第22話 国粋公社【打ち上げ】
ギンジョー酒が咽喉を通過し、身体の芯までたどり着く。まるでマッチで火を灯したみたいに身体の内側からゆっくりと隅々まで熱が伝わっていくのがわかる。ささくれ立った心もやわらかな温もりに包まれて次第にほぐれていくのを感じた。
「しかし、なんで援軍を待てなかったんだろうか。うまくいかないな、人生って」
シュウサクが冗談めかしてそう言うと、インセキはマダラエビのおつくりをつまみながら笑う。
「そんなこともないでしょ。知識が邪魔をすることも時にはあるって。実際、既習の騎譜についてはうまくいったわけだし」
インセキは箸で料理皿をチンチンと叩きながら愉快そうに笑った。今日はめずらしく髪をアップに整えていて、着ている服もいつもより小綺麗だった。顔もいくぶん血色がよく、もしかするとこの女は他人のスランプを栄養に生きる活力を得るタイプの人間なのかもしれないとシュウサクは思う。
「まあ、それは」
「評価のことはそんなに心配しなくていいと思う」
「何か聞いてる?」
シュウサクが期待した顔でそう訊くが、インセキは「まさか」と首を振る。
「人事局の情報は外に漏れないよう、ぴったりとフタがされてるから」
「そうだよな」シュウサクはうなずくと、テーブルの横に置かれているゴバンを手でペンペンと叩く。「よけいなことは考えず、黙ってやるべきことをやれってことだな」
二人はさっきまでこのゴカイショで騎譜について検討していた。今日の実技演習を振り返り、どこが失着だったのか、どういう手を打つべきだったのかを明らかにする。類似する騎譜も参考にしながら検討した結果、二子で先を急がず、援軍がすみやかに艦内に突入できるよう行動するべきだったという結論が出ていた。
インセキは口調こそいつも通りそっけなかったが、検討結果だけをとらえて悲観的になることないとなぐさめてくれる。あたらしい騎譜も自分のものにしたわけだし気にすることはない、と。インセキはギンジョー酒の入ったお猪口をかかげると、「成長に乾杯」と言ってひと息に呑み干した。
「うまそうに呑むね」
「事実おいしいから」
「それはそうだ。ここはうまい、食事もな」
シュウサクはテーブルのうえに並んだ方言鶏の手羽先にかぶりつく。あまい脂が口のなかでまったりと拡がる。特徴的な厚い皮も食べ応えがあって気に入っている。お猪口に残っていたギンジョー酒で口のなかの油分を洗い流す。さっぱりした口であらためて二本目にかぶりつくとまた格別のおいしさだった。
「記録映像は持ってきてくれた?」
インセキは頬を赤く染めながらそう訊く。
「もちろん」というと、シュウサクはデータを転送する。「死にたてほやほやだよ。変態のお前にぴったりだ」
「変な言い方しないように」インセキはたしかにデータを受領すると、よしとうなずく。「鬼教官のもとでシュウサクがいつまで生き延びれるかわからないし、今のうちにたくさんもらっておかないと」
「まったく、ジョウワのやつ腹立つぜ。あることないこと言いやがって」
ギンジョー酒と方言鶏の手羽先で気をよくしたシュウサクは思わず愚痴を漏らす。
「ちなみにここだけの話だけど、あのジョウワ教官は昔、敵前逃亡をしでかして大問題になったことがあるの」
インセキの言葉にシュウサクは驚く。「ホントに?」
「騎譜に残ってる。悪い意味で有名人だよ。おなじ班の仲間がほぼ戦死してしまって圧倒的に不利な状況に陥った状況で逃げ出したんだから。たまたま援軍が来て残りの仲間は事なきを得たけど、たしか訓告か譴責か、懲戒処分も受けていたと思う。そのあたりの情報はわたしたちの手元にはないけどね」
「なんてやつだ。今ではあんなにえらそうなこと言ってるのに」
シュウサクはジョウワが敵前逃亡したという騎譜を見せてほしいと要求する。インセキはすぐにデータを転送し、テーブル横のゴバンで当時の騎譜を再現する。彼女が問題の一手をフォーマット上で打ち込んだ時、シュウサクは思わずうなり声をあげた。いくら難しい状況とはいえ、最低限サバキを狙って相手にツケるべきところだ。それを変にコスんだものだから持ち込みになってしまった。もはや完全に封鎖されて根拠がなくなってしまっている。
「嘘でしょ。これはひどい、死刑だな」
「こういう時代もあったわけです」
「まったく目も当てられない騎譜だな」
「研修用の推薦資料から外されているので今となっては一般の戦闘員が目にする機会はないけどね」
「これこそみんなに公開するべきだ。俺のようにはなるなって」
二人は問題の騎譜を肴に酒を呑む。そこに、追加注文したコモチホラダケのオイル焼きを持った店主が現れる。
「にぎやかだね。誰かの悪口かい?」
「ジョウワ教官について話していたんです」
インセキがそう言うと、店主は「あいつか」と言って腕を組む。
「ジョウワ教官を知ってるんですか?」
シュウサクの問いかけに店主は「もちろんだ」と首を縦に振る。
「彼がまだ若いころに先輩に連れられてよくこの店に来てたんだ。えらくなってからはとんと見かけなくなったけどね」
「そうなんですね」
意外なつながりにシュウサクは驚く。チラリとインセキの顔を見るが、特に不自然な表情はしていないのでどうやら店主が嘘を言っているわけでもなさそうだ。
「あいつはあんな見た目だが酒に弱くてね。しかも泣き上戸なもんだから毎回呑むたびに泣きながらすいませんすいませんと先輩にあやまっていたのをおぼえているよ」
「ええ!」
二人は声をそろえる。まるでイメージがなく、今の姿とは容易に結びつかない。
シュウサクは店主に今のジョウワ教官の様子を語る。尊大な態度を決して崩さないところや部下の失敗を公衆の面前で攻め立てる意地悪さを多少の誇張を交えて伝えると、店主は大笑いする。
「あのひよっこが何をえらそうに」
三人はジョウワ教官の話題で大いに盛り上がる。いつのまにか店主は「俺のおごりだ」と言って一階から別の酒を持ってくると自分も一緒になって呑みはじめていた。
「なんかこうして話していたら力が湧いてきました」
シュウサクが酔って顔を赤くしながらそう言う。すでに目はとろんとしてきている。テーブルの上には空になった徳利や酒瓶が並び、料理皿が積みあがっている。
「酔ってるでしょ、かなり」
インセキの指摘に対し、シュウサクは「ぜんぜん酔ってません」と見え透いた嘘をつく。
「いいじゃないか。ストレスを解消できるのは酒が持っている大きな魅力のひとつだ」
「そうですね」とインセキは同意する。「しょせん研修は研修です。もう忘れましょう」
「そうだよな、それに俺は本番に強い男なんだ」
「私は数々の軍人を見てきたからわかるけど、君は将来大きくなるよ」
「ほんとですか?」
店主の発言にシュウサクは目を輝かせる。リップサービスだとわかっていても褒められて悪い気はしない。
「まちがいない」
「期待に応えられるようがんばります。パンスラヴ社の連中を根絶やしにしてやります」
「いいね、その意気だ」
「俺はやります!」
シュウサクは立ちあがると、カイゼル酒がなみなみと注がれたグラスをかかげる。店内照明が朱色のカイゼル酒を透過し、シュウサクの顔を赤く染める。仕事そっちのけですっかり座り込んでいた店主とインセキも自分のグラスを持って立ちあがる。三人は天高くグラスをかかげると、「カンパーイ」と大きな声をあげ、おたがいにグラスを勢いよくぶつけて涼しげな音を立てた。
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