第53話・吾音の決断

 その日、嘉木之原学園高等部は、ざわめきのような騒ぎに覆われていた。

 自治会長選挙の立候補者の受付締め切り日だったことによる。


 「で、今年は出ないってワケ?」

 「……文句でもありそうね」

 「文句ってほどじゃないけど」


 そんな中、有力な候補者と目されていた阿方伊緒里は、始業前の学監管理部室で幼馴染みと対峙していた。


 「予鈴まで時間も無いからもう一度だけ聞く。今年は立候補しない。そーいうことでいい?」

 「くどいわね。この一年、結構辛い目も見た。他にやりたいことだってあるし、降りたって誰に責められることはないと思うわ」


 それくらいの自負はある、と、言葉とは異なり吾音から目を逸らしながら、伊緒里は言った。


 「…ま、わたしがあんたの業績をあれこれ論う権利はないけどさ」

 「じゃあ問題ないでしょう」

 「次郎が言ってたのよねー」


 ぴくり。

 話はこれでお終い、と部屋を出て行こうとしていた伊緒里の動きが止まる。


 「その名前を出すのは狡くないかしら」

 「俺たちは勝手に支援しただけだから、別に伊緒里が続けようが止めようが口出しする筋合いじゃあない、ってさ」

 「………」

 「ま、三郎太もきっと同じことを言うでしょーし、わたしも気持ち的には同じようなもんよ。あんたが決めることなんだし」

 「言いたいことがあれば言えばいいでしょう?あなたらしくもない」

 「言いたいことっつーかね」


 室内の時計を見上げて吾音は続ける。


 「…ま、あんまり言いたいことを抑え込んでいると体によくないよ、ってだけかな。もちろんわたしの、じゃなくてあんたの、ね。そんだけよ」

 「思わせぶりな口で私を煙に巻くの、相変わらずよね。吾音」


 言うじゃない。

 そう言った時だけ苦笑を見せて、吾音は先に部屋を出て行った。

 鍵?嘉木之原学園で悪名を轟かせる学監管理部の拠点に、忍び込んで悪さをしようとする物好きなどこの学園のどこにも…。


 ガチャン。


 「あ…ちょ、ちょっと吾音!なんであなた一人で部屋を出て鍵かけるとか…あの、ちょっと、中から開かないんだけどっ!なにこれ、ちょっと吾音っ?!こらーっ!私を閉じ込めて何しようってのよ!!」


 あっはっは、と憂さ晴らしに成功した晴れがましい笑顔で、吾音は一人特殊教室棟を後にしていった。

 取り残された伊緒里がどうなったかは…知らせを聞いて一時限目あとの休み時間に駆け付けた次郎が散々恨み言を言われたことで察せられるというものだろう。



   ・・・・・



 そんなひと悶着あった日の、昼休み。


 「姉貴ぃ、伊緒里に何言ったワケ?」

 「ん?なにが?」


 珍しく学監管理部室で弁当を開いていた三人。

 今日は吾音ではなく母の作ったもので、焼き魚や煮染めなど、吾音の作るものとは若干方向性の異なる中身をパクつきながら、次郎は困った顔でそう切り出した。


 「なにが、じゃなくてさ。朝ここに閉じ込めたらしーじゃん。一時間目に出られなかった、ってめっちゃ怒られたんだけど。俺が」

 「なんで次郎に言うのかしらねー。文句言うならわたしの方でしょーに」

 「大方、王子様に助けを求めたかったんだろうさ。念願叶ってお姫様を演じられて、会長も本望というものだな」

 「お前らなあ……」


 姉と弟の言いたい放題に、被害者の次郎は頭を抱える。


 「どうせ次郎のことだから、伊緒里をせっついたりしてないんでしょ。わたしが代わりに発破かけといたんだから、むしろ感謝されてもいーくらいよ」

 「はっぱぁ?まーたどんな無茶を振ったんだか…」

 「会長選挙のことよ。今日が立候補受付の締切じゃない」

 「……ああ」


 箸を咥えたまま、納得顔になる次郎。と、それを余所に自分の食事に専念する吾音と三郎太。

 吾音に言われたように、次郎はそのことについて伊緒里に話を持ちかけたりはしていない。

 一年前のことを思うに、簡単に切り出せる話ではないからだ。

 吾音の方だってそれくらい分かっているだろうに、一体何のつもりで自分から話をしたりしたのか。それも、伊緒里が最も憤慨するような雑なやり方で。


 「次郎?早く食べないとこのあとの話も出来なくなるんだけど」

 「わあってる。伊緒里のことなら後でフォローしとくわ、っつーか姉貴が余計なことしなけりゃこんな面倒なことになんねーってのに」

 「あんたがやるべきことをやってないだけでしょ。ほら、こっちは食べ終わったんだから、あんたもさっさと済ませる」


 結果として次郎のフォローだかなんだかで、伊緒里は前言を翻すことになるのだが、それはさておき吾音がいつものようにクラスメイトとではなく姉弟で昼休みに集まることにしたのには理由があった。




 「……宮島の様子が変?どういうことだ、姉さん」

 「いやま、変とか変じゃないとか判別つくほど一緒にいるわけじゃないんだけどね……なんでそんな顔すんのよ、三の字」


 味は楽しみつつもそそくさと済ませた昼食の後、三人はテーブルを囲んで額を突き合わせていた。

 議題は、というと吾音の持ち込みになる、宮島浩平のこと、となったのだが、姉の持ち出す話題としては珍しい類のもので、三郎太としては滅多に見せない困惑顔になるのも無理はない。


 「にしてもまあ、姉貴が男の話をしてくるようになるとは天変地異もちかぶっ?!」

 「それ以上言わせるか、アホ。まあ、ほら、さ。あの子最近わたしたちによく顔見せるじゃない。わたしとしては懐きっぷりがかわいーからそれほどイヤでもないんだけど……あんたまで妙な顔して。今日はどーしたのよ二人とも」


 そして、中指のデコピンを食らって額を両手で押さえる次郎もまた、吾音から見れば奇態な顔つきなのである。


 「……いや」

 「……なんでもねー」

 「変なのはあんたたち、って感じに見えるんだけど。まあいいわ。で、今日に限ってわたしの顔を見て、そそくさー、って感じで、後ろ暗いとこというか隠し事でもあるみたいにさっさと行っちゃったのよね。あんたたち心当たりない?」

 「………」

 「………」


 ここで二人が顔を見合わせて複雑な表情になったのも無理はないだろう。

 今のところ、宮島浩平が吾音に入れあげているという事情は知っているとしても、まさか本気で姉の方が一つ年下の後輩に絆されるなどということはあるまいと、高を括っていたから、浩平の微妙な変化について語る場面が来るなどとは思っていなかったのだから。


 (おい、どうする)

 (どうするもないだろう。なるようにしかならん)

 (策無しかよ)

 (だったらお前が何か考えればいいだろう)

 (考えがあるならとっくになんとかしてるっつーの)

 (ならやっぱりなるようにしかならんだろうが)

 (………だなあ)


 「……何通じ合ってんのよ。文句があるなら直接言えば?」

 「いや、なんでもない」

 「そーそー。姉貴が心配するようなことはなんもない。なあ?」

 「うむ」


 アイコンタクトで無意味な意見交換をする弟二人を吾音はジト目で睨むが、こういう場合は問い詰めても、こんな時だけ結託した二人になあなあにされてしまうことを吾音は知っている。だから多少は覚え無いでもない疎外感を意識の外に追いやって話を進める。


 「で?」


 で?、とは?…などという無駄な会話はしない。


 「どーもこーも、俺に心当たりなんかあるわけねーって。三太夫はどうよ」

 「三太夫ではない。三郎太だ。俺も無い。最近はヤツとサシで話し合うこともあまりないしな」

 「そっかあ」


 それほど期待していたわけでもないのだろう、吾音はさして落胆した色もなく、背もたれに背中を預けて天井を見上げた。

 そのまま三人とも黙り込む。次郎がスマホで時間を確認すると、昼休みの終わりまで五分を切っていた。


 「姉貴、そろそろ時間…」

 「うん、まあ……次郎、三郎太。わたし午後はフけるわ」

 「…なんだって?」

 「おい、姉さん」


 立ち上がって荷物を取り上げた吾音を、二人は止めようと手を伸ばしたのだが、それを躱すように吾音は入り口に向かって歩いて行き、戸口で止まると振り返って言う。


 「ちょいと調べもの。あんたたちが知らないってんなら自分で調べるしかないじゃない」

 「いやそりゃ知らないけどさ、調べるってんなら俺たちがやったって…」

 「わたしがそうしたいだけ。ほんじゃねー」


 ヒラヒラと手を振って部屋を出て行く吾音を、次郎も三郎太も呆然と見送るしか出来なかった。

 もともと行動力のカタマリみたいな姉ではあるが、今日のはそれに加えて明らかに二人を拒む気色があった。

 その意図するところを掴めずに見送る形になってしまったが、取り残された態の次郎と三郎太は顔を見合わせてこう言う他ないのである。


 「どーすんだ?」

 「……どうしたものかな」


 全く以て、処置無しの男子組だった。

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うぃあーど・りーぐ!~学監管理部の三姉弟~ 河藤十無 @Katoh_Tohmu

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