第三十四話 俺たちの戦いはこれからだ!

 緊張が解けて一転、凛音お嬢様の部屋は祝賀会のようなムードになっていた。


 そうは言ってもビールかけはない。事前に準備をしていたのか、瞬く間に並べられたのはケーキに紅茶。ちょっと遅めのアフタヌーンティーのような優雅かつのんびりとした光景だ。


 そりゃそうだ、だって主役は未成年だもんね。



「やったな、宅郎。お前ならきっとこのミッションをクリアしてくれると信じていたよ」


「はじめのうちは、この先、どうなることかと思いましたけどね」


「はっはっは。やはり、私の目に狂いはなかったな!」



 いきなり高らかに笑い出したかと思うと急に神妙な顔つきになったみこみこさんは、丁寧すぎるくらい丁寧に腰を折って俺に対して深々と頭を下げた。



「……いいや、笑い事じゃすまされないな。本当にお前には、突然攫ってきた上にこちらの都合で無理難題を押し付けてしまった。改めて……謝罪をさせて欲しい」


「良いっすよ。まあ実際、俺も楽しんでここまでこれましたから」


「そうか。そう言ってくれると助かる。……ほれ、行ってこい」


「え?」



 取り戻した満面の笑みを浮かべたまま、みこみこさんがウインクをしながら脇腹を小突く真似をする。振り返ると、エージェントさんたちに囲まれた凛音お嬢様の姿があった。


 本当に……嬉しそうだ。

 きっと俺も同じ表情を浮かべているだろう。



「……ありがとうございました、センセー。センセーのおかげです」

「お役に立てて何よりだよ。それにさ――」



 そこまで歩み寄った俺は、凛音お嬢様の肩にそっと触れ、続ける。



「俺は知って欲しかったんだ。俺が好きな物、俺が愛してやまない『オタク・カルチャー』の世界を凛音ちゃんに知って欲しかったんだ。勉強のためとか、社会で役立つとか、『宅検』のためだとかそういうの全然関係なしにさ。それだけなんだ」


「センセーのおかげで、いろんなことに触れ、いろんなことを知って、私は一回り大きく成長できた気がします!」


「まーまー。そこまで言われちゃうと大袈裟な気がして恥ずかしいけど……」



 そんな大層なことを教えたつもりはない。照れ臭くってぽりぽりと鼻の頭を掻く。

 そして、それからこう続けた。






「でもこれで凛音ちゃんは、ようやく次の段階へのパスポートを手に入れることができたね」


「………………はい?」






 俺の台詞に戸惑いを隠せなかった目の前の凛音お嬢様の顔が、ひくり、と強張った。よほどタイミングが良かったのか悪かったのか、そこにいた全員もまた、俺の発した台詞を耳にして疑問を抱いたようで、一瞬にして水を打ったかのように場が静まり返った。



「お、おい……何を言い出すんだ、宅郎?」


「何を、じゃないっすよ」



 そこで俺は皆の前に歩み出て、小脇に抱えていたノートパソコンを開くとスリープモードを解除した。そこには、『宅検』公式サイトが表示されている。ぱしぱし!と叩き、それを皆に見せつけながら俺は言った。



「俺の目は誤魔化せません。今回受験した『宅検』って、一番下の五級、ですよね?」


「それは……そうだが?」


「こんなのどまりじゃ、俺、教師として納得できないっす!」



 そうだ。

 とりあえず取る者は取った、その程度で満足しちゃダメなんだ。



「どうせやるからには、俺の教え子として恥じない成績を残して欲しいんです! 次はもっと上を目指しましょうよ! 受験日も年に四回あるじゃないっすか! 目指せ、一級、です!」


「……本気か?」


「……みたいですね?」


「はい、そこ二人! こそこそ話さない!」


「「はいっ!」」


 肩を寄せ合っていぶかし気に囁き合っていた凛音お嬢様とみこみこさんが、途端にしゃきーん!と背筋を伸ばした。




(ちょっと自分なりに考えさせてもらってもいいですかね――?)


 あの時そう告げた俺は、悩みに悩んだ挙句に一つの結論に至ったのだ。

 凛音お嬢様が合格したとして、無事元の世界へ戻ってどうする?と。




 待っているのは退屈な毎日だ。別に俺じゃなくてもできる仕事に、別に俺がいなくっても過ぎていく日常。そんなところに戻ったところで、もう俺は満足できない状態になってしまっていたのだ。




 この世界は俺を必要としている。


 必要としてくれている人がいて、それに応えられる能力を俺は持っている。誰よりもだ。それを使わない手はない、そう思ったのだ。




 だから――。




 遅れて現れた惣一郎氏の姿を見つけるや、俺はその厳めしい顔に向けてきっぱりと宣言した。



「惣一郎さん、俺は今日限りで凛音お嬢様の家庭教師をやめさせてもらいます!」


「な、何だと!? 本気なのか、多田野君?」



 だが、俺の台詞には続きがあった。



「代わりに俺は報酬として、鞠小路家専属の『オタク・カルチャー』のアドバイザーとしての地位を正式に要求します! 凛音ちゃんが合格した今だからこそ、そう決めたんです!」


「何と!」


「これを見てください」



 俺は驚くばかりの皆に向けて再度ノートPCを高々と掲げ、さっきとは違うプレゼン資料をアピールした。



「これが俺の立てたプランの概要――『プロジェクト・ビッグO』です。この鞠小路家の地位と権力を取り戻すため徹夜で考えました。どうせやるなら、とことん、です! もちろん、その手始めに、凛音お嬢様に『宅検』一級を取得させます。そして、その後も引き続き鞠小路家『総オタク化』計画を推進するというプランです。どうです? 俺を買ってくれませんか?」


「……ははははは! 大きく出たな、多田野君! 気に入った!」



 豪快に笑い立て、惣一郎氏と俺はがっちりと握手を交わした。



「約束、してしまったからな。応じられる限り、お前の求めるだけの報酬を与えると。そしてそれは、私たちも望んでいるものでもある。断る謂れはないだろう! ん?」



 それから俺は、それまで心配そうに見守っていた凛音お嬢様たちの方にウインクをして告げた。



「ってことにしたんだ」


「センセー……!」


「そうか。覚悟を決めた、って訳だな、宅郎!」



 みこみこさんは満面の笑みで頷き、凛音お嬢様は飛びついてきた。慌てて俺はそれを受け止める。



「やった……また一緒に勉強できるんですね、センセー!」


「もちろん! これからもよろしくね、凛音ちゃん!」


「ふふふ。はい、こちらこそお手柔らかにお願いします!」


「いやいや。手加減はしないからね!」



 俺たち二人を少し羨ましそうに眺めつつ、みこみこさんは少し心配げに尋ねた。



「やる気になってくれたのは何よりなんだが……分かってるのか? 進む道はさらに険しくなるんだぞ?」


「………………はい?」



 要領を得ない俺の返答に、はぁあああ……と溜息を吐き、あのな、と前置きしつつ、みこみこさんは続けて言った。



「四級は一〇〇問中八〇点以上で合格となる。時間との勝負だな。そして、三級からはヒアリング問題が出てくるんだぞ? 一級ともなれば、面接官との『会話』問題が出題される」


「ヒ……ヒアリングって?」


「そのまんまだ。聞いた曲や台詞から作品名を当てたり、声優名を当てなければならん」


「難しっ!」


「おいおいおい……。『会話』問題はもっと厄介だぞ? ビジネスシーンを想定して、もっともその場にふさわしい『オタク・カルチャー』の名台詞で切り返さなければならんのだ」


「難易度半端ねぇ!?」



 何だよ、その無理ゲー!




 ……いや、最初から諦めちゃダメだ。


 俺ならできる。

 俺たちならできる筈だ。




 ここに集まっている皆の顔がそう言っている。俺はこれから本当の仲間となる全員の顔を一人ずつ見つめ、頷き合ってから、右手を力強く天井高く突き上げてきっぱりと宣言した。


「くっそ……やってやりますよ。言ったからにはね! 俺はオタクの中のオタクだぜッ!!」


 そう。

 俺たちの戦いはこれからだ!



        <完>


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お嬢様、未来のビジネスマンに「宅検」は必須資格ですよ! ~オタク・カルチャーは未来を救う!?~ 虚仮橋陣屋(こけばしじんや) @deadoc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ