第7話 当日②
真っ白なタキシードに身を包み姫抱っこをしてガンガン歩く俺と、
真っ白なドレスを着て俺に抱っこされる
病院内の他の患者や看護師、医師たちが驚きの顔で見る。
「まぁ、まるで結婚式みたいね」
誰かのその呟きが耳に届き、俺は胸を詰まらせた。
沸き起こる、感動なのか嬉しさなのか悲しみなのか分からない複雑な感情に目頭が熱くなるが、グッと我慢する。
今日は泣く日ではない。
病により痩せ細って軽い
「リョーマは本当に王子様だね。骨髄くれて、髪の毛もくれて、ここから出してくれるんだもん」
俺の頬に頭を擦り付ける
やめてくれ。もう決壊寸前。
ここは、静岡がんセンター。
末期の患者や再発患者、治験を行う患者などが入院する、がん患者の最後の砦。
彼女の身体を蝕んだのは、骨髄性白血病。
まだなんの罪も犯してない
度重なる治療で髪の毛が抜けてしまった時、彼女は泣きもせずアッサリと全ての髪の毛を刈り取ってしまった。
それ以来、髪の毛が伸ばせる時期になっても、彼女は頑なにベリーショートの髪型を変えなかった。
抗がん剤投与のクール毎にまた抜けてしまうから。
俺は髪の毛を切るのをやめた。
彼女が髪の毛を伸ばせないのなら、俺のをあげればいい、そう思ったんだ。
そして、骨髄移植。
俺の骨髄が
俺は彼女の為に生きてきたんだ、そう思えた。
でも、骨髄をあげても髪の毛をあげても、それでもまだ足りないと思った。
彼女をまだ幸せに出来ていない。
普通の女の子が感じる幸せを、まだ感じさせてあげられていない。
だから俺は今日、
真っ白なタキシードも、彼女が着ている白いドレスもウィッグも、全てはこの日の為に。
「
俺の首にしがみつく彼女の顔を覗き込んで尋ねると、
彼女のくっついた身体から、小さく早い鼓動が伝わってきた。
恐らく、彼女も気づいたのだろう。
どこへ向かっているのか。
「このドア開けてくれる?」
両手が塞がってる俺の代わりに、
そして、外へと出た。
恐ろしいほど晴れ渡り雲一つない空、眼下には富士の裾野の街並みが見える。首を巡らせれば、富士山から伸びる緩やかな稜線が見えるし、病棟の向こうから薄っすらと雪の積もった富士山がのぞいていた。
そこは、一面に様々な薔薇が植えられた園。
静岡がんセンターが誇るバラ園だ。
季節が違えばもっと咲き誇っていたかもしれないが、それでも冬口に咲く薔薇が其処彼処に美しい花弁を広げていた。
「綺麗……っ!」
すると、彼女は小さな足でパタパタと走り出し、そこここに咲く薔薇の花を片っ端から顔を寄せに行った。
「いい香りがする!」
彼女ははしゃぎ、ほっぺたを真っ赤にしながら走り回る。
その様子を、俺は少し離れた場所で見ていた。
本当に、天使が地上に遊びにきたんじゃないかと勘違いする程の光景だ。
白いドレスの裾をつまみ上げながら、飛び回る彼女。
可愛い。可愛すぎる。
天使、妖精、天女──もう、そんな既に存在する概念なんて超越する程可愛かった。
久々に走り回った為か、息を切らせて
一度大きく深呼吸すると、俺の方へとクルリと向き直り、輝かんばかりの笑顔を向けた。
「リョーマ! 素敵! ずっとここに来たかったの! ありがとう!!」
耐えろ、俺の涙腺。
放射線治療なども行っていた為、入院中の彼女は滅多に病室や病棟から出る事が出来なかった。
このバラ園の存在を知った時に、彼女は行ってみたいと言いながらも、それは出来ないのだろうと半ば諦めたような顔もしていた。
だから連れてきた。彼女の夢を叶える為に。
でも、今日はそれだけじゃない。
俺は震える足で
そして軽く唇を寄せた。
ゆっくり口を離して彼女の顔を見上げると、目をまん丸にして
「俺の
彼女の手を取る俺の手が震えてる。
おさまれ、震え。頑張れ俺。
「うん、覚えてるよ。でも、出来ないって言われたよね」
「私の初恋はリョーマだったから、結婚出来ないって知った時、凄くショックだった」
初恋。
その言葉が俺の胸にグッサリと刺さる。
「でも、仕方ないよね。だって、リョーマはママの弟なんだもん」
そう、
今日で十歳になる俺の天使。
急性骨髄性白血病と診断されたのは彼女がまだたった三歳の時。
当時は化学療法だけでなんとかなったが、五歳の時に再発。化学療法だけではダメだった為、俺が骨髄移植をした。
五年生存率。
こんなに重い意味の言葉が存在するとは知らなかった。
再発し骨髄移植するレベルの病気の生存率を聞いた時、俺は目の前が暗くなった。
骨髄移植をする時、俺は
十歳の誕生日は盛大に祝おうと。
俺のお姫様になってもらって、王子様として
病気が再発してから今日までの五年間。
本当に長かった。
毎日が恐ろしかった。
姉からの電話が不幸の知らせのように思えて、取るのをいつも躊躇した。
でも、本当に辛かったのは俺ではない。
他の子供のように遊べず、学校にもなかなか通えず、ベッドから降りられなかった時もある。
ずっと入院していたわけではないが、その行動はとてつもなく制限されていた。
しかし、彼女は泣かなかった。
泣くほど辛かった筈なのに。
「
彼女の小さな手に、俺の空いていたもう片方の手をそっと乗せる。細くて小さい手。
まだ十年しか生きていない
なのに、その人生の殆どが病魔との闘いだ。
普通の女の子なのに。
そんな苛烈な生き方しか知らないなんて。
俺が代わってあげられればいいのに。
意を決して、俺は口を開く。
「そのうち、俺に本当の花嫁姿見せて。
今まで何度か想像していた事なのに、いざ実際に言葉にすると、その重さは計り知れない。
絶対に美しい、その花嫁姿を見せて欲しい。
普通の人なら、簡単に叶えられる願い。
でも、
「こっ……これからも、ずっと定期検診で辛い日が続くと思う。
百%治ったって言えない病気だから、常に恐怖は付き纏うし。
だからっ……」
喉が詰まる。
熱いものが込み上げてきた。
ダメだ。
一度下唇を噛み締めて耐えたが、一度零れ落ちた涙は止まらなくなってしまう。
アラサーの男が十歳の少女の手を掴みながら
でも、伝えなきゃ。
これだけは、
「
辛い時は辛いって言ってくれ。
嫌な時は嫌って言ってくれ。
我儘も沢山言っていいんだ。
もしママやパパに言えないなら、俺にこっそり言ってくれればいいから。絶対ママたちには言わないから。
俺は、
顔をグッチャグチャにしながらも頑張ってそう伝えると、
スカートを手の色が変わるほど強く握りしめていた。
「リョーマ……わ……わたしっ……」
彼女の目が泳ぐ。言葉を探しているみたいに。
何かを見つけたのか、
「ホントは、今日退院って聞いても、どうせまたすぐここに戻ってくるって思ってた。
でもね、リョーマが『二度とここには戻らない』って言ってくれたから、ホントにそう思えたの。
リョーマが、王子様のカッコで迎えに来てくれて、バラ園に連れてきてくれて、すっごく嬉しかったの。
ママとパパと、あとリョーマがいてくれるから、私頑張れるの」
その身体は、
小さく震えていた。
「でも、時々……リョーマに……ヤダって……病院行きたくないって……言っても……いいの……?」
掠れていて、聞き取るのも難しいぐらいの小さな声。
でも、確かに聞こえた。
「勿論っ……! いいんだ。俺は
彼女の小さな身体を、そっと、でも力強く抱き返す。
心の底から、彼女を守りたいと思った。
「リョーマ……ママに張り倒されたら死んじゃうよ?」
「なっ……なんとか踏ん張る……」
そう答えると、
俺の涙も止まって、なんだか笑いが込み上げてくる。俺が肩を震わせると、
二人で両手を繋ぎながら笑い合った。
「アンタたちっ! せっかく綺麗にしたのに、顔ぐちゃぐちゃ! 不細工! 特にリョーマ!! アラサー男の泣き顔なんて目も当てあれない!! 写真撮ろうと思ってたのに! お馬鹿ども!!」
そんな声を上げながら、バラ園に姉の
怒声を上げながらも、姉の目も擦ったかのように真っ赤になっていた。
手には狙撃でもすんのかというほどデカイレンズのついたカメラを持っている。
「リョーマ! 写真! 撮ろう!」
「そうだな!」
俺は涙と鼻水を袖でグイッと拭き、
「リョーマ! おっ……おっこっちゃうよ!」
「落とすわけないだろ! 俺の
俺は彼女の背中に腕を回して上体を支える。
そして、カメラを構えた姉の方へと向き直った。
いつのまにか、姉の後ろには佐藤や看護師さんたちが集まってきていた。
「はい、じゃあ二人とも笑ってー!」
姉が手を振る。
俺と
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