第8話 君が結んだ愛

 咲子は楽しそうに窓辺で食事をする二人を見て、胸がちくりとした。

 ああ、自分にもあんな頃があったなと思い出す。

 あれは、ここが出来てまもなく、働き始めてすぐの頃。家族三人で、あの窓辺の席で食事をした。

 窓の外に初雪を見た幼い結愛は、はしゃいでベビーチェアから落ちそうになった。

 結愛の初めての発表会の後も、ここで食事をした。

 あの時の結愛は、楽しそうでニコニコしていて――。


 ――ゆあ、パパとママ、だーいすき!

 ――ゆあね、パパとママがもっと喜ぶように、ピアノ、もっともっと練習するね! 


 結愛の言葉を思い出して、咲子はハッとした。

 先日の大喧嘩のとき、夫が言った言葉。

 ――何でそんなに厳しくやる必要があるんだ。結愛はコンクールの為にピアノを弾いているんじゃないだろう!

 ――何の為だって言うのよ! 結愛の足を引っ張らないで!


 自分が放った言葉の愚かさに、ようやく気付いた。


 咲子は大急ぎで引き継ぎを終えて、ロッカールームに戻り、大急ぎで着替えた。

 涙が出てきた。

 結愛は、ずっとずっとピアノが好きだと言っていた。

 パパとママが喜ぶから。

 笑顔になるから。

 結愛はもっともっとピアノの練習をして、たくさんの人を笑顔にしたいと。

 そう言っていた。

 コンクールで賞をとりたいと言ったことは、一度もなかった。

 結愛の足を引っ張っていたのは、自分だ。

 自分はなんてことをしてしまったのだろう。

 今更気付いても、もう手遅れだというのに。

 その時。

 涙を拭った咲子の手の中のスマートフォンが、唐突に振動した。



 結愛は夢中でピアノを弾いていた。

 さっき聞こえたあのメロディーを、思い出せる限り弾いた。

 さっきまで凍てついていた指は、嘘のように軽やかに動いて、まるで指にも心にも羽根がはえたようだった。


 あんまり夢中で弾いていたので、ヘッドフォンのコードを接続するのを忘れていたことにも、窓を閉め忘れていることにも、気付かなかった。


 やっぱりピアノは楽しい。

 でも、パパもママも一緒がいい。

 ダメ元でも言ってみよう。

 かっこ悪くても言ってみよう。

 わがままでもいいから、言ってみよう。

 三人一緒がいいよって。

 そう思った。


 曲が終わると、室内がものすごく寒いことに気付いた。

 慌てて窓を締めに行くと、窓の外から両親が二人揃ってこちらを見上げているのが見えた。

「パパ! ママ!」

 思わずベランダに出て、手すりから身を乗り出すと、両親は、笑顔でパチパチと拍手をした。

 さっきの結愛のピアノを聞いていたのだ。

 二人は、手をつないでマンションの入り口へと歩き出した。

 結愛はそれを見て、期待に胸がときめいた。

 また冷たい空気が鼻の奥をついて、視界が滲んだので、結愛は慌てて部屋の中へ戻った。


 両親を迎え入れたリビングは、冷えきった三人の体には、とてもあたたかかった。

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