00-0 カーテンコール
かすみは段ボールに整頓された荷物と、自分のアパートを見回して、小さくため息をついた。
――ここって、こんなに広かったっけ?
夢見心地で引き継ぎや本社が契約する社員寮の手続きを取り……
いよいよ明日は東京に引っ越しで、明後日からは本社勤務だ。
支局内では。
「良かったね、おめでとう」
「あー、いろいろ大変そうだが、頑張って」
素直に祝福してくれる人と、微妙に憐みの目線を送る人と、反応は様々だが。
希望していた報道記者になれて、しかもフェイカー専属なのだから、かすみにとっては文句などなく。
「ホント、夢のようだ」
嬉しすぎてまだ実感がわかないぐらいだった。
しかし局内の女子社員の反応は、かすみの人事よりも。
「浜生さんのご両親について、何か聞いてた?」
「アメリカのどこに実家があったか知ってる?」
急病で倒れた母の見舞いのために帰国し、そのまま退職届を出した浜生夏雄こと……
フェイカーの話題で持ちきりだ。
「さあ、どうなのかな」
話題を振られるたびに苦笑いしたかすみだが。
気にならないと言えば、嘘になる。
引継ぎ期間中に例の別荘にも足を運んだが、やはり人の気配はなく、車すら止まっていなかった。
他社の新聞報道やニュースもチェックしているが、これと言った収穫はない。
あの病院での出来事も……
今思い返しても夢のようだし、どこの報道も事実とは異なる話ばかりだ。
栄太郎伯父から、一度だけ連絡をもらったが。
「私の心配はいらない。詳細は話せないが、弁護士を通して事後処理を進めている。病院には影響がなさそうだし、私の罪は……残りの人生で、どんな形であれ償おうと考えている」
そんな状態だったから、具体的な話は突っ込んで聞けなかったし。
栄太郎はかすみの心配ばかりしていた。
姪の静香は、都内の大学病院に入院している。
こちらはもう少し落ち着いたら見舞いにでも行こうと考えているが……
かすみはフェイカーの最後の笑顔が気になって仕方がない。
「マルコは、やっぱり」
まるで失恋した乙女のように……動いていないと、その事ばかりが脳裏をめぐる。
「うっしゃ! 気合い入れて荷物まとめるか」
かすみは両手で自分の頬を叩くと、座っていたベッドに置いてあったスマートフォンの着信に気付いた。
慌てて手に取ると。
『話したいことがある、飯でも食いに行かないか』
大野からSNSのメッセージが届いている。
かすみは少し悩んでから……
返信メッセージを送った。
¬ ¬ ¬
大野は指定したレストランで、緊張しながら三杯目の水を飲み干した。
すると大野を見つめていた大学生アルバイトの女性が、慌てて水を注ぎに来る。
「待ち合わせの方が来ないんですか?」
ウエイトレスに声をかけられ、慌てて時計を確認し。
「いや、俺がちょっと早く着すぎただけだ」
大野は苦笑いをもらした。
待ち合わせは午後七時だが、大野がレストランに入ったのは六時を少し過ぎた辺り。
さすがに早過ぎたと、ため息をつくと。
ウエイトレスはピッチリそろった前髪を手ですき、大きな瞳をパチリと瞬かせた。
――美容院には昨日行ったばかりだし、さっき更衣室でスカートを巻いて丈を短くしたし。こんなイケメンめったにいないから、ファイトよ!
大野が、ニコニコ笑いながらその場に立ち尽くすウエイトレスに戸惑っていると。
「待たしちゃいました?」
かすみがテーブルの反対側に腰かけた。
ウエイトレスが苦笑いしながら去る。
「いや、今来たところだが……」
「それで早速ナンパですか、相変わらずですね」
それは違うと声にしかけ、なんとかそれを飲み込み。
「栄転だってな」
大野は笑顔をつくったが。
「なんでそれを……」
かすみは心底嫌そうな顔をした。
「お前のところのぶら下がり記者が教えてくれた」
「あいつ、思ったより口が軽いのね」
かすみは眉根をひそめたが、ふと何かを思い出したように。
「でもせっかく再会できた先輩とも、これでお別れですねー」
とても嬉しそうに微笑んだから。
「俺も東京に転属になった。部署はまだ公表できないが……会う事もあるだろう」
大野は何気なさを装って、そう呟いた。
「……先輩」
「なんだ」
「やっぱりあたしのストーカー?」
大野は小さくため息をつくと、かすみにメニューを手渡し……
さっきからあたふたしているウエイトレスに、手を振った。
¬ ¬ ¬
かすみは運ばれてきた料理を口にして、その美味しさにおどろいた。
店の雰囲気も落ち着いていて、食前酒のワインの口当たりも良い。
「良く来るのですか、ここ」
「いや、同僚に相談したら教えてくれた」
誰の事を思い出したのか、大野が楽しそうに笑うので、かすみはそれ以上突っ込まなかった。
「話って?」
「栄転のお祝いと、事件の……情報交換」
それからかすみと大野は、お互いに公表できそうな部分だけの情報交換をしたが。
「話はつながるけど、何かが足らない感じですね」
特に大きな収穫はなかった。
「ああでも、お前が何かを隠していることは良く分かった」
「先輩もじゃないですか」
かすみが頬を膨らますと。
「俺は職業上の守秘義務もあるし。自分自身、分かっていない所もある」
そう言ってワイングラスを傾けた。
その仕草は、まるで人気俳優のように様になっていて。
大野に気のないかすみでも、思わずため息がもれる。
――こっちをチラ見してる可愛いウエイトレスちゃんも、あたしたちが不釣り合いだって思ってるんだろうな。
「先輩は、どうしてあたしなんか、かまうのですか」
だからかすみは、酔いも手伝ってそう聞いてみた。
「前から言ってるだろう、俺が好きになったのはお前だけだ」
大野のその言葉に、かすみはポカンと口を開けてしまったが。
ワインのせいか……大野の顔もやけに赤くなっていた。
「こちらのワインなどいかがでしょう、食後のおすすめです」
二人が微妙な雰囲気で見つめ合っていたら、ソムリエらしき渋めのイケメンが声をかけてくる。
「ありがとう、ワインは良く分からないからおすすめを頼む」
大野が恥ずかしそうに小声で呟くと、ソムリエは一度席を外した。
「じょ、冗談でも……なんか、まあ嬉しいです」
かすみが場を盛り上げようと、無理に笑顔を作ると。
「冗談なんかじゃねえ、お前は……その、そう言うヤツはいないのか」
大野の真面目な顔に、かすみはふと幼少の頃のマルコの笑顔を思い出したが。
「いやほら、あたし。恋愛とか考えたこと無いし、今は仕事が恋人みたいな?」
なんとか手をバタバタして否定すると。
「なら、俺にも可能性はあるんだな」
大野はそう呟き。
そしてワインボトルを持った、先ほどのソムリエが近付いてきた。
「こちらが今日のおすすめです」
丁寧に二人の前にコースターを並べ、ワインを注ぐと。
「お嬢さん、可能性は全てにおいて平等ですよ」
そう言い残して、去って行った。
大野がもう一度何かを言おうとしたら、ポケットの中のスマートフォンが揺れる。
取り出して、画面を確認すると表情が変わった。
そこには亞里亞から、フェイカーの新たな挑戦状が来たと書かれている。
大野は少し悩むと。
「すまない、急に仕事が入った」
伝票をつかんで立ち上がり。
「また食事に誘っても良いか」
どこかぶっきらぼうに呟いた。
かすみが頷くと、大野は小走りでレジに向う。
――なんだか助かったような、中途半端なような。
ひとりテーブルで苦笑いをもらすと、ソムリエがまたワインを注いでくれた。
――これを飲んだら、あたしも帰ろう。
かすみがそう考えて、手を伸ばしたら……
スッと、グラスが横にズレた。
¬ ¬ ¬
そのボサボサ髪でノーメイクの地味な女性は、レストランの奥でひとりで食事をしていた。
「どうですか?」
突然あらわれたソムリエに。
「今日はお酒が飲めないのよ、まだ仕事で」
顔を上げて……ズレた伊達メガネを直す。
「それは残念です。せっかく、お礼をお持ちしましたのに」
「お礼?」
「ええ、泳がされていたのはどちらだったのでしょう」
「何の事かしら」
「おかげで、ユニオンの情報が幾つか入手できました」
テーブルの下の鞄に手を伸ばそうとすると、ソムリエは女性に鋭い視線を向ける。
女性の背筋に冷たいものが走り、動けなくなると。
ソムリエはポケットから自分のスマートフォンを取り出して、女性に画面を見せた。そこには先ほど女性が送ったメッセージが表示されている。
「このメッセージは、フェイクではなく本当になります」
ソムリエは懐から封筒を出すとテーブルに置き、優雅に腰を折り一礼した。
「どうして……」
それを見た女性がなんとか声を絞り出すと。
「ショーは終わりましたから、カーテンコールですよ。お礼と説明を兼ねて」
つくられたような笑顔を残し、何事もなかったのかのように店を出て行く。
呼吸を落ち着け女性が封筒を開けると、そこにはA四サイズの紙に書かれた、都内の美術館を襲うと宣言された『挑戦状』が一枚。
そしてこの店のコースターに、ワープロで印刷したような人間味の感じられない美しい文字で。
一行目に「あなたの心に偽り有り」と書かれ。
続けて二行目に「近々盗みに参ります」とあり。
更にその横には……
怪盗フェイカーと署名があった
The endless snow falls in August.
--The END--
Can’t forgive the Faker thief.
To be continued?
その怪盗じゃあ許せない! 木野二九 @tec29
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