26 真夜中の道化師

「まったく、あんたは、――何してんのよ」

 あきれるような呟きが大野のインカムから聞こえてきた。


 亞里亞に何か返信したかったが、大野の状況がそれを許さない。

 黙り込む間を読み取ってくれたのか。


「こっちの状況報告ね」

 亞里亞は病院内で何があったのか、完結に用件をまとめて大野に伝え。


「お姫様と副院長は安全な場所で待機してもらってるわ。あたしはあなたの後方支援で夜間通用口の奥にいるから、安心して」

 そこまで言うと、小さく息を吸った。


 大野は拳銃を握り直すと、同じように小さく息を吸い込み。

「全ては正義のためだった」

 そう、小声で……村井にささやいた。



「す、全ては……正義のためだった」

 村井の叫び声にフェイカーは首を捻りながら、歩を進めようとしたが。


「お前も知ってるだろうが、麻薬組織の実態はこの病院がやっていた人体実験だ」

 その言葉で、足を止める。


「それを知った俺は、麻薬組織の検挙と病院の実態解明に動いたが……警察内の上層部に握りつぶされ、圧力をかけられた。ユニオンとか言うふざけた組織は、その時初めて知ったがな」


 村井の表情は苦悶に満ちている。

 フェイカーは様子を見るようにさらに一歩下がったが、黒いワンボックスからはコトリと何かを動かすような物音が聞こえてきた。


「だが麻薬購入者から廃人が何人も出て、その患者がこの病院で死亡している事実を突き止めた俺は……それを止める方法を探し求め……」


「それで犯行に及んだと? その情報をマスコミやインターネットを利用して公にするなど、他に手が幾つもありそうですが」


 フェイカーの質問に大野が言葉を失うと、村井が「ふん」と鼻を鳴らし。


「俺は刑事デカだ、自分の手を汚しても敵の手は借りん」

 勝手にしゃべりだした。


 慌てる大野を無視して、真夜中の道化師と中年刑事デカは語り始める。


「マスコミやインターネットは敵ですか」

「その通りだ! ヤツらは都合の良い事だけを取り上げ、真実を捻じ曲げる。それは俺たちの敵以外にあり得ない」


「仮にそうだとしても、あなたが罪を裁くのは……おごりではないのですか」


「コソ泥に言われたくはねえが、まあその通りだ。だから俺もあの医者と同じで、絵のように神に殺される」


「神に殺される? マルシュアスのように生きたまま皮をはがれると……」


「それが道理だ。まだお前は知らねえかもしれねえが、世の中そんなに甘くねえ。いつの時代もどんな国でもそれは同じだ。だからあの絵は芸術って言われるのだろう」


 大野はその村井の叫びを聞きながら、車の開いたドアの下を見た。

 グローブをした手があらわれ、何かを転がすようにこちらに向かって放り投げる。


 キリキリと脳の裏が焼き切れるような警戒音が響いたが、フェイカーがいち早く反応してそれを蹴り返す。


 車の下にそれが滑り込むと「ドン」と鈍い爆発音がして、車が一瞬持ち上がった。


 大野は急いで視線を外し、目をつぶったが。発光が残像となり視界が保てず、耳鳴りも酷く……抱きかかえていた村井を手放してしまう。


「……って、……今は、お願い ――だから」



 断片的な亞里亞の叫び声が聞こえてきたが……

 続くこめかみへの衝撃で、大野は意識を失った。




 ¬ ¬ ¬




 爆発音と共に亞里亞が走り出す。

 その後ろの受付カウンターに隠れていたかすみと栄太郎は、屈めていた身を起こして外を確認した。


 炎上しながら横転する車に向かってフェイカーが歩き出し、大野を殴り倒した男性を亞里亞が追走する。


「あたしも行きます」

「危険だ!」

「栄太郎伯父さんは待ってて」


 かすみが走り出すと栄太郎は歯を食いしばり、同じように病院の外に向かって走り出した。


 爆発音のせいか、病院近くの民家の明かりが徐々に点き始める。

 栄太郎が自分のスマートフォンを確認すると、圏外のマークが消えていた。


 ――どこかに連絡を。


 栄太郎はそう思ったが、どこに連絡すべきか迷い……ふと顔を上げると、リュックを背負った男が玩具のような銃を自分に向けていた。


 距離は離れていたが、シューと空気のもれるような音が栄太郎の耳まで届いてくる。


 その男の目を見て栄太郎はしっかりと頷き、ゆっくりと両手を上げると……

 男は栄太郎の表情を確認して、自分のこめかみに銃口を向け直した。


「させないわよ!」

 かすみと同じメイド服を着た女刑事が、男に向かってタックルをする。


 二人がもつれ合うと……あの道化師のような男が割って入り、リュックを奪い取ると燃え盛る車に向かって投擲した。


 また鈍い爆発音がすると、道化師の男にかすみが飛びつき、見事な背負い投げを決める。

 燃え盛る車に、道化師と双子のような戦闘メイド。


 ――まるで、質の悪い漫画みたいだ。



 栄太郎は心の中でそう呟くと……

 手に持っていたスマートフォンを放り投げた。




 ¬ ¬ ¬




 かすみは綺麗に受け身を取って寝そべっているフェイカーの顔面を、思い切り踏ん付けた。

「や、やっと追いついた……」


「かすみさん、抵抗はしませんが。――その」

「なによ!」

「可愛らしい花柄のパンツが丸見えです」


 慌ててフェイカーから足をどけ、スカートを手で押さえると。


「素敵な光景でしたが、おかげで狙撃手を取り逃がしてしまいました」

 ゆっくりと立ち上がり、首を左右に振った。


「ねえ、いったいあなたは何がしたいの? この状況はなんなの?」

 泣き出しそうなかすみの声に。


 フェイカーは周囲を確認した。


 村井と亞里亞は倒れたまま、何かを言い争っている。

 栄太郎は気を失った大野の救命を行っていた。


 燃え盛る車からは人影が消え、周囲の民家の窓から駐車場を覗く人の顔も見え始めていた。そして、どこか遠くからサイレンの音も聞こえてくる。


「あたしは……真犯人が知りたかったし、叔父がどうしてこんなことになったのかも知りたかった。けど、こんなのを求めていたわけじゃない」


「真実を知りたくなかったのですか」

「違うわ! マルコ……これじゃあ、あなたが」


 かすみはそこまで口にして、そこから先に何を言えばよいのか分からなくなった。


「かすみさんが言った通り、正義とは一方的で小さなものじゃいけない。本物の正義は広く大きなものだ。そこに個人的な利害すら含まれないほどに」


 フェイカーの言葉に、かすみは大野の介護をする伯父や、亞里亞と話し合っている男を見た。


「あの二人をどうするつもりなの」

「私は贋作専門の怪盗です。あの二人が偽物フェイクかどうか、裁く立場でもないようですし。それに……」


「それに?」

 かすみが心配そうに聞き返すと。


「ショーはもう終りのようです」

 集まり始めた野次馬や、近付き始めたサイレンの音を背に、フェイカーはマントをひるがえしながら優雅に腰を折る。


 かすみは燃え盛る車の炎に視線を向け。

「ねえ、雪は……八月の雪は降りやんだの」


 何とかそう声にしたが。



 作られたような微笑みを残して……

 怪盗は闇夜に紛れて消えていった。




 ¬ ¬ ¬




 大野が目を覚ますと、大きな瞳に涙をためたメイド服の美女が。

「大丈夫ですか、先輩……」

 心配そうにのぞき込んできた。


 大きくため息をついて。

「何やってんだ、亞里亞」

 そう言い捨てると、メイド服の美女はつまらなさそうに鼻を鳴らし。


「なんでバレたのよ」

 そう言って、そっぽを向いた。


 その仕草でブルンと揺れた大きな胸を見上げながら。


「お前は偽物フェイクじゃねえからな」

 そう呟くと……亞里亞は大野の視線を追って。


「あなたも最低な男ね」

 楽しそうに顔を寄せ、耳元でささやいた。


「村井さんは」

 大野が立ち上がろうとすると、隣にいた副院長にとめられる。


「脳震とうの後だ、そのまま安静にしいてくれ。通信も停電も収まったようだから、もうしばらくしたら職員が来る」


「停電?」


「病院はね、非常電源があって必要最低限の電気が供給されてたみたいだけど。近所の家の明かりがつき始めたのはついさっきよ。それから、あの男には逃げられたわ」


 亞里亞はまたそっぽを向いたが、その横顔には悔しさが微塵も見受けられない。


 近付くパトカーのサイレンの音と、ストレッチャーを引きずる音を耳にしながら。

「それは大変でしたね」



 大野はまるで他人事のようにそう呟くと……

 もう一度、意識を失った。

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