, all because of...


 人間は、人間であることを許される限り、「出来ないこと」があると私は信じている。また逆に、「出来ないことを許される」ことで、はじめて人間たりうると思っている。だがこの点、自分にはそうした経験が無かった、そうした育てられ方をしなかったと、固く信じ込んでいる。


 常に「出来なくてはいけない」と教えられた。それが嫌で仕方が無かったが、元来、器用かつ人まねの才能があったため、出来る人を真似すれば、本を読めば、話を聞きさえすれば、難なく、それ以上の結果を出せたのである。人もうらやむ程に。


 だが、出来るからと言って、それが私の望みかどうか、私のしたいことかどうか、尋ねられはしなかった。私自身も、逐一考えることをしなかった。求められれば応える、それだけだと思っていた。でも、そんなこと、マシンに命令を与えて、そのとおり実行しているだけというか、パブロフの犬というか、人間として屈辱だと感じていた。


 求められても嫌と言えること、たとえ可能であっても、やらなくてもいいと許されること、力の限界や気持ちの問題を、当然だと思ってもらえること。

 それが私の能力だけを理由に、全て忘れられてしまうのなら、他人と比べて、相対的に能力値が高いというだけなのに、あたかも絶対的な基準であるかのように見なされるのなら、それは人間扱いとは決して言わないはずだ。


 私は腹を立てていた。何より自分自身に原因がある。もし出来ないふりをすれば、見て見ぬふりをして、"道"を外れてしまえば、その原因を消すことも可能だ。しかし、本当にそれは赦されるのか?―分からなかった。


 分からないから続けるしかない。でも、腹が立つ。すべてに腹が立つ。自分自身にも、まじめな自分を頼りにする他人にも、腹が立つ。希少でなくとも、卑小な自分を振り回すには十分な才能を与えた"神"や世界にも、腹が立つ。


 何でもいいのだ。許してほしい。そうでなければ死ぬしかない。そうでしなければ、すべてが言い訳になる。言い訳したくなくて、死のうとする。それしか選択肢が無いと口にする。本当に力の限界が来るまで、気力が尽きるまで止まらない自分が、そこにいる。



 「何が正しい?」


 正しくない自分を生かしたい。だからこの質問は始めから、正しい答えを期待していない。問いかけの意図自体が、正しくないのだ。本当はこんなふうにただ断言できればいい。


 

 「正しくないことこそが、”正しい"」


 あらゆる間違いや破たんを受け容れて、それでも壊れない社会と自分が欲しいのだ。そんなものは夢物語だと、空想だと言われてもいい。空想に生きたい、空想でもいいから、それが真実だと思うことが出来れば、生きていける。



 "非"人間化の進む世界こそ夢が必要なのは、こういう理由だと思う。



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anger to words ミーシャ @rus

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