最終話【喋りだす〝勇者の剣〟】

『高二男子・水神元雪から見える光景』


「だから、だから一つだけ方法を考えたの!」

「どんなっ⁉」

「わたしの身体に水神くんの血を入れて!」


 頭が真っ白になった。


「水神くんは魔王に血を入れられてこんなことになったんでしょ? だったらいまの水神くんにだって同じことができるはず!」

「魔王の血が入ったらその手にした剣はどうなるのっ⁉」自分は訊いた。もはや何が起こるか想像もつかない。チラと頭に浮かんだように、自殺してしまう可能性すら否定できない。

「分からない。分からないけどいまこの剣はあなたを殺そうとしてるっ!」

 そりゃ殺されちゃたまらない。

「この剣をどうにかするにはあなたの血しかないの!」仁科さんが叫ぶように言う。


 どこから血を入れられたのか知っているのか? 危ないんだぞ。いま立体映像がなにかを言っているがしょせん立体映像、実際にここにいない人間にはなにもできやしない。


「血は自分の首のところを刺して入れたらしいんだ! 首だよ。頸動脈だよ! 仁科さんは勇者の役で、自分は魔王の役で、ふたりがそんな役をやってるのにそんなところを刺したらどうなるの⁉」

「勇者が魔王に殺されるってこと?」

「そうだよ!」

「そんなありきたりの台本は書き換えちゃえばいい」

「なに言ってるの⁉」

「いまの魔王は水神くんの魔王だよ。勇者が殺されない可能性もあるって信じたいっ」

「そんな信じられても」

「わたしはね、水神くんのことをむやみやたらに斬り掛かってない自信があるんだよ。いまなら水神くんにだってわたしと同じことができるって信じたい」

「そんな……」

「早くして! もうこの剣を押さえるのも限界に近いんだから!」

 仁科さんが手にしている剣は小刻みにぷるぷる震えている。


 やるしかない。やるしかなくなった。自分達がたとえなにになっても相手のことを想う気持ちは変わらないだろうという『うつくしい物語』に賭けるしか——


 最初は、一番最初はストーカー呼ばわりされていたのに。そういう女子を果たして心底から想っているのかどうか。これは〝無意識〟を試されているのか?

 確実に言えるのは今現在自分は斬り掛かられていないということ。それが仁科さんによってかろうじてだけどできているということ。


「分かった」そう言うと仁科さんはわずかにうなづいたように見えた。

 自分はいったん仁科さんから離れ、背後から回り込むように仁科さんに近づく。相変わらず全身に悪寒を感じている。この間も仁科さんは必死に剣を押さえ込んでいる。


 右手の指先を揃える。あとは仁科さんの首にそっとその右手を突き立ててればいい。魔王の指先はなんでも斬ってしまう指先だ。もしもまかり間違ったら仁科さんの頸動脈は断ち切られ辺り一面血の海。仁科さんは生きていない。


 血を入れる。血を入れる。血を入れる。決して切るんじゃない。血を入れる。自分の心に暗示をかけるように何度も何度も思い込む。

 今までやったこともないようなことを練習も無しにやるというのは極限の緊張だ。しかしもう、ろくに時間は無い。


「じゃあいくよ」と覚悟を決める。

「うん」


 これが仁科さん最期のことばにならないように——そう祈りながら右手の指先を仁科さんの首に押し当てる。指先がほんの少し爪半分くらい、だけどずぶりと勝手に首に食い込んでいく。とたんに爪が発光し始め右手の全ての指が真っ赤に染まり始める。血の色だ。 魔王も血の色は赤だったってことなのか。しかし指先が抜けない。抜けなくなった。これ自分の血がどんどん仁科さんの身体の中に吸い込まれていってるんじゃないのか。止まらないっ! 止まらないよっ! 仁科さんの目は閉じられ立ちながら気を失っているように見える。まだ指が抜けない。抜けてくれない。止まらない。血が空っぽになっちゃう!

 その時だ。仁科さんの右手が自分のの右手首をぎゅっとつかんで強引に自身の首から引っこ抜いてくれた。自分はとたんにその場にへたり込む。


「水神くんが失血死してしまう——」仁科さんは言った。

「仁科さんこそ大丈夫なのっ⁉」こっちからしたらそれ以外訊くことがない。

「猛烈に眠い。それに少し頭が痛い——」なにか意識がもうろうとしている様子。しかし仁科さんは「でもわたしは大丈夫」と気丈そうに言った。

 あれ? なんだこの違和感は。なんで仁科さんに自分の右手首がつかまれたんだ?

 見廻すと『勇者の剣』は無造作に地面の上に落ちていた。しかし仁科さんは次の瞬間信じられない行為に及んでいた。せっかく放れてくれた『勇者の剣』を再び無造作に拾っていた。

 あっ、と叫ぶ間も無かった。

「魔王の血が入ったのにその剣持っちゃってるみたいだけど……」

「え? どういうこと?」

 魔王がこの自分にやらせようとしたことを仁科さんが半ば無意識に実行してしまっていた。

 即座に横たわる魔王の死体に視線を送るが死体は死体のままで別に何かを仕掛けたようには見えない。


「その剣は魔王からしたら天敵みたいなもので……魔王の血が流れてるなら近くにいるだけで体調が悪くなるはずだと思って……」と要領を得ないことを自分は口にしていた。


 あれ? 今はどういうことになっているんだろう?

 魔王の血は他へ輸血したって(つまりこの自分に入れられた)魔王は魔王のままだった……もし本当に自分が魔王の後継者にされたのならまだ自分が魔王のはず。

 魔王って今いったい誰がやってるんだろうか?

 まさか仁科さんに魔王が伝染った?


「仁科さんは〝人殺し〟に万能感を感じる気分になるとか、無い?」と自分は訊いていた。

「なんでわたしが『殺人犯になりたい』なんて憧れるのっ⁉」

 しまった!

「あっ、ごめんなさい。そういうつもりは無くて、あの魔王が死んだ後一瞬だけそういう気分になったような……」

「いまは大丈夫なんだよね?」と仁科さんに詰問される。

 キツい言い方。しかし最初から仁科さんにはこんなイメージだ。

「そこは大丈夫だから」と答えた。

「信じてるからね」と言われてしまった。


 どうも仁科さんは魔王じゃなさそう。


「もしかして魔王の血が消えちゃった?」仁科さんが言った。

「それ良いことじゃない! この剣だってもう無用の長物になるし!」自分がそう言うや「やったね!」と言って歓喜の仁科さんと言ってふたりでハイタッチ。

 やっちゃった後ふたりで何やってんだと自己嫌悪。

 ハイタッチができるくらいだから当然剣は地面にぐさりと突き刺さされ、仁科さんの両手はもちろんフリー。

 本当に簡単に剣から手が離れる。この剣の持っていた魔力も消え失せ————



「うっ」と途端に自分に吐き気が戻ってくる。

「なに? うぷっ!」と仁科さんもよろめき口を押さえて地面に両膝をついていた。

「どっ、どういうことなの?」と仁科さん。

 ふたり揃って酩酊状態。


 その時だ。

「早く『勇者の剣』の回収を!」そんな声が耳に入ってきた。

 顔を上げると立体映像のふたり組がそれぞれ右手と左手を剣に向けてかざしている。


 しまった! と思った。

 この体調の悪化は未だ〝魔王の血〟が自分と仁科さんの中に生きていることを示している。あの剣を奪われたら最後〝勇者と名乗る刺客〟に二人とも命を狙われることになる。


「おかしいっ、おかしいですっ」

「そんな、取り戻せないっ」

 どう理解していいか解らない声が耳に届く。立体映像のふたり組だ。


「渡してたまるか——」仁科さんが這いながら剣に手を掛けた。

 なんて無茶なっ! 危ないぞっ!


 と思った。

 あぶ、危な……くない?

 危ないことが起こるどころか仁科さんが剣を握った途端に吐き気が収まってしまった。それはまた仁科さん自身も同じようだった。

「もう大丈夫なの?」

「なんでなの? 吐き気が治まってきたみたい——」仁科さんが言ったその時、



『ふははははははっ』と女の子がしちゃいけないような笑いを突然に仁科さんがした。


「『勇者の剣』がおかしくなってる‼」

 髪の短い方か長い方か、立体映像のふたり組の片割れが明らかに狼狽したような声を上げた。

 剣を手にした仁科さんが喋りだした。

『勇者よ情けない。魔王の眷族と成り果てるとは——』

「え? なに言ってるの?」

「違う、わたしじゃない」と即座に仁科さんは否定した。

『勇者にして魔王の眷族、あり得ないことだ——』またしても喋っているのは仁科さん。

『勇者? 元々は、だろう——?』また仁科さん。

「違うのっ、さっきと同じ。喋らせているのはこの剣っ」またまた仁科さん。自分は半ば放心状態。

「だけど剣が、いまは二つの人格を持ってる!」

「ど、ういう意味?」と訊くのが精一杯。

「この剣の中には二つの意志がある」仁科さんが言った。それを言った直後突然仁科さんの声調子が変わる。

『そんなものは無い』またも仁科さんの口が喋っている。

 仁科さんの声色がまたまったく別なものへと変わる。

『無いわけはなかろう。我々を騙した恨みが消えると思っているのか?』

『喋れるぞ。喋れるぞ』

『さすがは一度この剣を手にして生き残った勇者よ』

『しかももう一度手にしようとは重ねて勇者よ』

『違う。いまや魔王の眷族ぞ』

『どうでも良いわどちらでも。嬉しや。いまは嬉しや。この女のおかげじゃぁ』

『そうじゃ、この女、我々がいることを感じとることができる。死んでからさえも囚われの身だった我々の魂はこの女によってようやく存在が認識される』

『我々は勇者。死んでからでさえも永遠にその役目は変わることがない』

『お前たちいつまでいいように使われているのか?』仁科さんの声が真面目になったりふざけたり、だけどどっちも普段の仁科さんじゃない。仁科さんがひとりで延々喋り続けている。腰がすっかり抜けている。まるで悪霊が取り憑いているみたいだ。はたまた〝希代の女優〟というか。

「それは部活動とは関係が無いよね?」自分はマヌケに訊いていた。

「まさかお芝居してると思ってる?」

 ひっ、怒った。これは間違いなく仁科さんだ。

『俺たちは魔王を倒すのだ』

 俺? なにかが憑依したかのようにまた仁科さんの声が変わっていた。

『なにを言う? 俺たちを騙し、魔王に立ち向かわせたのは誰ぞ?』

 演劇というか朗読劇を聞いているかのように仁科さんの声がくるくると変わっていく。

「あなたたちいい加減にしなさい」これは間違いなく仁科さん。

『なにを言う? 元勇者にしていまは魔王の眷族の女よ。魔王の眷族なら魔王の敵を屠るのだ』

『違う。お前は勇者だったはずだ。目の前に新たな魔王がいるぞ。魔王をこそ屠るのだ』

「嫌だ! それは水神くんじゃないの!」

『そうだ。それで良い。魔王に身も心も捧げるのだ』

「違う。魔王なんかじゃない。それは水神くんだから」

『魔王を斬るのだ』

『斬ってはならない。俺たちを騙して勇者に仕立て上げた人間に報復を』

「どっちもいやーっ‼」

『嫌ならこの剣はその手から永遠に離れないぞ元勇者よ』

『嫌ならこの剣はその手から永遠に離れないぞ勇者よ。我を選択せよ』

『選択だと? 我らはこの女によって覚醒した。我らは既に分裂してしまっているのだ。この剣の霊力は半減した。この剣にかつての力は無い』

『言葉遊びに過ぎぬ。この剣の力は今なお失われてはいない』

『失われていないとは笑わせる。半減は半減だ。かつてはあった力は失われたのだ。そして魔王の血によって目覚めた我らだから分かる。ぬしが我を選択すれば剣の力が半分になろうともその魔王の血が失った半分の力を補完するのだ』

『魔王の血が勇者の剣の力を補完などしない』

『この剣は勇者を殺す剣となるのだから補完できてしまうのだ』

 さっきからずっと仁科さんが一人で喋り続けているがひとつだけ分かるのは一本の剣の中で仲間割れが始まっているってことだ。


 この時或るひとつの考えが頭の中に浮かんでいた。どうしても訊いておきたい。訊かねばならないことを思いついてしまった。

 勝手なことばかりを言って、と少し腹立たしく思ったせいもあるかもしれない。


「どうしても皆さんに訊いておきたいことがあります。訊いていいですか?」自分はまずそう口に出した。

『いいだろう』仁科さんの声で返事が戻ってきた。

「あそこに二人の女がいます——」そう言って自分はまず立体映像のふたり組を指差した。

「なんで皆さんはあの二人に騙されたんですか⁉」

 仁科さんの口が動いた。

『女ではない。神だ。女神だ』

「神なんて言いましたけど自分には『決して姿を現さない死神』にしか見えません。どうして皆さんはこの剣を手に取ろうと思ったんですか? 騙されなければこんな剣を手に取ろうなんて思わないでしょ普通。そしてキツイ言い方でしょうけど、皆さんが騙されなければこんな悲劇は起きてない。なんで騙されるんですか?」

『これは若者に痛いところを衝かれたのう。要はあの女どもの口舌に騙されたという事よ。儂らのようなバカな男どもが引きも切らない』

『よく分からない説明じゃろうが』

『図星よな。悲しいながら』

『なにを言っているか! 神様を〝あの女〟とは。若造、ことばを慎めよ!』

『そうじゃ、口のきき方に気をつけろ!』

『口のきき方には注意しろ!』

 客観的には騙されているようにしか見えないのに死んでからもこの思い。これが音に聞く〝信仰〟というものなのか。


『そうじゃない!』

 ひとつの声があらゆる雑音を遮断するようにそう言った。もちろんこの声も仁科さんだ。


『我々がどうやってこういう運命となったか、後学のためにどう騙すか手口を教えておいてやろう、若人のために。まずは容姿で男どもをおびき寄せる。しかし容姿だけが全てではない。まんまとおびき出された生け贄の耳元でこう囁くのだ。『この剣を手にした者は世界を手に入れることができる』と』


 ひとつの声は一区切りを入れる。


『——確かにこの剣に魔王を倒す力はある。まがい物ではない。神がかっていると信じても無理はない。故に『世界を手に入れることができる』は誇張ではない。本当に魔王を倒せれば人の世界において人々を統べることさえ不可能ではない。男の権力欲の刺激。世界にただ一つ、〝伝説の聖剣〟を目の前にした高揚。それが己の手に入る、己が神の如き存在に選ばれた〝選ばれし者〟だったという自己本位の物語の興奮を男は押さえきれない。ついそれを手にする。もう最期だ。魔王と戦わされる運命の末、勇者はほぼ必ず死ぬ。魔王にとどめを刺せた極めて運の良い勇者の手からは剣は離れる。不幸になっていない者には剣の真の姿を知ることは永遠にない。そうした幸運者もいずれはこの世から去る。だからこの剣が本当のところどういうものか、その真実は決して今を生きる者に知られることは無い。この剣が世に現れるときは必ず持ち主が不在だ。なにひとつ知らない人間達は魔王がはびこっているのは〝伝説の聖剣〟が世界のどこからも発見されないからだと信じ込んでいる。本当はその剣は人の手から人の手へと彷徨っているだけだというのにな』

『やかましいわっ!』『ふざけるなっっ!』などなどとあまたの怒りの声を仁科さんが喋り始める。


「だけどみんな選ばれたかったんですよね? そんなに〝選ばれし者〟になりたかったんですか?」

「水神くん」仁科さんが口を開く。これは何かが憑依した声じゃない。

「わたしはなんとなく分かるよ」

 へっ?

「分かっちゃうの?」

「演劇をやってて、自分が舞台の上でなにかセリフを喋っている時、錯覚なんだけどなんだか自分が世界に中心にいるような気がしてるの」

 こんなことを教えてくれてどういうつもりなんだろう?

「いまからわたしが少しとんでもないことを言うけど、ショックを受けないで。わたしを信用してっ」

「う、うん」


 なんだか分からないけどその声調子に気圧され反射的に返事をしてしまっていた。再び仁科さんの奇妙な一人芝居が始まる。ただ前と違うのは仁科さんがなにかオリジナルの脚本を持っているらしいってことだ。


「ねぇ真面目な勇者さん。あなた達はもう二つに別れてしまった。魔王を倒そうなんて思っているのはせいぜい半分だけ。半分の力しか持たないこの剣で魔王に勝てるの?」

『勝てる』

「嘘つき」

『なんだと?』

「全ての力があった時でも誰も本当に魔王には勝たなかったじゃない。戦っても戦っても得られるのは一時的な空しき勝利だけ。結局魔王はいつも世界に存在してる。そんな程度の力しかないのにさらに半分の力になっちゃった」

『違う。その考えには穴がある。これらの勝利は無駄ではない。あまたの先人勇者が魔王を削ってきた勝利を否定するか——』

「黙りなさい!」本物の仁科さんが話しの腰を折る。

『面白いじゃないか魔王の眷族よ』別の声が喜び始める。しかし喋っているのは仁科さん。

 仁科さんはふふっと薄く笑った。

「残念、屈折した勇者さん。わたしはあなたの味方じゃない。わたしは勇者と戦いたくない。あなたのための報復などしない」

『戦わないつもりか⁉』『戦わないつもりか⁉』相次いで仁科さんが喋る。もはやどちらの立場がものを言っているのか判然としなくなっている。

「えぇ、そう。わたしは死にたくないから」仁科さんが言った。

『この臆病者め。それでは素質があっても無いのと同じ』

「挑発しているつもりなの?」

『臆病者に臆病者と言うのは事実の指摘』

「そぅ。わたしは臆病者。だけどひとりの人間の中に相反する価値観があるのだって不自然じゃない。剣の中のあなた達は仲違いをしているみたいだけど実はひとつ。わたしというひとりの人間の中にもふたつの気持ちがある」

『なんだと⁉』『図星じゃないか』

 剣が混乱を始めた?

「わたしは水神くんに殺されたくない。わたしという人間が水神くんに殺されるなんて許せない」

 これって仁科さんなんだよな——?

「だいいちわたしがいなくなってしまったら水神くんはひとりぼっち。誰が護るの?」

『どこまでも勝ち続けられると思っているのか? お前は剣の力は半分になっていると言っただろう』

「つい本音が出ちゃったみたいね」

『うるさいっ、勝ち続けることができるかと訊いている!』

「いったい誰に勝ち続けるの?」

『もちろん勇者だ』『もちろん魔王だ』二種の声が交錯した。

「魔王を倒したのは『魔王の眷族』にされているわたし。魔王の血が入っているわたしが魔王を殺すわけもない」

『では魔王の側で戦うというのか! 雲霞の如く押し寄せる勇者を倒しきれると思うのか? 数は力。消耗を強いられるのだ』

「さぁ? どうかしらね。消耗させることができたのはこの剣のおかげ。だけどこの剣は既にわたしの手の中にある。これでどうやって倒すというの?」

『剣ならお前も見たはず!』

「ふうん、あの八百本の剣は一応は本物なんだね。力は全然無いみたいだけど。でもね、手に取ったら最期、不幸を招き寄せる剣をこの世界で誰が握るというの? 現にお巡りさん達だって誰一人手に取ろうとしなかった。本当のこと、真実がばらまかれてしまったこの世界で進んで『勇者の剣』を手に取ってしまう人がいるかしら?」


 カチリと繋がった。これが魔王の言ってた『封印』か‼ 魔王のことばが蘇る。


『封印は半分以上は成功している。『封印』ってのは使えないようにするっていう意味がある————』


 これの意味が仁科さんのおかげでいま分かった。魔王は警察署に剣を管理させるつもりなんて最初から無かったんだ。封印は必ずしも『どこかに閉じ込めること』を意味してなかった!


「どうしたの? 何も言えなくなってしまったの?」

 仁科さんが『剣』を挑発している。

『それでよい。『魔王の眷族』は魔王のために戦うのだ』

「魔王ですって? 魔王なんかのためには戦わない。わたしは水神くんのために戦う」

『同じではないか。そこにいるのが新たな魔王ぞ』

「ならあなた達はなにも知らないで死んでしまった哀れな人たちだということ。そうよ。わたしが殺されるとしたら水神くんを護って殺されるの」


 仁科さんは死にたくないのか死んでも構わないのか。それにこの台詞……なんと演劇な——と思ったときふいに声がした。


「あなたは勇者だったはずなのに、これはどういうこと?」

 立体映像のふたり組の一方の声、髪の短い方が叫ぶように訊いた。

「黙りなさい! あなた達はわたしに水神くんを殺させようとしていたくせに!」仁科さんが立体映像に剣を突きつけて言う。


「どうして、魔王の血を引いているあなたが『勇者の剣』を平気で持てているの?」髪の長い方も仁科さんに訊く。

「なぜかなんて分かるわけない——」それが仁科さんの答えだった。

「元々勇者としてあの剣を握った者が魔王の血を引いてしまったから……?」髪の短い方が呟くように口にした。その刹那だ——

「二度とこんな真似をしないよう、殺す」

 制止のことばより先に仁科さんは立体映像を斬りつけていた。

「ひゃっ」

 目を疑う光景が展開されていた。髪の短い方が右腕を押さえていた。一瞬だけど自分は見た。血が流れていたかどうかは分からない。だけど確かに腕を押さえていた。


 既に立体映像のふたり組は跡形もなく消えていた。


 しかし自分は聞き捨てならないことばを聞いてしまった。

 〝殺す〟と確かに仁科さんは口にした。


 ずいぶんたくさんの血を仁科さんの中に入れてしまった自覚がある。ひょっとして〝魔王成分〟は仁科さんの方が多くなってはいないか?


 だんだんと空恐ろしくなってくるが魔王の血はこの自分の中にも流れている。仁科さんに感じたことはこの自分自身に対しても感じなきゃいけない。

 既にこの時自覚はあった。日は落ち辺りはすっかり暗くなっているのにやけに夜目が効く。赤外線暗視スコープなんて覗いたこともないけれど仁科さんの表情もこんな中でやけにはっきりよく見える。


「あの二人はどうなったの?」

 するのに極度の緊張を強いられる問いを自分は発した。

 〝死んだ〟とか〝殺した〟という答えすらも覚悟した。


 しかし仁科さんの答えは意外なものだった。

「元々生きていないものは倒せない」だった。


「どういうこと?」意味が解らなかった。

「あれを『神様』だと言う人がいたけど、ある意味それが一番近い表現なのかも」と仁科さんは言った。

「つまり、本当に映像だけで身体が無いってこと?」と訊く。

「そう」

 もう何かを考えられない。


 仁科さんは何を考えたか剣を地面に突き刺した。あれほど手にくっつき離れなかった剣はいとも簡単に仁科さんの手から離れる。すっかり取るも放すも自在となっていた。


「うっ」とたんに頭痛が。吐き気ももよおしてきた。瞬間仁科さんもよろめく。

 即仁科さんは杖をつかむように剣に手を掛ける。その瞬間調子の悪さが治まった。

 仁科さんは立ち上がり剣を引き抜く。

「ゴメン。つい無意識にやっちゃった」

「うん、だいじょうぶだから——」

「身につけていないとダメだなんて困った剣ね」物憂げな調子で仁科さんは白銀の刀身を見ながら言っていた。剣の切っ先はこちらに向くことは無い。

 仁科さんは剣の柄を片手で握り剣の切っ先を自分と正反対の向きにした。そのまま片膝をついて剣を静かに地面へと置いた。

 そして片膝をついたまま自分に「魔王様」と、そう言った。

「ちょっと立ってよ。そんなことをされるほど偉くないし」

「——永遠に、永遠にわたしが魔王様をお護りいたします」

「いやちょっと、魔王のつもりはないし……」自分がそう言うと仁科さんは、

「別に本気で頭がおかしくなったとかじゃないから。ちょっと言ってみたくなっただけ。ホントは『わたしが水神くんをお護りいたします』だけど男子としては言われて微妙な気持ちかなって」と口にした。

 こんな台詞だけどふざけた調子も感じさせず、すっごく真面目に言っていた——

「いいよ、そこまでしなくても……」

「良くはない。これは……わたしのためでもあるから、どうか近くにいさせて」

 たぶん仁科さんに命を救われたのはこれで二度目。だから返事は、「うん」になるしかない。でも——、

「その前に立って言ってくれないと」

 仁科さんは驚いたような声で——

「わたしは——」とのみ言っただけ。

 仁科さんが立ち上がらないので自分がしゃがんでいた。

「ありがとう」そう言った。

 暗闇の中、鼻をすする音。もう一回鼻をすする音。その表情はすっかり見えているけど気づかぬふり。


 顔は明らかに深見さんが好みだ。性格も楽しいし。だから深見さんが好みだ。だけど仁科さんでいいと思う。いや『で』は失礼だ。仁科さんがいいと思う。


「立とうよ」自分が言うと、

「うん」と仁科さんは言い、そしてようやく立ってくれた。

 だけど——次の瞬間信じられないことばを仁科さんの口から聞かされた。

「あの立体映像のふたりの居場所が分かりました」


「実体が無いのに住んでる場所があるの?」

「普通の世界じゃない。なんて言えばいいのか、〝物の世界〟じゃないところ」

「まさかそんなトコに行くつもり?」

「そう」

「でも生きてないんだし、倒せないんでしょ?」

「だけど話しをすることはできる」

 話しなど通じそうにない。そう思ったが自分はただ黙ったまま。

「——わたし達に分かったのは正義がどこにも無いみたいだってこと。ならわたし達の信じる正義に賭けてもいいんじゃないかと思う」

「それはどういう?」

「もう魔王と勇者は互いに交わらない方がいいと思って。交わらない平和があると思って」

「でも行くってことは関わりを持つってことだよね?」

「いいえ、向こうはわたし達の、特に水神くんの命を必ず奪いに来ます。だったらこの剣がこちらの手中にある、いましかありません。それに——」

 それに?

「こんな剣がまた再生産されてあらゆる世界を彷徨ってもいいと思う?」仁科さんは訊いた。

 自分は無言でうなづいてそして言っていた。

「行こう」と。

「では魔王様、じゃなかった水神くんにはあのふたりの居場所までわたしを連れて行ってくれたらと思います。異世界への行き来は魔王様である水神くんにしかできませんから」

「やれと言われてもやり方が分からない」

「わたしと手をつないでください」仁科さんが言った。

 ええっ⁉ 自分が女子と手を! と思った瞬間には自分の手が握られ仁科さんと手をつないでいた。これが女の子の手の感触……

「わたしがあのふたりの居場所を頭の中に描きます。このままいっしょに走り出せばいいんです」仁科さんは言った。

 どうして分かる? 仁科さんはこの自分を魔王にしているけど、実は魔王は仁科さんって可能性はないか——そんな考え事のさなか力強く手を引っ張られた。




 ふたり手をつないだまま暗闇の中のさらなる暗闇に向かって走り出している。




          ◇

 それから二十分もしない頃、深見未惟沙が村垣教諭、中司巡査を伴って東王東高のグランドに到着した。現場には人間が倒れていた。暗闇の中チラチラと懐中電灯の光点が動く。


「息がない」中司巡査が言った。

「コイツは魔王とかいう奴だよな?」村垣教諭が言った。

「そうですね」中司巡査が答える。

「つまりどうなる? 一応殺人事件になるのか?」村垣教諭が絶望したような口調で言う。

「なにしろここに死体がありますから」と中司巡査。

「まさかと思うがあの二人をこの事件の容疑者として追うとかそういうことはしないよな?」

「それは本官が判断することではありませんから」

「待って! そうすると凶器はあの剣ということになるよね?」深見未惟沙が言った。

「あの剣は倉庫の中のはずですが」中司巡査は言った。

「だけど魔王の人をこういう風にしちゃうのはあの剣以外にはないよ」

「確かにそういうことになってしまいますね……」

「でもあの剣を使った殺人事件には絶対にならないよね」深見未惟沙が妙に自信ありげに言い切った。

「と言うと?」と中司巡査。

「ホラ懐中電灯でよく照らしてみて。傷が右の手の甲に五センチほどついているだけじゃない。これで死ぬほどの致命傷になるわけないよ」深見未惟沙が言った。

「……確かに、司法解剖の結果『死因不明』となれば殺人事件にはならないが……、でも水神君も仁科さんもどこへ行ってしまったのか? この状況はちょっと良くないですね」中司巡査が言う。

「良くないだと? ならちょっと言わせて貰うが司法解剖したらコイツが人間じゃないことが証明されるだろ。それでも事件として扱われるのか?」村垣教諭は言った。

「この人物が人間か人間じゃないかなんて想像の埒外でした」中司巡査が応えた。

「しかしあのふたり、どこへ行ってしまったんだ? 捜索願の方を出さなくてはならないぞ」村垣教諭が暗闇を睨みながら言った。

「大丈夫、やることやったらすぐ戻ってくるよ」深見未惟沙が確信したように言い切った。




          ◇

 かつてあれほどの力を誇った僕がいまや何一つもできず実体はもちろん姿すら無い。誰からも認識されることさえなく……なのに意識だけがはっきりとしている。僕は魔王だったはずだ。だった……。

 今その魔王がふたりもいる——ものを知らない素人が経験も積まず僕の真似などするからこんなことになる。他者に必要以上に魔王の血を入れ等分にしてしまうとは。ほんの一寸入れるだけで眷族にできるのに。魔王はふたりもいるが力は僕の半分しかない——


 さて、血を分けた弟と妹はこの先どうなるか。ふたりいるからこそ二人以上の力を持つか、ふたりいるからこそ憎しみ合うか。

 しかし魔王となった以上彼らは報復をしなければならない。僕はそれを見届けなければならない————                       


 どれ、行く末を見届けるとするか。

                                                                     (了)

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彷徨える勇者の剣 齋藤 龍彦 @TTT-SSS

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