第24話 パンスラヴ社【会議室】


 船体が揺れ、スロヴィオは目を開ける。自分がウトウトしていたことに驚き、慌てて首を振る。まもなく出航だというのにまさか居眠りとは。きっと、ようやくここまでたどり着いたという安心感で気が緩んだのだと思う。すでに乗組員は全員防護服にヘルメットをかぶった状態で座席についているし、防守帯も締めたあとなので彼女の居眠りに気づいた者はいないはずだった。彼女はあくびをかみ殺すと、船窓から見える風景に意識を集中させる。

 スロヴィオたち交渉団のメンバーを乗せた輸送船は定刻通りの出航に向けて誘導路を移動していた。発射地点を示す青色回転灯が見える。さっきまで明るかった船内灯がいったん消され、操舵席に並んだ計器の光だけがくっきりと浮かびあがる。出発さえしてしまえば目的地である「ホワイトキューブ」までは自動操舵で輸送船が勝手に連れて行ってくれるので心配はない。そして、国粋公社との交渉がいったんはじまればあとはもうなるようにしかならない。


 結局、この数日はほとんど眠れなかった。時間がないなか、あれもこれもと準備に忙殺され、まるで気を抜く暇がなかった。命の危険がある業務に従事することに伴う同意書へのサインも、眠気でフラフラするなかなんとなくサインしてしまった。どうせ自分が死んでも涙を流してくれる家族なんていないんだという投げやりな気持ちで対応してしまったことをスロヴィオは少し後悔していた。


 悶々と考え事をしているうちにいつのまにかカウントダウンがはじまっていて、心の準備もできていないまま輸送船は発射地点を飛び立っていた。リーバイ・ディベロップメント社が保有していた建物を流用したこの発射場は大きな湖のそばにあって、スロヴィオが船窓から下界を眺めると、湖面に自分たちの乗る双三角錐型の輸送船がくっきりと映っていた。

「今から気を張り詰めていると持たないよ」

 上長のシレジアに声をかけられ、スロヴィオは驚いて「え?」と声をあげる。どうやら険しい顔で窓の外を凝視していたせいで、これからはじまる交渉に対して気負っているように見えたらしい。

「ありがとうございます」スロヴィオはずれたヘルメットを修正しながら形式的に応える。「私なりに力を尽くします」


 スロヴィオは交渉メンバーである八人の一人として、「通訳士」の役割を与えられていた。交渉団長であるヴィエルコポルスカをはじめ、他のメンバーの発言内容を六連星(プリヤードゥイ)の住人たちが話す「共通語」に翻訳して語り、一方で国粋公社の交渉メンバーが語った内容を彼女たちの「標準語」に吹き替えるという重要な任務だった。当初シレジアから打診されたときには断固拒否したのだが、結局、他にできる人間がいないからという理由で引き受けざるをえなくなってしまったのだ。


「今回の交渉は一時間の予定だが、延長する可能性もある。今のうちに身体を休めておいた方がいい」

「閉塞をかけてしまって大丈夫でしょうか?」

「かまわない。なにかあったら私が対応する」

「ありがとうございます」

 スロヴィオは防護服の受信チャネルをすべて閉じて「休止モード」に切り替える。これで緊急事態が発生した時以外は一切のデータを受信しなくなった。ヘルメットのシールドが暗転し、安らかな暗闇が約束される。彼女はひさしぶりに誰にもジャマされない安息の時間を手に入れる。これから本場に臨む緊張感で寝つけないかと思ったが、睡眠導入剤の力を借りるまでもなく、彼女はすぐに深い眠りについた。


 アラートが鳴り、スロヴィオは眠りの底から引きずり出される。頭がうなだれた状態のまま口を開けて眠ってしまったらしく、シールドによだれがたまってたゆたっている。顔をあげて不明瞭な視界のなか周りを見回すと、どうやら目的地に到着しつつあることがわかった。

「身体は休められたかな?」

 シレジアに声をかけられる。よだれ越しで顔ははっきり見えないが、自分が嗤われていることが直感的にわかった。

「はい。おかげさまで」

 スロヴィオは平静を装ってそう応えると、ヘルメットを脱いで座席下に備え付けられたタオルでシールドを拭く。

「まもなくだ。そろそろギアを入れてもらえると助かる」

「はい」

 ヘルメットをかぶりなおし、スロヴィオは船窓から外に目をやる。真っ黒な宇宙空間に浮かぶ乳白色の正四面体をした建造物は「ホワイトキューブ」だ。ここからだと、コーヒーに落とされようとしている角砂糖のように見えるが、あれこそまさに国粋公社との交渉が行われるだった。


 連絡船がホワイトキューブにゆっくりと近づいていく。しだいにホワイトキューブの現実的な大きさが認識できるようになってくるにつれて、よくぞここまで用意したなとスロヴィオは感心する。一辺が数キロはある超巨大建造物。工期が短かったなかでどうやってやり切ったのだろう。あらかじめ精緻にプログラミングされた自己増殖タイプの建材を使ったのはまちがいないが、それでも担当者の苦労は並大抵のものではなかったはずだ。

 ホワイトキューブのまわりには自分たちの連絡船以外なにも動体は確認できなかった。補助脳をコンソール端末に無線接続して観測データを視床スクリーンに投影する。今のところ観測器にも特に反応はない。光学センサやマイクロ波センサは沈黙、熱反応もまるでない。約束の時間が迫ってきているというのに、影もかたちもないとはどういうことなのか。ほんとうに国粋公社の連中は交渉に応じるつもりがあるのか疑問に思えてくる。

 船内で誰かが「あっ」と驚く声が聞こえて、スロヴィオは顔をあげる。乗組員が船窓の外にくぎ付けになっている。彼女もそちらに目をやると、ホワイトキューブの向こう、さっきまで何もなかった宇宙空間に突如巨大な戦艦が存在しているのが見えた。黒々とした楕円体のフォルムは彼らの扱う主力艦「ゴケ」に他ならない。恒星の光を吸収してぽっかりと黒い穴が開いているように見える。その外観も奇妙だったが、それ以上にこの目で見ても信じられなかったのは彼らの航行技術だった。つい数秒前までは何もなかった。ほんとうにちょっと目を離したすきに、まるで「瞬間移動」でもしてきたかのように艦体が眼前にあらわれたのだ。

 国粋公社が極めて高いレベルの航行技術を保持してることは彼女も知っていたがここまでとは想像していなかった。とても物理法則に従っているとは思えない。


 連絡船がホワイトキューブにさらに近づく。接触まで五〇〇〇を切ったところでホワイトキューブの壁面に青い光の筋が縦に一本走り、真ん中から裂けるようにして亀裂が拡がっていく。まるでクレバスのなかに滑り落ちていくように、連絡船は亀裂の奥へと進んでいく。亀裂の奥には浮桟橋のような係留施設があり、連絡船は静かに接岸した。


 下船したスロヴィオたち交渉団のメンバーはキューブの中心部に用意された団体交渉室に向かって歩いていく。床も天井も見渡すかぎり白一色に染まったキューブの内部構造はどこか超現実的で、自分たちが向かう先が異世界につながっているように錯覚してしまう。

 人ひとりがやっと歩けるほどの幅しかない階段を延々あがり、そのまま巷路を一キロ近く進んでいった先には団体交渉室へと続く扉がある。シレジアが壁に手を触れるとピンという小気味いい音がして、扉がゆっくりスライドした。その先にはブラックホールのような真っ暗闇が拡がっている。

 一団が足を踏み入れると、天井と床の両面が白く光を放ちはじめ、部屋が明るくなる。ゆうに一キロ四方はありそうな白い部屋。その中央に、ポリカーボネート製の長テーブルと十六脚のイスが置かれていた。


「ここは」

 スロヴィオが天井を眺める。横にいた軍人がそうだというようにうなずく。

「防磁層で囲まれているので、外部からの走査を完全に遮断します。もちろん、情報がこの部屋から外に漏れることもありません」

 ずいぶんと念入りだ。たしかに部屋の外の様子をうかがい知ろうと観測を試みてみるが、すべての数値がゼロのままピクリとも動かない。


 一団は長テーブルとイスのある中央へ歩いていく。天井が高いせいで、足音が上に向かって駆けあがっていくのがわかる。決められた席順に従って、メンバーはイスに腰掛ける。反重力素材でつくられたイスは腰掛けるとちょうどいい高さに沈む。約束の時間まであと十五分。まるで申し合わせたかのように全員が口を閉ざし、部屋は沈黙に包まれた。


 交渉団のひとりがおもむろに立ち上がって壁の反対側へ歩いていくのを見て、約束の時間になったのだとわかる。扉を開けて控室にいる国粋公社の交渉メンバーを呼びに行く。全員が見守るなか、ついに連中は姿をあらわした。

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SF(サラリィマン・フィクション) イナミ ユキヒデ @godspeedyoublackemperor

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