席から流れて行く街並みを眺めていた。

「残念でしたね。智也さん取られちゃって。」

「子供じゃないんだ、そんなことで寂しがったりしないよ。」

 交差点で止まる。道行く人々の声が耳に入る。

「ポラリスのライブ楽しみだな〜。」

「今週の乙女フレンズ、もう読んだ?」

「ねえ、知ってる?あんたの噂。」

「ご、赦しは請わぬ。」

「まさかライブ後に解散とかないよなぁ。」

 視界の端に交番が見える。

「それで、目的地は?どこへ行きたいんだい?」

「分からぬ。我はいずこへ行き、何を為すべきか。我を導き給え。」

「…それは警察官よりも、哲学者に聞くべきだろうね。」

 車が動き出す。

「…本当は?」

「……少し、寂しいな。」

「はい。素直でよろしい。」

 放送局のビルが見えてきた。駐車場から入口へ、受付を済ませて収録スタジオへ向かう。

 収録までまだ少し時間がある。ひとまずゲスト用の控え室に入る。

「サリア!いい加減に出てきなさい。収録が始まるわよ!」

 スーツ姿の女性が大きな箱、…クーラーボックスか?に向かって叫んでいた。

「はあ、ウラニアはまた時間を忘れて…、それともエラトが駄々をこねているのかしら?…困った子達だわ。」

 腕時計を見て、眉間を指で押さえる。

「あら?…失礼しました。漫画家のワオンソン先生ですね。私は本日共演するポラリスのマネージャー、タカミネと申します。」

 にこやかな笑みを見せ、名刺を差し出してくる。

「これは御丁寧に。私はワオンソン先生のマネージャーを務めておりますアリツカゲラです。」

 アリツさんが名刺を返す。肩越しに受け取った名刺を覗き込む。

「高嶺…」

六華子ゆきこです。」

 雪を思わせる灰白色の髪。青い瞳。顔つきがどことなくネコに似ている。智也と同じヒトのミックスだ。

「板倉さん…」

「アリツカゲラです。アリツと呼んで下さい。」

 穏やかな口調で名前を強調する。そういえば、初対面の時もこんなやり取りがあったな。

「アリツさん、ワオンソン先生、申し訳ありません。こちらはまだメンバーが揃っておりません。時間を守るように言い聞かせているのですが。なにぶん皆ケモノですので、大目に見て頂きますようお願い致します。」

 深々と頭を下げる六華子さん。

「そんなに畏まらないでくれ。私は気にしていないよ。」

「まだ時間はありますから、信じて待ってみましょうよ。」

 その時気付いた。壁際に誰か立っている。雪の様に白い人影。どこかで会った?

 佇む姿が氷の彫像の様で、美しさ、気高ささえ感じる。透き通るような白い髪のオオカミのフレンズ。音も無く踏み出すと私を一瞥して、そのまま横を通り過ぎて行く。

「ライラ!どこへ行くの?」

「……帰る。」

 一言呟くと控え室から出て行ってしまう。

「待ちなさい!貴女、また勝手な真似を…!」

 その言葉を背に私も部屋を飛び出していた。廊下を足早に進む。

「……どうしてついてくる。」

「君と話がしたいと思って。」

「話すことは無い。」

「そう言わずに。…そうだ、近くにいい店があるんだ。一緒にお茶でもどうだい。」

 …これだと、私がナンパしているみたいじゃないか。智也じゃあるまいし。

 放送局から出た所で彼女が振り向いた。

「…私のことはそっとしておいてくれ。」

 冷たく言い放つとその姿が霞む。私も疾走はしりだす。こうなったら意地だ。タイリクオオカミから逃れられると思うなよ。

 背後からけたたましいサイレン音が鳴り響く。

「そこの自動車、止まりなさい!ハコ乗りはやめなさい!……そこのジムニー!おまえだよ!!」

 それもすぐに遠ざかっていく。周りの景色が揺らぐ。音も色彩も全てを置き去りにして私達は駆け抜けていく。

 ふふ、良い気分だ。どれほどだろう?本気で走るのは。この街に来てからは、一度も無かったかな。私に本気を出させる相手。智也には悪いが、彼とじゃ勝負にならないからな。

「どうした?それで全力かい?」

 彼女に並ぶ。

「賭けをしよう。私が勝ったら言うことを聞いてもらう。」

 彼女の前に出る。

「自信がないなら、やめてもいいよ。」

 彼女が追いつく。

「私から逃げ切れれば、君の勝ちだ。」

 前方からバスが来る。二人同時に跳ぶ。右と左に。

 車を避けながら道路を走り、高架橋をくぐり、トンネルを抜け、河川敷を駆け、川を跳び越え、雑踏を躱しながら、階段を上り、ショッピングモールを巡り、オフィスビルを通り、階段を下り、大通りを横切って下町から郊外へ、田園、雑木林、草地、採石場、舗装されていない荒れた道を突き進み、再び幹線道路に乗って市街へと戻る。

 すっかりと散って青々とした葉を茂らせる桜の木を見上げ、私は呼吸を整える。以前に智也と散歩した公園だ。そういえば…

 目の前には白い髪のフレンズ。あの時桜の木の下で見た幽霊に似ているな。…まさかね。

 彼女は舌を出して肩を上下させている。フレンズになったとはいえ、ヒトと違って汗をかきにくい体質だからな。私達オオカミはどちらかといえば寒冷地に適した獣だし、夏の暑さは苦手だ。

「大丈夫かい?」

「はっ…!はっ…!問題無い…。はっ…、はぁ…。賭けは、私の…、はぁ、負けだ…」

 握り締めた拳が微かに震えている。クールに見えて意外と負けず嫌いなんだな。

「それじゃあ、食事にしよう。」

 いい汗をかいたし、さすがに小腹が空いてきた。

「私を連れ戻さなくていいのか?」

「言っただろう、君と話がしたいって。どうせ今からじゃ戻っても仕方がない。だったらオオカミ同士、このまま二人で散策といこう。」

 私が差し出した手を彼女が見つめる。緩んだ握り拳が揺れる。私も拳を握ると軽く前に突き出す。躊躇いがちに彼女は拳を突き当てた。

「行こう。イタリアンとフレンチ、どっちにする?」

「…ホットドッグが食べたい。」

 思わず口元が綻ぶ。私達は並んで歩き出す。

 スタンドで買ったホットドッグを食べながら通りを歩く。ふと目に入ったギャラリーに入る。写真展か。

「私の友達が有名なカメラマンの娘でね。彼女も同じ仕事に就いているんだ。君達についても取材しているよ。よければ会ってみるかい?」

 私の言葉を興味なさげに聞き流していた彼女が立ち止まり、一枚の写真を見上げる。

 雪に覆われた山嶺が日の光に輝いている。眩く、静謐で、荘厳だ。写真からも伝わってくる息を飲む美しさ。しばし時を忘れて見入っていた。

 小一時間ほど経った。ギャラリーを二週して戻ってくると、まだ彼女は写真を見ていた。彼女自身、白い彫像の様だ。出来ればスケッチしておきたい所だが。

 構図を取っていると彼女が近付いてきた。

「もういいのかい?」

「ああ。行こう。」

 その後も幾つかの店を素見ひやかしてから、カフェで休憩する。

「時間が空いている時でいい、絵のモデルになってくれないかな。」

「何故?」

「それは、君が美しいからさ。」

 …また、私が口説いているみたいだ。

「…条件がある。」

「何だい?」

 断られるかと思ったが。

 彼女は無言でグラスに残った泡立つ緑色の液体をストローで吸うと、席を立った。私も後に続く。

 夕暮れが迫る街を私達は再び駆け抜ける。やがて河沿いにある緑地公園に辿り着く。グラウンドや土手の上にまばらに人影が見える。

 彼女が私に向き合う。

「聴いて欲しい。」

「……歌をかい?」

 彼女は頷き、目を閉じる。唇がゆっくりと開かれた。


 冷たく静かに待ち続ける

 儚い想いと幽かな希望

 暗く重く冬に抱かれて

 沈みゆく心にひとすじの光

 春に焦がれ微睡む

 今は弱くとも大地に根付いて

 いつか空へと伸びゆく夢を見る

 誰にも見られず小さく芽吹く

 私を見つけて

 雪割りの花


 歌詞もメロディーもたどたどしい。即興で歌っているのか。

「どう思う?」

「いい歌…」

 冷たく澄んだ瞳が私を真っ直ぐに射抜いてくる。心の奥、深く奥底まで見透かそうとするかのように。

「良い歌だと思う。まだ粗削りだけど、心に響くというか、気持ちが伝わってくる。ただ…。」

 彼女は静かに耳を傾ける。まばたきもせずに、眼は真摯に私を見つめ続けている。

「…迷い。…途惑い?感じるのは。これは…、君自身の、気持ちか?」

 見つめ返す私の視線を受け、彼女は目をしばたたかせると視線を逸らす。

「私も表現者だ。歌は詳しくはないが、それぐらいは分かる。君は何かに迷っている。…心を閉ざして、一人で抱え込んでいるだろう?」

 俯いていた顔を上げ、もう一度真っ直ぐに見つめ返してくる。

 ひとつ大きく息を吐く。

「その通りだ。驚いたな、正直。興味本位か、安っぽいお節介と思っていたが…。私の言葉を、受け止めてくれた。」

「私はひとりぼっちが嫌いなんだ。自分も、他人もね。」

「余計なお世話だ。でも…、悪くないな。」

 そう言って彼女は微笑んだ。うん、いい笑顔だ。私も笑う。

「私はライラ。ホッキョクオオカミだ。」

「私はタイリクオオカミだよ。」

 差し出された手を握る。掌に互いの温もりが伝わる。

 夕暮れの風が水面を渡って河の匂いを運んでくる。その風に乗って、奇妙な音が…。これは歌?どこかで聞いた事があるような…

「素敵な歌声だったわ。」

 大柄な影が近寄ってきた。夏は近いが、まだ水着には早いだろう。女の私でもちょっと目のやり場に困るぞ。

「誰だい君は、彼女のファンかな?」

 水棲動物のフレンズか?

「そうね。私、歌が好きなの。世界中の歌を集めるのが夢なのよ。だからね、頂戴。…貴女の歌。」

 水着のフレンズの眼が不気味な緑色に煌めく。

「ライラ!」

 咄嗟に彼女を庇って前に出る。凄まじい音が響く。雷が落ちた!?

「がぁぁぁっ!」

 頭を殴られた!頭蓋骨の中をドリルで掻き回され…!

「ぐぁっ!!」

 何かがぶつかってきた…。恐ろしく速く巨大な…!

 駄目だ…!全身の感覚がない…。真っ暗だ…。もう…、意識が…

 逃げろ!ライラ!

 声に出して叫んだつもりだが、果たして………



「………はい、興味深いお話、ありがとうございました。…あ、先生!まだ終わりじゃないです。このあとはもう一組のゲスト、ポラリスの皆さんとのコラボ企画もありますので…」

 ラジオを聞きながら俺は珈琲を淹れていた。

「リスナーの皆様と共に新しい出会いを見つける番組、ラジオステーション。パーソナリティーを務めますのは私、アナウンサーのあずま謙吾けんごです。番組冒頭でも言いましたが、本日は内容を一部変更して放送しております。予定されていた漫画家のワオンソン先生ではなく、小説家の原田テツヲ先生による収録をお送りしています。ワオンソン先生のファンの皆様には誠に申し訳ございません。どうかご了承下さいますよう。…えー、この後五分間のニュースを挟み、引き続きアイドルグループ、ポラリスとのコラボ企画、事前収録したものをお送りいたします。」

 コップを二つ持ってリビングへ行く。ソファーに水着姿のフレンズが横たわっている。ハイレグから伸びるふとももがまぶしい。気怠げな表情も色っぽくていい。このまま眺めていたい所だ。

 気を取り直してコップをテーブルの上、散乱する紙の隙間に置く。床にまで楽譜が散らばっている。

「さあ、珈琲を飲んで、シャワーでも浴びてきたらどうだ。」

「スランプだわ…。はあ…、もうダメ…。どだい私には、才能なんて無かったのよ…」

「そういう時は誰にでもあるもんだ。少し休んで、どこかに出かけるとか。気分転換も大事だぞ。」

 彼女は大きくため息を吐き、クッションを抱き枕がわりに寝返りをうつ。仕方が無い、俺も彼女に背を向けるとその場を後にする。

 部屋を出て中庭を横切り、スタジオに向かう。中に入ると低く唸るようなディストーションが鼓膜を震わせる。ウラニアのギターソロだ。曲は“Shout in stillness”か。

 俺はコーヒーを啜りながら彼女達の演奏に暫く耳を傾けていた。サリアのドラムが重く激しく、それでいてテンポの良いリズムを刻む。曲名の通り、まさに“Shaking the iceberg”だ。

 続く“Hoppyon! Steppyon! Jumpyon!”ではベースを抱えたエラトが軽快に飛び跳ねる。ダイエットには成功したのか。

 一通り練習を終えたところで高嶺さんが問い掛けてくる。

「モイモイの様子はどう?」

 軽くかぶりを振ってみせる。

「駄目だね。どうにも不振から抜け出せないみたいだ。」

「そう。…みんなご苦労さま。休憩にしましょう。」

 メンバーがやって来る。

「やっぱり夏は暑いですわ。氷山が恋しい。」

 サリアはスタジオの隅に置いてある大型のクーラーボックスに潜り込む。よく入れるな。ダンボールに入るネコじゃあるまいし。蓋が閉まる。或いは、棺桶で眠る吸血鬼か。メーカーのロゴが見える。スノーマン社製か。

 ……旧世紀、“グリズリーにも壊せないクーラーボックス”を謳っていた企業があったそうだ。スノーマン社はそれにちなみ、“ハイイログマにも壊せないクーラーボックス”を造った。勿論、動物ではなくフレンズの方だ。

「今日も熱いプレイだった!」

「頑張ったエラトはおやつにします。」

 ウラニアとエラトは母屋に向かう。俺も彼女に顎で合図をしてスタジオを出る。中庭に出ると二人でベンチに腰掛ける。

「それで、原田先生。この前の件は承諾して下さるのかしら?」

「………」

 あの日、二人組の取材に付き合わされた俺は、そのままウラニアとエラトを放送局まで運ぶ事に。自宅兼仕事場でもある俺の車には二人しか乗れん。結果、箱乗りで街中を走る事に。パトカーに追われながら辿り着いた先では、どういう訳かタイリクオオカミの代役を務める羽目になるし。

 箱乗りの件は高嶺さんが取り成してくれたお陰でどうにかなった。で、成り行きで俺はこうしてポラリスと一緒にいる。その際、彼女からある提案を受けた訳だが…

「ライブは一週間延期になったが、…本当にやれると思うのか?モイモイもだが、ライラがあの様子じゃ…」

 作曲担当のチチュウカイモンクアザラシは一向に新曲が書けそうにない。そして、ホッキョクオオカミは…

「出来るわ!」

 強く彼女は答える。

「そう信じて、私はやるべき事をやるだけ。今までだってそう、この先もずっと。」

「なら、教えてくれ。どうしてそこまでライブに、彼女達に、尽くすというか、こだわるんだ。」

 俺は彼女の眼を見つめる。青い瞳、灰色がかった白い髪。一瞬、心に浮かんだのは深い雪山に潜む獣…

「俺は俺の心を動かすものにしか従わない。上辺だけを取り繕った虚言そらごとじゃない、ほんとうの言葉と想いでなければ、俺も人の心も動かせやしない。」

 俺を見つめ返す彼女の眼が見開かれ、細められると微笑が浮かんだ。

「貴方もライラと同じ。彼女も同じことを言っていた。」

 懐かしそうな口調だ。

「…私ね、本当は歌手になりたかった。でも、歌の才能が無かった。夢を諦めた。そんな時に彼女に、あの子達に出会った。これが私のやるべき事なんだって思ったのよ。」

 彼女の言葉が染み入ってくる。

「それが君の想いか。」

「分かってる。あの子達に自分の夢を押し付けているのが。」

「構わないじゃないか、押し付けで。どうせ誰も独りではいられないんだ。」

 引かれ合う星々のように俺達は出会いと別れを繰り返す。同じ数だけ喜びも悲しみも生まれる。あれは、ダンテだったか…、天を動かす引き合う力は神の愛。悲しみや憎しみを否定したいのなら、愛そのものを捨てるしかない。だがそれでは、セルリアンと同じだ。

「だったら、互いにほんとうの想いをぶつけるしかない。たとえ傷付いても、前に進む為に。俺達は歩き続けるんだ。どこまでも。どこまででも。」

「そうね。私はいつの間にかひとりで。あの子達と向き合っていなかったのかも。自分の夢を想いを、伝えないと!」

「それを歌うために私達は旅をしてきたんですよ。流氷に乗って。」

 気が付くとサリアが立っていた。

「六華子も意外と暑苦しいのですね。…ウラニアみたい。」

 そう言ってクスクスと笑う。

 更に二つの影が佇んでいる。

「私は感謝しているんだ。歌を、熱い気持ちを吐き出す方法を教えてくれて。」

「ウラニア…」

「エラトはモテモテになってウフフでムフフなビューティフルライフを送るのです。その為だったらダイエットもへっちゃらですよ。」

 ケーキ食いながら言ってもねえ…、まあいいか。

「良かったじゃないか。良い仲間に巡り合えて。…俺もやってみるよ。」

「…引き受けてくれるの?」

 俺は頷いて立ち上がる。

「君の本心を聴かせてもらったからな。俺も燃え滾ってきた。作家としての血が。」

 ここはなんとかなりそうだよ、タイリクオオカミ。俺も信じてやるべき事をやる。あとは、君とライラ次第だ。



 生い茂る葉桜の下、白皙の狼が静かに立っている。強く、気高く、冬を乗り越え、太陽の輝きをも従えようと。憂いを帯びた瞳は、それでも力を失わず運命さえも射抜こうとする。

「…はあ。」

「どうした、ため息なんかついて。疲れたかい?」

 ライラは近寄ると私のスケッチを覗き込んだ。

「…美化、…しすぎだ。…今の、…私はこんな、…大層、…なもの、…じゃない。」

「想像力だよ。創作には適度な誇張が必要だ。“芸術はキョとジツとのヒニクの間にあるもの”と言うだろ。」

 …なんて、智也の受け売りなんだけど。まあいいか。

「…歌は、…本当の、…想いを、…伝える。…私は、…アイドル、…なんて、…虚像、…演じたい、…わけじゃない。」

 掠れた声でたどたどしく告げる。

「生の気持ちをそのまま伝えることは出来ないよ。だから、言葉が生まれた。同じ想いでも、人の数だけ表現がある。」

 …フレンズになった瞬間のことはほとんど憶えていない。ただ、世界が広く明るく、あまりにも眩しくて鮮やかで…

 そうだ、初めて見たのは一面の星空だった。あの時、胸の内に湧き上がった気持ち。私が描きたかったもの。描きたいと思ったもの。

「想いを伝えるのは難しい。言葉では全てを伝えきれない。けれど、伝える努力をしなければ。」

「…私は、…歌が、…でも、…もう。」

「ちょっと休憩しよう。お腹が空いただろう?」

 私はレジャーシートを敷き、鞄からお弁当を取り出す。

「ハクトウワシ特製サーモンサンド。これは智也に作ってもらったハンバーグとポテトサラダ。アミメ君おすすめのドライフルーツのタルト。アリツさんのハーブティー。」

 紙コップに水筒のお茶を注ぐ。

 そよ風が草の匂いを運ぶ。サワサワと葉擦れの音がする。陽射しが心地良い。

「気持ち良いな。こんな時間がずっと続けばいい。」

「…そうだな。…でも、…私はここで、…ここに居て、…いいのかな。」

「いいんだ。アイドルが嫌ならやめたっていいんだ。」

 これも智也の…、彼の受け売りだけど。

「正しい想い、正しい言葉、正しい行動。迷ったのなら、自分に正直になるしかない。決めるのは自分自身だ。ならば、自由に生きればいい。オオカミは自由の象徴だろ。」

 私は絵が描けなくなったら、どうするんだろう。今の私なら…

「綺麗なものを探しに行こう。」

 タルトを一口かじる。

「美味しいものを沢山食べて、素敵なことを見つけに行くさ。君も一緒に来ればいい。」

「…それも、…いいな。」

 沈黙が流れる。私は彼女の姿を眺め、彼女は視線を泳がせながら自らを見つめようとしている。

 草を踏む音が複数、近付いてくる。

「調子はどうかしら?ライラ。」

「…六華子。」

 ポラリスの三人もいる。

「ライラ、疲れたのなら帰りましょう。氷山に。また一緒にオーロラを見に行きましょう。」

「エラトは海に行きたいです。一緒に南の海に。ライラがいると、男の子を逆ナンするのに役立つので。」

 ウラニアが腕を組んでライラを見下ろす。

「歌えないアイドルは虚像ですらない。ライラ。歌を失ったお前はポラリスには必要ない。」

 ライラがウラニアを見上げる。

「ライブはお前抜きでもれる。今ここではっきりと聴かせろ。演るか、尻尾を巻いて逃げるか。」

 立ち上がったライラがウラニアに詰め寄る。二人が睨み合う。

 間に入ろうと腰を浮かした私は、大柄な人影の視線に気付く。腕組みをした智也が小さく顎を振る。

「…私は。」

「何だ?歌えないお前に何が出来る。」

 ライラの拳が、肩が、わなわなと震える。悔しさと、怒り、自分自身への。私にも分かる。

「ライラ。貴女が歌に専念したいと思っていたのは知っていたわ。私のやり方が気に入らない。それで、ここ最近は身が入らなかった。」

 六華子さんが二人の間に割って入る。

「もっと早く話し合うべきだったわね。結果として、貴女の気持ちを無視する形になってしまった。それについては謝るわ。…ごめんなさい。」

 彼女は深く頭を下げる。ライラが拳を開く。ウラニアも組んでいた腕をほどいた。

「でも、私はこれまでのやり方を否定はしないわ。全て貴女達と私自身の為にやってきた事だもの。」

 顔を上げた彼女の眼が強くライラを見つめる。

「六華子の仕事ぶりを否定なんてしませんよ。」

「おかげでエラトにはファンが沢山出来たので。」

「勝つ為なら手段は選ばない。当然だな。」

「ライラ。貴女の歌声には力があるの。人の心を動かす力が。私は貴女の、ポラリスの可能性を信じている。だから、ライブに出て!私達と一緒に!」

「…六華子。…私は。」

「歌えればだろう?歌声を無くしたアイドルがライブに出る意味はあるのか?」

 冷たくウラニアが言い放つ。上手くまとまり掛けたと思ったのに…。とはいえ、確かにその通りだ。肝心のライラは声が…

「無理に、とは言わないわ。決めるのは貴女よ。ライブも、ポラリスを辞めてもいい。でも…」

 六華子さんの両手がライラの肩を掴む。

「これだけは言わせて。歌を、歌うことを諦めないで!例え、世界中の人が耳を貸さなくたって、私が聴いているから。初めて貴女の歌を聞いた時から、私がずっと、貴女のファンでいるから!」

 彼女の両目から涙が零れた。

「歌うよ。…必ず。」

 静かな、決意に満ちた声。

「私も…、歌えなくなって…、気付いた…。悔しい…!もう一度歌いたい…。歌が…、聴いてくれる人達の笑顔が…、好きだから…!」

 振り返ったライラが微笑みかける。

「ありがとう。タイリクオオカミ。やっぱり…、私の居場所は…、ポラリスだった…」

「いいさ、私も楽しみにしているよ。君の歌。」

 頷くと、今度はウラニアの襟を掴み上げる。

「ウラニア…!ポラリスのボーカルは…、私だ…!お前達は…、私のバックバンドを…、演っていればいいんだ…!わかったな…!」

 ウラニアは鼻を鳴らすとライラの手を振りほどく。

「リーダーは私だ。大口を叩いたからには無理矢理にでも演ってもらう。出来なければ、ポラリスから外す!文句は無いな!」

 何故かな、言葉とは裏腹に嬉しそうに見える。

「雨降って地固まる、って所か。」

 智也が歩み寄り隣に立つ。

「ああ。まだ問題は山積みだけれど、一歩前進かな。」

 ここからは彼女達次第か。そして、私達もやるべきことをやるだけだ。



 肌に触れる空気がじりじりと熱を帯びていく。期待、憧憬、不安、興奮、幾多の感情が入り混じり、坩堝と化し、張り詰めた高揚感が空間を充たしていく。

 胸の奥が掻き毟られるような、腹の底が締めつけられるような、全身がぞくぞくと震える不思議な感覚。

 俺は舞台の上からライブ会場を見渡す。入場時刻まで一時間を切った。会場の外に集まった人々の熱気がここまで伝わるようだ。スタッフ達が慌ただしく最終チェックを行なっている。

「ふぃ〜、緊張しますね。」

 胸に色紙を抱えたアミメキリンがぷるぷると身体を震わせる。ちゃっかり関係者として、いつの間にか潜り込んでいた。

「サインねだるのは構わないが、終わってからにしろよ。」

「分かってますよ。…でも、大丈夫なんですか?もう時間ありませんよ。新曲の練習、今朝までしてたって、オオカミさんが。」

「なんとかなるでしょ。」

 あれは、…ハイドンだったか?…はっきりと思い出せんが。

「古典音楽の大家は上演一時間前まで曲を書いていたって言うし。…あとは信じて待つだけだ。」

 会場に観客が入って来た。場内の温度が一気に上がるのを感じる。俺達は舞台袖から様子を見る。観客に混じって制服姿の警察官が会場内のあちこちに立っている。

 既にメンバーの一人、ライラがセルリアンの襲撃を受けた事は周知の事実となっていた。ライブでもセルリアンの襲撃が予想されており、観客にも事前にその旨は知らされている。

「チケットは追加分も含めて完売だそうですよ。」

「物好きが多いな。ポリスの住人はいつから、そんな命知らずになったんだ。」

 アミメキリンが俺を見て笑う。

「何だよ?」

「それは多分…」

 背後が騒がしい。振り返ると本日の主役達が立ち並んでいた。舞台裏の空気が一瞬で引き締まる。会場の熱気とは逆に、冷たく峻厳な雰囲気を皆その身に纏っている。エラトでさえ、いつもと違う不敵な表情を浮かべている。

 背中越しにアミメキリンが身をこわばらせるのが分かる。俺も気圧けおされるようだ。

 四人がステージに向かう。タイリクオオカミと目が合った。近寄って口を開いた瞬間、歓声が沸き起こった。場内を埋め尽くす喝采がここまで響いてくる。会場全体が揺れ動くかのようだ。

 始まっちまった。身震いがする。こうなったら俺も腹を括るしかない。温もりが手を包み込む。ギュッとオオカミの手を握り返す。

「いよいよ本番だね。心の準備は?」

 オオカミの二つの瞳が煌めく。

「俺はいつだって出来ているさ。それよりも、ライラは…」

 オオカミは無言で見つめ返す。

「…そうか。」

 俺達はステージに目をやる。ライラはサックスを演奏している。良いパフォーマンスだ。演奏には支障はないようだな。ボーカルはウラニアとエラトが担当して、目玉の新曲お披露目で勝負だ。…俺と彼女達の。

「バビルサの診断では身体の方には問題は無いそうだ。あとは本人の心持ち次第。」

「なら、勝ったな。」

「…漫画や映画みたいに上手くいくとは限らないよ。」

「甘いな、オオカミ。現実はいつだって虚構を超える。…創作者にとっては辛い所だが。」

 今は人の心の輝きに賭けるさ。

「私は会場の外を見てくる。ここは頼んだよ。」

「何かあったらすぐに俺を呼べよ。」

「君もね。」

 オオカミを見送ると、俺は舞台裏から観客席に移り周囲の様子を窺う。凄い喚声だ。熱狂が渦巻いている。この感情の昂りをエネルギーに変換出来れば…、ロケットぐらい打ち上げられそうだな。……セルリアンが狙ってくるのも、頷ける。

 ウラニアが力強く拳を突き上げると観客達も一斉に拳と叫びを上げる。俺も拳を突き上げる。エラトがステージから飛び込んできた。無数の手が彼女を受け止める。よし!俺も触ったぞ!サリアのドラムに合わせて皆で激しく足踏みをする。最後はジャンプだ!着地!決まった!左右のファンとハイタッチを交わす。

 ………あれ、何しに来たんだっけ?いかん、すっかり会場の熱気に呑まれてしまった。

 ライブも佳境に入った。いよいよだ。ライラがステージ中央、マイクの前に立つ。会場が静まり返る。緊張感がひしひしと伝わる。背中がぞわぞわしてきた。息を吐き、天を仰ぐ。

 ん?何だあれ?黒い点が、みるみる近付いて…

 反射的に駆け出していた。前の観客を押しのける。

「おい!なんだ!?」

「押すなよ!」

 くそっ!いつの間にこんな所に。我ながら浮かれすぎだぞ!

「どけぇ!あけろぉ!」

 周囲の怒号や制止を振り切りステージに駆け上がるとマイクをひったくる。

「上だ!セルリアンだ!下がれぇ!」

 一瞬の沈黙。会場の視線が頭上に動く。悲鳴。絶叫。逃げ惑う人の波。

 轟音と共に客席の中央に黒い物体が降り立った。

 スピーカー型のセルリアン!?

「ふっざけやがってぇ!」

 ステージから飛び降り真っ直ぐに走る。見えない壁にぶつかった。不協和音が全身をかき乱す。文字通り音の暴力だ。くそう!

 目を開くとおたまじゃくしが踊っている。いや、音符型のセルリアンだ!不協和音が響く。更に音符が吐き出される。眼前に迫ってきた音符を殴る。この程度は物の数じゃない。だが…

 スピーカーが音符を吐き出し続ける。どうする!?先に本体を叩くか?オオカミが居てくれれば。

 胸ポケットの携帯が振動する。向こうも遭遇したか。こんな時に…!

 駄目だ。騒音のせいか、考えがまとまらない。


 そらにひとり

 巡る星を眺めている

 過ぎてゆく時 変わらない私

 遠く見下ろせば

 あなたの眼差しが私を光らせる


 歌が聞こえる。ライラ!

 振り向くと彼女の姿が。白く輝く彫像の様だ。その姿、歌声に、その場の全てが釘づけになる。セルリアンでさえも。


 ひとつ星 回り行く銀河の果て

 綺羅星の恋人達を見つめ

 手を伸ばしても届かない

 いつか地に降りて 歩いて行きたい

 あなたのもとへ

 願いを込めて 今は冷たく輝くの


 静かな、透き通るような声。でも、胸の奥に、身体中に、力がみなぎる。

 ウラニアのギターが鳴り響く。エラトのベース、サリアのドラム、ポラリスの演奏が再開される。

 セルリアンの動きが鈍い。彼女達の歌に怯んでいる?チャンスだ!

 音符型を片付けていく。警官達も応戦を開始した。観客達も声援を送ってくれている。なかなかにロックじゃないか、全く。

 スピーカー型が悲鳴の様な不協和音を奏でる。吐き出された音符がステージ目掛けて飛ぶ。

 舌打ちして駆ける俺を追い越して漆黒の影が宙を舞う。ほとんど一瞬で音符が砕け散った。俺の前に黒いフレンズが立っている。よく見ると丸っこい輪っかが身体に散らばっている。

「…君は?」

「オレはブラックジャガー。未来智也、お前のことはグリズリーから聞いている。」

 黒いケモ耳がピクリと動く。


 そらにひかる

 惑う人を照らしている

 戻らない時 止まらない世界

 遥か見通せば

 あなたの道行きに希望を灯らせる

 ひとつ星 回り行く銀河の果て

 綺羅星の恋人達を見つめ

 目を閉ざしては祈るだけ

 いつか燃え尽きて 生まれ変わりたい

 あなたとともに

 出会いを信じ 今は冷たく煌めくの


「…良い歌だな。」

「当然だ。」

 俺が書いたんだからな。

 不快な喚きが空気を震わす。

「無粋な奴だ。」

 ブラックジャガーの眼がセルリアンを捉える。

「行け!ここはオレが引き受けた。お前はお前の為すべきことをやれ!」

 答える間もなく彼女は黒い疾風と化す。俺も走り出す。舞台裏の非常口から会場の外へ出る。雲ひとつ無い空。何故か雷鳴が聞こえてきた。



 会場を出て、私は河沿いの土手を歩く。例のフレンズ型セルリアン、…ズーロギアンは再び現れる筈だ。観客に紛れて来る可能性も否定は出来ないが、奴は水辺から来る。私の勘がそう告げている。

 警戒しつつ辺りを巡回する。晴れ渡った空。絶好の散歩…、いやライブ日和だ。いささか拍子抜けする程の穏やかな空気。もしかして杞憂だっただろうか?何もないなら、それに越した事はないんだが。

 歓声がここまで聞こえてくる。そろそろか。ライラ…。今の私に彼女にしてやれることが有るとすれば、ただ信じるだけ。そして…

「盛り上がっているわね。」

「ああ。」

「フフ、良い歌。眩しいくらい。その輝きに魅せられる人達も。素敵だわ。」

 うっとりするようにその目が細められた。

「…なら、聴きに来れば良いさ。私達と一緒に。」

「駄目よ。好きなものは独り占めしたくなるでしょう?あの輝きは私だけのものなの。」

 瞳が緑の光を帯びた。私は膝を曲げ爪先に体重を移す。

「私はそうは思わない。喜びは誰かと分かち合うものだろう?」

 ポケットの中のケータイの画面にそっと触れる。

 会場に向かって歩き出した。その横顔に躊躇なく拳を叩き込む。

「彼女達の邪魔はさせない!」

 続けざまに拳を打ち付ける。

 なんだこいつ…?私の攻撃を躱そうともしない。悠々と歩き続けている。くっ!肘で鳩尾を突く。平然と歩む。私の姿など眼中に無いようだ。

 鋭く叫ぶと地を蹴り、奴の首筋に蹴りを入れる。堅い。樹?岩?…まるで物凄く分厚いゴムの塊の様な。

 無防備な奴の背中。だが、何も出来ない…!思わず目の前の尻尾を掴む。

「ぐうぅぅぅっ…!」

 駄目だ。引きずられる。私の力じゃ…。せめて智也が居れば…

「うわっ!?」

 尻尾が撥ね上がった。しまった!手が…。奴が、地面が遠ざかる。浮揚感。次に来るのは…

 誰だ!?リンゴを見て重力なんて考えついた奴は!これだからヒトは!

「ぐっ!」

 なんとか受け身を取る。起き上がると、前を歩く奴の顔がゆっくりとこちらを向く。目が合った。まずい!

 咄嗟にバネ仕掛けの様に飛び出していた。背後から轟音が響く。振り向くと、立ち並んでいた木の一つが無残に折れ曲がっていた。

 これだ!こいつでやられたんだ。

 走り出していた。とにかく止まっているのは危険だ。奴に近付いて…。どうする?通常の攻撃では無理だ。ならば…!

 目前の地面から何かが湧き出し視界を塞いだ。暗緑色の…、何だ?ウネウネと蠢いて、平べったい、ミミズの群れの様だ。気持ち悪い。

 けものプラズムの刃で斬り裂く、と同時に身を翻す。宙を舞うミミズの切れ端が轟音と共に吹き飛んだ。

 くそう!地面から湧き出すミミズを斬り、視えない奴の攻撃を避け続ける。これじゃあ近付けない。

「くそっ!」

 足に絡み付いた!

 焦るな。

 落ち着け。

 右手の刃を振るう。

 …飛び退くのが半瞬遅れた。

 ……まだ、人間が地球の支配者を自負していた時代。彼らは機械の力で世界を縮めた。獣を遥かに凌駕する速さで地上を駆け、海中を泳ぎ、そして空を音を超える速さで飛んだ。それら機械の犠牲になった獣も少なくなかった。

「…がはっ!」

 芝生の感触が顔に押し付けられる。直撃は避けた。両手をつき立ち上がる。大丈夫、まだやれる。耳鳴りがする。奴はどこだ?次が来る。構えろ!

 正面に立っている。唇が動いた。何を言っている。聞こえない。いや、聴こえてくる。胸の中に響いてくる。これは…、歌?


 灰色の空 泣き出しそうで

 零れ落ちた涙の一滴

 受け止めた掌に

 重ねる手は温かくて

 すり減っていくページに

 書き込めたはずの青春

 震える手でペンを持ち

 君への想いを紡ぎ出す

 どれだけ夜が深くても

 星空に指先で夢を描くよ

 だから悲しみを避けないで

 涙もいつか虹を架けるから

 何度だって幾度だって

 君の名前を呼ぶよ


「…オ…ミ!……リク…オ……!」

 誰かが呼んでいる。私を。分かっているよ。聞こえなくても、心で聴くさ!君の声。


 夕暮れの空 沈んでそうで

 響き渡るさよならの声

 振り返る瞳の先に

 見つけた星が優しくて

 しまい込んだノートに

 取りこぼしていた思い出

 掠れた声で読み上げる

 ささやかな歌を聴いて欲しい

 一人の夜が長くても

 星空を二人とも眺めているよ

 だから寂しさに負けないで

 独りでもきっと立ち上がれるさ

 何度だって幾度だって

 僕の名前を呼んで


「智也!」

「タイリクオオカミ!」

 彼が駆けて来る。私の元に。

「遅いじゃないか。君はいつも私を待たせるな。」

「君がせっかち過ぎるんだ。もっと余裕を持てよ。」

 無意識に尻尾を振ってしまう。仕方がないんだ、けものだもの。

「ああ…。前よりもずっと良い歌。カルホの言った通りだったわ。」

 恍惚といった表情を浮かべて奴が呟いた。

「悪いが、チケットの無い者には聴かせられないな。」

「マナーのなっていない客には退場してもらうよ。」

 智也と眼を合わせ頷き合う。

「変身!!」



 俺達の前でズーロギアンはまだライブ会場に耳を傾けている。

 そろそろ間奏が終わるな。

 さっさとこいつを倒してライブに行くぞ!

 同感だけど、気を付けて!

「おい!そこの破廉恥セルリアン!よそ見をしている暇は無いぞ!」

 奴が鬱陶しそうにこちらを見る。

「私はステラーカイギュウのギガよ。」

 その眼が緑に光ると不可視のエネルギーがすぐ横を通り過ぎて行く。ほんの刹那、俺達が立っていた空間を轟音が駆け抜け、衝撃が背後の樹木を薙ぎ倒す。

 音速を超える物体が移動する際にその後方では衝撃波による大音響が生じる。…ソニックブームだ。原理はよく分からんが、これが奴の能力か。

 解説はいいけど、打つ手はあるんでしょうね。


 君と出会えた喜びも

 君と別れる悲しみも

 やがて時を超え

 きみたちの宇宙そらを照らし出すよ


 曲もクライマックスだ。終わらせるぞ!

 大地を蹴る。ジグザグに動き衝撃波を避ける。

 ウネウネと湧き出す海藻を手刀で切り裂く。

 加速しろ!もっと速く!音よりも!

 穿て、奴よりはやく!


 だから悲しみを避けないで

 涙もいつか虹を架けるから

 何度だって幾度だって

 君の名前を呼ぶよ

 だから寂しさに負けないで

 独りでもきっと立ち上がれるさ

 何度だって幾度だって

 僕の名前を呼んで


 右手にサンドスターを凝縮させる。

 ギガの傍らを全速で疾駆かけ抜ける。

 全力で制動をかけ振り返った先、体勢を崩した奴を目掛けて突き進む。

月光ムーンライト…」

 突き通したけものプラズムの刃を爆発させる。

噴撃ゲイザー!!」

 光の奔流がギガの胴体を貫き、その身体を宙に飛ばす。


 目を逸らさず前を向いて

 必ず朝は巡って来るよ

 君だって僕だって

 この空の下繋がっている

 俯かずに歩き出そう

 明けない夜なら迎えに行くよ

 いつだってどこだって

 見上げれば星は輝いている


 仰向けに倒れたギガが虚空に両手を伸ばす。

「…ああ、ステキ…な、ウタ。もっと…、聴いて…」

 不意に冷気の壁が押し寄せ、周囲が白く染まる。強烈なブリザードだ。

「敗者には死を。」

「それが世界の理。」

 吹き付ける暴風の中、二つの影が浮かび上がる。また現れたな!

 マフラーを伸ばすと奴等に向かって振り下ろす。何かが絡み付いた。紐!?…奴もマフラーを!?

 全力で引っ張り合う。凄まじい力だ…!びくともしない!

「こいつ…!ゾウのフレンズ!?」

 力の均衡が破られる。マフラーが断ち切られた。勢い余って後ろに倒れそうになるが、踏み止まる。影の片割れが剣を手にしている。

 一層強く冷気の波が押し寄せてくる。

「待て!貴様ら…」

 言い切る前に、もう奴等の姿はない。嘘のように吹雪も掻き消えていた。

 ライブ会場から大きな歓声がとめどなく響いてきた。



「もう行っちゃうんですか。もっと、ずっとポリスに居ましょうよ。」

「そう言って貰えるのは嬉しいわ。でも、彼女達の歌を必要としている人はまだまだいるのよ。」

 六華子さんが笑顔で言う。晴れやかな青い瞳に輝きが満ちている。

 ライブから一週間が過ぎた。いまだポリスは余韻に包まれている。街行く人はポラリスの話題で持ちきりだ。そんな中、彼女達は次の舞台へ向けて旅立とうとしている。

「あなたとの仕事は良い刺激になったわ。ありがとう。」

「俺って詩の才能も有るから。あれくらいは当然さ。」

「ふふ、口も達者ね。また一緒に出来るといいわね。」

「君のこれからの曲も楽しみにしてるよ。…また機会があればね。」

 智也とモイモイが握手を交わす。良い光景だ。…しかし。さっきから彼の視線が…。どこを見てるんだ…。これだからオトコってやつは…

「次はもっと涼しい所で歌いたいわ。」

「今度はどんな男と出会えるか。むふふふ、世界中のイイ男がエラトを待っているのです。」

 アイス片手にサリアとエラトがやって来る。

「お前達には色々と世話になったな。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう。」

「私も智也も好きでやっている事さ。でもまあ…、どういたしまして。」

 笑顔で返すとウラニアも笑う。

「タイリクオオカミ。」

 声を掛けられ振り向くと、ライラの顔が、すぐ近くに…

「…!?」

「会えて良かったよ。またいつか、私の絵を描いてくれ。約束だよ。」

 ウインクして去っていく後ろ姿を私は呆然と眺めていた。

 彼女達を乗せたバスが走り去って行った。

 私はまだその場から動けなかった。胸の中で心臓が高鳴っている。

「どうしたんだ?オオカミ。」

「オオカミさん、顔が赤いですよ。」

 智也とアミメキリンが怪訝な表情を浮かべる。

「な、なんでもない!何も無いんだ。」

 顔を見合わせて小首を傾げる二人に背を向ける。

「先に行っててくれ。私は、もう少し、名残を惜しんでいるよ。」

 二人の足音を背にして、見えなくなったバスの行き先を目で追う。

 私はそっと指先で唇に触れた。



 ポラリスのマネージャー、高嶺六華子です。ジャパリポリスの皆様はこんな話を御存知でしょうか。悪と戦う神出鬼没のヒーロー。誰もがその名を知っているけれど、仮面の下の素顔は誰も知らない。そんな都市伝説があなたの街にも。

 そういえば、ライブの時に会場の外でセルリアンと戦った謎のフレンズがいたそうだけど、原田先生とワオンソン先生は何も言ってなかったわね。どうしてかしら?



 次回 『Speedking』

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