why, or why not

マルフジ

why, or why not





 ●





 ピピピピピピピピピピピピ



「はっ」

 よく響く電子音に無理やりたたき起こされ、わたしは目を覚ましました。


「うぅ……うるさい……」

 起き抜けでいまいちはっきりしないぼんやりとした頭の中を、やかましい音が反響しつづけます。

 いまだに騒音を放ち続けている目覚まし時計に、わたしは布団の中から片腕を一本外気に晒し「ほっ」という掛け声とともに渾身のチョップを加えてやりました。


「…………」


 効果は抜群。

 わたしの一撃で目覚まし時計はその役目を果たし終え、翌日のこの時間まで再び永い眠りへとつきました。


「ふぁ~~あ」

 不意に大きな欠伸が口から漏れました。同時に強烈な眠気が、わたしのことを再び眠りへと誘います。


 眠い……

 昨夜はしっかりと寝付けたはずなんですが、眠りが浅かったんでしょうか?

 なんだか最近、眠りの質があまりよくないような気がします。

 一体、どうしたんでしょう。

 そういえば、昨夜は何か夢を見ていたような……?


 内容は…………

 懸命に頭の中で夢のことを呼び起こすと、一瞬お父さんの笑顔が浮かびました。

 ですが、それはすぐに搔き消えてしまいました。


「うーん?」

 結局それからしばらくの間、布団の中でゴロゴロと悩んでいましたが、今浮かんだほんの刹那的な映像以外は思い出せません。


「あ」


 あることに思い当たりました。

 今日は木曜日。

 世間一般の子どもは学校へ行き、大人は勤めを果たしに行かなければなりません。

 そしてそれは、一応今現在現役で高校に通っているわたしこと『片霧 レイナ』という女も例外ではありません。


 まずい!

 慌てて先ほど一撃を食らわせた時計の針を見ました。

 時刻は7時50分。


 もう一刻の猶予もありません。

 わたしは毛布を剥ぎ取って、ベットから飛び起きました。

 それから寝間着を脱いで、そそくさと壁に掛けられた制服を手に取り、袖を通して行きます。


 とりあえず着替えは完了。

 次に慌ててリュックに教科書と筆箱を放り込み、肩に背負って自分の部屋から飛び出ました。


 バタバタ乱暴に足を動かしながら階段を下っていきます。

 その最中、ふと何かが腐ったかのような異臭が鼻に着きました。

 しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐになくなりました。


 だからさほど気にせず、一階に降りると共に洗面所へ駆け込み、顔を洗って鏡を使って髪をそこそこに整えました。


 もうこの時点で、おそらく5分は経過してしまっているでしょう。

 洗面所を抜けるとわたしは、玄関へ飛び込みました。


「レイナ、朝ごはんは?」

 リビングの扉の前を通り過ぎた時、母のそんな声が聞こえてきた気がしましたが、今日はもうそんな暇はありません。


「ごめん、いらなーい」と、大きな声で謝って、わたしは玄関をあけ放ち、そのまま走って学校へ向かいました。



 ◯



 キーンコーンカーンコーン

 あまりにも聴き慣れてしまった金の音と共に、4時限目の授業が終わりを告げました。

 午前の退屈な授業も終わり、ようやく今はお昼休み。

 解放された生徒たちは、昼食を買うためにあるものは購買へ向かい、自分の弁当を持ってきているものは友達と机を合わせたりなど、各々が動き出しました。


「レ〜イナ」

 そんな中、机に突っ伏してダラーっと力を抜いていたわたしの名を、何者かが背後からフニャッとした柔らかい声で呼びました。


 同時に、肩に手を置かれ後ろからそのまま上へのし掛かられます。


「うげー」


 身体を潰され、ちょっと大袈裟にわたしはそんな情けない声をあげました。

 それから、乗りかかった人物が「ほいっ」という掛け声と共に上から退くと、彼女の方を向き文句を言いました。

「もう、重いよ。リンカ」


「あはは〜ごめんね〜」

 なんて、頭の後ろに手を回しながら、彼女は戯けました。


『古崎 リンカ』


 それが彼女の名前。

 程よく筋肉がついた健康的な長い四肢と、黒い髪を後ろで一つ縛りにしている、いかにも運動ができそうな——実際出来る——快活な女の子。


 自分で言うのはむず痒いけれど、わたしの親友です。

 彼女とは小さい頃からいつもどんな時もずっと一緒で、もはやこうして近くにいるのが当たり前の存在。

 ですから、こうして昼休みも一緒に毎日過ごしていました。


「んで、レイナ最近なんかいっつも眠そうにしてっけど、どったん?」


 心配そうに、リンカはわたしの顔をその大きな瞳で覗き込んできました。

 正直、彼女は女子達からキャーキャー黄色い声を浴びせられるような、美しい顔をしているので、同性にも関わらずどきりとしてしまいます。


 ですが、やっぱし傍から見てもわたしは眠そうにしているんだ、なんて思いました。

 実際ねむいわけですしね……

 どうせ隠してもしょうがないし正直に白状しました。


「なんか最近、寝つきが悪くてね。あんまりいい睡眠がとれてないみたいなの」


「まじか。それ大丈夫なん?レイナ」


 ますますリンカは顔を心配そうにします。

 彼女は本当に真っ直ぐで、優しい性格をしています。

 これ以上彼女に心配をかけたくありません。


「大丈夫よ。大丈夫」

 だから、大袈裟に変な挙動を取って戯けて、誤魔化しました。


「あはは。なにその動き」


 よかった。

 彼女の顔に笑顔が戻りました。やっぱり、元気なリンカにはいつも笑顔でいてもらいたいです。


「まあ、ちょっと心配だけど、とりま弁当食べよっか」


 陰からお弁当を取り出し、彼女はこちらに掲げて見せました。

「そうね」とわたしも頷き、自分のバックをゴソゴソと漁ります。

 しかし、お弁当は入っていませんでした。


 あ……

 そういえば、今朝急いでいてすっかり忘れていたんだ。

 ということに今更思い当たります。


「げ、忘れた……」


「ま?」


「うん」


「購買行く?」


「……財布の中、今すっからかんなの」


「えーまじ?レイナやばいじゃん」


「あー朝ごはんも抜いてきちゃったしもうダメだー」

 流石に自分の落ち度といえど、朝昼を抜いて午後の授業に挑むのは過酷なものです。完全にやってしまいました。


「しょうがないな〜可哀想なレイナくんに、特別にあたしが恵んでやろうじゃないか」


 ギィッ とわたしの前の席の人の椅子へ腰掛け、彼女はお弁当を机に置くと救いの言葉を述べました。


「いいの?流石に悪いよ」


「いいのいいの。あたしとレイナの仲でしょ」


 キラッ と星が飛びそうなウィンクを彼女は飛ばしました。

 本当に彼女は優しいです。


「そっか。ありがとうね。リンカ」


 わたしは心の底から、彼女へ礼を言いました。

 すると、リンカは「う、うん。いいってことよ」と少し照れた?ような声を出し、顔を赤くしました。


 ん?

 わたしには、なぜ彼女が頬を赤らめたのか、その理由は分かりませんでした。




 時折、チクリチクリと周りから嫉妬の混じったような視線を受けているような気がしましたが、それからわたし達は一つのお弁当を仲良く一緒につつきながら、穏やかなお昼休みを過ごしました。




 ◯




「じゃあね〜レイナ」


「うん。じゃあまた明日。部活頑張ってね、リンカ」


「お〜う!」


 日はすっかり沈みかかっていて、今は夕方。

 彼女はこれから陸上部。何の部活にも現在所属していないわたしはというと帰宅。

 なので、ここでお別れです。

 ですからわたしたちは互いに手を振りあって、別れの挨拶をしあいました。


 彼女はくるりとこちらへ背中を向け、離れていきます。


「 」


 不意に、なぜかわたしの身体はリンカへ向けて、勝手に言葉を発そうとしました。


 急にどうしてしまったのでしょう。

 自分の体の理解不能な動作の理由も分からぬまま、それから彼女の背中が遠く消えていくのを、わたしはポツリと見守っていました。




 ◯




 あれから学校を後にしたわたしは、今帰路をゆっくりと歩いていきます。

 口から漏れる息には薄っすらと白い色が。

 季節は冬。


 今年も終わりに近づき、すっかり冷え込んでいました。

 こんな寒い中、リンカは走り込みなんて大変だな、なんて思いました。

 ですが、それはきっと彼女がやりたくてやっていることで、リンカにとっては大変でも何でもないのでしょう。


 なにか一つにひたすらに打ち込める彼女が、わたしにはとても眩しく思えました。

 そして、これから華やかな未来が約束されているであろう彼女のことを、とてもとても羨ましく思いました。



 わたしは、わたしには……



 …………?

 今なにを考えた?

 自身の中にある何かがその思考を必死に隠し、殺しました。


「あ」


 気がつくと、自分の家の前に立っていました。

 わたしは玄関扉へ手を掛けます。しかし、なかなか引けません。

 取っ手が重くて重くて仕方がありません。


 別に、普通に扉は開いているにもかかわらず、まるで奥底では扉を開くことを嫌がっているような不思議な感覚。


 さっきもそうでしたが、自分の意思と異なる行動をわたしの身体は勝手にしようとします。

 まるでもう一人の自分がわたしの中にいるかのように……



 長い時間をかけ、ようやくその感覚を無理やり押し込むことに成功したわたしは、扉を開きました。


「ただいまー」


 家の中に入るとすぐに、帰宅の挨拶をしました。

 小さい頃はよく母に挨拶をしなさいと叱られたものです。


「…………」

 しかし、リビングから声は帰っていませんでした。


 あれ?

 いつもならば絶対に帰ってくるのに……

 出掛けているのかな ?なんて思いながら、靴を脱いでリビングの扉を開きました。


「あれ、いるんじゃん。お母さん。それにお父さんまで」


 しかしそこには、普通にいつものように母と父がリビングに置かれている椅子へ向かい合って腰掛けていました。

 二人は扉を開けたところで、ようやくわたしに気がついたようで、挨拶を返しました。


「あら、おかえり。レイナ」

「お帰り。レイナ」


「うん、ただいま」

 きっと、さっきは声が聞こえていなかったのでしょう。

 もう一度、二人へ挨拶を返しました。


 それから「じゃあ、部屋行くね」とだけ断って、わたしはさっさと今朝のように階段を駈け上がり、自分の部屋へ戻りました。


 その際再び異臭が鼻につきました。

 しかしやはり一瞬のことで、結局それが何なのかはわかりませんでした。


 部屋へ入ると、重たいリュックを投げ出して、わたしはベットへ飛び込みました。

 適度な反発感を抱いたスプリングが身体を包み込んでくれます。


 どっと疲れました。

 別にただ学校へ行って授業を受けて、友達と話して……

 それぐらいしかしていないはずなのに、なんでこんなにも疲れてしまうんでしょうか。

 自分の身体に対して疑問を抱きますが、当然答えなど帰ってくる筈はなく……


 そのままわたしは、ウトウトとし始めてしまいました。

 次第に意識が確かでなくなり、微睡みへ落ちていきます。


 そしてわたしは眠りへ落ちました。



 ●



 目を覚ますとそこにはシミひとつない真っ白な天井。


 ここは?

 わたしはベットから抜け出し、部屋の中を見渡しました。

 それは確かに先ほどまでわたしが眠っていた自分の部屋でした。

 しかし、決定的に何かが違いました。


 その何かってなにが違うの?と問われると恐らく、その違いを明白には答えられません。

 ですが、この部屋に17年間住んでいるわたしが言うんだから間違いありません。

『何か』が違うのです。


 全身の肌がその正体不明の違和感の恐ろしさに粟立つのを感じます。

「な、なに……ここ……」


 自分の部屋にいてもたっても居られず、扉へ駆け寄りました。

 扉はなんの抵抗もなく開きます。

 外へ飛び出すと廊下があって階段があるはずでした。


 しかし、そこにはただただ一直線につづく窓も明かりもない真っ白な通路と、その先にはまた扉。

 全く異なった空間が広がっていました。

  

 一体どうなっているの?

 ますますわたしは混乱してしまいます。


 ですが、いつまでも突っ立っていたって仕方がありません。

 未だ震える心を無理やり叩き直し、通路の先にある扉へと恐る恐る歩んでいきました。


 それから、長い時間をかけてようやく扉の前へ辿りつくと、意を決してゆっくりと開きました。


 ・


 そこには……

 そこには、一言で言い表すと一つの家族がありました。


 小さなわたしと、若い父と母。

 その三人が今と比べると酷く綺麗なこの家のリビングで遊んでいました。


 子供用の用具で幼いわたしを喜ばせようと必死な父と母。

 誰もが皆、とても幸せそうな笑みを浮かべています。それは、子供を育てる悦びと、初めて知る遊びの喜び。


 彼らはきっとわたしのことが視界に入っているはずです。

 しかし、誰一人として気がつくことはありませんでした。


 わたしは父に、母に触れようとしました。そして声をかけました。

「お母さん、お父さん」と。


 ですが、やはりというか、触れることも声を伝えることも叶いません。

 そんなことをしている間に、次第にその景色は薄れて行き、次の場面へ移り変わって行きました。


 ・


 それは小学校の入学式。

 父は髪をワックスで整え、スーツをしっかりと着こなしていました。その姿は、本当にカッコよくて、様になっていました。

 母はというと、しっかりと化粧を施し、こらもまた女性用のスーツをしっかりと着こなしていて、自分で言うのもなんですが、とても綺麗でした。


 そしてそんな両親と両手を繋いで、誇るように胸を張っているわたし。

 ピカピカの茶色のランドセルを自慢げに背負って満面の笑みを顔に浮かべています。


 懐かしい……

 こんな時もあったんだね……

 その光景があまりに微笑ましく、酷く哀しくなります。


 一応試しては見ましたが、やはり声は届かず、依然として誰もわたしには気づきませんでした。

 また次第に景色は薄れていきます。


 今度はなんの光景も表さず、ただただ白い四角形の部屋の中心に気がつくとわたしは立っていました。


 四方を見渡すと、また先ほどと同じ扉がひとつ。

 扉を開くとそこには通路がありました。


 しかし、通路は先ほどと少し異なり、ちらほらと黒いシミのようなものが見られるようになりました。

 それがなんなのか、悩んだところで答えはどうせ出はしないので、わたしは再び通路を進んで行きます。


 そして、少し黒ずんだ扉を開きました。


 ・


 次はどうやら中学生時代のわたしの光景のようでした。

 リンカとの再会。

 ある日は二人で遊園地へ。ある日は、図書館へ。ある日は話題のスイーツ屋さんへ。

 二人でいろんなことをして、色んなところへ行って、それはそれはとても楽しくて幸せな回想でした。


 ずっと、彼女とこんな日常が続いていけばいい、そんなふうに思っていました。


 ・


 また場面が写り、今度はわたしが高校1年生の時。

 これは比較的最近です。


 その日は偶然母が何かの集まりで家にいませんでした。

 ですから、当然夜は父との二人きり。その頃の父はどうやらお仕事があまり上手く行っていないらしくて、すこし機嫌が良くありませんでした。

 それに何故か毎日帰りが早かったような……


 わたしはそんな父に腕によりを込めて、渾身の夜ご飯をご馳走しました。

 父は久し振りに笑みを浮かべてくれました。

 そのことがとても嬉しかったのを覚えています。


 しかし、なんだかその父の笑みに違和感を感じました。

 その後、お風呂に入った時にはその違和感はより強く。

 視線を、まなざしを父から感じました。



 馬鹿なわたしは、その時まだそれがなんなのか気がつきません。



 そこで再び景色が薄れていきます。

 今度は景色だけでなくわたしの意識も共に。




 ●




 目を覚ますと、白い天井。

 あれ……


 どうやら、家に帰って自室に戻ってからそのまま寝てしまったようです。

 窓の外はすっかり暗く、時刻は19時40分。


 ……おなかがすきました。

 わたしはいまだ怠さを感じる体を無理やり起こし、下へ降りました。


 リビングへ行くと、母が料理を作っていました。

「ああ、寝てたのレイナ」


「うん」


「もうすぐで夜ご飯できるから、お父さんと待っていて」


「分かった」


 母に言われるままに、リビングに置かれた椅子へ腰かけました。

 目の前には父が新聞を読んでいます。


 …………


 しばらくして、言葉通りに母が夕食を机へ並べていきました。

 餃子、チャーハンなどの中華料理が今日のメインらしいです。


 わたしは空腹に耐えられず、「いただきます」と早々に言うと、どんどんそれらを口へ運んでいました。


 味はとてもおいしいです。

 しかし、母がいつも作るものとはなんだか味が違う気がします。

 端的に言うと、いつも我が家で出てくるものよりも異様においしいです。

 まるで、コンビニで売ってる冷凍食品みたいに。


「今日のご飯美味しいね」


 感想を母に伝えると、母は嬉しそうに笑いました。

「そう?ありがとう、レイナ」


「うん。本当においしい」

 わたしは頷いて、そのまま食を進めていきました。

 ふと一つ、気になったことを尋ねました。

「そういえば、お父さん」


「ん?なんだ、レイナ」


「今日帰り早かったみたいだけど、なんで?」


「ああ、父さんな、今日は仕事が上手くいってな。早く切り上げられたんだ」


「ああ、なるほどね。そうなんだ」


 食事を終えると、わたしは食器を洗って、お風呂へ入って、再び自分の部屋へ戻りました。


 部屋に戻ってからは、学校の宿題を終えて、再びベットへ入りました。

 ですが、やはり先ほど眠ってしまったので目がさえてしまい、なかなか寝付けません。


 仕方がないので、わたしは一冊の本を横になりながら読みました。


 本の名前は『ドグラ・マグラ』

 内容はとても難解で、正直な所なかなかページをめくる手は進みません。

 それにこの本を読んでいるとすぐに眠くなってしまいます。


 この本が好きな人にとってそれはそれは大変失礼なことかもしれませんが、文字を追っていると今回もシッカリと眠気を運んできてくれました。


 わたしは再びまどろみへ落ちて行きます。


「おやすみなさい」


 誰に向けるでもなくポツリとそう呟くと、わたしは眠りにつきました。


 明日もきっといい日になりますようにと願って。





 ●





 目を開くとそこには先程まで見ていた夢と同じく、天井が再び。

 しかし今度の天井は白ではなく、どす黒く変色しており、更にそこには赤い血管のようなものがウネウネと走っています。


 それに、眠りから目覚めたさっきまでのわたしは完全に夢のことを忘れていました。

 今ようやくその事を思い出したのです。


 部屋を見渡すと、やはり天井同様に何処もかしこも不気味に変容しています。


 状況についていけず、ベットの上で呆然としていると、突然扉がゆっくりと開きました。


 そこには父が。

 表情は陰に隠されていて、読み取れません。


「お、お父さん?」


 呼びかけても押し黙るのみで、返事は返ってきませんでした。

 ゆっくりと、父は無言でこちらへ歩き出しました。


 そして、目の前まで来ると突然わたしの両肩を掴み、ベットへ押し倒しました。


「な、何している の?お父さん」


 思わず声が震えてしまいます。

 何をしようとしているの?


 父は、それからわたしの身体を弄り始めました。

 手を胸へ、脚へ、股へ這わしていきます。


 嘘……


 あまりの恐ろしさに、全身の肌が粟立つのを感じます。


「いや、やめて。やめてよ、お父さ ん」

 わたしは必死に抵抗しました。

 ですが、大人の男性に力で勝てるはずがありません。


 いや、イヤ、嫌

 きもちわるい、キモチワルイ、気持ち悪い


 父はまるでうわごとのように、ボソボソと呟いていました。

「ごめんな、レイナ。ごめんな、レイナ」と……


 わたしはそれから父に……



 ああ、思い出しました。

 あの夜の事を。

 どうして今までそんなことを忘れていたんでしょう。


 父は相変わらず、わたしの上にのしかかって、うわごとを繰り返しながら、何かを忙しなく動かしています。



 ぼんやりと、まるで他人事のようにその光景を眺めていると、次第にまた景色がぼやけ始め、移り変わっていきました。



 ・


 それからも、わたしは度々父に毎晩毎晩、同じことをされました。


 母に何度助けを求めようとしたことでしょう。

 ですが、言ってしまったら家族が、わたしの日常が終わってしまう気がして、言いだせませんでした。

 本当にわたしは愚か者でした。


 それにその頃は毎晩毎晩、父と母が口論をしていました。

 一度盗み聞きしましたが、その内容は父の仕事について。


 父は……すでに、あの時にはもう仕事をクビになっていたんです。


 ただでさえそのことで夫婦の仲がおかしくなっているのに、ますます言い出せるわけがありませんでした。


 それからも、ダラダラとわたしと父の関係は続いていきました。


 しかしついにその日が訪れたんです。



 ・



 その日、わたしは父と母の怒鳴り声で起こされ、目を覚ましました。

 口論の余りの激しさに、こんな遅くに何をしているんだろう、と不安になりベッドを抜け出し、恐る恐るリビングへ向かいました。


 階段を降りて扉の前についた時には、口論はすっかり静まり返っていました。

 ひとまず落ち着いたんだな、とわたしは安心し、扉をゆっくりと開きました。


 そこには……

 そこには、母の上に馬乗りになって首を絞めている父の姿がありました。


 わたしはもう次の瞬間には走り出していました。

「やめて!やめて、お父さん」と叫んで、母から父を引き剥がしました。


 父はさした抵抗もせず、力なくすぐに傍へ退きました。


「お母さん、お母さん!」

 それから、何度も母を呼びました。

 しかし母は瞬き一つせず、ピクリとも反応を返しません。

 息もなく、鼓動もない。


 母は死んでいました。


 どうして。

 その問いの言葉を放つ前に、父は訥々告げました。


「母さんにな、気づかれちゃったんだ。お父さんとレイナのこと」


 ……何言ってるの?

 あんなことを続けていれば、いつかこの日が訪れることなんて当たり前でしょ?


 なにかがわたしの中で弾けました。


「だ、だからって!お母さんを殺す理由にはならないでしょ!

 何でこんなことしたの、どうしてよ。

 ねえ、お父さん!答えてよ、ねえ答えてよおおおおおおおおおおお!!」


 父は、わたしのあまりの剣幕に狼狽、後退りしました。

 自身の口から、こんな恐ろしい声が出たことに自分でも驚きます。


「ごめんな、ごめんな……」

 また、うわごとのように父は同じ言葉を繰り返しています。


 なにに対して謝っているの?


 わたしをXXしたこと?

 母を殺したこと?


 それから父はゆっくりと立ち上がり、台所へスタスタと歩いて行きました。

 しばらくして戻ってきたかと思うと、手には包丁が。


 何をしようとしているのか、悟った時には遅すぎました。


「レイナ、ごめんな。愛してる」


 最後に父は、以前の優しい父へ戻りました。

 あの優しい笑顔をもう一度見せました。

 そして、娘を思う父親の純粋な慈愛に満ちた声でそう告げると……



 自身の首へ包丁を突き刺しました。


 血、血、血、血、血


 溢れ出る鮮血。



 わたしの視界が紅く染まって行きます。





嘘だ


嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ



 こんなのは、嘘 だ。



 こんなのは夢ですよね?


 夢に決まっていますよね?


 現実であるわけがないですよね?



 そうだ。

 わたしには優しいお父さんとお母さんがいて、穏やかな日々を過ごしているんだ。


 これからもそんな時間が流れていくんだ。


 これは悪い夢。

 いつか覚める。


 そうでしょう?


 ねえ


 だれか



だれか……








 たすけて





 why, or why not




 ●




 ピピピピピピピピピピピピ

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