第39話 セリ6-5

 ササヅキの前に立ち、ブラウスのボタンを二つほど開け左肩を出す。一瞬ササヅキが慌てたけど、それ以上脱ぐ気はないことがわかったのかなにも言わなかった。


 黒石は額の右側、前髪の根本にある。普段は髪を下ろしているから見えないところ。そして左腕の付け根、肩にほど近いところにもうひとつの橙石がある。


「触ってみて。ええと、両方いっぺんに。少し強めに。―――わかる?」


 ササヅキの両手を引っ張って、それぞれに触れさせる。じっと黙って待っていると「不思議な感覚がする」と呟きが返った。


「うん。別にね、普段から振動してるとか熱持ってるってわけじゃないけど、よくよく観察すると微かだけどワーンって感じがするでしょ。これ、みんななの。10人全員。でも街のほかの《石の子供》にはないんだよ。あたしたちだって昔はなかった。だからきっとこれは特有の働き。ササヅキを中心に、繋がって、高まるの」


「そうなのか」


「でもね、大げさに考えないで。たぶんホントに大した力じゃないよ。みんなはササヅキを一番に考えてるわけじゃないもん。自分とか旦那さんとかこどもとかのほうが大事。たまに思いだす程度」

「ああ」


「だからあたしなの。ササヅキが一番なのはあたしだけで、あたしがここにいたくて、ここを守りたいから力はそう働いてるんだと思う。ゆるっとね」

「そうか」


「ちなみにヨークンド様はほかの方法でモノにできないかって考えてるけど、ティルンガ並に研究しないと無理だと思うしそこまでは協力できないな」

「そんなふうに利用されそうになったら俺がヨークンドを叩きのめしてやるから心配するなよ」

「してないよ。だって1例しかないなんてふわふわすぎて数字にできない。軍部にしろ財務にしろ、特殊事例すぎるものには予算を割けないよ。金融屋だって、そんな理由で店は潰れないから金貸せって言われても門前払いだよ」

「そりゃそうだ」


「でもあたしは確信してる」

「そうか」

「ササヅキ、愛されてるっていいね」

「―――そうだな」

「おみせ、もっと大きくして、もっとたくさんの人が来てくれたらいいと思わない?」

「そうだな」

「ササヅキの腕なら回せるよ。大丈夫、無謀な数字なんて出さない。ササヅキのキャパはもう少し広い。この先多少身体が利かなくなっても対応しきれるし見習いでも後継でも雇えばいい。ササヅキを見てきたあたしを信じて」


 額と肩からは指は離れて、でもササヅキの前に立ったまま、あたしは自信たっぷりに笑った。笑って、腕を伸ばす。ササヅキの頬を包む。


「あたしを離さないで。ここにいたい。ここで一緒に他の人を笑顔にして。ササヅキのご飯がおいしくて、みんなが笑顔になって、ササヅキが満足するのを見ていたい。あたしの喜びを取り上げないで」


「セリは本当にそれでいいのか。もっと、得意なことが生かせる道があるんじゃないのか」


「ここだと生かせてないと思ってるの。ササヅキって基本的にあたしを馬鹿だと思ってるんだね。ホント腹立つ」


「うー、あー、馬鹿にはしてないからこそなんだがな……」


「あのね、《石》の力があろうが無謀な多角経営なんて手を出したら速攻潰れるから。経済なめんな。あたしは勝算のある戦いしかしないけど、勝算があるからこそこうして移転を提案してるの。楽しんでないと思う? 勝てる戦いをつまんないなんて口走るほど頭おかしくないし、決定権はなくたって一蓮托生だもん、万一負けたらえらいことだよ。ぞくぞくしちゃう。あー人生楽しい。

 勝とうよササヅキ。あったかくって居心地よくてリーズナブルな大衆食堂。好きだよササヅキ。ね、ずっと一緒にいよう」


 へにゃりと泣きそうな笑いがササヅキに浮かんだ。馬鹿なのはササヅキの方だ。こういう経営は通常家族単位―――夫婦経営がほとんどなのだ。居酒屋だけならともかく、食事処で家族向けなんて単身でやるものじゃない。人を雇うというのはお金がかかる。たまたまあたしたちが後ろ立てなくあぶれていて、生活と労力を相互に提供できたのだ。子供だったから見習い単価も安かったし実際やれることも少なかったけどそのへんはとんとん。


 たまたま、ね。


 ササヅキは、ひとりでやるつもりだった。それは。


 どうせ、戦争でたくさん殺して、幸せになっちゃいけないって思ってるんでしょ。レジーディアンの気持ちをすり替えた時のように、誰とも恋せず結婚もせずに店に打ち込んで、毎日の鍛錬を欠かさないかわりに毎日悔いを忘れない。そんなのとっくにわかってる。あたしもネーヴァンジュも。


 わかってないのはササヅキだ。戦争に憂いて戻ってきたのに忘れたくないなんて。


 でもこの国が戦争を続けるかぎり、ササヅキは忘れられないだろう。過去にならないから。元帥もヨークンド様も戦場にいる。自分だけ抜け出したって罪悪感を抱いてること、2人とも呆れてるのにね。だってもう10年も経っててあの人たちはとっくに別のフォーメーションを組んでるんだよ。しかもその上でこのみせを諜報のやりとりに使ってたりするんだからササヅキはぜんっぜん引け目を感じる必要ないのだ。


 ばかだなあ。


 あたしたちはみんなササヅキが生きて帰ってきたから、生きてるのだ。


「一緒にいよう、ササヅキ。お父さんって呼ぼうか。店とササヅキを大事にしてくれる跡継ぎ候補がいればその人と夫婦になるよ。そしたらバンバン孫つくってあげる。ちょっと歳いっちゃったからがんばんなきゃ。男の子には剣を教えてあげれば? もしかしたら女の子でも教わりたがるかもしれない。

 どんな未来がいい? ササヅキはなにが欲しい?」


「もう未来とかいうほど先がねえよ」

「いま46でしょ。あと30年は生きるんじゃないの? ササヅキ長生きしそうだもん」

「お前も長生きしそうだよな」


「したいな。ササヅキがいなくなっても味を継いだ人が店を守ってくれるならあたしはここで見守るよ。それで《死者の森》に行ったらササヅキに報告してあげる。どんな風に改良したか、味が変わったか、新しい調理法は、新種の野菜は。まあでも、死んだ後の話だね。いま、ササヅキはどうしたい?」

「娘みたいだって思ってるのは本当だ」

「うん」


「でもお前といるのは楽しいよ。確かに共同経営者だよな、帳簿も任せられるしセリの収支明細は損益区分が把握しやすいしな。お前がマメにつけてるから仕入れや買い出しも予定が立てやすいし。アイデア出しだの見習い雇用面接だの、いつの間にか2人でやってたな。宿うえのメンテナンスはお前に任せきりだしな」


「うん。でもできることの役割分担は大事だよ。なにが旬で安くて、どれがメインになれるか、食材見て定額ランチのメニューをぱぱっと組み立てるなんてあたしにはできないもん」


「セリ、ずっといてくれるか。俺と一緒に店をやり続けてくれるか。こんな地味な、毎日毎日小銭が飛び交う食堂でキリキリ働くんで、いいのか」


「大きいお金を動かすのだけが銀行の仕事じゃないよ。それにササヅキも言ったじゃん、あたし現場が好きなんだ」


「セリ……」


 頬を包んでいた手を上から掴まれて、引き寄せられた。イスに座ったササヅキに引っ張られた形になって、あたしは慌てて目の前の太股に右膝を乗り上げた。無理な姿勢のまま縋るようにあたしを掻き抱くササヅキの後頭部に腕を伸ばして、その馬鹿の頭を撫でる。


 ササヅキ、どっちでもいいよ。選ばせてあげる。自分を愛するおんなと、自分を愛する娘と。あたしはどっちでもいいんだ、本当に。パートナーでありさえすれば。あたしが譲れないのはササヅキのひだりだけ。


 さあ、どっちの未来が欲しい?

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