夕方


 秋葉原から、新橋を経由してゆりかもめに乗る。

 モノレールが芝浦ふ頭を経てレインボーブリッジを渡れば、鉄筋の合間からお台場と海が見える。

 無言の二人、西日の写る車窓。

 遠目に軌道エレベーターの基地が見える。


「サーティワンに、耳を貸すことはない」

「そうでしょうか」


 モーター音が車内で唸っている。


「口調、戻ってるぞ」

「ごめん」


 もうすぐ、海浜公園に着く。


「メルでいいのか?」


 彼女は頷いた。


「そうか……。俺は、きみにとっての何だろうな」

「きっと、すぐ分かると思うわ」

「海を見たら、また東京タワーに行こう」

「うん」


 ゆりかもめを降りたら、お台場海浜公園は目の前だった。

 砂浜に靴が触れると、メルはおもむろに脱いで裸足になった。


「怪我するぞ」

「いいの!」


 橙を照り返す海面の揺らぎの先に、レインボーブリッジと東京タワーが見える。


「赤いわ! いい気分ね」


 メルは、さざ波に足先を濡らしてからショウに振り向いた。


「こっち来て」

「ああ」


 スーツの上を脱ぎながら、ショウはメルの隣に来た。


「実を言うと、今の今まで思い通りなの」

「え?」

「楽しいわ。好きなものいっぱい食べて、観光して、おまけにスリル満点のアクションも。ショウの生活は、あの頃教えてくれたままの楽しさね」

「あの頃?」


 メルは、軌道エレベーターの方を見た。


「命は巡るモノ……。あの頃のショウが教えてくれたのよ。地上での生活を。また地上に生を受けるなら、私に体験させてくれるって」

「それが、今日叶った?」

「そんなところ。永遠の命と言っても、数百年も生きることじゃない。もしもショウは永遠の命を手に入れたなら、月の世界で何をしたい?」

「……分からん」

「それって変な話でしょ。お金持ちがお金の使い道を考えてないようなものよ」

「永遠は無限だものな」


 軌道エレベーターの一本線を、数珠つなぎのユニットが天へと昇っていく。


「月の世界はどうなっているんだ?」

「二つに分かれてるの。成果を残した勝者と、残せなかった敗者。勝者の魂は永遠に生きられる身体に移され、敗者の魂は永い眠りの中で修練をする。敗者の肉体は、使えなくなるまで奴隷となって働き続けるの」

「勝者の肉体は?」

「冷凍保存されて、永遠に讃えられるわ」

「あの頃の俺っていうのは、どっちだ?」

「もちろん勝者」

「じゃあここにいるのは可笑しい。修練された魂が地上に還るのなら分かるが、勝者なら、月の世界で生きているはずだ」

「普通の勝者ならそうね……けど、ショウは違ったの」


 風が吹いた。そっと波が立つ。


「あなたは月の永遠を拒み、新しい人生を望んだ」


 メルは、ショウの切れ長の目を確かめた。


「それはきっと、命が巡るものだからだ」


 少し止まってから、メルはまた口元に手を当てた。

「やっぱり、あなたは変わらない」

「いつどこにいても、俺は俺だ」


 空が少し暗くなる。


「メルは、なぜ地上に降りてきたんだ?」

「分からない?」

「言って欲しいんだ」

「……最後に、願いを叶えに来たの。これでいい?」

「そんなこと言うなんて、昔じゃ想像できないな」


 黄昏の空に、一番星が灯る。


「思い出してきた?」

「ああ。無慈悲な女王の顔が浮かんできた」

「酷いなぁ」

「メルに嘆願したものな。もう一度、地上に生まれたいと」


 うんうんと言いながら、メルはショウの手を握った。


「私、今日まで地上が楽しいなんて知らなかったな」

「ずっと、ここにいればいい」

「……」

「俺は、メルの恋人だ」


 ただ、二人で寄り添う。

 満月が昇る。


「プリンって月みたいね」

「だからって、ありゃ食べすぎだ」

「もう!」


 メルは口元に手を当てた。

 浜辺に沿って月の方へと歩く。


「そういえば、どうして海に来たかったんだ?」

「ここなら歌えるでしょ」

「それって、地下鉄で歌ってたアレか?」

「え? 私もう歌ってた?」


 ああ、と答えてから、ショウはうろ覚えのメロディをハミングした。

 メルは黙る。それから、立ち止まった。


「願いの歌なの」


 メルは両手を胸の前で組んで、小さく口ずさむ。



 切れ長に滴る温もりに

触れることが叶うなら

ただそれだけが私の願い


もし一度だけ笑むのなら

それもまたいいのでしょう


月下美人はあなたのために

ただ一夜だけ咲くのです



どう? とメルは小首を傾げる。

 美しい歌声に、ショウは静かに拍手した。


「私は、今日だけを願っていたわ」

「ずっと昔から……?」

「一五〇年くらいかな。ショウの魂が月から離れて地上に生まれるまで、冷たいところで眠ってたの」

「朝になったら、帰るのか?」


 メルは首を横に振った。


「多分、死ぬわ」

「馬鹿な!」

「幸せよ。私はもう女王じゃない。罪を犯した女王は罰として地上に降りたの。そして今日は魂を返すまでのモラトリアム。ここにいる私は女王ではなく――」


 ショウは答えた。


「サーティワン……」

「十六歳の身体をした罪人よ」


 メルは肯定した。


 彼女は、レインボーブリッジ越しの東京タワーの灯りを見遣る。


「行こ」

「ああ」

 

 ショウは、ピンマイクのスイッチを押した。


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