第三十三話 奴が来た
それから数日後。
どんっ!
「お、おい宅郎。あ、あれが、と、届いたぞ!」
「言ってませんから……って、あれ? ちょっとパターン変えてきましたね、みこみこさん」
すっかり慣れたものだ。しっかりと二重に施錠されていた筈の俺の部屋へと雪崩れ込んできたみこみこさんを冷静に眺めつつ、俺は比較的のんびりと応じていた。
ん?
届いた……?
それって『宅検』の合否判定のことか!
「早速開けてみたいところだが……ううむ、凛音お嬢様の帰りを待つべきだろうなあ」
「そりゃそうですよ。決まってるじゃないっすか。自重してください」
そう軽く
「い、一回落ち着きましょうそうしましょう」
「そ、そうだな。ひっひっふー。ひっひっふー」
「それ違う。何か生まれちゃう奴です。はい、吸ってー」
「すぱーっ」
「はい、吐いてー」
「はーっ……うぷっ……」
「えずかないっ!」
「い……いやいや、私とて決してふざけている訳ではなくってだな。緊張しすぎてマジで吐きそうになってきた……」
「まったくもう……。その気持ちは分かりますけどね」
ここは俺の部屋なのだし、そもそも気になっている女性に目の前で吐かれるなんてあんまりにもあんまりなシチュエーションだったので、持ち出してきた椅子にみこみこさんを座らせて背中をさすさす擦ってあげる。すると、しばらくしてやっと落ち着いたようだった。
しかし。
このブツがここにある限り、いつまで経っても俺たちの気は休まらない訳で。
そわそわ……。
「なあ、宅郎? いっそこれ、旦那様に預けてしまわないか?」
「い、いや! それはダメです! あの人ならソッコー開けちゃいますよ!」
「だよなあ」
「ですよ」
まだ時間は二時をちょっと過ぎたところ。
部活もあるだろうし、あと数時間は凛音お嬢様は帰ってこないだろう。
どうしたものか。
「ま、仕方ありません。俺が預かりますよ。何たって家庭教師ですからね」
「おお! それは助かる! さすがは私の攻略対象だ!」
だきっ!とどさくさに紛れて抱きついてきたみこみこさんの使い古しの筆頭をがっちり掴まえてそれなりに距離を置きながら、もう一方の手で仕方なしに『宅検』協会より送られてきた電子封書を受け取った。俺だってこんなブツ、とても平常心で持っていられそうにはなかったけれど、さすがに吐くまではない。きりりと胃が締め付けられる程度だ。
「ふうん。紙じゃないんすね。見た目はまるで昔ながらの封筒ですけど」
「ここにも『電子封書』と書いてあるだろう? リユースの利く簡易版のフォトディスプレイみたいなものだ。容量はそこまでないが、文書も写真も自由にレイアウトして格納できる」
裏返して昔で言うところの封緘された部分を見ると、『開封』という文字が浮かび上がってくる。一瞬、これなら何処でも誰にでも開けられちゃうのでは?と思ったが、GPSのような位置情報サービスを利用して、一度指定の緯度経度に届けられた後でないと実行できないのだそうだ。
もちろん『親展』の場合には、これプラス、本人の指紋照合が必要になるとのこと。こいつは普通郵便なので、俺でも開けようと思えばいつでも実行可能、ってことだ。こういうのも事前に聞いておかないと、俺みたいな『素人』の手で意図せず暴発させてしまう恐れがある。聞いといて良かった。
「では、私は職務に戻ろうかな。頼んだぞ、それ」
「はいはい。いってらっしゃい、みこみこさん」
素早く仕事モードに戻ったみこみこさんを見送りつつ、俺は手の中の電子封書をしばらく手の中で弄んでから、机の上にそっと置いた。それから、貸し出されたノートパソコンを使って予め計画していたことを実行に移す作業に没頭することにした。
◇◇◇
こんこん。
「はい、どうぞ」
わざわざご丁寧にノックをするということは、少なくともみこみこさんではない。俺は一応ルーティンとしてさっと身だしなみを整えてから返事をした。
開いたドアの向こうに立っていたのは――凛音お嬢様だった。
「ああ。おかえり、凛音ちゃん」
「ただいまです、センセー。聞きました。合否通知が届いた、と。なので早速来たんです」
「何だ、呼んでくれたらこっちから届けに行ったのに」
「済みません、つい……。着替えるのも煩わしくって」
まだまじまじと見たことはなかったけれど、今の凛音お嬢様が着ているのが鎌北女子学院の制服なんだろう。ブレザーとセーラー服のいいとこどりみたいで実に可愛らしく、慎ましやかながらも洗練されたデザインだ。特にそれを着ているモデルが完璧美少女の凛音お嬢様なのだから、否が応にもその良さが際立って見える。何処かのデザイナーの手によるものなんだろうか。思わず緩みそうになる目尻を引き締めて俺は言った。
「そんなに慌てなくっても、もう結果はここにあるからね。まず、凛音ちゃんは部屋に戻って準備しててよ。俺はみこみこさんたちエージェントさんにも声を掛けて、それからこれを持って行くからさ。皆で協力して頑張ったんだ。皆揃ってから確認したいじゃない」
「それもそうですね。じゃあ、先に戻って着替えます!」
駆け出していく凛音お嬢様を見送り、俺は電子封書とともにスリープモードにしたノートPCを小脇に抱えて、みこみこさんたちを探しに部屋を出る。
◇◇◇
こんこん。
がちゃり。
「お待たせ、凛音ちゃん。皆を連れてきたよ」
「はい、お待ちしてました。私も準備オッケーです!」
俺を筆頭に、いつぞやのアフレコ学習の際を思わせる大人数が凛音お嬢様の部屋へと集合していた。俺と凛音お嬢様とみこみこさんの分のテーブルと椅子はある。だが、他の黒服に身を包んだエージェントさんたちは、誰一人、頑として座ろうとしなかったので、まるでヤクザかなんかの手打ち式みたいなへんてこな光景になっていた。
俺は注目を浴びていることを意識しながら手の中の電子封書を高々と差し上げ、たっぷりと時間を置いてから凛音お嬢様にそれを手渡した。
「まだ、誰も中身を見てないからね。それを開けるのは凛音ちゃん自身にやって欲しいんだ」
「はい……。ううう……緊張……しますね」
「きっと大丈夫。信じて」
「は、はい! 開けます!」
受け取った電子封書を裏返し、封緘部分をそっとなぞる。すると、それそのものが見た通りの封筒から中身の文書に見る間に変化した。だが、俺たちからは鏡文字のようになって良く読み取れない。
やがて――。
「合格……!」
凛音お嬢様の口から呟きが漏れた。
「確かにそう書いてあります! 合格です! 合格できましたよ、センセー!!」
直後、背後に整列したエージェントさんたちがはじめて感情を露わにして、うおおおお!と歓声を上げた。それには俺も、あまりに意外すぎて驚いてしまった。これほどまで徹底的に日々自分を殺して職務に全うしている人たちが、こんなに素直に喜びを表に出すなんて思わなかったからだ。見れば、手を取り合ってお互いを認めるように何度も頷いたり、肩を叩きあったりしている。思わずこっちまで嬉しくなってしまった。
「やった……! やったね、凛音ちゃん!」
「嬉しい……やっぱり皆さんの前で一緒に見れて良かったです! やりました!」
照れたようにガッツポーズを取る凛音お嬢様の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
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