坂の上の陽だまり

西澤瑠梨

坂の上の陽だまり



僕の住む小さなこの街は二時間に一本電車が通る。

都会の方へ出るには本数が少なく不便ではあるけれど、二時間に一回響く電車の音は街の憩いにもなっている。

そんな小さな街の外れの坂道を上った先にあるアトリエは、僕と彼女の城なのだ。


アトリエはこぢんまりとしていて、広めに取ったすりガラスから柔らかい光が差している。

少し埃っぽい室内は朝日を浴びて煌めいて美しいけれど、彼女はアレルギー体質だから決していい空気では無い。

毎朝アトリエの窓を開けるのが日課だ。僕は朝起きるとアトリエ周辺を十五分程歩いて近くの展望台へ行く。


四季折々のこの街の変化を楽しみたいと思って始めたことだった。

秋の気配が深まり始めた最近は、温まった身体に開けた窓から爽やかな風が通り、電車の音が響く。


そろそろ休憩も終わりだ。隣の部屋で寝落ちているだろう彼女を起こしに行く。最近は調子が良いみたいで、イメージが湧きすぎて困ると言っていた。

つい時間を忘れてしまう、とも。彼女は集中すると食事を忘れてしまうみたいだから、毎食僕も一緒に食べることにした。

もうちょっと、と言いながら絵にかじりつく彼女は見ていて飽きない。



隣の部屋に入ると珍しく、彼女はソファで寝ていた。いや、それならベッドで寝てほしいのだけれど。

ブランケットが落ちそうになっているのを、もう起こすから意味がないかなと思いながら掛け直し、名前を呼ぶ。


少しして間延びした声で返事をしてくれたけれど、中々目を開けてくれない。昨日も遅かったのだろう。

少しゆっくりしてて、と言いながらそっと頭を撫で、朝ご飯の準備をするために部屋を出た。



ご飯の支度がいい具合にできた頃、彼女が目を擦りながら起きてきた。

ご飯もうできるよ、と声をかけたら、顔洗ってくる、と眠そうな声で返事が返ってきた。


こんな風に彼女と二人、ゆったりと時間が流れる日々は贅沢で、愛おしくて、いつまでも続けばいいと思う。気の抜けた彼女を見るのは僕だけで充分だ。



彼女と席に着いて朝ごはんを食べる。いつも朝ご飯のあいだは、朝の散歩の様子を彼女に伝える時間だ。

今日の街はどんな雰囲気だったとか、今日の空はどんな色だったかとか、その内容は様々で彼女はいつも面白そうに聞いてくれる。


彼女は一緒に行きたいのに、と言うけれど寝不足になるといけないから、と毎朝一人だが、たまには二人で散歩に行くのもいいかもしれない。

きっと一人よりも楽しいだろう。

朝ご飯が終わると片付けは彼女の仕事だ。家事は分担して、得意な方が、できる方がやればいいと思っている。


その方がきっと過ごしやすい。例えば、彼女は料理が苦手では無いけれど、朝は弱いから朝ご飯は僕が作る。それで上手く回るならなんだってやる。

彼女との距離感は不思議で、お互い無理のない範囲で協力し、毎日が心地よく過ごせるのだ。



片付けも終わり、次は掃除をする。アトリエには沢山の絵と画材と、とりあえず大量に物がある。

僕にはよくわからないものがほとんどだ。一枚板でできた立派な作業台の上を片付け、拭いて、床を箒で掃く。

毎日やるのはそれだけ。全部片付けるのは年末の大掃除くらいだ。そうやって整えた空間は彼女と面白いくらい調和が取れていて、不思議でならない。

そんな場所がある彼女を少し羨ましく思う。



彼女が絵を描き始めると、僕は邪魔をしないようにそっと部屋を出る。彼女の絵が出来上がっていく様子を見ている日もあるけれど、今日は買ってあった林檎でタルトタタンを作ろうと思っていたから。

少し林檎の季節には早いものの、食べたくなったから買ってしまった。


林檎の皮を剥いて、切って、皮も一緒に煮込む。

ピンク色に染まった林檎に彼女が喜んでいたからこうするようになった。

無心で生地を作り林檎を並べて型に入れて、オーブンに入れた頃、電車の音が聞こえた。もうそんな時間か、お昼ご飯の準備を始めなければ。



次の電車が通る頃にはお昼ご飯が出来上がり、彼女をを呼びに行って、二人でご飯を食べる。

今日は天気がよかったからご飯を食べたら少し出かけよう。

近所の雑貨屋さんに行って、彼女が欲しがっていたブランケットを探そう。

本屋にもよって、新刊が出ていないか見てみよう。

そして、その次の電車が通る頃には家に帰って、さっき作ったタルトタタンでお茶の時間だ。

彼女は紅茶を淹れるのが上手だから、タルトタタンに合うようにアッサムを淹れて貰おう。

お茶をしながらソファでまったりしていたら、またその次の電車が通るだろう。


そうしたら今度は晩ご飯を作る時間だ。

今日は少しおやつがしっかりだから晩ご飯は軽めに。

この前ご近所さんに美味しそうなドレッシングを頂いたから、カルパッチョがいいかもしれない。

彼女にも手伝ってもらって、二人で作ろう。



またその次の電車が通る頃にはお風呂に入ってゆっくりして、さらにその次の電車が通る頃には、布団に入っているだろう。




僕の小さな街には二時間に一本電車が通る。

僕と彼女は、その電車の音を聞きながらゆったりとした毎日を過ごしている。

きっと都会と比べたらおしゃれでも便利でもないこの場所は、僕らにとって最高の、城だ。


二人だけの、美しいこの場所とこの時間は、これからもずっと電車の通る音と共に続くだろう。






この世界のどこかに、こんな場所はある


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坂の上の陽だまり 西澤瑠梨 @Luri0n

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