第23話 パンスラヴ社【会議準備】

 スロヴィオは人工大理石のテーブルに突っ伏したまま、助けを求めるかのように右手を前に伸ばす。フクロウがテーブルのうえを歩いてもすべらないようにワックスでコーティングしているので石のひんやりとした感じはしない。

 天板のうえをちょこちょこと歩き回っているフクロウに向かって人差し指をさし出すと、まるで餌でもついばもうとするようにフクロウはくちばしの先で指の腹をつついてくる。よく見ると、いつのまにか嘴が伸びっぱなしになっていたことに気づく。このまま放っておいたら咬み合わせがおかしくなって餌をうまく食べれなくなってしまう。そろそろヤスリで手入れをしてあげないといけない。

「ドシタドシタ。おきろ、おきろ、ボケナス」

「父さん、私もう疲れた。死にたい」


 スロヴィオは弱音を吐く。彼女のまわりには作成途中の会議書類や目を通すべき関連データが蓄積された電子機器が散乱していた。

 タブレット型のターミナル端末が四台積みあがったさらにそのうえに置かれたガラス瓶。彼女は瓶のなかから精神安定作用のある経口薬を取り出して二錠口のなかに放り込む。そのままガリガリと噛み砕いて飲み込んだ。

 心拍数がやや落ち着きを取り戻してくる。このまま少し仮眠しようと腕枕に顔をうずめると、頭のなかでポーンと電子音が鳴った。国粋公社との交渉に向けて出発するまであと七十二時間を切ったことを知らせるアラーム。タイムリミットが迫っている。

 せっかく治まってきた心拍数がふたたび跳ねあがる。スロヴィオは舌打ちをすると頭をあげてもう一度仕事の続きに取り掛かることにする。交渉の手持ち資料として使われる予定の対話ヂアロークに関する経過報告書や交渉の場で交わされるであろう想定問答集の翻訳、同時通訳プログラムの構築。やらなければいけないことは山積していて、すでに雪崩を起こしている。助けを求めようにも、他の担当は他の担当で本紙のまとめあげや会場の敷設、ゲネプロの実施とすでにまったく余裕のない状況に陥っていることには変わりない。結局、自分のタスクは自分で片づけるしかなく、誰の助けも期待できないことは明白だった。

 これまで交戦一辺倒だっただけに、国粋公社との直接交渉というオプションが国防省に用意されているとは驚きだった。それも、どうやら国粋公社との交渉というアイデアを推し進めているのはブニェヴァツのようだった。相手にとっていい話を持っていく代わりに自分たちの思い通りにことを動かそうと考えているらしく、国防省のなかでは「フリカワリ」という言葉がまるで流行語のように飛び交っているという噂だった。その話を聞いて、彼女は妙に納得してしまう。なぜならそれは、まだ父が文部省で御用学者として社会言語学を研究していた時に唱えていた説そのままだったからだ。


 父は、言葉の変化ないし乱れを引き起こす犯人は社会的地位が中間からやや上に位置する人々だと考えていた。社会的な地位がもともと高い人や逆に低い人は自分の言葉に意図的に権威を付与しようとしない。地位の高い人間の言葉はそれだけで権威を持っているし、地位の低い人間は何を語ろうと権威を手に入れることはむずかしい。一方、中間層、特にやや上に位置する人たちは自分の言葉に権威を持たせたがる。自分が社会のなかでどうふるまうかによって今後の社会的な地位がある程度変化することを知っているからだ。彼らは単純に他の人とはちがう言葉を話すことで自分の権威を高めようとする。外来語の多用、既存の言葉の転用、新語の発明。言葉の乱れを引き起こすのは彼らなんだ、というのが父の持論だった。


 ブニェヴァツのふるまいはまさに父の説を裏付ける行動だ。彼は国粋公社の社員たちが使っている「フリカワリ」という言葉を使いこなし、その概念をわかりやすく実践すべく、これまで取られていなかった直接交渉という戦術を採用することでまわりの人間をに自分が有能だと錯覚させることに成功した。しかし、そんな個人的な出世欲のせいで自分がこんなにつらい思いをしなければいけないかと思うと、怒りを通り越してやるせない気持ちになってくる。


 スロヴィオはテーブルのうえで羽づくろいをはじめたフクロウの背中を撫でる。首をものすごい角度で曲げて顔盤や羽角を腹部にうずめるようにして一枚一枚羽根を整えていく。それが終わると今度は首をのけぞるようにして背中側もつくろいはじめたので彼女は撫でていた手を放す。

「サワルナ、クソムシ。しね、くだばれ」

「そういうこと言わないの」

「ウルサイ。ハタラケ、だまってハタラケ」

 フクロウはくりくりして愛らしい黄色い目でスロヴィオを見ながら繰り返し暴言を吐く。気分を害しているのか、カチカチと嘴を鳴らしている。

「働いてるの。会議の準備ばっかり」


 スロヴィオは終わりのない業務指示にほとほとうんざりしていた。あれもつくれこれも出せ。直接交渉の実施が決まるまでに延々検討資料を用意したかと思ったら、決まったら決まったで今度は本番に向けての準備に追われている。まるで休むヒマがない。


 頭のなかでポーンというアラートが鳴る。上長であるシレジアから連絡。出たくないが、今はまだ所定労働時間内だ。出ないわけにはいかない。回線をつなぐと、シレジアは慌てた様子で指示事項をまくしたててきた。

「幹部から追加のオーダーが来た。交渉のなかで相手がどういう反応を示すか、過去の騎譜データを使って洗い出してほしい」

「それは手元にある騎譜のパターンをまとめればいいってことですか?」

「いや、手元の騎譜を参考に傾向を掴んだうえで、どんな反応が予測されるかを洗い出してほしい」

 スロヴィオはイスに座っているのが耐えられなくなり、立ちあがって窓際まで歩いていくと、三人掛けのソファに身体を横たえる。

「難しいオーダーですね。考えようと思ったらパターンは無限に考えられます」

「考えうる代表的なものだけでいい」

「……わかりました。まずはやってみます」


 スロヴィオはソファに横になったまま目をつぶる。この期に及んでまためんどうな仕事が来てしまった。いつも幹部は「ざっくりでいい」「代表的なものだけでいい」と言ってさも稼働がかからないかのようなものの言い方をするが、ざっくりと出すにはかなり細かい条件設定をしなければ出るものも出ないのだ。期限内に形にするためにはどの程度前提条件を置いてどの程度割り切れば出せそうか、すぐにでも検討をはじめなければいけない。


「あともうひとつ、会議を有利に進めるために、こちらが相手よりも優位に立っていることを何かしらの方法でアピールしたいらしい。パフォーマンスとして、心象に訴えかけることが何かできないかと相談されている」

「どうやってですか?」

「それを考えてほしい」

 思わず舌打ちしそうになるのをスロヴィオは堪える。かわりに左手のこぶしをドンドンとソファの座面に叩きつけて何とか怒りをやり過ごす。アームレストに置いたままにしていた栄養ドリンクの空き瓶が床に落ちて転がった。

「わかりました。まずはやってみます」

 怒りにまかせてそう言ってはみたが、ほんとうに自分が考えなければいけない仕事なのだろうかとスロヴィオは疑問に思う。どう考えても本来業務から逸脱している。

 彼女はあらためて指示事項が自分の所掌外である点を指摘しようと口を開きかけたが、シレジアの「よろしく頼むよ。もう少しの辛抱だ」という発言にかき消されてしまう。そして、彼はスロヴィオの了解を取り付けたことを確認すると、一方的に通信を切断してしまった。

「ああ、あのチビほんと最悪」

 スロヴィオは目をつぶったまましばらく何も考えることができなくなる。今すぐにでも活動を再開しなければいけないことは頭ではわかっているが、身体と気持ちがついてこなかった。


 フクロウが羽根を拡げ、スロヴィオが横になっているソファへ向かって翔んでくる。背もたれを四本の爪でしっかりと掴むと、窓の外へ顔を向ける。フクロウは夜目が利くせいか、昼間よりもこうして夜の方が外を眺めていることが多かった。きっと自分とはちがう景色が見えるのだろうと彼女は想像する。

 スロヴィオも身体を起こすと、背もたれのうえにあごを乗せて窓の外へ目をやる。窓の外は完全に夜の世界だった。暗闇のなかに浮かび上がる無数の丸い赤色灯が見える。列をなした大型のローダーが一斉に地面を均し、超大型の起重機があちこちで資材を運んでいる。建機が稼働している様はどこか生き物じみていて、夜の海で活動する蟹や海老を連想させる。

「父さんにはなにが見えるの?」

「まち。アタリマエダ」

「父さんはこの町でまだやり残したことがある?」

「ノコッテル。いうまでもない」

 フクロウは夜の町を見つめながらはっきりとそう言う。スロヴィオは彼の言葉以上に窓の外を眺める一途な雰囲気から父はこの星に愛着を抱いているのかもしれないと感じる。もう一度外の景色に目をやるが、彼女自身はこの星に一辺の愛着も抱くことはできなかった。

 スロヴィオが背もたれにあごをもたげたまま目をつぶっていると、後頭部を触られた感触があり、なんだろうと目を開けた。フクロウが片方の羽根を拡げ、まるで彼女をいたわるようにあたまをポンポンしていた。

「なぐさめてくれているの? ありがとう」スロヴィオは姿勢を正し、フクロウに向き直る。

「テメエ、ゲンキダセ。だせないならシネ」

「はいはい、ありがとう」

「ドウイタシマシテ」

「ねえ父さん、相談なんだけど」とスロヴィオは頭に浮かんだ想いをそのまま口にする。「この件がひと段落したら故郷に帰らない? 湖のほとりでゆっくりと暮らしましょう。仕事なんて帰ってから探せばいいし何とかなると思う」

 しかし、フクロウは気に入らないのか、嘴をカチカチと鳴らした。

「カエラナイ。ボケ、はたらけ」

「そんなこと言わないで」

 スロヴィオはフクロウを抱きかかえる。はじめは腕のなかでイヤイヤをしていたフクロウもそのうちにおとなしくなった。羽根を通して彼女の身体のなかにじんわりとあたたかさが拡がっていく。はるか昔に感じた父のあたたかさに似ている気がして、彼女は強い眠気を感じる。

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