Epilogue
27 それぞれの朝
「おはようございます。今日は天気が良いですから、カーテンを開けましょうか」
若い女性看護師が、今どき珍しいスカートタイプの制服をひるがえしながら、照れたように首を捻る。
病室とは思えない豪華なベッドから腰を上げ、大野がそちらに視線を向けると。
栗色のふわりとした髪を揺らして、嬉しそうに看護師は微笑んだが。
開いていた部屋のドアからツカツカと足音が響き……
「病気じゃないのだから、こいつにやらせればいいのよ!」
亞里亞が力任せにガバッとカーテンを開いた。
大野がやれやれとばかりに首を振ると。
「まったく良いご身分ね」
腰に両手を当て、亞里亞は盛大にため息をつく。
「俺は早くここを出たい」
亞里亞の後ろに広がる青空を見て、大野もため息をついた。
コソコソと逃げるように出ていく看護師に、大野は目配せして謝ると。
「ここの怪しいフロア専属のナースステーションじゃあ、イケメン・スーパーヒーロー
亞里亞が人差し指を立てて、出来の悪い弟を叱るような仕草で小言をしゃべりだす。
担当医になった副院長の話だと、この高級個室は政治家などが『体調を崩した』際に利用する場所で……マスコミなどの取材を一切遮断し、健康な人間が長くいても不快にならないよう設計されていて、看護師も選ばれた職員が特別な制服で従事しているのだとか。
世の中にはいろんなモノがあるものだと感心したが。
「スーパーヒーローねえ」
大野は今の自分の立場が嫌で仕方がなかった。
「あら、その通りじゃない」
手に口を当て楽しそうに笑う亞里亞からは、嫌味しか感じられなかった。
この病室に連れ込まれてから、既に四日経つ。
初めから入院するほどのケガではなく、頭部への衝撃で意識を失ったからと念の為精密検査を受け、一晩病院に寝かせられただけだったが。
翌朝事件が明るみになると、警察の不祥事を隠すためなのか……県警から直接入院するように指示が出た。
おかげでマスコミの取材や、調書作成などの業務からは解放されたが。
たまたま見たテレビのワイドショーで、テロを狙った過激派組織から病院を守った警察官がいると、報道されているのを知ってしまった。
他のチャンネルでも同じような報道が盛んで『現代のヒーロー、スーパー警察官』のようなレッテルが張られている。
辛うじて実名報道はされていなかったが……
ピエロの衣装やメイド服を着た過激派組織に対して、他の事件の関係で近隣警備をしていた刑事がひとりで立ち向かい、テロを阻止。被害は過激派組織が利用していた盗難車の炎上と、数枚のガラスが割れた程度で済んだと報道されている。
慌てて職場に連絡すると、
「察しろ」
と、お言葉をいただいた。
大野はやるせないため息をもらして電話を切ったが、それ以外にも考えなくてはいけない事が多い。
「結局村井さんは行方不明のまま?」
大野の質問に、亞里亞は軽く頷くだけ。
フェイカーにも逃げられ、あの黒のワンボックスに乗っていたと思われる人物は、近くの河川敷で遺体として見つかった。
その身元不明の女性は三十歳前後の年齢で、背中から三発の銃弾を受け、即死だったと報道されているが……真相は闇の中だ。
「そんなことより自分の心配をしたら?」
亞里亞の言葉に、大野が顔を上げると。
「まあ俺は絵にかいたような下っ端だからな、なるようにしかならないだろう」
つまらなさそうにため息をつく。
「何か希望は無いの」
「もし俺の意見が通るなら……もう一度あのピエロ野郎を追いたい」
この事件では真実が闇の中に葬られてしまったが、まだ完全に何かが終わったわけじゃない。いつか自分がそれを解決に導きたいと思っているが……
しかしそれが無理なことぐらい、大野は重々承知していた。
――良くてどこかの派出所に降格されて勤務。
そうじゃなければ、遠回しに自主退職を迫られるだけだろう。
何せ多くの独断行動を行い、その上で犯人を逃がし。しかも下っ端
組織としては、邪魔以外の何物でもない。
大野がベッドの上で苦笑いしていると、亞里亞はベッドサイドに置いた自分の鞄から封筒を取り出し。
「良かったわね、まだ聞いてなかったけど……あなたの希望が通ったわ」
その中から書類を数枚ベッドに投げて。
「今日中にサインして、県警に提出しておいて。それから退院許可は出たけど、マスコミが病院周りを張ってるみたいだから、気を付けてね」
亞里亞は楽しそうに微笑みながら、ふわりとワンピースのスカートをひるがえして、病室を出て行った。
大野が慌ててその書類をかき集めると……
それは警察本庁特別捜査班への辞令書と、その同意書だった。
¬ ¬ ¬
亞里亞は病院の駐車場に止めていた覆面パトカーに乗ると、自分のスマートフォンが特殊な着信音を鳴らしていることに気付き、周囲を見回してからパスワードを入力した。
「麻薬組織と組んでいた
低く落ち着いた壮年の男の声に、亞里亞は頷き。
「これで……ここでのあたしの仕事は終わりね」
「ああ、お疲れ様。相変わらずの成果に私もユニオンも喜んでいる」
「フェイカーはまだ泳がせるの?」
「キミからの報告で、いくつか裏が取れたが……まだしょうこ確証が少ない。彼の後ろにいる組織の実態がつかめるまでは、その方向性を維持するつもりだ」
亞里亞は暑くなり始めた空を見上げながら、大きなサングラスをかける。
「そう、なら褒美をもらえないかしら?」
「村井の保護と組織への受け入れ、大野の人事異動だけでは足りないのか」
「それはあなたたちにとってもメリットでしょう。村井の能力はなかなかのモノだったし、大野は本庁でも喉から手が出るほど欲しい人材なんじゃないの」
組織が裏を取った大野の資料に亞里亞も目を通したが……
高卒とはいえ東大京大合格者が多数出る進学校で、理数系の成績は上位に何度も食い込んでいるし、県警での経歴も申し分ない。特に機動隊時代の身体能力や成績は目を見張るものがある。
しかも政治的な背景もまっさらな家の出身。
そこまでの人物なら、拾い物として扱うのも失礼な逸材だろう。
「ここが日本じゃなければ、彼の家が破産すると同時に、どこかの有名大学がスカウトしてたわよ」
アメリカの大学では、良くも悪くも生徒は『商品』だ。
スポーツに留まらず、勉強や芸術、研究分野に至るまで……才能ある高校生をスカウトするのが当たり前になっている。
大野のような『商品』に唾が付かないのは、日本の良いところでも、悪いところでもあるのだろう。
「その通りだな。悪かった、キミの希望を聞こう」
ため息まじりの男の声に、亞里亞は楽しそうに何かを伝えると、返事を聞く前に電話を切り。
「さーてと、楽しくなりそうね! このままドライブと洒落込みますか」
楽しそうにそう呟くと、まだかすかに残る、朝の爽やかな風を切り裂きながら。
最近お気に入りの、展望台のあるドライブウェイに向かって……
軽快にハンドルを切った。
¬ ¬ ¬
大野が退院して三日後。
その男は、自分のスマートフォンが特殊な着信音を鳴らしていることに気付き、周囲を見回してからパスワードを入力した。
念の為、他の社員から見えないようにパーテーションの陰に身を隠す。
大きなガラス窓から見下ろす交差点は、車が渋滞し信号待ちの歩行者の数も多い。
時間的に、朝の通勤ラッシュがまだ続いているのだろう。
「そちらの支部の
低く落ち着いた壮年の男の声が事務的に話す声を、何度も頷きながら、男は慎重に聞き取る。
上層部に裏切り者の情報をリークしたのは自分だが、今回の件は一部マスコミにも取り上げられたし、組織の監視対象であった自社の社員が、事件に大きくかかわる結果にもなった。
そのため自分にも何らかの処分があるだろうと考えていたが。
「引き続きユニオン支部のために尽力してほしい」
どうやら何もないようだ。
「それから、彼女の件だが」
電話の向こうの男が微笑んだような気がして、男は眉をひそめたが。
「キミたちの会社の、本社の許可が下りたそうだが」
その言葉に、男は苦笑いしながら。
――許可も何も……重役から大株主まで
心の中でそう呟いてから。
「今日付けで、本人に言い渡すつもりですが」
返答すると。
「そもそもこれは、ある工作員のわがままでね。彼女はキミが大切に育てている部下だと聞いた……なんなら断っても良いのだが」
男にとっては、信じられないような言葉が返ってきた。
「もちろん大切な部下です。まだ少し早いような気もしましたが、チャンスがあるのなら、それを応援したい」
そのため男は、ついつい本音で話し……とっさに後悔したが。
「そうか、やはりキミを信じて正解だったようだな。引き続きよろしく頼む」
やはりどこか楽しそうな声でそう言うと、プツリと通話が終了した。
男はクーラーの良く効いた部屋で、額に流れた汗をぬぐい。
「おい、無動寺! ちょっと来い」
デスクに戻って大声で叫ぶと。
「は、はい! 編集長」
例の問題児の記者が慌てて走り寄ってきた。
本社から受け取った書類をデスクの上に放り投げ。
「最近たるんでるようだからな、これでも見て目を覚ませ」
男がそう言うと、問題児記者はその場で封を開けて確認し。
「フェイカー専任記者って、何ですか? ソンナモノガアルノデスカ」
壊れかけのロボットのように首を捻った。
「書いてあるままだ。基本、本社の報道記者と同じ扱いになるが……追いかけるのはフェイカーだけ。どうする、受けるか?」
男がそう言うと、かすみは辞令書を両手で持ち上げ。
「つ、つつつしんで、お受けいたしまする」
深々と頭を下げる。
男はもう一度問題記者を見て、深くため息をつき……
心の中で、そっと門出を祝った。
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