第3話 三ヶ月前

 雑居ビルの三階にある、自社オフィスの給湯室で。

 モスグリーンのニットに黒いタイトなスカート、履いたパンプスの片方をプラプラさせた女性が、換気扇の下でプカリと煙草の煙を吐き出しつつ、俺の顔をマジマジと見ながらポツリと呟いた。


「やっぱ、現実世界で長髪の男は──ナシだな」


 同じく給湯室にてコーヒーを淹れている俺に、突然放たれたその鋭い言葉がブッスリと突き刺さる。

 傍らで壁にもたれかかり、ボンヤリと俺の長い髪を見ているその女性──先輩の鈴木女史に、俺は心に刺さった言葉の棘を抜きつつ非難の視線を向けた。

「なんスか、突然」

 いきなりセクハラ紛いの言葉を放った先輩女史に、視線と同様の声を返す。


 鈴木先輩は先程からしきりに自分の後頭部を撫でていた。恐らく、慣れないショートカットに違和感があるのだろう。

 彼女が、腰まで届くかというほどの髪をバッサリ切ってのは、つい先日の事だ。


 後頭部を撫でていた手を下ろしつつ、先輩は深く吸い込んだ煙草の煙を盛大に吐き出して、

「乙女ゲームでは、よく長髪男子が出てくるんだけどさ。私はそいつら軒並みダメなんだよね。もしかしたら三次元ならイケるのかと思ったんだけど、やっぱダメだなって思って」

 と零した。

 なんでこの人は思った事をそのまま声に出しちゃったんだろう。ま、いつもの事なんだけど。

 先輩がゲーマーなのは社内では誰しもが知っている。

 しかし、まさか乙女ゲームにまで手を広げているとは。てっきり、ソロプレイなのに弓で古龍を狩るような、そっち系のガチ廃ゲーマーだと思っていたからかなり意外だった。

「単純に、俺が長髪似合ってないってだけかもしれませんよ?」

 ポットに給水しつつ、俺は肩越しに先輩に苦笑いを向けた。

 現実世界では、コスプレでもない限り長髪男子の数は絶対的に少ない。

 サンプルが俺だけでは判断基準にならないのでは、そう思ったからだ。

 すると。


「いや、似合ってるよ」

 サラリと、鈴木女史は告げる。

 思わずポットを落としそうになり、慌てて水道を止めて先輩へと振り返った。

 女史は至極真面目な顔をしていた。

 口説かれたのかと一瞬思ったけど、よくよく考えると、さっき『長髪男子はナシ』って言ってたから、似合ってるけどナシって事だという事に気がついた。

 落胆の色が隠せない。

 いや、別に先輩にモテたいとか思ってないけど。

 けども、さ。


「はぁ、ありがとうございます」

 俺は気の抜けたお礼を返し、ポットを元の位置に戻して『沸騰』のスイッチを押した。

 コーヒーが入ったマグカップを手に、席に戻ろうと給湯室を後にしようとする。

 その背中に、

「アンタはいい男だよ。長髪だろうと、スキンヘッドだろうと、サ」

 鈴木先輩の、そんな言葉が俺の背中に突き刺さった。

 いや、背中ってよりハートか。

 ハートだ。

 刺さった。思い切り。


 胸キュンさせながら振り返ると、先輩がシニカルな笑みを俺に投げかけていた。


 危うく惚れそうになる。


 先輩が男だったら惚れてたね。

 ん? それだと男同士になる。

 じゃあ俺が女だったら……あれ? そうなると今度は女同士になるぞ?

 ……うん、まあいいや、どっちでも。


 俺は、先輩のそんな激励に力強く頷いて、自分の席へと戻って行った。

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