チキン・オブ・ストロング

サムズアップ・ピース

チキン・オブ・ストロング

「すいません、もう一度どなたか伺ってもいいですか」

「今朝貴方がお買い上げになられたニワトリです。ほら、今、冷蔵庫に鶏肉が入ってるじゃないですか。あれがそうです」

 いつの間にか家の中にいた見知らぬ女の子にそう名乗られたのだが、僕は一体どうすればいいのだろう。

「あの、そんな事言ってふざけられても、正直言って反応に困ると言うか」

「ふざけてるなんて。ニワトリは初対面の相手に、しかも、自らを買い取って下さったお客様に不真面目な事を言う程ファミリヤーなニワトリではありませんよ」

 女の子はまるで当然のごとく僕のソファに座り、上目遣いで僕を見ながら抗議した。

 取りあえず、話が通じないと言う事はよく分かった。

 ニワトリ? 確かに僕は今朝、スーパーで鶏肉を買った。切り身でなく、クリスマスとかで食べるローストチキン用の全身がフルで揃ったやつだ。彼女の服装はフワフワとした白一色の冬服に、よく目立つ赤くて大きな髪留めをつけていて、ニワトリに見えなくもない。しかしだからって、鳥類が人類の姿で現れるなんて、そんな、つるのおんがえしじゃあるまいし。

「鍵は閉めたと思うんだけど、一体全体、どこからどうやって入ったのかな」

 自称ニワトリはソファに腰かけて部屋をキョロキョロと見回していたが、僕が詰め寄って行くと急にビクッと立ち上がり、トトトト、と一定の距離を置いて僕から離れる。そういう仕草が本物の鳥に見えて変な気分になった。

「こんなにシリアスに説明して分かって頂こうとしても、まだニワトリを疑うのですね。戸那飼となかいさんは困った人です」

「待った。なんで名前を知ってる」

「スーパーで買われてバッグに入れられる時、バッグの内側に名前が書いてありました。戸那飼さん、もしかして何にでも名前書く方ですか」

「鶏肉の幽霊が、わざわざそれを料理しようとしている僕の事を祟りに来たわけ?」

 横道にそれてばかりで一向に話が進まないので、一応、ポーズだけでも話を信じてやる事にした。百歩譲って君が本当にニワトリだとしよう、と。

 主張を部分的に認める旨の発言をされたニワトリ娘は、しかし不服そうにしかめっ面を作る。いや、僕だ。その顔を一番したいのは僕だ。

「何か誤解があるようですが……ニワトリは戸那飼さんに感謝こそすれ、恨んでいるわけではありませんよ」

「感謝?」

「はい。我々ニワトリは人間の皆さんに美味しく食べて頂き、アットホームな食卓に貢献するために生まれ、そして育てられます。しかもこのニワトリは、戸那飼さんにクリスマスのローストチキンとして買い取って頂ける名誉にあずかり、スペシャルな感激に包まれて生涯を終えたのです。せっかくクリスマスの主役を張れるチャンスを自分でスポイルするようなバカな真似はしません。当然でしょう」

「名誉な事かい、クリスマスのローストチキンになるのが」

「はい。それとも、もしかして違うんですか? てっきり時期的にそうじゃないかと勝手に思い込んでいましたが。ニワトリはクリスマスのローストチキンにはなれないのですか?」

 女の子が――もうニワトリでいいや――ニワトリが、不安そうな顔を作る。

 食べられる事が、しかも、なるべく豪華に料理される事が名誉。「ミノタウロスの皿」という漫画を思い出した。彼等にとって食べられる事とは、義務と言うか、ある意味仕事のようなものなのだろう。

「いや、確かに僕は君をクリスマスのローストチキンにするつもりだったさ。野菜を詰めて、オーブンで焼くつもりだったさ」

 七面鳥ターキーを使う事も考えなかったわけではないが、近くに売っている所がなかったために断念した。それに実際の所、チキンの方がいいのだ。

 それを聞くと、ニワトリの顔は緊張感を残しつつも、いくらか明るくなった。

「だけど、それなら君は一体、何をしにここに来たんだ?」

 暇ではないものの、時間が全くないかと言われればそんな事もない。こうなったら少し付き合ってやるとするさ。

「アクチュアリー、ニワトリにもよくは分からないのです。ただ、ニワトリは自分と同じ『ニワトリ』の助けを呼ぶ声に応え、こうして話せる姿を得た。そんな気がします」

 「actually」ってのは、「実のところ」とか「実際」とかいう意味か。僕のところに現れたこのニワトリは、なぜか横文字が好きらしい。

「一緒に住んでいらっしゃるのはご家族ですか? ぶしつけな事かも知れませんが」

 と、ニワトリが唐突に僕に聞いて来る。

「どうして僕が一人暮らしじゃないと思ったの?」

「いえ、ただ、一人分の料理の材料にしてはトゥーマッチだと思ったものですから。それとも違うんですか? 勝手にそう思い込んでいたけれど、もしかして、家にどなたかお招きになるとか?」

「彼女だよ。数か月前から一緒に住んでいる」隠すような事でもないから、答えてやった。

「出会ったのは去年の十二月、初めてデートしたのはクリスマスだった。その時彼女は僕を家に呼んでくれて、僕のためにローストチキンを作ってくれた」

「お二人の仲を結びつけるキューピッドをおおせつかったニワトリはさぞや喜んだでしょう。なるほど、それで今年は戸那飼さんの方が、彼女さんのためにクリスマスディナーを振る舞うというわけですか。いい彼氏さんじゃあないですか」

「ありがとう。君にとっては最期の晩餐だけどね」

「彼女さんはどこです?」

 すぐに答えようとしたが、息が詰まる。少し呼吸を整えてから答えた。

「……美術館だよ。彼女の好きなレンブラントの企画展がやっているんだ」

「戸那飼さんは行かれないので?」

「行けるわけないだろう。僕はクリスマスディナーを作るんだから」

「……彼女さんは、戸那飼さんがディナーを作るのを知っているんですか?」

 今度はさっきよりも強く息が詰まった。すぐに答えられない隙をついて、ニワトリが言葉をねじ込んでくる。

「サプライズでディナーを作ろうとしたんですね。でもその間、家には戸那飼さん一人だけでいなければならない。彼女さん一人だけを何とか家から追い出そうとして、失敗して喧嘩になったんでしょう。違いますか」

 ついに僕は言う言葉もなくなった。ニワトリはさらに続けて言う。

「彼女さんにはもう謝ったんですか?」

「……いいや」

「だとしたらワット・オン・アース、戸那飼さんは何をやっているんですか? 早く彼女さんに謝らなければ、取り返しのつかない事になるとは思わないのですか?」

 What on earthの意味は「一体全体」だったか。

「どうしろって言うんだ……今更無理だ。もう彼女は許してくれない」

 僕は弱音を吐いた。本当は分かっている。このままじゃいけないと言う事くらいは。

「そんな事はやってみるまでは分からないじゃあないですか。ワット・オン・アース戸那飼さんは何を怖がっているのですか? いいですか、人間と言うものは――ニワトリがこんな事を言うのはおかしいですか――男と女と言うものは、付き合っていれば喧嘩の一度や二度はするものなのです。ちぎれ離れてしまう程のぶつかり合いを経て、より強く結びつくものなのです。ニワトリのくせに分かったような事を言うなって? ニワトリだってお付き合いをした事くらいあるのですよ、こう見えてもね。タマゴを生んだ事もあります。ノープロブレムですよ。戸那飼さん達はきっと仲直りする事が出来ます。いえ、して貰わないと困るのです。ニワトリは若い二人の別れの日の思い出のローストチキンになるなんて、絶対に、ぜったいに、ごめんです!」

 ひと息もつかずにそう言い切ると、ニワトリは肩で荒く息をした。

 そうだよな、こいつにとっては、人生の終焉で、同時に晴れ舞台なのだ。


 大きく息を吸い、吐いた。胸がスーッと、いくらか澄んでいく。


 やることは最初から決まっていたし、分かっていた。誰が言ったか「タマゴを割らずにオムレツは作れぬ」。


「……分かったよ。君のためにもこれから彼女に謝ろうと思う」

 携帯を取り出し、彼女と電話で話そうと思った。

「そうなさいそうなさい。それが一番ですよ。お二人の幸せは未来にまだまだ続くんですよ。。ニワトリと違って、ね。あ、ときに戸那飼さん」

「何?」画面を見て、番号を打ちながら答える。

「彼女さんはもしや……つばめさん、という名前ではありませんか?」

「いや、違うけど」急に何を言いだすんだ。

「つばめさんじゃない? なら、かもめさんですか」

「違うね、全然違う。てか遠くなった」

「かもめでもないですか? ならなんですか、ウグイス? スズメ? それともホトトギス? カラス? キウイ? 大穴でドードー?」

「人の彼女を何だと思ってるんだ⁉ イカルだよ。 栗島(くりしま)イカル」

思わずニワトリを怒鳴りつけたが、その時にはもう、ニワトリの姿はどこにもなかった。ただ、どこからともなく、声だけが響く。

『イカルさん……ですか。鳥の名前ですね。なるほど。これでようやくニワトリが呼び出されたわけが完全に分かったと言うものです』

「……僕らの中を取り持つために……わざわざ君は、生死の境を飛び越え、姿を変え、現世に現れたのか?」

『聞きすごすわけには行かないでしょう? 同じの、心の悲鳴は。そうでしょう? 戸那飼鷹広たかひろさん――』

 その言葉を最後に、ニワトリは去って行った。いや、別段目で見たわけではないが、何となくそんな気がしたのだ。

 それでも聞こえる気がして呟いた。

「――広とで、って、最後はダジャレかよ」


 ◇


「ただいま……ごめんね。一緒に来てくれないからって怒っちゃって――一緒に来てくれると勝手に思ってて――鷹広は、絵とかあんまり興味ないもんね? 一緒に行っても、退屈なだけだもんね?」

「いや、僕は、絵を見ている君の表情が好きなんだ。それに、君から絵の話を聞くのは楽しいから――それが出来なかったのは、理由があったんだ」


 イカルは見る。鷹広が自分に内緒で作っていた、二人だけのための特別なクリスマスの料理の数々。その中央に鎮座する、特大のローストチキン。


「ありがとう。ごめんね、鷹広、大好き」

「僕もごめん。愛してるよ、イカル」


 二人の足は、歩き出してた。その先はディナーのテーブルか。或いは二人の未来――


「さあ、スペシャルなクリスマスディナーにしよう」

「えっ、何その急な英語」

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